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先に私が活字化した、モンテリウスの実践にみる型式学的研究法の位置づけとその特性について、一部類似した見解を北海道大学の小杉康さんが執筆なさっていることを昨日知りました。
というのも、昨日の午後、松本建速さんが私の部屋にやってきて「Hさんも同じようなことを述べているようだと聞いたので、総論(『古墳時代の考古学(第4巻)』)を是非コピーさせてくださいな」との申し出を受け、なぜ藪から棒にそのようなことになったのかをお聞きする過程で話題にのぼったからです。
該当論文は小杉康2008 「土器型式編年の基礎概念―山内清男・モンテリウス・チャイルド―」『縄文時代の考古学(第2巻)』同成社刊です。非常に多くの図書が世に出る昨今のこととはいえ、うかつでした。しかも同一出版社から出された関連シリーズなのですから。松本さんが私の小文をコピーする傍らで、私は小杉さんの文章の方をあわててコピーして拝読することにしました。
なぜ松本さんが小杉さんの文章との関連で私のものを求めたかといえば、今季の3年次生向け必修科目「考古学研究法」で、層位学や共伴関係、そして型式学的研究を取り扱うことになったからでした。昨年までは私が担当していた部分でしたので、その松本版を今年はやってくれているからでした。
さすが松本さんだけあって、濱田耕作の1922年著作『通論考古学』と1932年訳『考古学研究法』(原著はモンテリウス1903年著作)を読み、小杉論文と照らしながら、今日の日本考古学における「型式学偏重主義は、モンテリウスの原著からみればおかしなことになっている!」と喝破。松本さんいわく「層位的な事実関係や共伴関係の認定が充分に可能であるなら、型式学なんて本来は不要、とまではいわなくとも、前面に押し出され偏重される方向性には納得しがたいものがある!」とのこと。確かにそのとおりなのです。
事実、濱田自身が通論考古学において「考古学的研究に於ける直接基礎的の方法たる層位的研究法を試むる能わざる場合において、吾人の用ゆる方法の一つは型式学的方法(Typological method)なり」(濱田1922,146頁)と記しているのですから。つまり研究環境の制約が大きい場合の次善の策として型式学的研究法が紹介されているという構造のもとにあるわけで、それ以上に層位学的方法や各種の共伴関係の把握が重要であるという研究法の基本が述べられている、そのことの意味をもっと重視しなければいけない、となるのです。
現在の日本考古学が、未だに層位的関係や各種の共伴関係の事例に恵まれていないのかどうか、そこを今季の授業では問いたいという松本さんの目論みだと私は理解しました。
さて小杉さんの文章を読むと、モンテリウスの主眼は編年体系の構築にあり、その基礎単位としての型式概念であることを論じていらっしゃる点で、確かに私の小文が開示した内容と響き合っています。その意味において、私自身も学生時代に教科書的基礎文献として仰ぎ、多くを学んできたところの田中琢氏の1978年著作「型式学の問題」『日本考古学を学ぶ(1)』所収や、故横山浩一氏の1985年著作「型式論」『岩波講座日本考古学(1)研究の方法』所収は、じつはモンテリウス自身の主張(および実践)や、濱田が紹介した研究法の当時の構造とは異質なものへと変じてしまった、その後の日本考古学の方向性の一端を象徴するものであろうと思います。
小杉さんのご指摘のとおり、「田中と横山にあってはともに〈編年の単位となるべきもの〉は、弥生土器研究におけるものならば『様式』ということになる。モンテリウスの研究法を紹介する意図があるならば、編年の単位としては『時期』と明示すべきである」(小杉2008,31頁)となることも頷けます(この点については後に詳しく点検します)。
さらに日本考古学においては、唯一、縄紋土器編年の構築を主導した山内清男が、モンテリウスや濱田の主張内容を正確に理解し、実践に結びつけたという小杉氏の理解についても同意します。
そればかりか、山内はモンテリウスの1885年著作「Dating in the Bronze age 」の内容をも充分承知していた可能性すらあるように、私は秘かに思うのです。1903年の著作について、山内は原本を所持していたことが、雄山閣出版から出された復刻版の巻末「解題」(故角田文衛氏筆)を通じて知られているのですが、そうであるなら当然1885年著作についても…との憶測です。編年学の構造が非常によく似ているからです。
そのため、先の小文では当初、註の3として「日本考古学においては山内清男の縄紋土器編年と小林行雄の弥生土器編年が対置され、「型式」概念・「様式」概念の有効性が論じられてきた。しかしモンテリウスの実践と整合的なのは、じつは山内の方法であることも併せて理解できよう。さらに山内は、モンテリウスの1885年著作を承知していた可能性がある。」との一文を添えるつもりでした。もちろん「さらに」以下の文章は根拠のある話でもないし、前段の文章についても、本文を読めばそういった含意が明らかなので、明示すると返って冗長になるかと判断し、全体を削りましたが。ただし小杉さんの文章を拝読した今は、「さらに」より前の文章は削除せずに活かしておくべきだったかもしれないと考えてもいます。著者の期待どおりにすべての読者が受け止めてくれるはずもないからです。
さて、小杉さんの文章に戻りますが、小杉さんの論文の後段以降の「先験的地域区分」云々については、なお議論の余地があろうかと思います。型式の認定については、時間軸上の基礎単位としての把握と同時に、空間軸上の把握がモンテリウスにおいても伴っていると考えるからです(以下、不定期で続く)。
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