私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

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来週の水曜日12月12日には、アメリカの2大学からパピルス文書の専門家を本学にお呼びし、講演会を開催します。このパピルス文書は、考古学専攻の初代主任教授、故鈴木八司先生の奥様から本学に寄贈された古代エジプト関連資料の一部です。

今後山花京子先生の主導のもとで、これらの資料の保存と活用に向けたプロジェクトが始まりますが、その第一弾として、今回の講演会を開催する運びとなりました。今後、パピルス片のつなぎあわせや解読を本学とアメリカの大学との共同研究として進めてゆくことになります。

興味のある方はどうぞご参加ください。

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きたる10月29日から11月10日までの期間、東海大学旭川校舎において表題の発掘調査成果報告展を開催します。

旭川キャンパス内にあるアイヌ文化の遺跡立岩山チャシ跡の発掘調査の展示ですが、今回の目玉は「土留め柵列」の1/10模型です。調査で確認された樹種をもちい、現在芸術工学部の田川先生と大学院生に作っていただいているところです。柵の材の現物も接合し終えたので出展します。展示場所は1号館の入り口正面にあるホールです。

さらに11月4日午後にはミニシンポジウムを開催しますので、お近くにお住まいの方で興味をおもちの方は、是非お越し下さい。いまやアイヌ文化史研究の第一人者になろうかという気鋭の考古学研究者瀬川拓郎さんをパネラーにお招きしました。著書『アイヌの世界』(講談社メチエ)の後半の章で展開された上川盆地の景観史を語ってくださいます。もちろん考古学側からはN谷君が代表者として参画します。

さらに楽しみなのは、大野先生と田川先生がパネラーとして加わってくださることです。建築学や都市設計、環境デザインの専門家の眼からみたら、チャシはどう位置づけられるのか。私たち考古学側からは発想しえないであろう新鮮なご意見が頂戴できそうです。まことに興味津々かつ楽しみです。こうした異分野の研究者の方々との意見交換こそが新しい視点を生み出すに違いないと思うからです。

今回の展示、雪が降る前にやろう、ということになり、上記のような日時設定となりました。私は11月2日の夜には旭川に入り、3日土曜日には展示解説役と現地見学会の案内役を務めたいと考えています。

以下は、大野先生や田川先生に印刷していただくシンポジウム用チラシの文面です。

       ミニシンポジウム「景観史からみた立岩山チャシと上川アイヌの文化」
       主催:東海大学文学部・芸術工学部・北方生活研究所
       開催日と時間:11月4日(日曜日)午後1:30〜4:00
       会場:東海大学旭川校舎本館2F メディア視聴覚室

       ○コーディネーター:北條芳隆 (東海大学文学部歴史学科考古学専攻・教授)
       ○ 話題提供:
        ① 永谷幸人(東海大学大学院博士課程)
            「チャシはなぜつくられ、柵は燃やさることになったのか?」
       ② 瀬川拓郎(旭川市博物館)
            「上川盆地の景観史」
       ○ パネラー:瀬川拓郎、永谷幸人、
     +大野仰一、田川正毅(芸術工学部教授・北方生活研究所教授)

 東海大学旭川校舎のキャンパス内において、2008年と2009年に東海大学文学部によって立岩山チャシの発掘調査が行われました。石狩川をのぞむこの丘の突端には、堀と木柵がめぐらされたチャシが存在していたこと、さらにその下層には縄文時代の住居跡も眠ることが明らかとなりました。
 大雪山系を源とする幾つもの河川が上川盆地をうねり合流し一本となって、この丘と嵐山にはさまれた狭いとば口から、神居古潭の激流へと流れ込んでいきます。遡上するサケ、急峻な地を行き交う人を見下ろすこの要衝の地に、どのような思いで営みが育まれたのか。自然の恵みと荒々しさに向き合ったアイヌの営みと文化について、最新の考古学の成果をもとに考えるひと時です。


写真はすべて立岩山チャシの調査時に撮影したものです。原稿書きのいっぽうで、本企画の準備のために忙殺されており、ブログの更新もままならず、です。相変わらず気の抜けない毎日を過ごしています。

金銅冠フォーラム2012

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過日、松本市の浅間温泉で開催されたシンポジウムの記事をアップします。その後も原稿と雑用に追われ、アップが遅れてしまいました。

当日は250名の方々が参加されて、まことに盛況だったと思います。朴天秀さんの知名度とパネラーの適切な人選のおかげだといえるでしょう。内容も充実しており、私自身も多くを学ばせていただきました。しかしコーディネーターを仰せつかった身としては、肝心の朴さんの講演内容が冠の問題だけでなく、いわば日韓交流の全体像を描くという大テーマと真正面から向き合うものだったことと、最終討論の時間は開始当初20分しかとれない時間配分でしたので、どう進めるべきかヤキモキしておりました。

しかしパネラーの皆さんはさすが手慣れていらっしゃり、発表の持ち時間をキッカリ守られたばかりか、全体で10分間の前倒しが可能になり、結局本番では討論の時間に30分を確保することができました。しかも討論の際に私が振った話題に的確なコメントをいただきましたので、非常にテンポ良く進められたと思います。パネラーの皆様には、本当に感謝です。

今回、私の唯一の反省点は、朴さんを紹介する際に少しだけ先輩風を吹かせたことでした。この点については懇親会の後に、名古屋からお越しの朴さんファングループからしっかりお叱りを受けました。私の不徳と俗っぽさゆえ、不快な印象を持たれた方々が本ブログをご覧になっていれば、この点について深くお詫びいたします。

二日目は遺跡見学でしたが、そこで卒業生のO木島君に再会できたことは驚きでした。彼は理学部の学生ながら、私の古墳時代講義を熱心に受講してくれたので、印象に残る学生だったのです。今は立派な社会人になり、埼玉から車で駆けつけてくれたようです。彼にも感謝です。

そういえば、私のところの学生にこのシンポジウムの宣伝はせず終いでしたが、内容の濃いシンポジウムでしたので、誘えばよかったと、この点についても少し反省しています。温泉につかりながら古代の文化を語るって、まことにお洒落じゃないですか。

今は来月初旬に旭川で開催するシンポジウムと展示の準備「立岩山チャシの発掘調査成果展」に追われながら、次の原稿を執筆中です。頭の切り替えに苦慮しています。

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来る9月29日―30日には、長野県松本市の浅間温泉文化センターにて、表題の国際シンポジウムが開催されます。

主催は浅間温泉旅館共同組合。市民団体の企画立案ですが、純然たる考古学関連学術シンポジウム。韓国慶北大学の教授、朴天秀さんがメインスピーカーとなって、松本市桜ヶ丘古墳出土の金銅冠がどのような歴史的意義を有するのかについての講演を行い、それに応じる形で5名のパネラーが登壇するのです。

さらにそれだけでなく、長野県考古学会の元会長で本県の古墳時代研究をリードなさってこられた桐原健先生が、松本市周辺の古墳時代の様相を朴さんの講演に先立って解説するほか、翌30日には桜ヶ丘古墳を含む周辺の古墳をバスで巡る、という気の利いた趣向です。

5名のパネラーは次の面々です。

    朝野良治氏(福井県永平寺町教育委員会)
    高橋浩二氏(富山大学)
    前原 豊氏(群馬県前橋市教育委員会)
    内山敏行氏(栃木県埋蔵文化財センター)
    片山裕介氏(NPO法人文化保護活用機構)

北陸と関東在住の研究者ですが、見事なまでに蒼々たる面々です。

対照的に、不肖私がコーディネーターを務めることになりますが、そうなった経緯はこうです。

7月中旬のとある日の午後、職場に国際電話が入り、出てみると朴さん。「H條さん、久しぶり。9月29日から30日は空いているか?」。慌てて手帳を繰ってみれば、かろうじてそこだけ空白。「まあ…ピンポイントでその週だけ空いているけど…いったい何?」。「松本で古墳関係のシンポジウムをやるのでコーディネーターをよろしく」。「エエ−!いったいどうしたの?」。

朴天秀さんのことですから、一事が万事これです(阪大に居た頃に2年間一緒だったことと、私が偶然長野県出身だったことが縁となりました)。パネラーの人選も既に済んでいるから、シンポジウムの進行役だけでよいので来て欲しい、とのことでしたが、スケジュールが偶然空いてて良かったのかどうか。とはいえ、よくぞこれだけの面々を揃えたものだと舌を巻きました。

ちなみに、私はこの電話を受けた時、この企画は松本市教育委員会が主催するシンポジウムだとばかり勘違いしていて、よくぞ国際シンポジウムなどという大規模な企画が通ったものだと感心していたのです。ですから、追って市教委の方からメールなり電話なりが来るだろうとも。

しかし蓋を開けてみれば、温泉旅館組合と市民団体の主催するシンポジウムだったのです。市教委は後援という位置づけでしたから、二重の驚きでした。真に画期的な企画だというほかありません。

そんな次第で、先週22日には、本企画の広報活動の一環として、記者会見にも参加してきました。写真の記事は、翌日の「市民タイムス」に掲載された紹介記事です。これも偶然、四賀地区の長居原遺跡の調査のお手伝い中でしたから、現場から市役所まで車を飛ばせば35分。こうも偶然が重なるというのも珍しいかと。

ちなみに、話題の中心となる松本市桜ヶ丘古墳出土の金冠については、詳細な資料分析報告書が「長野県遺跡資料リポジトリ」から公開されております。過去のデータも網羅されていて真に便利です。専門的な見地から興味のおありの方は、こちらをご覧下さい。古墳の所在地は長野県松本市浅間温泉飯治洞1315番ですから、なぜ会場が浅間温泉なのかも、これでおわかりいただけるかと思います。

           http://rar.nagano.nii.ac.jp/metadata/321

本国際シンポジウムの詳細は主催団体である浅間温泉旅館共同組合のHPをご覧下さい。参加申し込み書も下記からダウンロード可能です。

           http://www.asamaonsen.com/event/kondokan_back.pdf

なおパネラーの方々のプレゼンですが、持ち時間は15分しかありません。朴さん自身の後援も35分に圧縮されていますので、パネラーの皆様、どうかあしからずご了解ください。その代わりに、「日韓食文化交流」などの仕掛けも用意されていますし、お泊まりは是非浅間温泉で、ということになり、異色の学術シンポジウムになることは間違いないものと予測しています。

唯一の問題は私でしょうか。西表島の調査を終えて、秋学期の始業関連業務を終えたばかりの頃(だから週末は空けておいたわけですが)。この間に台風15号のような猛烈な災害に見舞われないことを祈るばかりです。

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第4弾はようやく先週の話へと漕ぎ着けました。去る5月27日に立正大学で開催された日本考古学協会の総会にて、表題のセッションを開催する運びとなったのですが、無事その第一段階を終えることができました。

趣旨説明と司会進行役を務めて頂いた田崎博之さんのおかげで、各報告の要点は適確にまとめられ、テンポ良く展開したと思います。実は金曜日も福岡の会でご一緒したところですが、そこは、いざというときの田崎頼み。私のように、ともすれば先鋭化してしまうこともなく、勘所を押さえながらも安定感あふれる司会ぶりで本当に助かりました。

報告に立っていただいた4名の方には、それぞれの立ち位置からの本プロジェクトへの思いを語っていただき、多面的な掘り下げになったかと思います。また会場からの反応も比較的好意的なものと受け止められました。

そして圧巻だったのは、最後のコメントを無理矢理お願いした島根の渡辺貞幸先生。聞けば渡辺先生が島根大学付属図書館長であったときに始まったリポジトリプロジェクトで、ご当人は創始期の当事者(というか責任者)だったとのこと。リポジトリに実際にアクセスしてみることがなによりで、ともかく触って試してみることが、本プロジェクトが認知され、広がってゆく第一歩であると、テンポよく切れのよいコメントでまとめてくださいました。渡辺先生にも感謝です。

ポスターセッションでも植田さんが本プロジェクトを扱ってくださり、反応は上々だったようですし、藤波さんの話では、IPADを出して電子書籍となった報告書が映し出される様を実際にお見せしたら、年配の方からも好反応だった、とのレポートを聞かせてくれました。私は午後目一杯司会進行役で部屋を出られなかったので、その様子を見られず、残念に思いました。

私の西表島関連発表も早朝にあったので、なんとかこなし、それは忙しい一日でした。サンドバックのような理事会のお役目もこれでようやく終え、一息です。


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