私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

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表題は東北大学で来週開催される空間史学研究会の国際シンポジウムです。奈良女の小路田さんつながりでお知り合いになった日本思想史の佐藤弘夫先生の紹介により、私もこのシンポジウムに出席して話をさせていただくことになりました。

私の報告内容は、といえば、業界筋でもっぱらオカルト考古学扱いされている、たとえば坐東朝西の空間設計の話や、黄泉国は山中だ、といった趣旨のものですが、他のお二方は海外からのご参加。どのようなシンポジウムになるのか、非常に楽しみです。

プログラムの概要は下記のとおりです。

空間史学研究会 第4回シンポジウム 冥界の深度と意匠――死後世界のコスモロジーとその諸相をめぐって

Depth and Design of the Otherworld: Studies on Cosmologies and Other Aspects After Death

主催:空間史学研究会
共催:東北大学大学院文学研究科、東北大学大学院工学研究科都市・建築学専攻空間文化史学分野

開催趣旨:死後の世界とは一体どのようなものであろうか。古今東西において、人々はこの不可視の世界を多彩に想像し続けてきた。仏が居住する清浄な「浄土」、地下の泉を語源の一つとする「黄泉」、永遠の安息が得られる「天国」などはその適例であろう。宗教や思想、組織や集団、時代や地域の別により、じつに多くの死後世界が生み出され、語り継がれてきたのである。
 興味深いことに、各様の死後世界は、地上や地下などさまざまな「深度」に具体的な空間として定位され、しばしば事々物々の「意匠」を纏ってきた。では、これらの空間は、どのようなコスモロジーや制度に接続し、「深度」と「意匠」が選択されたのであろうか。
 本国際シンポジウムでは、死後の世界に刻み込まれた社会と文化の記憶を、古今東西の具体的な空間の諸相をもとに解きほぐしてみたい。

講演題目・講師:
1.仏教伝来以前の他界観とランドスケープ
 ――日本列島初期水稲農耕民社会と巨大前方後円墳の場合
  北條芳隆(東海大学・考古学)
2.新彊の舎利埋納と空間
  冉万里(ラン ワンリ)(西北大学・考古学)
3.リビア・サプラタ遺跡の墓廟とフェニキア=カルタゴ人の死後世界
  Benedetta Bessi(ベネデッタ ベッシ)(ローマ・ジョン・カボット大学・考古学)

コメント
  佐藤弘夫[東北大学・日本思想史]
  長岡龍作[東北大学・東洋日本美術史]
  芳賀京子[東北大学・西洋美術史]
通訳
  芳賀満 [東北大学・考古学]
司会
  野村俊一[東北大学・日本建築史]

開催日時:3月19日(水) 13:00
開催場所:東北大学 川内南キャンパス文学部第一教室(文教大教室)

・本シンポジウムは平成26年度東北大学大学院文学研究科長裁量経費に基づいています。
・終了後、18:00より懇親会を開催予定です(文系食堂内ルポー)
・ 通訳あり

私が今回のシンポジウムにお誘いを受けて、強く惹かれたことのひとつが、考古学では使わない語彙が軽妙に駆使されていることです。「冥界の深度」とか「意匠」とかの表現を、考古学ではなかなか使えませんし、思いつきません。さすが美術史や建築史畑の方々だな、と感心させられますし、今度使ってみようかな、とも考えはじめています。そして強い印象を抱いたふたつめがポスターのデザインと色味です。語彙といい、デザインのセンスといい、どちらも、とても素敵ですし、垢抜けしていて羨ましいですね。

ちなみにポスターの背景上段の写真は、奈良県唐古・鍵遺跡から撮影した春分の日の出です。龍王山520mピークからの日の出となるのです。ようするにこの遺跡から数百年間にわたって見つづけられた春分・秋分の日の出の情景が、のちに大和東南部古墳群の中心軸線を規定することになったと考えられるのです。暦の起点は冬至の日の出で、三輪山が指標だったでしょうが、春分と秋分は暦の中間点ですから、中心軸線にはふさわしかったのでしょう。

東の山が選ばれる理由は、こういうところにあったのだ、と確信させられたときに撮影したものです。

このシンポジウムでのプレゼンが、私にとって今年度最後の発表になります。とはいえ今週末には茨城県のひたちなか市での市民向け講演会ですので、気が抜けません。そうはいっても、どちらも最近考え始めたテーマに直結した内容ですから、楽しませていただいていることには代わりありませんし、お呼びいただいて光栄です。

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先週末に開催された表題の大会に参加してきました。

昨年春の貝製品調査でお世話になった伊達市噴火湾研究所が中心となって開かれた大会ですし、N谷君こと永谷幸人君の発表もあるし、今後共同研究を進めることが可能な若い研究者を紹介してくれるとのこと。そんなこんなで参加することにしました。

初日のN谷の発表も無事終了し、彼が編集を担当したという大部の資料集にも感心し、といったところ。今後のなお一層の活躍を期待します。旭川の瀬川さんにも久しぶりでお会いできて話しも弾みましたし、夜の懇親会では大島所長(大会実行委員長)にもご挨拶することができました。お忙しい身ながら真にお元気そうでなによりでした。

二次会では瀬川さんと道教委の中田女史を対談相手に考古学談義で盛り上がりましたし、三次会ではN谷と合流してバーへ。泊まりはN谷亭でした(一昨年の秋には彼の家に泊まって熱を出した経緯もあったので、と今回はストーブを焚いていただき、おかげさまで安眠できました)。

二日目のセッションは、引き続き貝塚の会場に陣取って全発表を聞かせていただきました。伊達市噴火湾研究所を軸とした学際的な研究が大いに進展しつつあることを実感させられましたし、若い世代の頑張りように感心させられた次第。学ぶところの大きな大会でした。

大島先生の存在があったからこそ、こうした斬新な取り組みも実現できたというところでしょう。今後は青野さんを中心に、この雰囲気をもっともっと増幅させていただけることを期待します。本セッションへの参加者の少さが、唯一惜しまれるといったところでしょうか。

ともかく、私にとっても、網取遺跡でおこなう今後の研究への有益なヒントをえることができましたし、N谷君を通じて新たな共同研究者を紹介していただけたこともあって、非常に有意義な大会でした。

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去る2月22日と23日には横浜市博を会場に西相模考古学研究会の記念シンポジウムが開催されました。今回は2001年度に続く大企画として、岡本孝之さんの講演を含む2日間の開催となりました。弥生後期の関東の様相を問うという「久ヶ原・弥生町期の現在」と銘打つテーマで、初日は関東・甲信各地の集団関係をどう把握するかに焦点があてられ、二日目は広域流通品の様相を整理するというものでした。

企画立案とメンバーの選定・依頼者はいうまでもなく西川修一さんです。よくぞここまでフルキャストを揃えたものだと感心することしきり。資料集も真に充実したもので、これまでにありがちな図面のオンパレードではなく、それぞれ完全な論考となっていました。関連する研究者たちのコメントまでも添えられて、すでに論文集とシンポジウム集を抱き合わせた体裁。これで2000円は絶対にお買い得です。編集にあたった土屋了介君にも頭が下がりますし、事前の準備会を仕切ってくださった池田さんや押方さん、それに販売担当の伊丹さんにも感謝です。

さらに事前の宣伝は比較的抑えられたものの、会場には近畿地方から福井・新潟・東北までの遠来からも研究者が集い、まことに盛況でした。妻も西相模一円の弥生後期の様相には業務上の関心もあるらしく、一日目はデートを兼ねてふたりで参加しました。

一日目の報告を列挙すると次のとおりです。 
① 相模湾の様相 中嶋由紀子(平塚市教育委員会)
② 東京湾西岸の様相 古屋紀之(横浜市ふるさと歴史財団)
③ 東京湾東岸の様相 小橋健司(市原市埋蔵文化財センター)    
④ 関東東部の様相 稲田健一(ひたちなか市埋蔵文化財センター)
⑤ 関東北部の様相 深澤敦仁(群馬県教育委員会)
⑥ 記念講演「久ヶ原・弥生町問題の過去・現在・未来」 岡本孝之(元慶応義塾大学)

今回の報告は、どれをとってみても集団の動きや集団間の関係を積極的に描こうとする姿勢が明確で、厳しい環境のもとでのサバイバルを模索した弥生後期人の姿が具体的にイメージできる内容だったことが最大の特徴ではなかったかと思います。メンバーをご覧いただいてもおわかりのとおり、蒼々たる顔ぶれで、まことに充実した発表でした。

弥生後期の気候の寒冷化と、それによって引き起こされた集団の移住や新たな関係の構築、(鉄器や玉、青銅器類の流入によって引き起こされたーこれは二日目の内容との抱き合わせによって判明するのですが)地域性の顕在化、といった問題群があぶり出されています。

ひきつづき二日目の報告は次のとおりでした。
① 中部高地の様相 稲垣自由(大月市教育委員会)
② 青銅器の流通について 楠恵美子(國學院大学)
③ 玉類の流通について 斉藤あや(藤沢市教育委員会)
④ 鉄製品の流通について 杉山和徳(白岡市教育委員会)
⑤ 東北との関係―続縄文の南下 青山博樹(福島県文化振興財団)

表題は地味ですが、内容は非常に濃くかつ充実しており、それぞれ歴史的評価にまで踏み込む内容だったことに驚かされました。さらに特筆すべきことは、20代から30代前半の若手研究者の力と大活躍ぶりでした。古屋さん、楠さん、斎藤さん、杉山君の4名に土屋君を加えた5名は、昨年度のプレ発表から事前の打ち合わせなど、中年オヤジ・オバハンたちの助言をうけつつも下準備にかなりの時間を割いてくれましたので、それぞれの報告には迷いがなく、自信をもって明快な主張を展開することに結実したのでしょう。このことがとりわけ強い印象として心に刻みつけられました。

こういった若い世代の前向きな取り組みをみると、西相模考古学の招来は明るい、と断言してよいかと思います。彼ら彼女らには心から拍手を送りたいし、もっともっと前に前進していただきたいと思います。

なお二日目のシンポジウムの司会は西川さんと私とで担当しましたが、個別発表が非常に充実していたので、進行はとても楽でした。ようするにそれぞれの司会者が聞きたいことをパネラーに問いかければよいだけでしたから。

そしてあぶり出されてきた問題は、弥生文化と大森文化との間の明確な境界線でした。弥生後期から終末になっても、信濃川ー利根川ラインの北に弥生人は足を踏み込めなかった様相が非常に顕著だったことです。このラインを北に越えたところにある「弥生」をどう考えるかが今後の焦点となることはまちがいないところでしょう。さしあたりこのラインを指して「岡本防衛ライン」と呼ぶことにします。ただし大森文化側から引いた防衛ラインというよりは、弥生文化側の躊躇と遠慮が創りあげた最終境界ラインなのかもしれないな、と感じました。

さらにこの問題に関連して、最後に登壇された青山さんの報告はまことに示唆深いものがありました。境界域や交通の要衝に設けられ、境界を突破してしまう力を備えた舞台としての衢(ちまた)論です。青山さんは最近の彼の興味に引きつけ、歌垣(かがい)の重要性を強調されましたが、私のいう市の重要性とも関わって、こういった議論は、まことに楽しくかつ有望である。そう確信させられたところです。

なお初日の懇親会では歴史的な「和解」の握手もありました。なぜこのふたりの握手が歴史的和解なのかについては、『西相模考古』を検索していただければわかります。

ひとことでいって、今回の研究会は、さまざまな問題提起を含むという意味で、21世紀の前半を画する画期的な偉業となりうるものだったと思います。もちろん日本列島全域に普遍化可能な問題群満載です。その意味でも今回の資料集は、今後必携の書となるでしょう。

春の日本考古学協会での販売を予定してはいるようですが、おそらくその前に売り切れてしまうのではないでしょうか。まだ入手されていない方で、弥生時代後期から古墳時代への移行期の問題にご関心のある方は、早いうちにお買い求めを薦めます。六一書房で取り扱っています。

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表記のシンポジウムが一昨日の6月1日、横浜市埋蔵文化財センターを会場に開催されました。

この集まり、来年の2月に開催される予定の本番に備えた準備会だったはずが、67名を越える方々が各地から集まって、真に盛況でした。というのも、神奈川県域における弥生後期から終末期までの標準資料が一同に集められて展示されることになったからです。土器・石器・鉄器・青銅器・ガラス製品類が1階と2階に分けてところ狭しと並べられ、まさしく圧巻でした。

最初は横浜市埋蔵文化財センターが保管している関連資料を展示することで、古屋紀之さんが構築された編年案を現物と照らしながら点検しよう、との目論みだったようですが、せっかくの機会だから県内各地の関連資料も持ち寄ってみたらどうか、との西川修一さんの一声でこうなったようです。

午前10時から始まって午後5時まで、じっくりと資料を見ることができましたし、石製品や青銅製品の主だったものについては、その場で簡易実測をさせて頂くこともできました。私の隣をふと見ると、明治大学の石川さんも同じ行為におよんでいらっしゃり、二人で同じ穴のムジナぶりを演じてしまいました。

そこここで型式学談義、地域性談義が繰り広げられていて、耳学問だけでも充分に楽しめました。私の知っている方だけでも福島県の青山さん、石川県の田嶋さん、長野県の青木さん、山梨県の中山さん、愛知県の石黒さん、静岡県の鈴木さんや篠原さんなど蒼々たるメンバーが参加しており、いかに注目度が高いテーマであったのかを印象づけるものとなりました。もちろん東京・神奈川在住の弥生文化研究者はほとんどの方々が参集されたという高い求心力。はたして本番のシンポジウムはどうなるのか、興味(楽しみ)がつきません。

午後からはプレシンポジウムということで、予備報告を古屋さん(南武蔵地域)、斎藤あやさん(玉類の流通について)、杉山和徳君(鉄器の流通)の3名の若手研究者がそれぞれのテーマで発表を行ってくれました。上記のような中年オヤジたちが居並ぶなかでのプレ報告でしたから、それはやりにくかったことでしょう。とはいえ、今後の弥生時代・古墳時代研究を担ってくれる世代ですので、是非とも頑張っていただきたく思います。

ちなみに夜の懇親会にも47名が参加。当初予定していた会場では30名しか入れない、とのことで急遽会場を変更して行われました。この懇親会の趣旨も、本来は宮城県への派遣から戻られた伊丹さんのご苦労さん会と、7月から東北へ派遣される土屋君の送別会を兼ねた、西相模考古の第一世代の方々(岡本会長や曽根さんら)への慰労を行うというものでした。東北派遣へのお二人への挨拶にたったのが文化庁の禰宜田さん、というのも象徴的というかなんというか。ともかく異様な盛り上がりをみせた懇親会でもありました。

こうした異様な盛り上がりについて、石黒さんの次の言葉が印象的でした。すなわち「我々の世代には『九阪』があり『三県シンポ』があり、そこへ出かけてゆくことで世代や所属を越えた考古学談義が可能だった。さらにそういった環境のもとで育てられたために、地元でも盛んに『土器持ち寄り会』を行って議論を活性化させたのに、その雰囲気が失われて久しい昨今、今回のような集会には、俺も皆も、じつは飢えていたんだ。」とのこと。まったくそのとおりなのでしょう。

そういえば私も30代の頃は、車の荷台にコンテナを積んで香川まで往復したことや、各地の研究者を徳島までお呼びして、武家屋敷出土遺物の見学会を開催したことなどを思い出します。私の車が今もステーションワゴン型なのは、考えてみれば、こうした30代の頃の日常性の名残なのかもしれません。

80年代から90年代にかけては、確かにそのような雰囲気がありました。やはり肝心なことは、現物を目の前にしての談義がいかに重要であり、不可欠であるかを、次世代の研究者にいかにして継承していただくか、に尽きると思います。要するに今回の西川さんの企画は、そのような趣旨のもとにあったと理解されるのです。

われわれ中年オヤジ世代が今後ともこうした集会を楽しめるか否か、それは若い世代の研究者や、今後研究者を目指す学生諸君のエネルギーにかかっている、といっても過言ではないようです。

西川さんを始め、会場の手配を行ってくれた古屋さん、それに各地の遺跡出土品を持ち寄ってくださったそれぞれの遺跡の担当者の方々、真にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。

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完売御礼

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少し顰蹙ものの記事かもしれませんが、このブログでも紹介させて頂いた「西相模考古」第22号と『古墳時代の考古学』(第4巻)「副葬品の型式と編年」の2冊は、駒澤大学会場に持ち込まれたすべてを完売することになりました。しかも両著ともに昼前には売り切れだったようです。

3段目の写真は、161部(22号)を売り切った後、バックナンバー売り上げ分を加えた売り上げ計算中の伊丹さんですが、伊丹さんの「東北生活2012」も販売促進には大いに役立ったに相違ありませんし、25名もの執筆者から五月雨的に届けられた原稿類や図版類を適確に編集いただいた立花さんの力技あっての賜物であることも事実です。企画立案者の西川さんの目論みが大当たりだったというところでしょう。関係された皆様に「お疲れ様でした」と申し上げます。

また本ブログを通して上記の2著の刊行をお知りになり、ご購入された方がいらっしゃったとしたら、厚く御礼を申し上げます。もちろん、自信をもってお勧めできる2冊だと思いますし、実際に手にとってパラ見してみてのご購入の結果だったと推察いたしますので、お買い得感はあったものと思います。

西相模考古については私も帰路、他の執筆者の論文を数本読ませてもらいましたが、問題意識の部分で共有されているところが予想以上に多いという印象を受けました。それぞれの文体と表現上の癖に即して書かれていますので、まるで異なる受け止めをしているかに見える部分もありながら、通底する部分の認識の共有を確かめる、という意味でも楽しめる冊子になっていますし、内容的にみても今後の議論のネタになるに違いないと思います。

また同成社の「副葬品の型式と編年」の方については、もしご購入なさった方々がこの記事をお読みであれば、総論の後半(2−3「モンテリウス編年学と日本考古学」、10頁から13頁)に少し着目していただきたく思います。学史に関する新たな発見を速報的に記しています。今年はこの問題についても少し踏み込んだ議論が展開できれば幸いかと思っており、モンテリウスの1885年刊行書(1986年英訳版出版)については、現在インドに滞在中の小茄子川君に翻訳を進めてもらっているところです。

社長の佐藤さんのお話では、今回の4巻、比較的若い世代の方々が購入する傾向にあったとのことですので、学生の皆さんからの注目度は高かったのかもしれません。となると、総論の話題についてもなるべく早めにこのブログでも補足記事をアップし、学生の皆さんに編年学を学んでいただくうえでのヒントにしてもらう必要ありか、とも思います。

西相模考古のブースの隣には「西アジア考古学会」のブースがあり、トイ面には我が大学のブースがありました。どちらも販売担当として私のところの学生諸君が出張ってくれていました。

そこそこの売れ方だったようですが、例年販売数は減少気味ですので、本当のところは悩ましい情勢にあるのには変わりなく、かつての80年代前半のあの喧噪を追体験させてあげられない辛さがあります。西相模考古のようなノリを、今後考えてみるのもよいのかもしれません。

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