私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

考古学の話題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全13ページ

[10] [11] [12] [13]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

秋学期の大学院の授業で取り上げるテーマのひとつは、表題のとおりです。
太平洋の島嶼部では、市場交換とは別に「威信財交換」と経済人類学で概念化された交換形態が知られています。それを過去の社会の分析に援用しようとする試みが考古学の一部で生じ、日本考古学へも複線的な経路で適用されました。
この秋の授業は、本概念を考古学への援用する際に生じる問題や課題、あるいは有効性のほどを改めて考えてみようというものです。

たとえば「威信財システム」という作業概念(もしくは中位理論)を国家形成過程のどこにどう位置づけるべきかをめぐって(活発かどうかについての判断は微妙ながら)現在も議論が展開しています。

かつての私のような用語だけの借用にとどまる段階のものは論外として除外しますと、現時点では九州大学の辻田淳一郎さんの提示する理解が一方にあって、奈良文化財研究所の石村智さんの主張する対抗的な理解がもう一方の極にあります。この両者の見解を柱として関連論文などを吟味しながら、考古学への適用法を考えてみようというのが主たる目的です。

しかし別の側面にも注視してみたいと思うのです。それは「威信財システム」という限定的な枠組みを与えて援用対象を抑え込んでしまうことが効果的かどうかを点検してみることです。
むしろ威信財交換という概念は、もっと普遍的な現象への理解に適用してこそ効果的ではないか、という見方を併せて検討してみたいのです。

なおこの点については故鈴木公雄先生が、銭貨に対して「国家的威信財」だと命名した適用例がありますし、私も徳島藩の「しめなわ文茶碗」を引き合いに出して鈴木先生に同調した経緯があります。

こうした見方を進めた背後には、1970年代に収録されたビデオ「クラ交換」を当時社会学専攻であったN谷君が借り出してきて実際に観たというささやかな経験と、1990年代までは活発であった社会学や経済人類学での同概念の捉え方を参照してみたという経緯があります。

そんな次第で、今回の授業には私自身を反省してみるという裏側の趣旨もまとわりつかせています。

写真は北條ゆうこ氏の所有するしめなわ文茶碗です。19世紀初頭からの徳島における伝世品です。
上段が表文である「しめ飾り文」、中段が裏文である「海老文」です。信楽で焼かれ徳島藩で使用されました。

藩主在藩の年の年頭礼として徳島城で実施されたオオブクチャ行事の際に、藩士たちが使用し、引き出物として持ち帰った品だと推定されるものです。徳島藩の武家屋敷からだけ大量に出土する正月行事用の茶碗ですので。徳島藩の武家屋敷の標識ともなる考古資料です。

最下段の模式図は、彼女の型式学的研究の上に乗っかって私が描いてみた「威信財交換」モデルです。

イメージ 1

表題の展望記事は、『考古学研究』の最新号(第56巻2号、通巻222号)に掲載されているものです。本会の代表委員でもある新納さんらしい抑制の効いた文章ですが、去る5月31日の日本考古学協会での歴博グループの発表内容が有する重大な問題点が指摘されています。

ここまで抑制の効いた文章なら、読者の方々は過激な表現に辟易することも激昂することもなく、的確な情報を入手できるでしょうし、冷静な判断が下せるものと思います。私のような激昂気質では、こうはいきません。

さらに感心させられたのは、東田大塚古墳周溝下層の「布留1式?」資料の取り扱いについて関係者に直接取材された上で問題点を論じていらっしゃることです。私のように件の会場で大立ち回りを演じた張本人では絶対に真似できない偉業です。

そしてここからは、きわめて注目すべき事実関係が浮き彫りになっています。すなわち歴博グループが土器の木材の共伴関係(ないし一括性)に関して下した判断と、実際に現地での調査を担当された橋本輝彦氏の判断との間には重大な差が生じていることが指摘されているからです。
年代測定結果の取り扱いにかんする操作性については以前からも指摘されてきたことですが、今回明らかになった点は、より一層明確で、かつ根本的な疑義を抱かせかねない操作性です。この段の内容は真に注目すべきところです。

このような記事が登場したことにより、今後私などがしゃしゃり出る幕はなさそうだ、との安堵感を覚えたところです。

新納さんのおかげで、かつて本ブログで激昂しながら記述した内容のいくつかは、おおむね解消された形になりました。それに福岡大学の武末純一先生からもいち早くご指摘いただいてきたことですが、東田大塚古墳周溝下層の問題については、新納さんの今回の原稿によって充分にカバーされたものと思います(しかしどうしてここまで抑制を効かせられるのでしょう。かないません)。

そして今現在、私自身がもっとも知りたいと思う事柄は、西暦270年のボトムと巨大前方後円墳の成立との先後関係です。このボトムが「古墳寒冷期」と呼ばれる気候変動を反映していることは疑いないところですから、巨大前方後円墳の誕生はそれと重なるのか、それ以後なのか、知りたいのはここです(結局は同じことなのですが)。

写真の中央は、東の穴師山方面からみた箸墓古墳です。

第二の「大和」原風景

イメージ 1

表題は11月10日に刊行予定の東海大学考古学専攻開設30周年記念論文集『日々の考古学2』に掲載予定の私の原稿です。

奈良盆地はいつから「まほらま」と賞賛されるべき場所になったのかを考えるための一環として、本稿は奈良県佐紀古墳群の配列関係を検討してみたものです。

本古墳群中に築かれた巨大前方後円墳8基の相互視認性を検討してみると、他の7基のすべてを視認可能な古墳はただ1基。伝垂仁陵といわれる宝来山古墳のみです。

そこで宝来山古墳後円部頂を起点に他の古墳の後円部頂までの距離を測ってみると、等距離の関係になる組を3組指摘できます。
このことから、本古墳群の配列は宝来山古墳を中枢とする周回的な配列関係のもとに整理可能だという示唆が与えられます。

さらに宝来山古墳の後円部と市庭古墳(伝平城陵)後円部、ヒシアゲ古墳(伝磐の姫陵)の後円部頂は一直線上に並びます。
つまりこれら3基の古墳は、配列関係において本古墳群の中枢性を表明するグループであろうと考えることができます(この点については、数値地図やグーグル・アースで確認可能です)。

こうした現象把握にもとづいて、平城京の条坊地割との関係を含め論を進め、佐紀古墳群は大和東南部古墳群に続く第二の「大和」原風景であると結論づけています。

要するに人為的な「公界」として大規模耕地開発が誘致されたことこそが「まほら」さの源泉であり、こうした事件以降、この奈良盆地は列島内でもっとも賞賛されるべき象徴空間としての求心力を備えることになったのだと考えています。

もとより前稿以上に厳しい批判に晒されるであろうことは必定です。

昨日の研究ミーティングの席上、この話しを報告したのですが、メンバーの福永伸哉さんと岸本直文さんから、さまざまな注文がつきました。
私の荒唐無稽なアイデアにもっとも寛容なお二人でさえそうなのですから、覚悟はしております。

挿図の下図を1点アップしておきます。

                   (研究ミーティング2日目の朝、ホテルの部屋にて)

30周年記念論集の中身

イメージ 1

先に目次が読みづらいとのご指摘があった、東海大学考古学専攻開設30周年記念論集の内容をアップします。以下の4部構成で、執筆者名と題目を列挙します。

第?鵯部 日本列島の無文字社会を語る

柴田亮平 愛鷹・箱根地域における礫群の検出遺構と概要―AT下検出の資料を中心として
藤田健一 殿山技法批判
峰村 篤  花輪台?鵯式土器に関する基礎的研究(1)―印旛沼西岸遺跡群を中心とする検討
加藤 学  北陸地方における縄文時代早期末葉〜前期前葉の玦状耳飾―新潟県糸魚川市大角地遺跡の分析から
青嵜英樹  土器底部木葉痕の樹種同定法についての一考察
鈴木めぐみ 長谷堂貝塚の縄文時代における土地利用
山口雄治  中部瀬戸内における縄文時代後期の生業と集団関係に関する一試論
秋田かな子 土器制作における時間の制御について―縄文時代後期前葉“軟質性ナデ痕土器”の観察と復元から
松本建速 砂沢式土器をもとに土器の変化の背景を考える
杉山和徳 東日本の鹿角剣把
土屋了介 螺旋状鉄釧の基礎的研究―形態と数量的要素を中心に
宮原俊一 回転施文の特質から導く縄紋の比較・同定試論―王子ノ台遺跡方形周溝墓の土器を例に

第?鵺部 無文字社会から文字社会へ

高木宏和 弥生時代後期から古墳時代初頭の同質性と多様性
吉井 理  関東地方における前方後円墳の墳丘方位について
吉田健太 西表島・網取遺跡からみた生業戦略とその背景の一試案
北條芳隆 第二の「大和」原風景―佐紀古墳群と平城京条坊地割
川口武彦 茨城県水戸市田谷廃寺跡出土瓦の再検討―多賀城様式瓦と文字瓦を葺いた瓦倉が眠る官衙遺跡
木本挙周 古代常陸国那賀郡における軒瓦の様相―台渡里廃寺跡観音堂山地区・南方地区出土軒丸瓦を中心として
東 真江  神奈川県秦野市市尾尻八幡神社前遺跡出土「丈直」刻書土器について
田尾誠敏 関東地方における古代製塩土器―特に太平洋沿岸部を中心に
大関 武  常陸国集落遺跡出土の中世陶器―つくば市島名熊の山遺跡を中心として

第?鶚部 日本考古学 研究史と遺跡保存

鈴木高史 日本国内における食人研究
會田信行 日本第四紀研究史―お雇い外国人教師による貝類の研究
大倉 潤  吉田東吾とコロボックル説―明治20年代人種論争の一齣
木村 淳  国内水中遺跡の保護と管理, 文化遺産としての問題

第?鶤部 世界へのまなざし

遠藤 仁  永続する石器―中エジプト・第3中間期アコリス遺跡の石器利用状況から
小磯 学・小茄子川 歩  インダス式印章のサイズとその意義
近藤英夫  二つのメルッハ―インダス文明の存続年代を検討する
千本真生  ブルガリア,テル・デヤドヴォ遺跡の前期青銅器時代土器とその編年的位置づけ
禿 仁志  東海大学のブルガリア調査―2000年以後
山花京子  古代エジプトでの地中海文化の受容―ギリシャ・ローマ時代の浮彫付壺の文様変遷を追う
川島秀義  銅鼓形石製品の分類と周辺遺跡との関連性
内山幸子  渤海のイヌ
桑原安須美 現代グアテマラにおける土器製塩―マヤ系先住民族サカプルテコの黒色塩

題目をご覧になって、購入を希望される方は六一書房か東海大学考古学事務室までご連絡ください。連絡先は、先の記事のコメント欄に記してあります。

3号館からみたキャンパスの風景を添えておきます。本日は雨です。

開く トラックバック(1)

30周年記念論集の表紙

イメージ 1

イメージ 2

松本建速さんが中心になって編集作業を進めていただいている、東海大学考古学専攻開設30周年記念論文集、『日々の考古学 2 』も最終仕上げを迎えるまでになりました。ちなみに1は20周年記念論集だったので今回は2となります。

先ほど松本さんが私の部屋へやってきて「表紙のデザインはどれがいいですか?」と4案を提示。

私がウダウダ注文をつけたあげく「これでしょう。」と1枚を差し示すと、嬉しそうに微笑みながら

         「そうですか。(ニヤニヤ).....これで決まりました。」

どうしたのかと聞くと、既に他の先生方の意見を聞いた後で、私の一票によって多数派が決したとのことでした。もちろん私の一票は、珍しく松本さんの趣味とも一致したようです。

そんな次第で、30周年記念論文集の表紙は、写真の最前面のデザインに決しました。

11月10日に六一書房さんから出版される予定です。

内容については目次のデータが手元にないものですから、デジカメで撮影したものしかアップできません。詳細は後にお示しするとして、今回は雰囲気をご覧ください。全体は4部構成で、本学の卒業生と教員が執筆した34本の論文を収録しております。

事前予約の受付は学内で始めてはいますが、次回の日本考古学協会山形大会の会場で本格始動させるつもりです。私も営業活動にいそしみます。

全13ページ

[10] [11] [12] [13]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
flyingman
flyingman
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事