私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

本と論文

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夕凪の街桜の国

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少女の頃ヒロシマで被爆し、年頃になるまで苦悩しながら生き23歳で死去した一人の女性の物語が核になっています。原爆後遺症の残酷さについては、これまでにもさまざまな小説や映画、そして漫画を通じて語られてきました。しかしここまで感情表現が抑えられながら、読者の感情を強烈に揺さぶる作品はないのではなかろうか、と思います。

夕凪の街自体はたった35頁ですが、平野皆実(主人公)が死の間際に独り言として語る次の一節には激しい衝撃を受けました。


「十年経つけど 原爆を落とした人はわたしを見て 
                  『やった!またひとり殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」

漫画の表現が、ときに小説や映画を超えることもある、ということを実感させられた作品でした。余韻の質や性格は、詩や短歌に近いのかもしれません。

20数年前ですが、私が大学院修士課程の頃、皆実の住むバラック建ての長屋があった一帯の元安川対岸で広島県埋蔵文化財センターと教育委員会とが発掘調査を実施したことがありました。原爆投下後の街一帯を写した写真の中に「この下に二十人を埋めた」旨の立て看板が写り込んでいたことが判明したからでした。

同級生であった村上君(村上恭通さん)と、なんとかお手伝いしたいと現場に向かったのですが、厳重な仕切りが張られていて中の職員さんに声もかけられず、結局かなわなかったことを巻末の地図を見て思い出しました。

邦題ウェールズの山

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本や論文だけでなく娯楽映画にだって考古学的思考のネタは豊富です。
というわけで、今回は邦題「ウェールズの山」、原題“A Englishman who went up a hill but came down a mountain”を紹介しお勧めします。特に古墳時代の研究を志望する学生諸君には必見の映画だと強調しておきます。もちろん、私の部屋にあるビデオ「月輪古墳」とセットで立て続けに観ていただかなくては、私の真意は伝わりません。きわだつ対称性を楽しんでいただきたいのです。

さてこの映画の内容は、といえば、第一次世界大戦中のウェールズの小さな村とその前面にそびえる山フェノン・ガルウが舞台です。村はずれには炭坑が操業中だという設定です。そこに王立測量会社の二人の技師(英軍退役将校)がやってきて、軍事施策上フェノン・ガルウの標高を測り直すと村人に告げて測量をおこないます。しかし山と認定するには6m足りず「丘」に格下げだという結果がでます。

イングランド人の侵入を長らく阻んでくれたフェノン・ガルウに深い愛着を抱いていた村人は、この測量結果に激怒します。彼らのかけがえのない「山」は再びイングランド人によって、今度は地図上からも奪われてしまうというわけです。最高に激怒した村の老牧師を指導者として、「山」と認定されるには足りない6mを村人全員で盛り上げて山として認定させよう、ということになります。しかも土を山裾から山頂まで持って登るのです。

結局村人総出で6mのマウンドを山頂に積み上げきるのですが、完成間際に指導者の老牧師が倒れ、その遺骸は彼の遺言によって、完成間際のマウンドに埋められることになる、という筋だてです。

測量技師の一人はヒューグラントですし、彼に再測量させるべく色仕掛けで引き留める役をタラ・フィッツジェラルドが演じる、といった蒼々たる布陣で、台詞回しも軽快でコメディー映画としても一級品です。またバーニア読みの実際のトランシットが登場し、その操作法をヒューグラントが解説する場面などは、測量機器オタクには垂涎物ではないかと思います。

なによりも私が感動したのは、「民衆の力だな」(映画月輪古墳の中の台詞)といわれるところのそのエネルギーの源泉とは何かを見せつけられたことでした。民族意識の鼓舞と結集そのものです。さらに暁どきに執行される老牧師の埋葬の場面などは、首長の誕生祭そのものではないか!と唸ってしまいました。さまざまな意味で楽しめますし、かつ学ばされます。私にとっては最高傑作な映画です。

しかしこの映画には私も引っかけられました。映画の最終テロップでは、この話しが実話であることがほのめかされていたのです。早速、現地はどこかと真剣に探しました。しかし実際のところはフィクションだったのです。

とはいえ、引っかけられたのは私だけではなかったようです。映画のロケ地となった丘の上には先史時代の墳丘墓(Barrow)があって、映画ではそれを老牧師が眠るマウンドに見立てた撮影を敢行したようなのです。しかし映画の封切り後に、その場所を訪れる観光客が後をたたないものですから、立ち入りについて文化保護当局が異例の勧告を出した、との記事もネット上で見つけました。

考古学とは色々な意味で因縁深げな映画です。

サンゴ礁の景観史

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慶応大学名誉教授でいらっしゃる近森正先生が編集された論文集です。先生ご自身が執筆された論文が核になっていることはいうまでもありません。私が西表島で2002年度から継続してきた調査に、改めて指針を与えてくれた著作です。

西表島の調査に最初から参画していただいていて、かつ先生のお弟子さんでもある名島弥生さんから昨年の初めに紹介された本です。引きこまれるように読みあさり、脇に汗をかきながら(内容のすごさゆえか、沖縄への飛行機のなかで読んだからなのかは覚えていませんが)、またところどころで唸りながら一気に読破した記憶があります。改めて近森先生の眼差しの偉大さを再確認させられました。

この本がなかったら、私の「大和」原風景も、瀬川さんとのコラボで進め始めた「景観史」的な把握という見方も、当然生まれなかったであろうと思います。

なによりも、本学沖縄地域研究センターの河野裕美先生が本書を絶賛した点は特筆すべきでしょう。鳥類研究の専門家であり生物学分野のさまざまな研究を調整差配している氏が絶賛するというのは、ただ事ではありません。いまや名島さんとN谷君とK林君、そして私にしかピントこない台詞かもしれませんが、そうなのです。

西表島での調査に入る学生や教員にはひたすら厳しいものの、同時に学問的感性にはとりわけ鋭敏な氏が手放しで「面白い!」という以上、その言葉は素直に受け止めるべきです。印象深かったのは、河野先生が本書の目次を一瞥しただけで「このセンスは只者ではないよ!」と、あの鋭い眼光をキラキラさせながら言い放ったことです。
準備された心(prepared mind)ともいうのですが、思考が研ぎ澄まされてくると、題目をみただけでもピンとくるものがある、という状態です。近森先生の論文の題目には、そのようなセンスの良さもにじみ出ています。もちろん、即座に持参した本著をお貸ししました。

こうした反応は、本書が個別専門分野の垣根を超えた普遍性と説得力をもつからにほかなりません。

実は本学の学生諸君が今年の夏の調査に向けた自主学習会で、この本をテキストにしていることを今日知りました。なかなかやるじゃない!と誉めてあげたい気分になりました。

良著に学びましょう。

西郷信綱氏への共感

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現在、文明学科の田尻先生のところで読み進めている『古事記注釈 第四巻』の巻末に、故西郷信綱氏のコラムがあり、その内容に感銘を受けましたので紹介します。
コラムの表題は「補考 神代とは何か」(西郷信綱(1989)です。

ここでは神話と過去と歴史的時間の問題が取り扱われ、津田左右吉の記紀批判にはじまる近代的論理と解釈の方向性が批判されています。ここで故西郷氏が着目するのは、神話における歴史的時間感覚の不在です。だから神話とは今に響く系譜を再確認するための独立した表現形であり、歴史的時間感覚のなかで語られる過去との峻別が不可欠だと述べるのです。

つまり「記紀の神代の物語と神代史と呼ぶのを止めなければならぬ。それはいかなる意味においても史ではなく、史のかなたに存する超歴史的・無時間的世界である。史でないからこそ、つまりそれは神代なのであって、時間のこうした古代的構造を無視し、史でないものを神代史と呼んだのが、近代の研究の躓きの石であったと思う」(202頁)。と述べるのです。それを史とみなしたために思想上の構成物と処断されてしまったのが、津田左右吉にはじまる記紀解釈だというのです。

またこうも言い添えらえています。「これ(「愚管抄」や「大日本史」など後代の歴史書ー筆者挿入)に比べると、古事記の態度は一貫して非歴史的・神話的である。そこには歴年という単位がなく、時間の長さはすべて系譜によって測られている。神代も対象化されるべき過去としてではなく、今と包み合う聖なる現在形として存在する。ー中略ー だがそれはむろん、古事記には歴史性が刻印されていないという意ではない。古事記は歴年をもたぬ神話であることにおいて、まさしく歴史的なのだ」(203頁)と。

引用箇所の最後の一文はいささか強引な附会であるかにも読めますが、ここで主張されている見方が、やがて神野志氏や水林氏に引き継がれたのではないか、と改めて考えさせられました。この時間感覚の問題については、大和水稲農耕民の抱くそれとして、私も別途考え始めています。

記紀神話と王権の祭り

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私が改めて紹介するまでもないほど著名な水林彪氏の意欲作かつ力作です。
私は昨年まで奈良女子大学のCOEに、ときたま誘われて参加していたのですが、その席でご本人にお目にかかることができました。私の稚拙な「巨大前方後円墳の誕生」の話しも、水林報告の前座としてですが、お聴きいただきました。シンポジウムの際には、非常に鋭い洞察力と、高い論理構成力をお持ちの方であることを再確認させられました。著作から想像した像と、実際の本人像とがピタリと一致する希有な例かもしれません。本著にサインをしていただく機会を逃してしまったことは悔やまれます。
 
学生時代には、故西郷信綱氏の一連の著作に導かれて『古事記』の世界を学びました。私の恩師近藤義郎先生の著作のなかでも頻繁に引用されていたのが西郷氏の著作のひとつ『詩の発生』だったことがきっかけです。大学院生の一時期は、西郷氏の著作を片っ端から読みあさったこともあります。

さらに『古事記注釈』については、現在でも文明学科の日本思想史を担当されている田尻祐一郎先生の大学院の授業にお邪魔して、一受講生として毎週水曜日の4限に読み進めてもいます。私にとって、雑務に追われる日常業務のなかの貴重な清涼剤です。

なお現在の古事記研究は西郷氏が導いた方向性からの大幅な修正が生じており、その新たな方向性を主導する代表的研究者は神野志隆光氏です。神野志氏の論考はNHK出版や各種の新書でも刊行されているので、比較的入手しやすいと思います。基本的な視座は、叙述される個別の事柄の解釈にとどまることなく、背後に作動している全体構造を見直すべきだ、というところだと思いますし、天皇制へと収斂される一貫した論理が構造化されている、と主張しています。

そして水林氏の論考は、この神野志氏の視座を継承しながら、しかし神話の構造それ自体をどう把握すべきか、について真っ向から対立するものです。神野志氏の分析にたいする鋭い批判や、論理的な記述の展開には目を覚まさせられるものがあって、全章を通じ緊張感みなぎる著作になっています。

本書を通じて、天皇制の骨格(本義)とはなにか、という歴史認識に関わる学問的な営みを『古事記』を通じて行うことの魅力と醍醐味を、そして学問的真理に到達するまでの論証過程において、いやおうなく醸し出される緊張感を味わうことができるはずです。

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