私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

調査

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9月17日の網取施設

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本日は後片付けの日でした。朝から天気晴朗なのに風が強く波は高く、サバ崎は4m程度のうねり。

その中、朝9時にN谷君を送り出しました。その後は室内と屋外に分けて後片付けと梱包。

予定は午前中で完了を、ということでしたが、気の進まない仕事のせいか疲労が溜まってきたせいか、はかどりません。結局完了は午後4時前になってしまいました。

午後はOFFにして海遊びや山遊びを予定していたのですが、それはキャンセルせざるをえなくなりました。多人数になればなるほど、他人依存と無責任体質の傾向が強まるのでしょうか。夜のミーティングの際には、久しぶりに全員を叱りつけることになりました。

明日朝の離脱を問題なくこなすため、気を引き締めてもらう必要もあって、やむなしです。

夕方、後半組の学生数名を連れて、ブシヌヤシキとメブシの墓、そして水源地を案内しました。夕暮れ前のブシヌヤシキの写真が撮れたので、今後の活字には有効活用できそうです。

ミーティング後には、余った食材や酒を出来る限り消費するように指示し、網取施設最後の晩餐を楽しんでもらいました。

こうして網取施設の2012年夏は終わりです。

9月16日の網取遺跡

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台風16号が最接近する日と予測していた本日、幸い強風域の西端をかすめただけに終わりましたので、午前中は完全OFFとして学生諸君には体を休めてもらいました。

さすがに皆疲労しています。昼の12時過ぎに起きてきた3年のO見さん談では、朝9時に朝食を終えてベッドに横になった瞬間に起こされた気分で、彼女の身体感覚的にみて睡眠時間はわずか5分にしか思えなかったとのこと。私の疲労も似たような状態です。

台風は15日深夜から16日未明にかけて八重山地域の横をすり抜け、宮古島と本島を直撃した後、そのまま北上中です。西表島の西部にある網取遺跡では、台風一過で雨も上がった曇天の天候です。とはいえ、風が強く波も高いので、完全な孤立状態。

午後からは二手に分けて作業を再開しました。いっぽうは出土遺物の洗浄。遺物係のK藤君とK島さんを中心に、O本君に1年生の女性3名(S木、E森、U花さん)が担当しました。その脇で学生長のMりさんが図面の整理とチェック。

もういっぽうはヤンデーヤ地区の清掃。風呂跡・小屋跡・フール跡の写真撮影に向けた作業です。こちらは3年生のY口、K玉、Mり君にO見さん、1年生の男子学生2名(F沼、W邊君)が担当し、石井君が指揮。さらにN谷君とY崎君は、ヤンデーヤ地区周辺一帯の測量を実施してくれました。風が強く暑い雲に覆われる天候だと、汗も流れず蚊に悩まされることもなく、まるで冬期の調査と錯覚するかのような過ごしやすい環境でした。

夕方5時にはヤンデーヤ地区の全作業を終え、室内での遺物洗浄もI2トレンチとR2トレンチを終えました。明日は機材の撤収と郵送品の梱包を残すのみとなりました。

本日はN谷君の網取滞在最終日ですので、J野君がN谷のためにと冷凍庫に保管しておいてくれたミーバイを楽しもうと思います。屋外では洗濯物を干せないので、宿舎の大部屋には洗濯物が至るところに干される状態になりました。もちろん室内はエアコンが効いているので、よい湿度調整になります。

9月15日の網取遺跡

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台風16号は予測進路が東側にずれ、西表島は強風域に一時入るだけで済みそうな状況になりました。ただ網取で足止めされることを回避すべく、早朝8時に高橋徹さんと角上寿行さんの2名を池田卓さん操船の船で網取から送り出しました。

現場作業も台風の最接近前に全トレンチの埋め戻しまでを完了させようと皆に頑張ってもらいました。時折豪雨に見舞われ、直後に日差しが照りつけるという不安定な天候の中、非常に慌ただしい一日となりました。フルイがけの場所とR3トレンチにはターフとシートを掛け、全天候型の環境下で調査を進めてもらいました。

強風にも関わらずターフを張れたのは、防風林と集落内に生い茂るフクギのお陰です。数年前に台風の直撃を被ったときもそうでしたが、宿舎回りの浜に開けた場所は猛烈な横風に見舞われて一歩も外出できなかったのに、裏側の集落内は微風だったことに驚かされたことがありました。今回はその時の経験を活かすことができました。

また幸いN谷(こと永谷幸人君)が加わってくれたので、写真撮影や図面の指導など石井君とN谷君が分担してくれ、私は各所を回りながら埋め戻しの指示を行いました。

午前中にはカイメーヤ地区のI2・I3トレンチの埋め戻しを完了。午後にはR1トレンチ、R2トレンチの順で写真図面を終えたところから埋め戻しを行いました。いっぽうR3トレンチでは、西側の褐色土層の落ち込み中から3箇所のピット状の遺構を検出し、その検出遺構状況写真撮影と土層観察・図面作成を進めてもらい、午後4時過ぎには埋め戻しを開始し、5時過ぎに完了しました。ちなみに最下段の写真は集合写真ではなく、埋め戻した土を叩きしめる目的で、全員でダンスを踊っている光景です。

午後も3回ほど豪雨に遭い、強烈な日差しに写真撮影が阻まれる場面もあって厳しい環境でしたが、無事埋め戻しを完了できたことを喜びたいと思います。なお現場での作業と平行して、宿舎回りでは台風の接近に備え、干し物置き場や器具庫の片付けなど台風対策をおこない、明日の最接近に備えることとしました。私を含め、皆ずぶ濡れで衣類は砂汚れだらけとなり、海に入れるのも今日までだ、と、波が打ち寄せ始めた桟橋から海に飛び込んで汗と土落としを行いました。真に爽快な気分でした。

早朝に網取を出た高橋さんから夕方連絡が入り、大原港回りで石垣島までは行けたものの、そこで足止めをくってしまい、石垣島で飛行機の運航再開を待つとのことでした。私たちにとっては否応なく慣らされてしまった沖縄ならでは、の事態ですが、初めての高橋さんには驚きの経験であったかと思います。網取滞在は半日と1泊でしたが、お疲れ様でした。

9月14日の網取遺跡

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台風16号の接近に気を揉みながらも、朝、川平さんはもう一度メブシの墓探索にチャレンジしてくださるとのことでしたので、3年生の力自慢4名(K藤、Y口、Mり、K玉)のチームを組んで、再度メブシの墓再発見に向かってもらいました。

ヤンデーヤ地区では各トレンチとも、終息に向けた掘り下げを昨日に引き続き実施してもらいました。砂丘碓であることが確実となった土壌中からは、フルイを行った結果からも人工遺物は一点もなく、貝殻もほとんど含まれない状態で、やはりそうだったのか、と落胆いっぽう驚きいっぽうの複雑な心境。

本日は大分県立博物館の元館長高橋徹さんと島田組の角上寿行さんが網取遺跡の視察にお越しになる予定でしたので、石垣島に着いた高橋さんに連絡をとり、最悪の場合には18日朝まで網取で足止めされる可能性含みであることをお伝えしました。ちょうどお二人が到着する船で返りに川平さんをお送りする段取りとして、白浜港には崎原さんに出ていただき、上原港までのお送りを依頼。いっぽうN谷君は札幌から石垣島に向けて飛行中でしたので、「本日は上原便が就航中」との留守電を入れて、夕方の用船を併せて池田さんに依頼しました。

午前10時過ぎには、宿舎で上記の事務連絡をとっていた私のところに、息せき切ってY口君が報告にきて「メブシの墓、見つかりました!」とのこと。急いで着替え、私も現場へ向かいました。昨日見つかった網取扇状地東側の猪垣から東には「メブシ盛」と呼ばれた標高20m程度のちょっとした小丘陵があり、東方に聳える「フチクァンチチ」の西斜面との間に狭い谷が刻まれているのですが、その谷部一帯はアダンの森と化し、一歩も足を踏み入れることが出来ない状態となっていたのですが、この谷こそがメブシの墓に至る唯一の径路だとのことで、川平さんの指示を受けて、4名は鉈鎌を振るいながら突き進んでくれたのです。その結果、無事目的地にたどり着けました。

午後2時には高橋さんら2名の網取入りと入れ替えの形で川平さんをお送りすることができました。無理なお願いに快く応えてくださり、貴重な情報をご提供いただいた川平さんには心から感謝申しあげます。

なおメブシの墓は、発見時刻が早かったので、午後の半日を写真撮影のための清掃と、周辺の測量・刳墓の現況実測に宛てることができるものと判断し、午後は平板を持ち込んで4名にはそのまま測量を実施してもらい、墓の現況実測は私が担当しました。測量調査と写真撮影を日没前の6時30分には終え、宿舎に戻ることが出来ました。

ヤンデーヤ地区でも台風の接近に備えて出来るだけのことを進めようと調査を午後6時まで行ってくれたようです。その結果、6時過ぎに池田卓さん(池田さんの息子さんでシンガーソングライターとして著名な方)の用船で網取に到着したN谷君は、誰にも出迎えられることなくただ一人で桟橋に上陸。何か不測の事態でも起こったのか?と不安になったそうです。

他意はありません。皆、現場で忙しく、また普段の池田米蔵さんとは違って卓さんの操船は慎重で、かつ低速で入港されたものですから、船の音が聞こえなかっただけなのです。

私と4名が宿舎に帰り着いてみれば、N谷君はすでに1年生に指示を出しながら、宿舎横の納屋の屋根の修理をしてくれていました。前の台風でトタン屋根が一部めくり上がっており、次の台風が接近する前に、それを直していたのです。さすがN谷君です。ですから4ヶ月ぶりの再開の挨拶は、屋根上を見上げてのそれとなりました。

9月13日の網取遺跡

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朝4年生の2名を網取から送り出し、その後センタースタッフの崎原さんの船で、海洋学部の水質調査メンバーと共に石垣市の川平さんにお越し頂きました。

さっそく石井君と二人でヤンデーヤ地区とカイメーヤ地区の調査地にご案内し、状況説明とともに、小学校5年生までお住まいだった網取村の記憶を語っていただきました。ヤンデーヤの様子を極めて具体的に解説していただきましたので、建物の配置のみならず豚小屋の存在や味噌造り場の様子、さらには南西隅にある五右衛門風呂をいただいたときの話など、具体的な情景が再現されるかに思いました。

昼食を終えた午後には、懸案のメブシの墓探査に調査団全員で向かいました。私たちが事前に伐採を進めた地点ではまったく不十分で、さらに北方に進まなくてはならないことを教えられ、鬱蒼と茂ったアダンの森の中に突入。その結果、東側の猪垣の石組みに出会うことになりました。

川平さんのお話では、猪垣の間に幅1m弱の幅で途切れた場所があって、そこにはかつて木製の扉が設けられており、その扉を開けてメブシの墓へと取り付いたとのことでした。しかし周囲はまったく見通しの利かないアダンの森の中。複数のチームに分けて探索を継続しましたが、本日中には結局メブシの入り口を押さえるには至らず、明日、もう一度チャレンジすることに。川平さんには宿舎にお泊まりいただき、明日の午前中に探索チームを再結成することとしまし。夜には網取村の生活について、さまざまな有益なお話を伺うことができ、真に有意義でした。

一方、ヤンデーヤ地区では本日午後もR1トレンチの掘り下げを実施してもらい、砂丘堆の砂に近い盛り土かと考えていた土層は、本来のベースである砂丘堆そのものであることが判明しました。いささかショックを隠せません。この結果を受けて、いろいろと考えなければならないことが出てきました。ともかく客観的に見れば、空振りということになります。今後は終息に向けた作業に収斂することになります。

夕方は、いつもながらの桟橋の光景が繰り広げられました。明日14日以降、台風対策とともに現場の撤収に向けた作業へと駒を進めることになります。


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