池田雄二の夢旅日記(流Ikepedia)

夢日記、外語日記、研究記事を公開しています。夢の示すままに旅してます。

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目次

1.生前の活動範囲に収まる生存伝説[1]

安倍舘山

1062年、厨川の柵が落ちると、貞任は炎上する舘から黄金を積み、安倍舘から松屋敷に出た。その後、小野松山を越えて玉山に入った。それから姫神山の尾根の明神山まで落ち延びた。その山頂で大石に跨り、天に祈りつつ弓を引いた。これによって落ち行く先を占おうとした。その矢は空高く舞い上がり、遥か離れた安倍舘山に飛んだ。この矢を追って明神山を北に向かい、蛇塚という所で馬を休め、御大堂山を越えて安倍舘山に入った。

 ここには山頂に堀を巡らしてある。桐、ちやら木があり、安倍屋敷がある。貞任はここに入った。そして再びこの世に現れ、君臨することを誓って安倍舘から持ち出した黄金の鶏を井戸の踏み石の下に埋め、再興を誓い、この世から姿を隠した。

  現代、舘山からは鶏の声がするという。この声の主は黄金の鶏だと土地の人々はいう。この金の鶏を探しに山に入った者もいるが、探し当てた者はいない。

 また偶然に安倍屋敷の桐や小川を流れる桐の花を見る者があるという。しかし一度見た桐を二度と見ることはない。

 安倍屋敷の桐やちやら木の実は御大堂山に飛び、芽を出すという。

 1938年(昭和13年)の火事があり、その際、安倍舘山が露わになり、その山頂に矢の根石が一面にある大岩と二本の石碑があり、周囲に帯輪状の堀が廻り、堀から泉が湧きだしていたという。

 

兜明神岳

厨川の柵が落ちると、貞任は梁川に入り、八木田から高畑を越えて建石山に落ち延びた。そこの里人から稗の粥を受けたが、源義家の追手が迫り、これに箸を付ける前に山の峰を走り去った。この時、貞任の家来に魔法使いがいて、貞任一党を烏にして山の峰を走らせた。里人は山の峰に群がる烏をみて、その山の峰を烏峠というようになった。

 義家は烏峠を登り、兜明神に籠る貞任と矢合戦を行った。無数の矢が川を流れたので、その川を矢流川と呼ぶようになった。

 貞任はここで義家に敗れ、安倍勢は戦意を失い、山々に逃れた。そして明神岳(1005m。岩手郡と下閉伊郡の境)の岩穴に隠れた。貞任は明神の神に助けられたが。この戦意のない貞任をみた義家は無益な殺生を避けて厨川に帰った。

 明神岳山頂に貞任が隠れたという岩穴がある。ここに貞任の兜があると伝わる。

 ある日、蕨取にいった者がこの兜を見つけたという。その後、友人を誘って岩穴をみても兜は無かったという。兜は二度見ることはできないという。

 また岩神山の裾には貞任の隠し屋敷があるという。ここで戸の開く音がするという。ただ屋敷を見た者はなく、戸の開く音は狐の音ともいう。この音を出す狐を戸狐という。

 

2.生前の活動範囲外における生存伝説

血散りが浜(青森県)

前九年の役で敗れた貞任は北へ落ち延びた。義家はこれを追った。貞任は小川原湖を通り、本州北の果て佐井に至った。そこで貞任は義家の軍勢に追い詰められた。その浜は血散りが浜という。そこで貞任は体中に矢を受けた。貞任はそれを引き抜きながら逃亡し、遂に鬼へと化身した。鬼となり、不死身となった貞任はそのまま北を守る鬼神となった(県庁ねぶた実行委員会・後掲)。


小括

 貞任の生存説は全て山や浜等、人が常住していない場所のものである。特に兜明神岳の伝説は落ち延びる貞任一党が烏に変化したという現実離れした内容を含む。青森の伝説も、貞任が鬼神と化すといった現実離れしたものともいいえる。だが見方によっては、承平天慶の乱で敗れ、晒された平将門の首が毎夜叫び続けたという伝説が残るように、貞任の最期がみちのくの民の英雄貞任に対する願いを通じて表現されているようにも受け取れる。


[1]盛岡における生存伝説は太田・後掲による。


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