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女流画家の廣戸絵美氏作だそうですが、写真よりも存在感と生命感に溢れているというべきでしょうか。要するに艶めかしさを漂わせる妊婦の裸体像と、その奥深い表情を前にしてたじろぎさえ覚えます。手前左側に置いた本の表紙です。
先の日本考古学協会の会場で購入した、大島直行先生の著作『月と蛇と縄文人』(寿郎社)ですが、構図は先の妊婦画と縄文土偶とを向かい合わせにして、造形表現の対照性を浮き彫りにするといった、そのような趣旨なのか、と最初のところは推察いたしました。
これはさっそく読まねばと、帰りの電車と飛行機の中で読み進めました。表紙はもちろん外してですが。
貝輪の話や住居は墓でもあるとの趣旨の主張には興味深いものがあり、ワクワクしつつ読み進めさせていただきました。大島先生の意図と研究の方向性にはもちろん大いに賛同するところです。ただし肝心の部分の、月と月の水が生命の源泉であって、縄文土偶はその月を遙拝する呪具ないし象徴具だとの解釈の部分で、どうしてもつまずいてしまいました。
なぜ月とその水が万物の生命力の源泉だといえるのか、どのような脈絡のもとに土偶は月を向き、再生と復活を祈念する象徴物ないし呪具だと理解できるのか、そのあたりが今ひとつわかりかねるまま、宿題となりました。
そこで大島先生が依拠するとされたネリー・ナウマンの著作を紐解くことにし、ネリーも多くを依拠したとするカール・ヘンツエの論考を紐解くことにして、ようやく納得できたところです。これらお二人の著作も幸いにして日本語訳が出版されていました。
図像解釈学ともいうべき象徴性の内実を読み解く作業は、1960年代から70年代にかけて古代中国の殷代の青銅器や漢字の形成過程を素材にして活況を呈していたのですね。そのことを知らずして大島先生の著作に最初にあたってしまったものですから、先のような疑問を生じさせてしまったようです。初学者の陥りがちな反応ですね。
詳細の部分についてはいずれ機会を改めて紹介することとして、弥生・古墳時代を専攻する人々にお薦めの本です。
というのも、縄文時代研究者にとってのナウマンやヘンツエの著作は誰もが承知していて当然の基本文献中の基本文献なのだそうで、松本建速さんなどは彼の授業中にナウマンの「縄文時代の若干の宗教的観念について」『民族学研究』39巻4号を参考文献として学生に紹介することもある、とのことでした。大島先生の著作の大元になった論文ですから、確かに基本文献といわれればそうなのかも。さすがです。
さらにその反面、先の著作は弥生・古墳時代の図像解析にとっても有益な把握法が満載でもあることについては、意外に知られていないのではないか、と思うのです。少なくとも私についてはそうでした。
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