私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

学会・研究会

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全12ページ

[10] [11] [12]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

19日の北海道考古学会の会場であった北海道大学は、まことに雄大で美しいキャンパスでした。

前日の夜に降った雪に一面覆われたキャンパスの様子を少しご覧いただきながら、私の怪しげな報告にお付き合いいただきます。まず有名な建物2棟の写真(1・2段目)をご覧いただいた後にご紹介するのは大学生協の学食。

その名もクラーク食堂です。目下フェアー開催中のメニューは「牛トロ丼」。当然迷うことなく3名揃ってこれを注文。大変美味でした(3・4段目の写真)。

昼食後にはクラーク先生の胸像に再度詣で(5段目の写真)、その足で大学の総合博物館にお邪魔しました。ちなみに現在の北大生によれば、札幌観光名所の「3大残念」のひとつがこのクラーク像なのだそうです。
それはともかく博物館の方は戦前の建物ですから、まことに風格があります。3階までの展示に見入っていました。もちろん考古学部門の展示もありました(6・7段目の写真)。

そして何を隠そう、私、18歳の頃には、秘かに北海道大学に憧れていました。寮はまことに有名でしたし、フロンティアをイメージさせる雄大な北海道の景観にどこまでも惹きつけられたのだと思います。

当時は文学部に考古学の専攻がなかった(実際を知らずそう思えた)し、共通一次の第1世代ですので偏差値には敏感になるよう躾けられていた最中。
より確実な?岡山大学法文学部へと方向転換をしましたが、いかにもミーハーで頭の弱げな私は、放っておいたら(高校の先輩で当時考古学の手ほどきをいただいていた辰野町教育委員会の赤羽義洋さんからの助言がなかったら)実際に受験していた可能性が濃厚でした。もちろん受かったかどうか怪しいものですが。

そんな30年前の遠い思い入れもあって、実は生まれて初めて訪問することになった北海道大学のキャンパスの様子に、感激していたのです。

究極の感激は、校内の立て看板でした。懇親会が終了したのち西田先生にご案内いただきそれを知ったのですが、キャンパス内にはいたるところにジンギスカン・パーティースポットが用意されていて、暖かいシーズンにはあちこちでコンパが開催されるのだそうです。

その後片付け方を指示した立て看板の前で記念撮影(最下段)。恥ずかしい酔っぱらい顔はご容赦いただくとして、この着ぶくれした私をご覧いただけば、このときの外気の様子をお察しいただけるかと。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

19日に北海道大学で開催された北海道考古学会で、永谷君が学会デビューを果たしました。立岩山チャシ跡遺跡の成果報告ですが、調査団を代表する立場とは別に、彼自身のオリジナルな考察を交えて報告してもらうことで準備を進めてきたところです。全くの新参者である東海大学の調査が北海道考古学会に受け入れていただけるかどうかは、この発表如何にかかっているわけですから、私自身にとっても正念場でした。

前夜に降った雪も上がり、当日の朝はすがすがしい天気でした。クラーク像も朝日に映えて、素晴らしい光景。2段目の写真は会場の玄関前で引きつっている永谷君です。この後宮原先生も到着しました。

学会は北大の小杉康会長の挨拶で始まり、7件の遺跡調査報告が続きました。夏に私の学生が多大なご迷惑をおかけした利尻富士町教委の山谷文人氏も報告に立たれていて、我が学生達の後姿がスライドに映されるたびに脇の下から汗がにじむ状態でした。報告完了後には、直ちにご本人に夏のお詫びをしました。その際には内山先生も隣にいらっしゃったので、若干は気が楽でしたが。

などと、前置きはそれぐらいにして、肝心の永谷君の発表ですが、7番目の最終。さぞ緊張しているだろうなと思いきや、意外にも落ち着いた様子で聞き取りやすい話ぶりでしたから、まあ及第点だといってよいでしょう。

瀬川拓郎さんからは「過不足なく、かつ問題提起まで盛り込んで学問的に充実した報告」だとのお褒めの言葉を頂戴しましたが、誉めすぎです。
前日にお世話になった西田茂先生からも「面白かった」と有り難いお言葉をいただきましたが、遺跡の内容のことか考察の方向性のことか、捉えきれないもどかしさがありました(いつも穏やかな眼をなさっているのですが、この方のばあい、奥を読めません)。
また広大時代の後輩である帯広市の山原敏朗君からは「チャシの話のはずなのに、まるで古墳の話を聞いているかのようだった」とのコメントでした。そりゃ指導教員が私ですから。
しかし正直にいうと、こうしたコメントには心底嬉しかったりするわけです。

そんなこんなで、取りあえず私も荷を降ろした気分でした。
今年は6月に千色出君が学会発表を終え、K藤さんは学術雑誌への投稿を果たしました。そして今回の永谷君と、私の研究室の院生3名が着実に学会デビューを果たしてくれました。残るは0嶋君。彼もいずれは期待に応えてくれるでしょう。

下段の写真は発表も終わって開放感に浸っている永谷を囲む応援団の写真です。上段は札幌キャンパスの内山ゼミの子分達2名とピースな永谷。下段は研究指導教員の先輩と後輩とに囲まれる弟子です。

とりあえず永谷君、お疲れ様でした。年明けからは概報と、今度は沖縄関連の学会発表が待っていますので気を抜かないように。

そして最後になりましたが、今回の永谷の報告の機会を与えていただいた北海道考古学会事務局の方々には、心から御礼を申し上げます。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

瀬川拓郎さんのブログ「北の考古学」で紹介されていた法政大学での「古代末期の境界世界ー石江遺跡群と城久遺跡群を中心としてー」に参加してきました。
本当は岡山の考古学研究会に行かなければならないところだったのですが、遠いし、こちらのシンポジウムのテーマがどうしても気になるし、大先輩格でなにかとお世話になっている安里進さんにもご挨拶したいし、で、こうなりました。

1日目の今日(日が変わったので正確には昨日)は、南西諸島。喜界島で発見された城久遺跡の歴史的評価をめぐる議論が中心でした。
記念講演や基調報告を含む8本の報告のなかで抜群に面白かったのは、やはり安里さんの琉球国家形成過程の話しでした。遺跡のスライド写真ももちろん有益でしたが、テーマから連想される議論の方向性とのマッチングは安里さんの報告がダントツでした。というわけで、写真は安里さんのお示しになったスライドが中心です。印象的なスライドを2枚アップさせていただきます。特に下のスライドは重要度満点です。キーワードは「2つの口」です。ちなみに江戸時代は四つの口です。

なお安里さんの論争相手である奄美市立奄美博物館の高梨修氏の議論も以前から気にしておりましたので、期待したのですが、今日は修辞に走っていらっしゃる観があって、対立軸の基本(というか歴史認識や空間認識)に立ち戻った論争を伺いたいところでした。

シンポジウムを聞いての個人的な感想を述べると次のようになります。すなわち城久遺跡を大宰府の出先として位置づけ国家的な施設としてみなす方向性を前提とするのであれば、現時点であっても掘り下げるべき側面がいくつもあるはずなのに、そこには踏み込まないまま歴史的意義については印象だけが語られたので、平板で深みのない議論に終始した観がありました。
さらに「なぜ琉球には国家ができたのに奄美には国家ができなかったのか?」などという問いかけが真面目になされたことには唖然とさせられてしまいました。

提示された諸情報をまとめて議論をごく単純化するなら、年代的には琉球国家形成期におけるグスクと城久遺跡(遺跡の読みもグスク)の連動性が指摘できるのです。さらには琉球王朝の成立とともに城久遺跡は歴史的な使命を終えるかのようにもみえるのです。
国家的な施設であって太宰府の出先である可能性すら指摘できるのであれば、そもそも太宰府とは日本の国家にとってどのような性格の施設として成立し機能したのか、そことの連動性のもとで城久遺跡を把握する必要がある、というのは当然検討されるべき課題なのです。そのあたりがまったく問われない議論には、はやり不満が残りました。その反面、バウンダリーとかフロンティアとかの、瀬川さんも駆使する最近なじみの用語だけは頻繁に登場してくるのですから、話しの中身との落差にも驚かされた次第です。

そんなこんなで不満が募ってしまい、シンポジウムのところでは、おもわずでしゃばって会場からコメントしてしまいましたが、おそらく壇上の方々に私の声は届かなかったのでしょう。そしてもしそうなら、このネタは私がいただくことにします。
こういうことにこらえ性がなくなったのは歳のせいかもしれません。いうまでもなく主催者側のご苦労はよくわかるので、以上は気楽な立場の参加者からみた勝手な印象です。

もちろんシンポジウムでの収穫はありました。安里さんに御礼かたがた久しぶりにご挨拶できたこと、高梨さんに初めて直接ご挨拶できたこと、鹿児島大学の新里貴之さんに貴重な情報をいただけたことです。慶応大学の名島弥生さんとK林君に会えていろいろと話しができたのも収穫でした。

北海道埋蔵文化財センターの越田さんも参加なさっていたのには驚かされました。さすがです。

明日(正確には今日)も是非参加したかったのですが、私は残念ながら入試業務です。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

今年の秋の日本考古学協会・大会は、山形を会場におこなわれましたので、金曜日から日曜日まで、これに参加してきました。

大会のテーマは旧石器と縄文と山岳信仰であったためでしょうか。参加者の方々のなかで私が見知っている業界人は非常に少なく、知り合いといえば事務局と理事の面々(それとあと3人ぐらい)でした。

そういえば徳島に居た頃、妻が所属する近世考古学関連学会に出てみたときと、どこか似た気配を感じました。しかしあの頃は、初対面の若い女性から「ご主人も考古学なさっているんですか?」などという問いかけ(というか絶好の会話のチャンス)もいただけたのですが、今回はそれもなし。

いわば完全なアウェー状態でした。そんなわけで、懇親会では白井久美子さんや土生田純之さんらと蕎麦を平らげたり、山形の酒を飲み比べたり、と、アウェー者同士こじんまりと仲良くしてました(会場の蕎麦は本当に旨く、3人ともたちどころに2杯平らげました)。

分科会では、東京大学の辻誠一郎先生のお話が非常に面白かったことと、東北芸術工科大学の安斎正人先生の話しぶりを確認できたことの2点が収穫でした。特に今回、辻先生にご挨拶できたことは幸いでした。積年の課題でしたから。

そしてなによりも、会場である東北芸術工科大学が気に入ってしまいました。
誠によい雰囲気の大学で、本学の旭川キャンパスに通じるものがあります。

なんと入り口を入ったところの壁には、「愛がたりない」「だからこの大学がある」と高らかに謳われていたのです。掴みは抜群で、いいとこ突いてます。

なお図書交換会場で4年のIW崎君に出会ったのには驚きましたが、彼は山形出身で、かつ今回はお父さんの御手伝いだとのことでした。お父さんにもご挨拶できました。

耳学問

イメージ 1

イメージ 2

4日と5日の土日は相模の古代を考える会と東海土器研究会の合同研究会が、わが丹沢山麓大学を会場に開催されました。田尾誠敏さんが本学側の仕切り役で、学生諸君が数名補佐役、という布陣でした。

お越しになる東海土器研究会の3名の方々には昔からお世話になりっぱなしですので、出ない訳にもいきません。
豊橋市美術館の贄元洋さんは、岡大の先輩ですから、私などは借りを作りっぱなしです。麻雀ではよくしごかれました。その後の「型式論」のご研究には多くを学ばせていただいています。尾野さんは目下私たちの研究室の須恵器の師匠ですし、鈴木さんはどんな時代の調査についてもセンスが良くて、私は大学院生の頃からちょくちょくお世話になっています。

そんな方々の発表は、これは聞くに限ります。というわけで耳学問に徹しながら、気楽な学会でしたので楽しませていただきました。

ご参集いただいた多くの方々に感謝いたします。田尾さんも、補佐していただいた学生諸君もお疲れ様でした。

全12ページ

[10] [11] [12]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
flyingman
flyingman
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事