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俺は常日頃思う・・・・・
「俺はもう長くない・・・・」「この肺はもはや古い傷だらけの風船のようなもの・・・・俺の肺が両方破裂(気胸が両肺同時になるか)するか・・・それともその場で激しい酸欠で気絶したまま死ぬのか・・・それとも胸空内に漏れた空気が心臓の拍動を圧迫し・・・・死ぬのか・・・・」
「俺は病院のベッドの上で死ぬのだけはゴメンだ・・・俺の死に場所は愛する女性の懐の中か・・・愛する女性の胸に抱かれて死ぬか・・・アスファルトの上か・・・そのほうが俺にとって最後を飾るにふさわしい死に様だ・・・・・・そう・・・俺のようなロウ・ソサエティ(下級人間)にはのたれ死にのような死に方が一番性にあっているし・・・誇り高い死に方だ・・・・・・」
齢(よわい)35になって「死」が現実のものになっている・・・・・
俺はかこに気胸の手術をしている・・・・切ったのは左肺の方だ。
いまも時折「原因不明(俺は自分なりに解っている・・・・)」の胸の痛みが襲う・・・・・
そのときそう思う・・・・・・
「俺を痛みから開放してくれ!!!!死という痛みのない究極の眠り・・・・・安楽を俺に与えてくれ・・・・!!!!誰でもいい!!俺の頭を拳銃で打ち抜いてくれ!!!!俺を殺してくれ!!!!!」そう思うことがしょっちゅうあるのである・・・
この国は年間自殺者が3万人いる・・・・・
年間の交通事故死亡者数1万人・・・・・・
年間の殺人事件は2千件・・・・・
この国は心ならず殺される人数より自ら命を絶つ人間が2.5倍いるのだ・・・・・・
これが本当に「平和な国」だというのか・・・・
これは本当に「いい国」なんだろうか・・・・・
この現実を知ってよく「命が大事」なんて言えたもんだ・・・・・
いや・・・「命が大事」なんて言ってる連中はその現実を知らないエセヒューマニストか目を背けて無関心を装っている連中なんだろう
世の中は「偽善」であふれている
この国は本当に「命が崇高なもの」なのか・・・・・・・?
自ら「死」を望み・・・この国に生を受けた絶望を感じる者に「甦生」を施し「生」を強要するのは「拷問」ではないのか?
この国の「憲法の前文」には「何人も平等(命の公平)」を謳っているが本当にそうなのか!!!
自ら命を絶つ人間が一番多いこの国は本当にそうなのか!!!
もううんざりだ・・・・・
もし「生き方の自由」を憲法に保証しているのならば「死に方の自由」を保証すべきではないのか?
前も言ったように俺は年収300万以下だ・・・・
イケメンでもない・・・・いわば世間で言えば「負け組」だ・・・・・
生きる価値もない・・・・
ならば俺には「死に方」を選ぶ権利くらいあるはずだ
そう言えば・・・外国のある諺(ことわざ)にこういうものがある
「俺が死んだ時、俺のために泣いてくれるというのなら、俺がまだ生きているうちに哀れんでくれ。」
ユーゴスラビアの諺である
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生命倫理
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