私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

日常

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いつしか本当に久しぶりとなった徳島訪問です。というのも、昨年徳島大埋文に赴任したばかりの山口雄治君がこの8月から岡大埋文へと再び移ることになり、昨日27日には現場の女性職員さんたちが彼のために歓送会を開くというので、「じゃあ合流するから」と、たつの市を辞したのち、高速舞子から徳島行きのバスに乗り込んだという次第。

ちょうど次の観音寺市の調査までは2日間空くので、私が離れてから11年後の徳大埋文の状況を見ておきたいとも考えました。

待っていてくださったのはなつかしい面々ばかりで、かつ私も皆さんも相応の歳をとり、思い出話に花が咲く昨今でもあります。非常に楽しい時間を過ごせました。

さらに本日28日には、豪雨後の小雨がぱらつく蒸し暑いなか、常三島遺跡の現場をかわきりに、途中栗林さんがいるからと伺った裁判所の現場に立ち寄り、その後蔵本キャンパスの埋蔵文化財調査室を訪問しました。

駅前にあった魚料理の旨い「入舟」はすでになく、すこし楽しみにしていた昼定食を食べ損ないましたし、付属病院の中も非常に様変わりしていましたが、調査室の建物だけは昔のまま。

昨年度実施したという立体駐車場地点の凄い遺物群を見せて頂きました。銅鐸の耳やら銅鏃やら鏡片やらと、それは青銅器類が目白押しで、驚かされました。庄・蔵本遺跡は超一級の遺跡であることを改めて思い知らされた次第です。

皆さんお元気そうでなによりでしたが、今後の課題は整理と報告書の作成。中村豊君も総合科学部に教授として出てしまいましたので、私がいた頃からの教員はゼロになってしまいました。

もちろん室長を含め顔ぶれは刷新されることになりますので、こうした新しい世代の力に期待します。山口君の活躍にも大いに期待していたのですが、山本悦世さんには勝てません。

そして本日夕方は、今年定年となる久保脇美朗さんを囲む会となります。栗林さんがセットしてくださいました。

播磨と四国の旅(1)

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昨日7月29日には、兵庫県のたつの市にお邪魔し、新宮東山2号墳1号石棺出土のゴホウラ背面貝輪を実測させていただきました。

この古墳、岸本道昭さんが1995年に調査なさった、前期から中期にかけての方墳です。並列する4基の主体部(棺)の構造がすべて異なり、問題の貝輪は、このうち2番目に構築された箱式石棺墓の中から発見され、30歳から40歳前後の男性人骨の手首付近に通されていた、という注目すべき資料です。

ちなみにこの男性は身長が167cm前後、当時としては非常に背の高い方だったようで、面長な顔立ち。箱式石棺墓に埋葬されたという事実関係からみて、岸本さんの報告書では、地元古墳人ではなく、西方のどこかからの移住者で、(おそらく)地元の女性を娶ったのちにこの地で生を終えた人物ではなかったか、と推定されてもいます。

またこの男性の顔面には水銀朱が塗布されていたのですが、骨にべっとりと密着した水銀朱の状況をみると、この顔料は遺骸が骨化した後に塗られたかのようにもみえます。

外部からの婚入者であった可能性と、骨化した後の埋葬の可能性、これら二つの点が、貝輪の性格を考えるうえで重要な事項かと思います。なお着装状態は、水管溝側が上に(親指側に)くる状態でした。

製品は先日別府大学で見せていただいた大分市世利門古墳出土品と、仕上げの状況から繊細な列点文の状況、生貝を加工した製品であるという事実に至るまで、非常に良く似た資料でした。ただし遺存状態がかならずしも良好とはいえず、内孔端部の状況は観察できませんでした。

5世紀の前葉から後半にかけての時期に、こうした酷似品が九州東岸部と瀬戸内海に認められることは非常に興味深く、なにかと考えさせられるものがあります。南海産の貝にまつわるこのエリアの親密さについては、スイジガイ文様の入った埴輪の問題について加藤俊平さんが『考古学研究』で紹介していらっしゃるとおりですが、ゴホウラ背面貝輪についても同様のことがいえるのです。

要するに南洋の貝輪への執着と憧憬ないし葬送習俗がらみで、沖縄ー種子島ー熊本南部?ー大分ー岡山ー兵庫西部瀬戸内沿岸の6地域が結べます。先にアップした権現山51号墳の大坪型貝輪や紡錘車形イモガイ製品の存在、さらに竹並貝輪などを加味すると、この動きは3世紀の古墳時代初頭から本格化したものと考えることも可能です。

こうした興味深い事実からなにを語れるのか、岸本さんや対応してくださった職員の方に向かって、一人ぺらぺらと喋りまくった私でした。積極的に質問してくださる職員の方でしたので、調子に乗ってイザナギとイザナミの国生み神話との関係や、オオゲツヒメと死体化成神話との関係などへと話を進めてゆく私の横で、苦笑する岸本さんが印象的でした。

そうはいっても、その後百済系の横穴式石室墳にご案内いただく道すがら、岸本さんから発せられた次の言葉は忘れられません。すなわち「古墳時代の人々は、我々現代人の発想や予測をはるかに超えて、非常に活発に動き回っており、そのあたりの問題はこの西播磨の埋蔵文化財と向き合ったときにこそ典型的に把握できるところであり、かつその錯綜状況を整理しつつ読み解くことが、今後の古墳時代像を描く際にかかせない問題ではないか」との提言です。深く共鳴せざるをえない提言です。

今回の貝輪調査も、まさしくその一端であって、このあたりを構造的に解きほぐしつつ正確に把握する視座が求められる、といえるのでしょう。岸本さんや私の世代の研究者で、この問題に明確な説明づけをおこなうことは不可能かも知れませんが、なんとか方向性だけはつけたいと思います。

写真は岸本さんの許可を得てアップします。岸本さんにはいつもながらお世話になりっぱなしで、申し訳なく、また有り難く思います。

九州の旅(後半ー2)

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本日16日は、宇城市の小川町にあるコミュニティセンターにお邪魔し、大坪貝塚の背面貝輪の資料調査を実施しました。対応してくださったのは神川めぐみさん。熊大の卒業生ということで杉井さんを通じてご紹介頂き、今回の調査が実現しました。

発掘調査そのものは25年以上前に熊本県教委によっておこなわれ、男性の埋葬に伴って出土した3点の腹面貝輪については、私も大学院生の頃に実測をさせていただきました。弥生終末期に属する「大坪型」―鍬形石の祖型貝輪のひとつ―として周知されてもいます。

ただし埋葬には伴わなかったとされる背面貝輪については、当時の記憶になく、木下尚子先生がその御著書で言及されて以来、気になる資料として関係者の間では秘かに「注目」度の高まった資料でもありました。

やはり一見してみれば、なるほど車輪石の祖型貝輪として見て差し支えなく、福井県の龍ヶ岡古墳例以上に有力視される資料でした。外形は楕円形を志向し、表面の装飾は内孔縁から放射状に延びる稜線と匙面ないし凹面の組み合わせです(最近は一部で「凹凹式」と呼ばれるようですが)。この施文は一部原貝の螺肋を利用してはいるのですが、そのほとんどは人工的な作出、つまり削り込みと磨き込みによって表現されたものであり、よくぞここまで、と感心させられるほど手間暇かけて仕上げられています。

年代的にも車輪石の登場より明らかに前ですから、車輪石の影響下でこのような貝輪が摸倣製作された可能性は皆無です。この時期に長い中断をはさんで再出現してくるオオツタノハ貝輪との間には、楕円形という輪郭や施文上の共通性が高いので、木下先生が指摘するとおり、本例はオオツタノハ貝輪の特性を取り込んだ貝輪であるとの理解も可能です。しかしオオツタノハ本来の特性を否定した施文法ですので、ゴホウラ背面貝輪とオオツタノハ貝輪の双方に、新たな施文上の流行が及んだという理解の方が自然であろうと思います。車輪石との関係を考える場合、なによりもサイズの点で、オオツタノハは候補から除外されるのです。現物の実態が広く公表されれば、ゴホウラ背面貝輪こそが祖型貝輪であることを誰もが納得するものと思います。

そして、こうした祖型貝輪生成の舞台が中九州の西海岸地帯であり、その担い手が免田式の土器を使用した人々であったという事実も重要です。

なお今回の調査の眼目は、腹面貝輪と背面貝輪の両者が単一の貝殻から製作された可能性を点検することでしたから、腹面貝輪の1点と同大の再現品を持ち込んで比較させていただきました。ただし現物資料のほうは、後に述べるとおり螺背部からの切り取り方が予想外に変則的だったので、再現実験品とピタリ符号するというところまでの「旨い話」にならなかったことは残念です(じつは文字面以上に残念がっているのですが)。

とはいえ本例については、仮に斜面を手首側に向け、内孔の広い側を尺骨側(下)にして右腕に通したとすると、着装時の摩滅痕と考えても矛盾のない摩れが認められました。大友遺跡の背面貝輪と同様、本例については生前の着装を推定してもまったく不自然ではないのです。今回の資料調査において、表面の摩れを確認できた唯一の事例となりました。その意味では、一昨日の記事で触れた、ゴホウラ腹面貝輪は死者に装着させる「死者の貝輪」で、背面貝輪のほうは日常的に着装し消費される「生者の貝輪」だったのではないか、という仮説とも合致します。

そのうえ、この背面貝輪の成形上の特性を把握できたことは最大の収穫でした。製品の長軸方向は、螺軸方向から約70度振れているのです。一般的な背面貝輪は、その長軸方向と螺軸方向とを一致させるのが原則ですので、きわめて異例です。

そしてこの異例さは、龍ヶ岡古墳例にも当てはまるのです。ようするに弥生終末期のゴホウラ背面貝輪のうち、車輪石の祖型と考えられる上記の2例は、背面貝輪の歴史において孤立的な製作手法を採用したと考えるのが妥当ですし、かつ型式学的に有意な指標を共有する、とみなせそうです。このような現象が生じる理由も明確で、それは螺階の凹凸を避けて輪郭取りするからです。委細はなるべく早く活字化して公表したいと思います。

再現品の上に現物を重ねさせていただき、写真撮影をおこないましたが、駅までの送迎を含め、暑い中を快くご対応くださった神川さんに感謝します。

こうして、今回の九州の旅は、当初の予想以上に実り多いものとなりました。資料調査でお世話になった皆様、また呑み会でご一緒した皆様、真にありがとうございました。

神奈川への帰路は新幹線の自由席を使っています。運賃は北海道からの帰路とほとんど同額なのには驚きました。頂戴したりコピーしていただいたりして入手することになった論文数本を読み、またこの記事を書いています。

九州の旅(後半―1)

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昨日14には佐賀県立博物館にお邪魔し、大友遺跡の1次・2次調査分と桜馬場遺跡の有鉤銅釧の資料調査をさせていただきました。ご対応いただいたのは副館長の西田和巳さんと学芸員の川副麻理子さんでした。お二人には休日にご出勤いただいての対応をお願いすることになり、誠に恐縮しました。

大友遺跡のイモガイ縦型貝輪は、報告書の実測図が非常に丁寧に描かれており、その状況から、9点の多くは死貝の加工品であろうと推定していたのですが、まさしくそのとおりでした。ただし左腕に通された8点の加工は非常に丁寧で、ほとんど隙間なく重なります。遺存状態も良好だったので、川副さんにお願いして、重ねさせていただきました。その具合から、製作時に何点がセットになるかを確認いたしました。その結果については次の論文で活字化することとして省略します。

午後からは桜馬場の銅釧のサイズ計測と鋳型の異なる製品の実測をおこないました。これについても重ねさせていただき、先の貝輪でみられた状況との対照性を確認することができました。西田さんと川副さんには、このようなわがままをお聞き頂きましたことに深く感謝申しあげます。

そして午後4時半には博物館を辞して一路熊本に向かいました。その目的は呑み会。ちょうど岡山大学の松木武彦さんが熊本大学で集中講義を実施中だと杉井健さんから伺っており、「どうせなら一緒にいかがですか?」との誘いに乗っかったからでした。松木さんの歓迎会への飛び入り参加です。

黒髪キャンパスの直ぐ側の会場にいってみれば、レプリカ・セム法の研究でご活躍の小畑弘巳さんもご一緒の盛況な呑み会で、すでに宴もたけなわ、終盤という状況でした。そのまま2次会まで出向き、熊大生の皆さんと楽しく飲めました。80年代の雰囲気を色濃く残す、闊達な学生さんたちでした。「考古学」名でボトルキープされていた薩摩白波の瓶の裏に白マーカーで書かれた○○を見せられたのには参りました。かつて80年代に流行った漫画「キャンパスクロッキー」をそのまま引き写したかのような所業でした。若いって、いいですね。

そして本日15日には、杉井さんの車で阿蘇近辺の遺跡・古墳めぐりをさせて頂きました。朝9時半にホテルを出発して夕方7時過ぎに黒髪キャンパスに到着するまで、積もる話に花を咲かせながらのドライブ。外輪山に囲まれた北側の阿蘇谷では、リモナイトを利用したベンガラ製作に関与した弥生中・後期の遺跡に、リモナイト採掘・加工工場も見学させていただき、大いに興奮。

その後は熊大が調査中の平原古墳群から中通古墳群、神御倉古墳、阿蘇神社を経て中岳山頂の噴火口にのぼり、南下して南郷谷に入り、一昨日の吉野ヶ里ワークショップで話題となった幅・津留遺跡の調査現場の場所を確認したのち、柏木谷古墳群も見学させて頂きました。

さらに熊本大学に帰り着いてからは、昨晩お会いできなかった木下尚子先生のお部屋にお邪魔し、貝輪談義で1時間を割いて頂きました。

ここで最近の私の発見をご報告し、逐一ご丁寧なコメントを頂戴できたのですが、なによりも驚いたのは、大友遺跡報告書に掲載された高精度の実測図の書き手は誰だったのか、です。彼女自身でした。てっきり執筆者の木村幾太郎氏だとばかり思い込んでいたものですから、この事実には改めて感服すると同時に恐縮しました。恐るべし、です。彼女の研究の背中を追いかけつつ批判的な言辞を重ねている私ですが、それにも関わらず、ご対応くださったことに心から感謝します。権現山51号墳の貝輪がゴホウラ大坪型であることもお知らせできましたし、最近の拙著「腕輪形石製品」の抜き刷りをお渡しすることもできました。

この間、本来は研究室でコピーさせて頂くはずだった論文などは、杉井さんか気を利かせてコピーしてくださっていたので、私はその束をただ受け取るだけ。今朝のドライブにあたっても事前に地図類や報告書のコピーを「資料です」と渡してくれ、なにからなにまでお世話になりっぱなしでした。

夕食をご一緒したのち、ホテルまでお送りいただくという徹底ぶりには誠に有り難いとしかいいようがありません。杉井さん、本当にありがとうございました。

明日は今回の旅の最終目的地の宇城市に向かい、大坪貝輪(背面貝輪)と向き合います。

九州の旅(中盤ー3)

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昨日の呑み会で、まず國學院大学栃木短大の小林青樹さんから、沖縄出土の外来系土器は燕の地域のものだと教えられました。明刀銭もそこを通じて沖縄にもたらされたと断定して差し支えない様相だとのこと。こうして遼東半島を窓口とした南方島嶼部との間の交易ルートの存在を知らされました。

さらに村上恭通さんから驚愕の事実を聞かされました。遼東半島や内陸のモンゴル地域からも沢山の貝製品が出土しているものの、その産地は明らかにはなっておらず、南海産の可能性は検討すべき重要課題だとのこと。要するに「貝の道」は「鉄の道」との双方向性をもって、沖縄と遼東半島とを結ぶ格好で成立した可能性が浮上してくるのです。その経由地は朝鮮半島の西海岸であり、九州の西海岸だという構図も成り立ちそうです。

そして本日は吉野ヶ里公園での鉄器ワークショップが開催されたのですが、私は午前中から調査事務所で貝製品の資料調査をさせていただいた上での参加となりました。

昨日急浮上したイモガイ薄型・横型貝輪の問題に特化しての調査で、当初の予定外でもあったため、すべてを見終えることはできませんでした。ただしこの円環系銅釧摸倣の貝輪についても、ゴホウラ腹面貝輪や他のイモガイ横型貝輪などと同様、複数の個体が組み合わせて副葬される場合には、手首側と肘側とでは後者が大きくなるようにあつらえられており、内孔のサイズは手首側から徐々に大きくなっていることを確認できました。

今回のケースは9点の重なりですが、この子供の腕にさえ通すことは非常な困難を伴うだろうという径のものをよくぞ大小に揃えたものだと感心させられます。さらに興味深かったのは、手首側を上とすれば、すべての個体は螺塔側が上にくるように加工されていたことでした。このように置いたときに、初めて安定して重ねられる(つまり肘側端面が水平になる)ことを確認できたからです。

残りの調査は再度機会を改めて、ということで細川さんにお願いして、午後からのワークショップに向かいました。

このワークショップの注目度が高いことは、参加者が70名を越えただけでなく、参加メンバーをみてたちどころに分かりました。鉄器を手にとってじっくり観察してから、個別資料の中で目に付いたものを議論の遡上にあげるという趣向は、誠によい勉強の機会になります。司会はお馴染みの村上さん。会場からのコメントに逐一解説を加えつつ議論を進めてくれたので、私のような鉄器素人にも勘所がよく理解できました。

近畿地方や四国、山陰からの参加もあったほか、埼玉県からの参加もあった(といっても杉山君)のには驚かされました。もちろん宮城から駆けつけてくれた土屋君、宮??からは大嶋君の参加もあり、東海大学の卒業生も結構頑張っている観を示してくれて、誇らしく思いました。また古い知り合いとしては、韓国から一時帰国中だという柳本照男さん、それに徳島の栗林誠治さんが筆頭でしょうか。会の終了後、栗林さんにはホテルまで自動車で送ってもらい、徳島の近況をお聞きしつつ積もる話に花が咲きました。

蒲原宏行さんとも久しぶりにお会いでき、最近の腕輪形石製品について書いた抜き刷りを遅ればせながらお渡しすることができました。これで九州の旅の中盤も、無事終えることができそうです。2日間ご対応くださった細川さんには、深く感謝申しあげます。

これから懇親会に出ますが、明日は佐賀県博での資料調査を控えているので、さほどは飲めません。


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