私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

学会・研究会

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

昨日5月6日には、名古屋大学大学院生の市川彰さんによる表題の調査報告会が14号館を会場に行われました。参加者は学内から考古学専攻生20名程度、学外からも卒業生1名が参加してくれました。

エルサルバドル共和国における既往の考古学調査の概要や、内戦終結後の展開が紹介されたのち、市川さん自身が主体的に調査を進めているヌエバ・エスペランサ遺跡の調査プロジェクトの成果と今後の課題について話してくれました。

この遺跡は土器製塩遺跡ではないか、との仮説を市川さんは抱いており、現在はどのような詰めの調査を今後行うべきかを模索中だとのことです。映像を通してみる遺跡の状況は、私にも興味深いものでした。特にパワーポイントで映し出された画像のなかに土器片が分厚く堆積した土層断面写真があったのですが、そこに重ねて「喜兵衛島か?」とのテロップが出されたのが強い印象として残っています。参加者からも数多くの質問や意見が出され、盛会だったと思います。

この発掘調査の経費を稼ぐために、市川さんはミスタードーナッツでのバイトに明け暮れたそう。手弁当での海外調査です。そのたくましさには頭が下がりました。

その後の懇親会はレッドエプロンで行いましたが、そこでも大いに盛り上がり、彼の調査に加わる学生がM崎君以外にも出そうな予感すらしました。私が帰宅した後にも市川さんを含む数名はM崎君の下宿に会場を移し、結局本日朝5時まで飲んでいたそうです。彼らのエネルギーを羨ましく思います。ともかく市川さん、ご苦労様。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

遺跡調査報告会開催のお知らせです。

メソアメリカ文化圏の南東部に位置するエルサルバドル共和国。そこに所在するチャルチュアパ遺跡群を中心とした考古学調査の報告会を下記の日程で開催します。報告者は名古屋大学大学院博士課程の市川彰氏です。市川氏が現地で行った興味深い調査成果を報告してくれます。特に在学生の皆さんは振るってご参加ください(写真は当該調査地近隣所在の関連遺跡で、報告される遺跡とは性格が異なりますのでご注意くださいー4年生の松崎君撮影)。

開催日程等は下記のとおりです。

    開催日:   2011年5月6日(金)
    場所:   本学湘南校舎 14号館−406教室
    開始時刻: 午後5:30から
    報告会の終了後には駅前にて簡単な懇親会を行います、こちらにもご参加ください。

なおレジュメの関係もありますので、学内の参加希望者は考古学専攻4年松崎まで連絡してください。学外の方は北條までご連絡いただければ幸いです。
    0463-58-1211代表(内線3101ー考古学第1研究室)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

岡山の考古学研究会では通常の研究集会を7・8月に延期し、代わりに23・24日の両日「東日本大震災に直面して」と題する緊急フォーラムと総会を開催しました。

23日には東北大学の藤沢敦さんが駆けつけ宮城県の現地からの報告をなさり、そのなかでは津波痕跡が過去の発掘調査で確認されていたのに、その事実をどこまで地域社会にアピールできたのか。この点を顧みたとき自責の念を抑えられないとの趣旨の発言をおこなったそうです。また岩手県からは佐藤嘉広氏もお越しになり、現地の文化財関連の被災状況を報告なさったとのことです。

伝聞形なのは、私は別の学会の理事会のために23日のプログラムには参加できなかったからです。ただし午後9時過ぎに情報交換会(懇親会)の席に駆けつけたときには、友人・知人達は皆口々に藤沢さんの報告に深く感銘を受けたと話してくれましたので、相当なインパクトを伴う意義深い報告だったと確信しました。そのときには既に藤沢さんは帰路についていたようで、今回もお会いできずじまい。残念でした。

後の2次会でも、その話題が続いておりました(春成先生と話し込んでいたので2次会にも遅刻)。30代・40代の若手の世代が考古学と現代社会の関わり方について熱心に語り合っているのを目の当たりにし、考古学研究会の良さを再認識させられたところです。会場には150名ほどが参加されたとのこと。研究発表ではないので参加者がどれくらいになるか予測がつかず、実行委員会も気を揉んだようですが、予想以上の参加者を得てなによりでした。

この2次会では神奈川県から伊勢原市の立花実さんと神奈川県立釜利谷高校の西川修一さんが参加されていたのですが、特に西川さんとは岡山のこの会でしかお会いしないことが多く、定例顔見せ会のような趣を呈しています。

その後はポスターセッションで発表を行った永谷幸人君と午前2時前まで柳川筋近くの飲み屋で飲みました。日中の印象を聞くと、藤沢さんの報告は確かに強く、重く受け止められる内容ではあったものの、それをすくい上げつつ今後を見据える方向性に沿った意見が、進行側からも参加者からも結局出されることがなく、収束の仕方には少しばかり満たされなさを覚えたとのことでした。彼ら20代の参加者には、この深刻な事態に直面して学会としては今後どのような共通テーマや研究課題を打ち出すか、という指針の開示ないし示唆に期待する空気があったようです。

なお2次会の席で各地の研究者に自己紹介する際には、私の本ブログに登場する「N谷です」との紹介の方が通りは良かったそう。「ああ!君がN谷君か!HOJOさんの元だと何かと大変だね」といった同情すら頂ける様子。徳島文理大学の大久保徹也さんは、本ブログを有害サイトのひとつに指定しているのだそうですが、有害であろうが無害であろうが、彼を除く研究者の方々に広く読まれているのは何よりです。今度文理大の学生さんに合ったら宣伝することにしましょう。

翌24日の本日は、岡山大学の今津勝紀さんと芦屋市教育委員会の森岡秀人さんのお二人からの報告がありました。今津さんの報告は8世紀後半の震災記録を取り扱い、その救済措置の概要や、古代律令体制の瓦解に背中を押すことになった地域社会の崩壊についての紹介でした。森岡さんは阪神淡路大震災後の復興過程における埋蔵文化財保護のありようの報告。予定時間は超過したものの、両日報告いただいた方すべては、依頼からたった2週間しか準備期間がないという過酷なスケジュールであったにもかかわらず、充実した内容の報告をいただき、現状を認識するという意味で真に意義深いものだったと思います。写真は岸本・菱田両代表と本日の2名の報告者です(登壇順)。

ところで会の終了後には、代表委員の岸本道昭さんと庶務代表の大久保さん、そして岡山大学の新納泉さんとで遅い昼食をとりました。そこでの話題は、若い世代の感覚とのズレ。発想や着眼点の乖離でした。30代の若手研究者の感性や感覚におそらくついていっていない自分を、それぞれに自覚し始めているのです。

そういえば私も30代の頃、当時50代であった団塊世代の研究者の発想に違和感と怒りを覚えていたことを思い出します。それがエネルギー源だったことも。だとすれば攻守ところを替えて立ち位置が逆転しただけで、今後は私達の世代が旧泰然たる古い感覚を体現するという図式になるのかもしれません。もちろん間違いなくいつかはこうした事態が到来するはずです。しかしながら既にそうなっているとしたら、恐ろしい話です。まあ私の場合は、もう少し前から「私の常識は学界の非常識」、「私の見識は学界の不見識」を自覚もし、今回の理事会でも昨晩の2次会でも再確認させられていますので、乖離については慣れています。とはいえ「古い」と言われることにだけは恐怖を覚えます。

目下、北海道プロジェクトの再申請書類の作成を抱えているので、今回はポメラではなくMacbook・airを携えて岡山に出向きました。重量もさほどではなく軽快な動作で助かっています。
                         (帰りの新幹線にて、ビールを傾けながら)

イメージ 1

表題は豊橋市の贄元洋さんが主催する考古学セミナーの第4回目のテーマです。かつて私は「論文の読み方」という小文をしたためたことがあります。そこに欺瞞(というか手ぬるさ)を敏感に読み取った贄さんは「論文の書き方」という小文を綴り、東海地方在住の若手研究者との間でこのセミナーを始めたと伺っています。

贄さんらしくどこまでも先鋭的で、歯に衣着せぬ批判的精神が前面に押し出され、かつ非常に魅力的なセミナーであるように拝察されます。次回は第5回だそうですが、私も常々3年生向けの講義「考古学研究法」で引用させていただいている贄さんご自身の著作「型式と様式」(『考古学研究』第38巻2号―通巻150号,1991年)が次回のテキストになるようです。

贄さんから送られてきた趣旨説明のメールには感銘を受けましたので、以下、真に勝手ながら転載させていただきます。

 この論文に明らかな矛盾や飛躍が見つかれば、直ちに修正するだけです。そしてそれは、研究を次の段階に進められるということですから大変喜ばしいことだと思います。だれが書いた論文でも同じだと思いますが、書いた本人は矛盾が無いと思って書いています。つまり、書いた本人には矛盾や飛躍はわからないということです。だから、他人の批判に誠実に耳を傾け、その批判を分析して、正確に反論することが歴史の真実に迫る最短の方法になるわけです。
 もし、歴史の真実を知りたいのなら、「真実は自分の脳の中には無い。」と考える謙虚な態度が必要です。もっとも、歴史の真実なんかはどうでもいい、論文という個人的な業績が数多く手に入ればいいと考えている者には、自分の論文に対する批判は、自分の業績に傷をつけるだけの邪魔者でしかありません。当然、そんな批判には耳を傾けず、批判しない仲間たちと賞賛し合い、業績の創り合いをしていたほうが得な訳です。残念ですが、日本の考古学界の中には、そういうグループが存在することも事実です。
 論文を書くということには、明確な目的が必要です。その目的が、「歴史の真実を明らかにする」ということなのか、あるいは「個人の業績を創る」ということなのかは、論文を書いた本人が、自分の論文に対する批判に、どのように対処しているかを見れば、一目瞭然でわかってしまいます。論文を書くということは、自分自身の知的好奇心を満足させる、「極めて高度なゲーム」だと考えています。もちろん、そこには「社会に対する責任」というものが存在します。

論文に対する真摯な姿勢が浮き彫りにされた胸を打つ文章ですし、まったく同感です。また後段の現状に対する痛烈な批判にも異論を差し挟めません。

もちろん、私の論文もしっかり批判の槍玉に挙げられていたようで、送られてきた前回の資料の末尾には、「北條論文は無効ではあるが、書く意義のある論文」と処断されておりました。無効なのに意義がある、とは微妙な評ですが、私の論文と比較された近藤義郎先生の論文の方は「有効であり、書く意義のある論文」となっておりましたので、どの論文のことかは不明ながら、抗弁したいという意欲がふつふつと沸き起こってきました。

「論文とは全人格的な思想の営みである」という吉田晶先生の言葉を格言として抱く私には、歴史には描く者の視線に応じてそれぞれに真実があり、またいっぽうでは、歴史観ないし歴史認識それ自体への問いかけが現在はもっとも重要な局面ではないかと考えるものですから、贄さんのいう有効か無効か、との評価基準の大元がどこにあるのか、気になりました。とはいえ、直接対峙してみないことには埒があきません。

相当手強そうですが、次回以降の開催日に都合がつけば、参加してみたいと思います。

今年の東海大学史学会

イメージ 1

イメージ 2

今度の土曜日、7月3日には東海大学史学会の大会が湘南校舎14号館1階の103教室で開催されます。

考古学の発表は永谷幸人君です。河野裕美先生や私との連名になっていますのは、沖縄地域研究センターに支援をいただき、私の科研費との関わりの中で進めている研究の一環だからです。もちろん、永谷君が実行役を担ってくれているので、ファーストオーサーは彼です。

網取遺跡からは先島先史時代5世紀の貝塚と、近世17世紀以降の貝塚とが重なる状態で見つかっているのですが、貝の組成やそれぞれの貝種の生息域を整理し傾向を出したうえで、現代の西表島の飲み屋裏に残された「貝塚」や公民館裏に残された祭りの後の「貝塚」の組成をみ、採取者への聞き取り調査によってそれぞれの「貝塚」の形成要因を探り、それをヒントに先史貝塚、近世貝塚の形成のされかたを考察するというものです。そうした分析結果を基礎に、意表をつくことになるかと思いますが、捕食圧の問題に迫れるという仮説を報告してくれます。

後半の現代の「貝塚」組成調査については、悔しいことに私や永谷君のアイデアではなく、河野先生のアイデアなのですが、まさしく民「俗」考古学の実践だといえましょう。このアイデアをお聞きし、即座に永谷君には西表島に飛んでもらいました。2年前の7月のことです(本人からのコメントにより6月が正解)。

灼熱の炎天下、シラナミガイの同定と計測に励んでくれた彼の作業が、ようやく活かされそうです。

下段の写真は、ヒメジャコが圧倒的多数を占めるという奇妙な先史貝塚の調査時のものです。こちらも2年前の9月、灼熱の炎天下、貝の出土状態を影のなくなる昼前に撮ろうと「高撮り君」に登ってはみたものの、「こりゃダメだ!実測を先にやろう」と、下にいたM本君とS川さんに指示し、写真撮影をあきらめたときのショットです。


.
flyingman
flyingman
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事