私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

家庭

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一家で表題の映画を観に行ってきました。最近、社会現象ともなり、政府をも打倒しかねない力を有することで話題の「フェイスブック」開発者と周囲の人間関係や利害関係に焦点を当てた、なにかと考えさせられる良い映画でした。

映画館ではなんと松本建速さんのご一家と鉢合わせ。松本家の方は「昭和物語」を観にきたのだそうです。

秦野も相当寒くなりました。夕方箱根の山並みにかかる雪雲からの降雪が太陽に映えて綺麗なので、早速DP1を持ち出して撮影を試みたのですが、うまくいきませんでした。やはりマニュアルを読まないと、と、少しばかり反省。

現在、李成市氏の『東アジア文化圏の形成』(山川出版社ー世界史リブレット)と安室知ほか『日本の民俗1海と里』(吉川弘文館)を読んでいます。前著は先に紹介した金子修一氏の論考からの孫引きで、後著は西表島関連の書籍として研究室にあったもの。両著ともになかなか良い本です。特に後者の「百姓漁師」という生態上の括りや「クミ(組)とキンジョ(近所)」という、共同性を生み維持するシステムの展開過程には学ばされるところ大でした。
明治の石川日出志さんから先日頂戴した『農耕社会の成立』(岩波新書)にも目を通し始めました。石川さんは北海道へもたらされたイモガイ腕輪の問題や、南西諸島との貝交易の問題も取り扱っておられ、さらに冒頭にもレプリカ・セム法がもたらした最新の研究成果へのコメントまで載っており、目配せの広さに唸らされています。

燻し煤けさせる

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本年度の卒業論文の口頭試問も終え、教授会に文学部フォーラムも終え、久しぶりの休日感に浸れた本日。相変わらずの晴天で風もないので、朝は妻と娘に手伝ってもらい庭のバラに黒星病対策の石灰硫黄合剤を撒き、ミニバラの鉢替えをし、樹木には寒肥を与えて庭の清掃を行いながら、2階のベランダに妻が干した洗濯物に煙りが付かないかと心配する娘の忠告には「大丈夫、大丈夫」、となんら根拠のない返事を返しつつ塩鮭の燻製を作りました。

完成品の写真はDP1で撮ってみることに。ズームアップは、このカメラには似つかわしくないのでそのまま撮影。ベランダのポチがぼやけたので、今度はポチに焦点を当ててみると、なかなかですね。被写界深度が広くとれるので、三脚を付けたら手前の燻製にもポチにも焦点が合いそうです。確かに写りが違うのはわかります。しかし使い勝手が良いのかどうか。モナカライカの軽妙な動作に馴染んでしまった3年間の慣れは大きいですね。

そうこうしつつ午後は机に向かい、原稿に関連する文献のチェックを始めたのですが、気になったのは目の前の鉄道模型。新品のプラスティック模型は往事の感触からはイマイチ遠いのです。そこでいつしか墨入れと汚し(ウェザリングと呼ぶらしい)塗装作業に移行していました。実は一昨日の夕食の買い物ついでに玩具屋さんに立ち寄り、ガンダム用品とかのコーナーに置いてあった汚し塗装用のペン型塗料を購入してきたのです。お子様の後ろに並ぶ背広姿の中年オヤジって、さすがに格好悪い思いをしましたが、欲望には勝てません。気動車ですから煤けていて初めてそれらしくなるというものです。

そんなこんなで我が家のキハ58系は、みな煤けて、それっぽくなりました。問題は、本当に煤であることです。塗装後に触れば落ちてしまいます。さすがガンダム用というべきでしょうか。とはいえ、おかげでプラスティックぽさもなくなり、あの往時の雰囲気がよみがえってきました。この模型の写真だけモナカライカです。

ワラサの照焼

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本日午前中は自宅で洗濯と原稿の準備(ブログ書きを含む)にいそしみ、大学の事務はすべて道家さんにお任せ。昼前になって大学に顔を出してみると、彼女の獅子奮迅の活躍により、どうにか本年度予算の目途もたちそうなところまで漕ぎ着けてくれていました。今月からのバトンタッチで、余所から見れば奇っ怪な学事予算には慣れないでしょうに、そこはさすが元銀行ウーマン、感謝です。

日本考古学協会の年報の執筆者も酒井さんのご援助のもとほぼ決まりました。続きは明日に、ということで岡安さんの現場を表敬訪問しようかと携帯に電話を入れてはみたものの不在。気がつけば夕方になっており、再び家路に。

今晩のメインはワラサの照焼です。関西方面の方には、きっと「ワラサ???」でしょうね。私自身、最初は同様に??....でしたから。サワラの間違いではないのか?、にしてはハマチかブリの切り身にしか見えないし、と疑問に思って調べてみたところ、出世魚ブリの型の小さいものだと判明しました。数年前のことです。

関東では体長60cmから90cmぐらいまでの型のものをワラサといい、それを超えるとブリと呼ぶようなのですが、関西では体長60cmを超えるとブリに昇格を果たしますので、ワラサはほとんどブリだといって良いのではないでしょうか。昇格の規定が厳しい関東は、それだけブリを重視しているということなのでしょうか。そのあたりの詳しいことはわかりません。

我が家では冬の魚料理の定番として、最近はサンマの塩焼きに代わり、この照焼が定着しつつあります。それも映画「南極料理人」の影響以外のなにものでもありません。あの、タレをスプーンで掬って身に絡めながら焼く姿に参ってしまい、再現してみたかったことがきっかけです。それからは、事あるごとに再現してみています。幸い、一家全員が魚好きなので、いたって好評です。ちなみに今夜のメニューは他にサーモントラウト(ニジマス)の刺身と大根の煮付け、それに燻製ウィンナーとモヤシ炒め、豆腐とワカメの味噌汁、実家の母製の黒豆にお新香でした。

これで今週の私の食事当番は終わり。再び原稿に向かいますが、最近は資料調査を怠けていることを実感しつつあり、眼と腕が鈍っていることも確実ですので、その打開策に、来週は久しぶりに石製品の実測に出向こうと思います。現場ともども、これなくしては生きているという実感が沸かないのです。

ようやく脱稿

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年末から抱え込んで四苦八苦してきた事務仕事と原稿2本をすべて終え、ようやく年が明けた気がしています。先日話題にした「石製品と倭王権」は、大賀克彦さんの査読を受けて大幅に書き直し、先ほど出版社への本文入稿を終えました。明日挿図類を速達で郵送したら完了です。なお本ブログで紹介した車輪石や石釧の誕生の話は、紙幅の関係で今回は割愛しました。鍬形石や鏃形石製品などをも加え、いずれ一本の論文に仕立て上げることにします。

今年の科研費も道家さんの活躍で、本日めでたく残額ゼロにすることができました。最後はクリップ1本単位の調整を要する世界です。科研はここが難しく、頂けるのは誠にありがたいのですが、毎年悩みの種です。

大学の授業も明日と明後日で終了し、来週からは期末試験期間となります。私の授業はすべてレポートですので、後は入試業務が立て込む2月上旬まで、一息つけそうです。

そんなこんなの日常ですが、相変わらず家事にいそしむ私は、今朝の炊事・洗濯と、今夜の夕食の準備をいたしました。寒中はおでんが一番と、娘が先週末に作ってくれたおでんスープにネタを足し、妻の指導のもと、メタボ対策の一環として大さじ一杯で作れるヘルシーエビフライに挑戦。とはいってもブラックタイガーの特価品ですけどね。そして余った衣をフライパンで炒めて焼き肉に添え、キュウリの梅酢あえと小松菜の味噌汁を作りました。酒は年末の忘年会の余りを持ち出し、酒が飲めない妻と娘が食事を進める様を見つめながら、ひとり感慨にふけりつつ乾杯しました。

次は瀬川さんの背中を追いかけて、今度こそメチエに本気で取り組みます。テーマは日本原風景の誕生にしようかと。そこでは神観念が祖霊祭に由来することを綴ってみようと考え始めました。黄泉国が山中であることと対をなす重要な命題です。

今日の4限にあった田尻先生の「古事記」購読の授業では、永谷君が好ヒットを飛ばしてくれ、スサノオすなわち倭建命論をめぐり、3人だけの知的興奮に包まれましたから、このネタにも刺激を受けて、これから勢いが付きそうです。

しかしこの7階の第2研究室で行われている日本思想史の大学院講義、今年度は正規の受講生が一人も居ないので、表向きは「今季受講生なしにつき未開講(消滅)」を2回繰り返しています。とはいえ、田尻先生にもぐりの聴講生(永谷君・吉田さんー本日はお休み)と不定期聴講生の私とで、相当に盛り上がっています。修士課程の大学院生も受講すれば、また学部生の場合には聴講すれば、間違いなく刺激になるはずなのに、と思います。

思い出の列車?

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秦野市保険福祉会館での講演「秦野市内の古墳文化と銀装大刀」(市民大学の講座)を終えた昨日の夕方、とうとう我が家に配達されました。Nゲージの鉄道模型、キハ58系です。一昨晩アマゾンを覗き込んでのワンクリック注文の結果、こうなりました。

飯田線沿線の宮田村にあった教員住宅で育った私にとって、幼少のみぎりには、この気動車が住宅前を通過するたびに歓声を上げていたそうですし、物心ついた頃には「準急天竜―のち急行天竜」の運転手になることが夢でした。確か小学生の頃には長野県内を巡る循環急行というのがあり、それに「急行天竜」も辰野駅で連結され、それは長大な編成になって、長野駅まで向かった記憶があります。

そんな思い出深い列車の模型をこの歳になって入手し、テーブルの上に敷いたレールの上を走らせては唸っているオヤジの姿に、妻も娘もあきれ顔でした。なお写真の奥にあるのは、2日前に線路のセットと共に配達された「急行アルプス」仕様の3輌編成模型です。伊那谷から新宿に向かうためには、この急行に辰野で接続される「急行伊那?だったか、みすずだったか…」に乗るのが70年代までの標準でしたから、当時小学生だった私にとっては、いわば文明へと導いてくれる使途でした。

さらに長野市内のはずれにある茂菅に住んでいた小学校1年生だった頃、早朝に父の自転車に乗せられて長野駅まで向かい、そこから上野まで乗った急行(名前は忘れました)もこの型式の電車だったと思います。とにもかくにも、懐かしさゆえの衝動買いですが、このところ原稿で立て込んでもいましたので、大蔵相の査定が緩和されたおかげです。以前にワンクリックで買ってしまい大ひんしゅくを買った「昭和の鉄道模型」のコントローラーも流用できて、一時の回顧趣味に浸ることができました。もちろん、その後はつい先ほどまで原稿の仕上げに戻りましたが。

とはいえ、今回の衝動買いで○万円近くになりましたから、昨日の稼ぎと来月の稼ぎは、すべて上納しなければなりません。ワンクリック注文は専門書籍に限る、との妻との約束に違反すると、こうなります。

ちなみに阪大の院生になった最初の年、都出先生に言われて私が仕切り初代ナベ君が補佐してくれた研究室旅行の際に、早朝の大阪駅から乗ったのは「急行たかやま」。他ならぬキハ58系でした(JRになった以後でしたから車体の塗装は変わっていたような記憶も)。当時聴講生だった妻と初めて一緒に乗った列車でもあるわけですから、「ほら、あの思い出の列車だよ!」と強調してはみたものの、当然のことながら「あ、そうなの」とほとんど無反応。そのうえ「背もたれが垂直で座りにくかったし、せっかくと思って買ってきた甘栗を、お父さんはただバクバク喰らうだけやったし…」だそう。いいんです。私にとっては思い出の深い気動車なのですから。

そして、これから私も明治のサーヤンに連なって、当面のところ鉄道模型オヤジになろうかと思います。そういえば専修のハブタさんも相当な鉄道オタクだけれども、模型の方はどうなんでしょう。1/150の模型(確かワールドタンクミュージアムも同一縮尺だったような)とはいっても、ここまで精巧な造りだと確かに手に入れてみたくもなろう、というものです。このあたり次回の飲み会の際にでも聞いてみようと思います。


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