池田雄二の夢旅日記(流Ikepedia)

夢日記、外語日記、研究記事を公開しています。夢の示すままに旅してます。

全体表示

[ リスト ]

目次

(3)義経の蝦夷英雄化

寛永年間を過ぎた頃には義経渡海説は庶民にも広まっていた。特にその契機となったのは1677年から1703年頃に成立した『異本義経記』とされる。渡海した義経は義経大明神として崇められていると紹介した[1]。こうして神格化された義経はアイヌ民族の英雄と結びつけられて行った。

馬場信意(のぶのり)が1712(正徳2)に著した『義経勲功記』では義経は北海道でアイヌの棟梁となったとする。そしてシャクシャインは義経の末裔だとされた[2]

同年に一応の完成をみた『大日本史』でもこうした蝦夷渡海→英雄伝説に同調する(徳川・巻187690頁)等、当時のトップレベルの歴史研究者も肯定的に捉えていた[3]

 義経はこの18世紀初頭にシャクシャインとは別のアイヌ神話の英雄に結び付けられている。アイヌ神話には天から降臨してアイヌ文化の基礎を築いたオキクルミという英雄がある。その従弟(または弟)にサマユンクルという者がいる。こちらは短気で浅慮で慌て者とされる。どちらが英雄であるかは同じ北海道でも地方によって逆になる(道北では逆)。このオキクルミ(地方によってはサマユンクル)=義経とする伝承が広まった。義経=オキクルミを庶民に広めるのに1役買ったのは近松門左衛門の「源義経将棊経」の上演(1706年)である。そして新井白石も1720年(享保5年)に著した『蝦夷志』では飲食の際の祝いにおいて義経を祀り、義経をオキクルミという風習を伝えた。その後も同様の記述が相次いだ[4]。重要なのは、蝦夷松前御用取扱の任にあり、蝦夷地巡見に赴いた近藤重蔵や最上徳内の記述や彼等に同行した木村謙次の記述である。木村による『蝦夷日記』の寛政10719日条と82日条において、義経渡海説と義経に関するとして択捉と国後のオキクルミとサマユンクルの話を書き留めた。

 こうしてアイヌ神話の英雄を義経、その従たる存在を弁慶に位置付ける伝承が形成されて行った[5]



[1]義経が蝦夷で尊敬され、崇拝されたことに関連して次のような伝承がある。兜の鍬形部分をアイヌはクワサキと言う。その由来について1797年(寛政9年)、橘南谿によって著された『東遊記』は、渡海した義経主従はアイヌ民族に尊敬された為、彼らは義経の兜の鍬形をクワサキと伝えたのだという。このことを前提とする記述は同書以前の1715年(正徳5年)に記された「松前志摩守差出候書付」にある。

[2]『異本義経記』を増補した『義経知緒記』も義経が棟梁になったことについて同様の記述をした。また遠藤元閑『本朝武家評林』(1700年)もシャクシャインを義経の末裔だとした。

[3]例えば、寺島・後掲・巻十三「蝦夷」や巻六五「衣川」。

[4]上原熊次郎が1792年(寛政4年)に著した『藻汐草』ではオキクルミ=義経、「シヤマイクル」を弁慶とする。串原正峯が1792年(寛政4年)に著した『夷諺俗話』では逆でその「夷言」ではサマユンクル=義経、オキクルミ=弁慶と伝えているという

[5]以上は原田・後掲99-119頁。なお原田はこうした伝説は和人がアイヌに伝えたものと理解する。


閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事