私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

調査

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徳之島の旅

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先週の木曜日の午後から4日間の旅程を組んで鹿児島県徳之島に来ています。伊仙町教委の新里亮人さんにカムイヤキの窯址と灰原出土の資料を見せていただくことが目的でした。

幸い27日には目下調査中の面縄貝塚を見学させていただくこともできました。岩陰に4個体のゴホウラが転がっていたのにはさすがに驚かされました。縄文時代にはここまで貝殻を運んできていたのですね。付近には近世の崖葬墓もあって、予想以上の収穫でした。

カムイヤキ窯址の各群もご案内いただき、11世紀末に始まる本格的な南方向け須恵器生産の拠点をこの眼で確かめることができました。新里さんの分類A群とB群のそれぞれの大壺のサンプルも表採・持ち帰りをお許しいただき、灰原から適当なサイズのものをピックアップさせていただきました。

昨日28日には、一日貝製品の実測をさせていただき、途中、昼食がてら隣町の天城町教委の具志堅さんを二人で訪れ、中里遺跡や塔原遺跡の資料を見学。多数の石斧や砥石と判断しても差し支えない石皿に見入っていました。凄い遺跡です。

そして晩には新里さんの声かけで考古学・埋蔵文化財保護行政関係者との呑み会。5時間にわたって語らいました。新里さんをはじめ、皆さんに心から感謝です。

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一昨日18日に開催された京都府向日市五塚原古墳の現地説明会に行ってきました。担当の梅本康広さんからのお誘いを受けて、かれこれ25年にはなるでしょうか。本当に久しぶりの向日丘陵訪問となりました。

午前中はもの凄い数の参加者だったようですが、私が着いたのは午後2時でしたので、比較的余裕をもって見せていただくことができました。墳丘各段のテラスと墳裾外方に石敷が施されるという、非常に丁寧な仕上げぶりには改めて驚かされました(2段目の写真)。

以前からも指摘されてきたことですが、墳丘の築造前に大規模な削平を実施して旧地形を大々的にならしたうえ、窪んだ部分や標高の低い部分には整地盛土を施して、墳丘の裾が水平に巡るように配慮されたうえで構築されているのです。驚かされたのは裾の外周にも石敷帯ないし貼石帯が広がることです。

ここまで手の込んだ墳丘の造営工事を他に知りません。この古墳づくりのために、当時の人々がいかに力を入れたかがわかります。

さらに前方部側面の2段目のテラスがくびれ部側から前端側に向けて側面を斜めに上昇し、前端部分では頂部に近いところで前面を画するという興味深い状況が確認されたことが今回の一番の目玉(3段目の写真ー手前側が前方部前端で、基底石列のレベルが左の手前側に向けてせり上がっていることがわかります)。松木武彦さんのいう「天空のスロープ」を視覚的に演出する効果なのでしょうね。

強いて類例をあげれば箸墓古墳ということになって、五塚原古墳との前後関係が話題になっています。墳丘各部の比率などをみても現時点での状況証拠は五塚原古墳の方が古い様相。その点でも興味がつきません。

立命館大学の調査も前方部頂を舞台に平行して実施されていて、現場で指導に当たっていた下垣さんの指示のもと、私を案内してくれたのは4年生のSさん。私のオタク的な質問にも的を外すことなく懇切丁寧に解説してくれたのには感心しました。立命大の学生さんは、よく勉強しているようですね(下垣さんなら「私がいるからです!」と答えそうですが)。

現地では偶然、中司照世さんともお会いできました。向日丘陵の前期古墳に関する年代観や築造順序の話題から入ったのですが、すかさず現状の墳丘築造企画論(規格論とも)に対する厳しいご批判を頂戴することになりました。当事者の立場?として否応なく弁明ないし釈明に追われるハメに。参加者同士が現場で考古談義を繰り広げるという、調査団の面々や他の参加者の方々には申し訳なく、なんとも落ち着きの悪い役柄を演じてしまいました。ともかく中司さん、変わらずお元気そうでなによりでした。

その後は明治大学の佐々木憲一さんと合流。羽曳野市の伊藤聖浩君もわざわざ現場まで来てくれました。岡大の後輩にあたる伊藤君ともかれこれ10年ぶりぐらいでしょうか。長らくごぶさたしてしまったようです。

また説明会終了後には、先の二人に梅本さんや調査団に加わっている京大の院生Y本君、そして現場で私を案内してくださったSさんを交え、呑み会の場に舞台を移し、再び考古談義に花を咲かせました。

聞けばSさん、石釧を題材として卒論を書く準備を薦めている最中だとのこと。材質鑑定上の問題で痛いところを突かれてしまいました。有り難いことです。その調子で是非頑張ってもらい、次世代の石製品研究を担っていただければ、と思います。

そういえば向日丘陵、淀川水系にあって、やや下流の高槻・茨木地域とも密接な関係があり、腕輪形石製品の祖型貝輪が複数見つかっているところ。吉備や播磨地域とも関わって、腕輪形石製品の成立を考えるうえでも注目される地帯です。

久しぶりに関西の本場での前期古墳とそれにまつわる談義に加わらせていただいた一時でした。お誘いいただいた梅本さんに感謝です。

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今年の網取遺跡調査でも、出土した貝殻をヤドカリに盗まれるといった「事件」がありました。

現場はI地区のI7トレンチ。第3層の上面で検出されたチョウセンサザエを翌日写真撮影しようとしたところ、翌朝には別の小型巻貝に置き換わっていたのです。

今回は後日談があって、その小型巻貝の貝殻も翌々日にはさらに小型の巻貝に置き換えられていました。写真はトレンチの脇で翌々日分の貝殻を手にする2年のI崎さんです。先島先史時代の貝塚(F地区)で2005年度に初めて経験して以来の久しぶりの出来事でした。

網取遺跡に住むオオナキナキオカヤドカリにとっては、廃村を迎えたために住民が貝殻を新たに持ちこまなくなって40年が経ちますので、既に新規の「入居宅」は枯渇してしまい、熾烈な居宅争奪戦の局面を迎えています。ここまでヤドカリのサイズを大きくしたのも、じつは人間であって、定住民が食糧残滓として供給する新たな貝殻に依拠してきた彼らヤドカリたちは、私たち人間が新たな「入居宅」を提供しない限り生存の危機(サイズの大型化の限界)に直面しているというわけです。

このような事態を迎えている現在、ヤドカリの生態調査を続けてこられた水谷さんや河野先生は、新たな貝殻の提供をすべきか否かの判断に迷っていらっしゃるようです。

関連する『西表島研究』掲載の研究論文を下記からご参照ください。

http://www.orrc.u-tokai.ac.jp/images/Publication/PDF-publication%20study%20review/2011/Study%20Review%20Iriomote-2011-Mizutani%20&%20Kohno.pdf#search='ナキオカオカヤドカリ';

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9月14日(日)
朝は快晴。ただし雲の多い天気となりました。9時には北海道キャンパスからの研修生に向けて私たちの調査の概要を説明しました。

昨日出土したマルタニシを河野裕美先生や水谷さんにもご覧いただき、意見交換をおこないました。河野先生からマルタニシの出土状況写真・遺物写真を早急に送るように要請がありました。折から展開し始めた研究テーマでもあり、今年度の生物学会誌に発表するとのことでした。遺跡からのバックアップができて嬉しく思います。

その後は各所で写真撮影をこない、本日夕刻までにおおむね全写真撮影を完了しました。残るは各所の図面作成です。各所で手分けして図面の作成に取り掛かってもらいました。

本日の掘削作業はI9拡張区とI6トレンチのみ。このトレンチについては南半部を第3スピットまで掘り下げ、第3層上面が現れたところで停止し、来年度以降の課題とすることにしました。この面での写真撮影を夕刻に実施。遺構らしき掘り込みが3基程度みつかりました。

今年は雨での休日もなく、思い返すと6日に休暇を取った以降は、明日の埋め戻しまで9日間連続無休での発掘調査となります。昼休みの様子をみると皆に疲労が蓄積されつつあることがわかります。あと1日の辛抱だからよろしく、と夜のミーティングでお願いしました。

9月15日(月)
朝は一時雨でしたが、その後急速に天候は回復し蒸し暑くなりました。北海道キャンパスからの研修生の次の班に向けて現地で説明を行いました。

G15から出土した少し興味深い貝類の埋納状況を河野先生にご覧いただきました。シャコガイの貝殻のなかに各種の貝が整然と並べられた状態で、その中には2個体のマルタニシが含まれていました。まるで子供のオママゴトの痕跡であるかのようですが、もう少し「送り」に近い性格の資料かもしれません。いずれにしても、偶然ではありえないと判断できる出土状態です。

実測作業を終えたI地区から埋め戻しを始め、午前中にはI9・I7の埋め戻しを終えました。G地区ではG15・G14の埋め戻しから始め、結局午後3時半には全地区の埋め戻しを完了。めでたしです。その後は機材の後片付けを進め、夕方にはそれも終わりました。

なお私は6日のシュノーケリングに参加できなかった1年のM本さんをカヌーに乗せてリーフエッジまで向かい、そこでのシュノーケリング。K森にも冨山大学のO君を連れていってもらうことにして同じくリーフエッジでのシュノーケリングをおこないました。幸い、M本さんにはウミガメを見せることができました。

夕食後には全員で出土遺物と器材類の梱包をおこない、それも11時前には完了。なによりです。これで2014年度の網取遺跡での現地調査は終了です。参加くださった皆さん、真にお疲れ様でした。

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9月12日(金)
朝、水の運搬を2艇でおこなってくださいました。浜で記念撮影後、前の記事で書いたとおり石井君は9時に網取を離脱しました。
G地区では第3層上面の検出に向けて掘り下げ(G16)と清掃(G15)を実施しました。本日はI地区からN崎さんをG地区に派遣し、フルイがけとG16の掘削をやってもらいました。昼前にはG15の写真撮影に漕ぎ着けました。その後G15では貝類出土状態の実測に向けた準備を進め、本日はトータルステーション「座標杭打ちモード」で基準点を落としました(担当はS藤・I浪君)。

G14は第3スピットまでの掘り下げとし、掘削を継続中です。なお井戸脇に設け、石垣の付設と井戸の設置との前後関係を把握する目的で設定したG17については、検出した礫の実測作業を丸一日1日実施しました(S崎さんの担当)。

I地区のI7トレンチでは昨日から作業を開始した西側半分のサブトレンチをさらに掘り下げる作業を実施し、本日夕方には暫定3層まで到達しました。そうすると南端では軽石とチョウセンサザエの集積が検出され、中央部ではパナリ焼の口縁部片が出土しました。なお3層上面に到達すると、とたんにマイマイの検出量が増加するとの所見をK島さんから聞きました。この面は一時期地表面であったことを示す痕跡なのかもしれません。

I9トレンチでも東半部のサブトレンチを暫定3層まで掘り下げ。磁器とパナリ焼片を検出。ただし遺構の確認はありませんでした。

9月13日(土)
朝、水の運搬(2艇)がありました。ただしスコールはなく明日以降の水不足が問題になっています。

本日はK森君に依頼して、来年度には再度開けたいと思うGトレンチ(2002年度春)の位置(ナカヌウダチから12m・南の区画から4mの位置を中心とする2×2mのトレンチ)を再確認したところ、現在大型水槽(アルミ製)を放置している場所に該当することが判明しました。報告書の記述を見直してみると、敷石遺構は表土下40cmの深さで検出され、直下は砂丘堆となっている。今回の?鶚層に該当しそうな位置になります。

G16では遺物出土状況写真撮影を昼前に実施し、午後から平面実測のための釘打ちに入りました。G15は本日朝から平面実測を始めています。G17は午前中に平面実測とレベル落としを終え、午後から礫の取り外し作業に取りかかりました。G14は北半部を第3スピットまで掘り下げて、午後写真撮影の予定。

I7のサブトレンチでは暫定3層の掘り下げを実施しました。パナリ焼片や貝類が出土しています。

ところで夕方、水谷さんのご指摘によりG16トンレンチ第?鵺層からマルタニシがまとまって出土していることが判明しました。「水田漁業」ないし「水田養殖」の一端を今回の調査では奇しくも証明したことになります。現場ミーティング後に貝集積の現地に残されたマルタニシを探したところ、2点を発見しました。その出土状況詳細は明日撮影することにしました。次回の科研費申請のテーマになりそうです。

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