私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

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本日7月21日は、思い出深い日となりそうです。先の記事で書いたとおり、ゴホウラ貝輪の再現実験を完了し、目途がつきました。参院選挙の投・開票日ですので、今後の日本社会の動向を占う節目となりそうです。

それよりもなによりも、久しぶりに娘が帰省し、前夜から今朝にかけてのたった一晩ですが、自宅に滞在したからです。

ともかく、再現実験の終了と娘の元気な姿に安心し、独り祝杯をあげました。

肝心の娘は、といえば、夜行バスで東京に到着した後、森美術館やら○○美術館やらをめぐり、高校時代の友人とどこかで落ち合って、その後は秦野に戻ってコーラスの練習に参加したようです。帰宅後は深夜まで、パソコンを通じたTV会議というのでしょうか。大学の友人数名と熱心に語らっていました。来週のプレゼンに向けての打ち合わせだと言ってました。

私と妻は吹き抜けの2階に寝ているので、1階にある居間での会話は筒抜けなのですが、寝耳に入ってくる会話は、たしかにプレゼンに向けた下打ち合わせそのもの。こんなグループ間の討議もあるんだ、と感心しつつも、いつしか寝入ってしまいました。

明けて本日は、秦野市民会館で開催された合唱祭に、ジュニア・エコーズというコーラスグループのOGメンバーの一人として参加し、終了後はそのまま大学に向けて新幹線で帰るとのこと。久しぶりの一家揃っての朝モス後に会場まで送りました。その後、私はひたすら貝輪の再現実験に向き合ったという次第。夕刻には、娘が無事下宿に帰り着いたとの電話連絡を受けた、と妻から聞かされ一安心。

参院選は、といえば、選挙区で最後まで残ったのはわがご当地の神奈川選挙区。日付が替わってもなお最後の1議席が確定せず激戦の模様。やや劣勢なので気を揉みます。原発問題が争点から外された観のある今回の選挙でも、東京では「反原発」の声が議席に結びついたとのこと。今後両院とも多数派を占めることになる与党にとっても、こうした声の重みに気づいて欲しいと願います。

妻も早々と寝てしまったので、一人グラスを傾けているうちに、本日の成果と対面したくなり、これまでの作品をテーブルの上に並べて(個別作品を製作した際の思い出共々)見入っていました。現在、奈文研に「出張中」の1点含めると、今回は5点目(表裏を個別にカウントすると7点目)の作品となります。

5月9日、記念日

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この日は私たち夫婦の結婚記念日です。40代前半の頃は二人とも忘れてしまうことが多く、数日たってから、どちらかが(大抵は妻の方が)気がついて「あー今年も忘れた!」となるのが当たり前でした。

しかし、最近はなぜか数日前から二人とも意識の上に登るようになり、どちらからともなく気にするようになり、特別な日というでもなく祝杯を上げることが多くなりました。これも歳のせいでしょうか。

今年はレストランでも予約して妻を駅にまで出迎えて、という予定でしたが、外食だと私が呑めないので、結局は私の手料理で22回目の結婚記念日を祝おう、ということになりました。

どうということのない料理ですが、昨年末に学生が持ってきてくれたキャンティ・クラシコを開け、自宅で祝杯をあげました。

連休の後半

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この5月の連休後半は、庭の草取りと柵づくりに専念しました。3月・4月は、4本の原稿に追われてきたため手が回らなかったので、雑草は元気よく生え、薔薇にもすでに黒星病が発生しアブラムシもつき放題。東の庭はまさしくインセクトピア(映画『アンツ』より)の状態でしたから、彼ら細菌や虫たちにとって恐るべき災害をもたらした、という次第です。

期待するでもなく期待していた娘の帰省の話はいっこうにないので、携帯に電話を入れてみれば「なに?元気でいるよ。部活で忙しくて帰れないから。これからインカ展覧に行くの。じゃあね!(ガチャン…携帯を切る音)」。ということでした。確かに私自身も例年は忙しく、長野の母の顔をみに帰るでもなく原稿に追われていましたから、親の心子知らずとばかりはいえません。当の母も太極拳の指導にあちこち走り回っているようで、なによりです。やむなく妻と庭仕事となりました。

南の庭で今年作ったのは池の柵。一昨年の秋に出雲大社(秦野)の縁日で掬ってきたといって、娘が私の誕生日プレゼントにくれたのは小さな鯉6尾でした。ところがその後1年間のうちに1匹・また1匹と姿を消し、その理由がわからなかったのですが、妻の目撃によって、猫が原因であることが突き止められたのです。夜半に池の縁に陣取って魚獲りをするのだそうです。

このエリアはポチの侵入を禁止していたこともあり、ポチの老齢化によって猫に興味関心を示さなくなったこともあり、南の庭やポチの餌箱も猫ピアになったままだったようです。うかつでした。

最後に残ったコメット1尾と鯉1尾だけはなんとか救えないかと思っていましたが、一昨日、とうとうお気に入りだった4歳のコメットも姿を消してしまったのです。そこでこのような柵をしつらえることと相成りました。夏にはポチが朝の涼をとるため南の庭を開放しますが、それまでの暫定的措置です。

4日午後からは二人で海老名へ出かけ、映画鑑賞。『舟を編む』を楽しみました。ストーリーは12年かけて作り上げる辞書の編纂事業。後味も良くなかなかです。

こうして今年の連休は終わりです。とはいえ、『西相模考古』の編集担当の立花実さんには今回の原稿で大変ご迷惑をおかけし、図面のサイズや解像度の問題でお手間を取らせています。いつものこととはいえ、わがままを申しあげるばかりで申し訳ありません。

本日夕方には大西寿男君が来てくれるとのことで、昨晩は鹿肉を燻製に仕立て、スモークドローストビーフを作りました。編集に忙殺されているはずの立花さんには誠に申し訳なく思いつつ、我が家の周辺には、まったりとした春の時間が流れていました。

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昨日まで一泊二日の旅程を組んで、妻と伊豆半島にでかけてきました。幸い好天にも恵まれて良いドライブ小旅行となりました。我が家なりのディスカバー東海です。

一日目は三島大社参拝から始まり、三島の街路を散策したのち、松崎町雲見温泉までを中伊豆経由でドライブしました。

三島って、じつはほとんど縁のなかった街でしたので、様子をまったく知らずにいましたが、実際に訪れてみると、そこは清流がいたるところに流れる清涼感に包まれた街路。良い雰囲気の街の様子に少し感動を覚えました。こういう雰囲気の街なら、絶対に住んでみたいと思うはずです。ところで、うなぎ屋が目立つのはともかく、なぜか三島界隈には蕎麦屋も数多く、結局昼は蕎麦。

その後は中伊豆を通って南下し、松崎町雲見温泉までのドライブ。そこに林立する民宿のひとつに宿泊しました。行くまで二人とも知らなかったのですが、この漁村が母体となって発達したとおぼしき温泉民宿街は、ごく最近放映されたTVドラマ「とんび」のロケ地でもあったとのことで、確かに三島とはまた異なった、昭和の趣に包まれていました。

おだやかな夕方の浜辺散策に向かう妻を尻目に、私はいきなり布団を引っぱり出してしばし熟睡。というのも前夜は朝の3時半頃まで、次回の「西相模考古」特集号に載せてもらうための原稿を書いていたからです。初稿ができあがったので、ひと安心して出かけて来たのですが、やはり襲い来る睡魔には勝てませんでした。

目を醒ました後の夕食は、もちろん魚三昧のご馳走。今回はイサキの舟盛りがメインでした。なぜか中瓶一本で酔ってしまうという我が身の効率の良さもに驚きましたが、もう一つ驚かされたのは宿の温泉。塩辛いのです。

翌朝は烏帽子山という、火山の根でできた山を目指したものの、中腹の雲見浅間神社の拝殿まで登ったところ、あと300段の階段を登る、と知って断念しました。下から3段目の写真が烏帽子山の全景です。なんと、かのイワナガヒメが祭られているのです。北に仰ぎ見る富士山はコノハナサクヤビメですから、この南北の対称性が印象的でした。

帰り道は今度は海岸沿いを北上することにし、途中で松崎に立ち寄って再び街中を散策したのちは、点在する漁村や農村を見ながら沼津市までの道中をゆっくりと走りました。途中での会話はもっぱら集落の立地と生業パターンの話。最近は私も妻の影響か、安室知氏などの民俗学の本を読む機会が増えてきていますので、「おお!ここは百姓漁師の村だ」などと感動してみたり、かつての竹中直人監督・主演の映画「119」の舞台を重ね合わせ聖地探訪をもくろんでみたり、と、他愛もないドライブを楽しみました。

その後は沼津御用邸の跡地に建つ同市歴史民俗博物館を見学し、さらに沼津界隈の地形などを確かめつつ、連休前半の最終日ですから、東名が混む前に、と帰宅しました。沼津インターから自宅までの所用時間は1時間ですから、近場ではあるものの、とにかく連休中は鬼門です。

じつのところ、妻は妻でこの博物館の図録が所望だったのと、私はとにかく駿河湾の付け根界隈の地形がどのような雰囲気なのかを確かめたかった、というのが今回の小旅行への背中を押した、それぞれの思惑でした。

前夜(当日の早朝)に仕上げた原稿は、まさしく沼津市高尾山古墳に関するちょっとした発見を論じたものだったからです。調査中にも2度お訪ねしましたが、この古墳を対象とした論文を仕上げてみると、やはり親近感が湧くものです。

六本木と二重橋前

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表題は本日立ち寄った地下鉄の駅名です。娘も帰ってきたことだし、と、本日は一家3人で上京し、森美術館の展示と三菱1号館美術館の展示を鑑賞してきました。

最初に見ることになったのは「会田誠 天才でごめんなさい」展。これは文字通り強烈でした。私が見知っていた作品も2点ほどはありましたが、それら2点だけでイメージしていたら、会田誠がどのような作家なのかはまず理解できなかったでしょう。素晴らしいタッチの美少女画や心象風景画のほか、段ボール製のオブジェやら作家自身が出演する映像展示やらも多数あって、刺激的な展示でした。

もちろん会田氏ならでは、の“危ない”作品も多数あって、「性描写が過激な作品が含まれますので、18歳未満の方のご入場はお断り」という、かの「犬」などを含む数々の問題作品を展示した部屋が、通常のルートとは別枠で併設された展示会。客層を含め、それはディープな展示でした。

次に入ったのは、隣接の森アーツ・センター・ギャラリーで開催されていたアルフォンス・ミュシャ展でした。妻と娘が以前から好きな作家でしたから、その版画を模写する娘の姿を通じて、否応なく馴染まされたという次第で、私などは完全な金魚のフン状態。

しかし会場に足を踏み入れてみれば、こちらの展示も力が入っており、私の中で勝手に創りあげてきた「美人画のミュシャ」という既成概念はガラガラと覆されていきました。前半は事前の予想どおりだったのですが、20世紀を迎えた頃以降のミュシャには、素直に驚かされました。スラブ民族の悲哀に向き合う感動的な一連の歴史画「叙事詩」を描いた以後、彼の「美人画」には深みと迫力さえもが備わったように感じられました。

以上の2展は、共に六本木ヒルズでの開催でしたが、森美術館の展示というのは、よくぞここまで!という誠に充実した内容で、感銘を受けたところです。遅い昼食を52階のラウンジでとった後、午後3時過ぎには「二重橋前」まで移動し、3番目の「奇跡のクラーク・コレクション」展を鑑賞しました。

こちらの展示は、じつは私の希望。19世紀末から20世紀初頭の「オリエンタリズム」を象徴する作品「蛇使い」や「奴隷商人」が来ていると聞いたからです。展示企画それ自体は、印象派の作品を柱にもってきたものですが、なにせ私たち3名は午前中にかなりディープな刺激を受けてきた身でしたので、印象派の作品群はほとんどパスし、「蛇使い」が展示してある部屋から以後の2室だけを、じっくりと鑑賞させてもらいました。

これは三人の一致した意見ですが、今回の順路はまさしく正解であって、その逆であった場合には、最後の会田誠展でそれ以前の印象すべてが上塗りされてしまい、クラ・コレ展などは完全に強制消去の憂き目にあっていたに違いなかった。そのように感じました。

最下段の写真は、娘が買い求めてきた図録と絵はがきです。受けた印象の強さが素直に反映された結果になっています。

夕方には新装なった東京駅と郵便局跡地を見学し、東海道線を通って帰路につきました。

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