私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

日常

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長らくブログの更新をできずにおりました。体調を崩しているというようなわけではありません。昨年度目一杯研究休暇を取らせていただいたことのツケが回ってきただけです。

外国に出るわけでもないのに1年間のサバティカルとはいかがなものか、との注文がつきかけたとき「とにかく来年はなんでもしますから!」と言って許してもらったのですが、そのツケが4月に待っていて、目下学部長の秘書役?防壁?とでもいうべき学部長補佐を仰せつかっています。

連日の会議に配布用の文書作成に決済の代行に、とさまざまな雑用に追われ、自分の研究室に居る時間より学部長室に居る時間のほうが長いのではないか、という有様で、その合間を縫って授業を行っているような状況です。ですから帰宅後にはクタクタで、とてもブログにまでたどり着けませんでした。更新がないことをご心配いただいた方々には御礼ともどもお詫び申し上げます。

さて、表題と同名の論文ですが、纏向学研究センターの紀要に掲載していただきました。昨年度下半期に奈良女にお世話になっていたとき、同センターからのお誘いがあって資料調査を実施し、私なりの所見を書かせていただいたものです。機会を与えてくださった寺沢薫先生に橋下輝彦さん、そして森さんに感謝します。

私にしては久しぶりにメジャーなところに書かせていただき、光栄なのですが、発見資料の性格が性格ですので、石製品オタクに書かせるのが適切だとのご判断だったと思います。もちろん私と同様のコメントを下す可能性の高い方は、佐賀の蒲原さん、石川の河村さんや伊藤さん、三浦君など数名がいらっしゃいますが、何分にも当時は現場にもっとも近いところに偶然居合わせたのが私でしたから、さらにもっとも暇人だということもわかっていたでしょうから、私に声をかけていただけたのでしょう。
ただし巴形石製品の未製品が布留0式に伴うという事例ですので、なぜ巴形銅器の一時的空白期のさなかに石製品が登場するのか、という問題と対峙せざるをえず、幾分やっかいでした。

そうはいっても、実験製作して溜め込んでいたスイジガイ製腕輪の写真を掲載していただく機会が到来したことは幸いでした。それにさきほどNHKで邪馬台国がらみの番組が放映され、纏向遺跡の調査現場もでてきたことに触発されて、すでに懐かしさを覚える自分に驚きながら、久しぶりの記事の更新をおこなっている次第です。

今年度もう少し時間があれば、是が非でも石製品の研究をまとめたいと思っているのですが、当面は動けそうにありません。

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4月の中旬を思わせるような暖かい日和となりました。奈良女子大学では本日24日が卒業式と学位授与式で、朝から晴れやかな賑わいをみせていました。

私は明日の朝に奈良を引き払うので、持ち込んだ書類やら本やら調査用機材やらを車に積み込んで、ついでに正面の窓ふき掃除をおこないました。

そして昼過ぎには、以前に娘の誘導で思いがけず訪問することになった前方後円墳グッズの店、話題のフルコトを再度訪れて店内の写真撮影をさせていただきました。本日は金田さんの当番ではなかったようですが、お客さんの様子を伺ってみれば、店に初めて入るお客さんの多くはロケーションに戸惑い、路地裏の他人の屋敷に入るかのような躊躇を覚える方が多いとか。

しかしそうであるがゆえに、古都ならではの趣きを強く醸し出しているようです。たしかにお店のつくり自体も古民家そのものですから、手作りの商品のひとつひとつに独特な魅力を添えているのでしょう。

「商品の企画は、どこまでも突き詰めたほうが魅力が出てくるしお客様にも喜ばれる」とのお話には、なるほどと納得させられます。リピーター客も多いと伺いました。

商品の展示台に使われていた再現須恵器の無蓋高坏など、非常によい出来で、こちらも商品にしたら返って売れるのではないかとさえ思ったほどです。

話題の前方後円墳風呂敷を、私も買い求めさせていただきました。

業界人の皆さんにも、考古学専攻の皆さんにも、奈良にお越しの際にはぜひお薦めしたいお店です。

ただし事前に「フルコト」HPやガイドマップなどで場所をチェックしておかないと、まず迷います。さらに地図どおりたどり着けたのちにも、最上段の写真をご覧いただければおわかりのとおり、そこから奥へと足を踏みいれるには、戸惑いとたじろぎを隠せない、そのようなロケーションです。

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一昨日の22日、鳥取県青谷上寺地で鉄器ワークショップが開催されました。愛媛大学と鳥取県の共催イベントで、全国各地から60名ほどの参加があり、盛況でした。

同遺跡から出土した鉄器全点が一同に並び、全体を観察できる機会ですので、鉄器シロートの私でさえ、楽しめるという趣向。そればかりか、今回は鉄器だけでなく、骨角器、木器も並べていただけたので、鉄器で加工した製品との関係を併せて把握できるという絶妙な仕掛けをしてきただき、これには驚かされましたし、非常に有り難く思いました。

かくして私はもっぱら骨角製品・未製品・加工痕のある資料を並べていただいた部屋に張りついていました。

第1回目の吉野ヶ里遺跡のときと同様、各所で活発な意見交換が行われており、耳学問だけでも楽しめます。四国からの参加も多く、馴染みの研究者とも語りあえました。

青谷上寺地遺跡の資料、たしかに弥生文化を考えるうえで、非常に重要な意味をもつことを改めて教えられた半日間でした。主催者には深く感謝申し上げますし、若手研究者の活躍もめざましく、多くの新知見を教えられました。今後の研究のますますの進展に期待したいと思います。

吉野宮跡

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今日はまことに寒い一日になりました。奈良は時折みぞれが降り、風が吹く寒さで日中の気温も摂氏5度ほど。そんななか、宇陀方面経由で吉野方面をドライブしてきました。

紀ノ川流域は、たしかに四国の山間部を想わせるどこか懐かしい光景で、しばしば道路脇に車を止めては眺め入っていました。

雨滝遺跡に設置されている郷土資料館では古代の吉野宮址出土の資料を見学しました。

目的のひとつ、資料館のごく近隣で確認されたという宮址から南の正面に映っていたはずの情景を写真に収めました。まさしくV字谷と山でした。

同郷土資料館には柿の葉寿司の伝統的な作り方を紹介したコーナーもあって、なぜ奈良名物が柿の葉寿司なのかわかったような気がしました。吉野の伝統からきているのだと。

その後は御所市にある水平社博物館を見学することにしました。企画展示だというオブジェが非常に印象深く、いろいろと考えさせられるものがありました。

特別展・大交流時代

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本日、愛知県の安城市歴史博物館に日帰りで行ってきました。表題の特別展を観るためです。先日福岡市の久住猛雄さんからお知らせいただき、これは観なければと思い立った次第です。

たしかに見応えのある特別展で、「力が入っているなー」と感心させられました。図録も各地の中堅どころ、若手の研究者が論考を寄せており、図録だけでも読み応えがあります。

総論は山口市の北島大輔さんが執筆されており、弥生時代終末期から古墳時代初頭にかけて、日本列島内での地域間交流について、彼がどのようなイメージを抱いているかを知ることができました。各地の様相への目配せに気を遣っており、今後の研究の進展が期待される若手研究者のホープです。

土器様式の交差状況から交流がいかに活発だったのかをみようという基本コンセプトのようでしたし、日本列島の各地で出現する初期の前方後円(方)墳が、どの地域との関係のもとで出現してくるのかを併せて考えようとの目論見でもありましたので、各地の有名どころをしっかり押さえてありました。ですから墳墓資料については教科書的に確認することができます。

私が弱いところは北島さんのいう「多地域型土器交流拠点」の最近の具体的事例でしたが、この点については今回揃えていただいた資料を通じてよくわかりました。担当者の力の入りようが伝わってくる内容だといってよいでしょう。まことに重要な特別展で、考古学専攻の学生さんには是非みせたいと感じた次第です。

ただオヤジ的にちょっとだけ満たされなかったところを申します。土器が動く、土器製作技術が動く(交流)ことの背景に、では当該時期に、各地の人々はなにをどのように交流・交換したと考えられるのかについての解説や掘り下げが少しだけ弱いかな、と感じたことです。水銀朱など明らかな遠隔地間の交換財は別として、土器が自発的に交流するわけはないので、現象の背後を支える構造が問題ではないかと思います。

たとえば調理具の現物(甕形土器)や日常の食器類(鉢形土器)が動くのでしたら、運送者や移住者の交錯となりますし、貯蔵容器(壺形土器)が動くのでしたら内容物の交換の可能性が大ということになります。そして祭具(小型精製土器類ほか)が動くのでしたら遠隔地間の祭りの交流ですよね。これら3つのパターンの量的比率が各地でどうなっているのかが肝心なのかと。

いっぽう土器製作技術が動くのであれば、作り手の交換でしょう。その場合に有力視されるのは「女性の交換」ないし婚姻だということになるはずです。さきに列挙した祭具の交流と関わらせれば、遠隔地間で取り結ばれる同族化ですよね。交換の活発化は、しばしば当事者間の同族化を招くという民族誌は参照されてよいのではないかとも思います。そしてこの問題については、たつの市の岸本道昭さんが15年ほど前に瀬戸内地域の土器様式の交差と墳墓祭祀の共有に絡めて論じられていますので、参考になるでしょう。

こうした背後の構造へと具体的に切り込むことも、今後は面白いのではないかと感じました。

なお北島さんは総論で準構造船が「帆走ではなかった可能性」を論じていらっしゃいましたが、帆走の可能性は充分に考慮されるべき資料的状況なのではないかとも思いました。この点で中期の事例ですが大阪の塚廻2号墳の船形埴輪は参考になるかと思います。

もちろん、このような中年オヤジのお節介コメントはいらぬものとも思います。おそらく担当者間でもさまざまな可能性については吟味されたうえで、見解の一致しない部分についての主張は見合わせたという側面もあるに違いないと思います。

特別展の図録は、久住さんの論考を含め非常に読み応えがある論考揃いであることを申し添えておきます。会期は3月いっぱいのようですから、弥生ー古墳移行期に興味関心のある方には、是非お薦めです。


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