私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

調査

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

嘉門貝塚資料の再調査

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

9月13日に網取を出て、午後は石井君の祖内フール調査のお手伝いに皆で出向き、私とO見さんは干立の宿舎に泊まり海洋学部の長期滞在生諸君と呑み会、14日は石垣金星さんにフールのお話を伺ったのちに石垣島に移動して、再度全員結集して打ち上げ会(正式版)を敢行。翌15日はK森君と日帰りで鳩間島散策に出向き「ブシヌヤシキ」を見学し、夜は石井君とO見さんを除く3名で打ち上げ会の2次会を開催。

16日には沖縄本島に移動し、県立博物館を訪れたのちに、今度は浦添市教委の安斎英介君、壺屋焼博物館の吉田健太君、吉岡(旧姓鴨田)律子さんご夫妻と、ちょうど吉岡家に滞在中のK原さん5名がセットしてくださった「網取ご苦労さん会」というか東海大関係者那覇呑み会を開催。2次会からは石井君とM田君も合流して夜中の12時まで呑む、という、ここまで書けば4連ちゃんで網取のメンバーは、入れ替わりながら呑み会に集っていたことがわかります。屋良商店での食材費の支払いは通念の四分の一で済んだのですが、その後の連ちゃんでポトラッチよろしく散財したので、帳尻は通念の8割ほどまで嵩上げされました。妻に呆れられるに違いありません。

そして本日17日は、イモガイ製貝輪の制作技法をテーマとする卒論を準備中のO見さんを連れて、浦添市教委に保管されている嘉門貝塚B地区の資料調査をおこないました。5月の資料調査で見切れなかった貝製品や未製品の調査です。もちろん安斎君にお世話になりました。ゴホウラ縦型(諸岡型)の良好な未製品や製品が出土していますので、これらを改めて検討したい、というのが主目的でした。

詳細については別に記事を起こすことにして、今日の最大の発見は、諸岡型の方ではなく、なんと「ゴホウラ製横割り貝輪」でした。前回の調査関連記事(5月25日分)で、私は石釧の祖型候補の最有力資料として本貝塚出土例と読谷村の中川原貝塚などから出土した組み合わせ式の「イモガイ製貝輪」を紹介しました。ところが、私の理解は素材の鑑定ミスの可能性が濃厚になり、ゴホウラ製であると訂正する必要がでてきたのです。

じつは『嘉門貝塚B』(浦添市教委1993)で貝製品を担当なさった高良京子氏が、当該資料を「ゴホウラ製」と同定していらっしゃいます。私は報告ミスだと考えていたのですが、間違えたのは完全に私の方でした。

しかもこの私の同定ミスが判明したきっかけは、同行したO見さんの「これ、絶対にイモガイじゃないです!」のコメントでした。「このダイミョウイモ製の組み合わせ式貝輪もよく見ておくように」と彼女に指示した直後のことでした。報告書の記載も頭の隅に残り、かねてからどこか落ち着きが悪く気にはなっていたので、あわててゴホウラの未製品との突き合わせをおこなってみたところ、たしかにO見さんのいうとおりでした。

内面に残る螺階の段の距離や縫合線の状況は、ダイミョウイモやアンボンクロザメではありえない狭さであるのと同時に、ゴホウラの螺塔最下段を横に切った製品だと考えた場合にはじめて説明がつくのです。網取での調査中、休み時間にイモガイを削りまくってきた彼女でしたので、私の誤認には直ちに気がついたのでしょう。今回ばかりはO見さんに感謝です。

もちろん高良京子氏にもお詫びしなければなりません。そして早いうちに『古墳時代の考古学』第4巻の「腕輪形石製品」の当該項目について訂正をしなければなりません。まったく冷や汗ものでしたが、どなたかに批判される前に自分で気がついた(気付かせてもらった)ことだけは救いです。こうしてゴホウラ横型貝輪が貝輪目録の中に登場することになりました。安斎君の許可をえて写真をアップします。

午後5時30分に浦添市教委を辞しました。安斎君にはいつもながら感謝です。明日はレンタカーで沖縄県埋蔵文化財センターにお邪魔することになります。再度石井君と合流し、O見さんを連れて向かいます。

9月12日の網取遺跡

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

朝から雨がぱらつく不純な天候のもと、現場の最終日を迎えました。G13トレンチでは南壁面の写真撮影と実測を行いました。

東海大の手法に遠慮気味の石井君を急かして昼前には全作業を完了。カイメーヤ地区では今回発見されたフールを入れた1/100平面図の補足作業を実施しましたが、先日は気がつかなかったアシナガバチの大きな巣をK森君が発見し、マグナムを3本使って撃退するというイベント含みの展開となりました。スコールにも見舞われ、I3・I4トレンチでダメ押しの深掘りを終えたのは、結局昼前となりました。

ところでカイメーヤ地区にはグアバの巨木が1本生えており、その実はカラスと私たちとの間の争奪戦となっています。トータルステーションを覗きながら、K森の指示待ちのO見さんが食しているのはその実です。甘酸っぱく美味しい南国の実です。

午後からは全員で埋め戻しにかかり、その後器財類の洗いと横地研への収納を終えたのは午後4時30分過ぎ。当初予定の本日完全オフは、結局企画倒れとなりました。

作業の完了後に集落内を散策してみると、この10年間で網取集落跡も大分様変わりしていることに改めて気付かされます。四つ辻のビジリも背後のフクギ次第で、危うさを隠せません。ナカヌウダチに落ち込んでいた石垣は積み直しましたが、じわじわと崩壊してゆくさまを見るような気がし、寂しい気持ちは隠せません。夕方は網取の海を楽しんでおこうと、3ブイまで往復し、その後は「麦職人」で皆と乾杯しました。

これで2013年度の試掘調査も無事終わりです。明日朝には池田さんの用船で白浜に向かい、祖内のフール調査へとコマを進める予定です。

9月11日の網取遺跡

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

今朝の網取湾は、波もなく穏やかな干潮。桟橋に出てみると、アオリイカの群れが寄っていました。朝食の時間も間近でしたので釣りを試みるわけにもいかず、約20尾からなる群れの泳ぎを観察していました。

太平洋上に熱帯低気圧が発生し本日中には台風になりそうなので、この穏やかな天候が続くのも、あと数日かもしれません。

調査は終盤を迎えましたので、できるかぎり本日中に埋め戻しまで完了するように、と指示を出しました。I3トレンチでは砂丘碓の上面までの掘り下げをおこない、10時過ぎには完掘状況の写真撮影と、西壁の土層堆積状況写真の撮影を終え、午前中で土層断面図の作成もほぼ完了しました。

ただしG13トレンチは状況が複雑となり、昨日検出した柱穴状遺構から東側に傾斜の緩やかな落ち込みが広がり、その落ち込みはトレンチ内では終わらず、より東側へと続くことが確実となりました。埋土中からは陶磁器類や貝殻が比較的集中して出土します。陶磁器類は年代が推定可能な破片をみると、どれも18世紀後半から末頃か、といった状況です。さらに19世紀中葉以降の砥部焼は含まないので、ごく限定された年代観がえられそうです。

規模が比較的大きなゴミ坑の可能性が高いので、今回の調査では、ともかく深さだけは確認しておこうと、上面に撹乱が入っていたトレンチの東際を石井君に掘り下げてもらいました。その結果、床面までの深さは60cmをはかる、りっぱな土坑となりました。おそらくゴミ坑で、網取遺跡ではK1・K2トレンチで検出した大規模な「近世貝塚」に次ぐ2例目となります。したがって今年の試掘調査では上面の遺物検出に留め、来年度以降の本調査に備えることにしました。

午後は写真撮影を実施し、実測と表面に出ている遺物類の取り上げをおこないましたが、壁面の写真撮影と実測は明日に持ち越しとなりました。G13トレンチの担当は石井君とM田君でしたが、1/100平面図に今回のトレンチやフールの位置を落とす実測作業をK森君とO見さんに担当してもらいました。

午後はスコールを2回ほど受けましたが、追い込みでしたので気にせずに作業を進めました。全体の作業が終了したのは午後5時30分過ぎとなりました。

ただし石井・M田組は調査の完了後、昨日河野裕美先生に教えて頂いた9基目のフール調査に出向きましたので、頭が下がります。

私は、といえば写真撮影のために「高撮り君」を運んでいる最中に古釘を踏み抜いてしまい、足裏を負傷(学生でなくて良かったとは思いますが、痛いことに変わりはありません)。その後は使い物にならず、折から水谷さんに連れられ見学に訪れた総合技術研究所の方々に向けた解説役を買ってでていました。

結局、本日埋め戻しを完了という当初の指示は空振りとなりました。

9月10日の網取遺跡

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

本日(正確には昨日)も朝は快晴。引き続きそれぞれの調査区で作業を進めました。ただ昼前には突然雲行きが怪しくなり、一時的にスコールとなりました。

この雲をチャンスにI4トレンチの完掘状態写真と壁面の写真撮影を実施し、I3トレンチの掘り下げを継続。なお壁面写真には蚊取り線香が写り込んでいました。相変わらず、うかつです。

いっぽうG13トレンチではスピット掘りを実施したところ、フール際で黄褐色粗砂をベースとする不整形な楕円の落ち込みを検出したほか、その落ち込みの東からは柱穴的な円形の遺構らしき落ち込みを確認し、遺構掘りをおこないました。

午後からは河野裕美先生と崎原さんが来訪。来年度以降の調査計画についての打ち合わせを現地でおこないました。カイメーヤ地区に重点を置いて、今後継続的に調査を進めさせていただきたい、という希望をお伝えし、了解いただきました。

その最大の理由は、今回I4トレンチから出土した中森式の土器片です。年代的な位置づけについては浦添市教委の安斎英介君に確認をとりました。内外面に粗いヘラ削り(様のナデ)が認められ、内面は黒色処理されています。

水田地区では、5a層水田に対応する可能性があるものとして同期の土器数片を発見していますが、集落地区での発見は初となります。これまで網取遺蹟では中世の遺物に関し、青磁片(それも細片)が散見される程度でしたし、年代的にも開きがあるので、あまり積極的な評価を行ってきませんでした。しかし今回の土器片をみると、16世紀代に完形品がここで使用された可能性が濃厚です。つまり網取遺蹟での居住開始は中世後半〜末に溯る可能性が高まった、ということになりそうです。

カイメーヤ地区は砂丘の浜側斜面に当たり、当時の堆積状況を比較的よく残している可能性が指摘できますので、近世以降の展開状況を再確認する意味でも、本地区を少し広く調査する必要があると考えました。

本日は私も作業を分担した関係で、調査風景の写真は撮れず終いでした。その代わり私自身をO見さんが撮影してくれていました。

9月9日の網取遺跡

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

朝はやや雲が多かったのですが、すぐに快晴となりました。網取は相変わらずの好天に恵まれています。

本日の調査は、I地区もG地区も昨日の続きとなりました。I地区では午前中に遺物類の出土状況図の作成と取り上げ、遺構図の作成とレベル落としをおこないました。午後からはふたたび掘り下げをおこなったところ、I4トレンチでは昨日の面より5cm下げたところで再度パナリ焼片の散在する状況を検出したので、再度写真撮影後に実測と取り上げを実施。さらに掘り下げたところ、5cmで砂丘堆に到達しました。I3トレンチでは、I4トレンチでの状況を後追いするかのような類似した状況が現れ始めています。

いっぽうG地区ではスピット3の掘り下げを進めました。G13トレンチは東半分全体が大規模な撹乱層となり、遺物包含層の遺存はまったくないのですが、西側の一部には1970年代前半頃までの地表面と推定される硬化面が検出され、この面が西に隣接するフールが機能していた段階の地表面だと推定されます。この硬化面を掘り下げる格好でスピット3までの掘り下げを完了しました。硬化面内からは壺屋焼片や染め付け片が出土し、先の想定と矛盾がないことも確認されました。

なお網取遺跡内に遺存するフールは昨日再発見のクバカー地区1基に加え、本日も同地区でさらにもう1基が再発見されたので、合計8基となりました。

夕方は海で泳いだ後、前の庭でビール(オリオンの麦職人という発泡酒)を堪能しました。この酒盛りの情景に石井君が写っていないのは、本日食事当番だからです。今回は教員であろうと誰であろうと公平に食当を割り振ることにしています。明日は私が食事当番です。したがって明日の私は、このような夕涼みができません。
ところでK見さんは卒論のテーマであるイモガイの加工に余念がありません。毎日熱心に貝を削っています。

ちなみに最下段の写真は0見さんの作品のひとつ。イモガイの死貝を加工したらどうなるかを点検するために、螺塔部を縦に切ってみたところです。ほとんどスポンジに近い海綿組織状態で、脆くなっています。ただし体層部はさほどでもなく、なんとか貝輪に使えるかもしれない、とも言える状態です。


.
flyingman
flyingman
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事