池田雄二の夢旅日記(流Ikepedia)

夢日記、外語日記、研究記事を公開しています。夢の示すままに旅してます。

報告準備

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全34ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

目次

本報告では民法に規定されている4つの担保権=典型担保(留置権、先取特権、質権、抵当権)以外に担保的機能を営むものとして、実務によって考案され、やがて公認された非典型担保の内、買戻特約付売買、売渡担保、譲渡担保の生成と発展について取り上げる。そして担保制度が特定の社会・制度下の環境において進化していった過程を把握することを目的とする。
以下では生成順に譲渡担保(他人和与)、買戻特約付売買(本銭返)、売渡担保の順に紹介する。これらは質との関係を考慮することが不可欠なので、質について最低限の理解が必要である。
 
一 古代・中世における質

(1)法的構成

①所有を動かさない担保権設定←現行民法と変わらない。

②占有移転は要件ではない[1]←現行民法と異なる。必ず占有移転を伴う(下図)。

イメージ 1

(2)生成

大宝令(養老令)の時点で規定。ただそれ以前から存在したことは明白。
 

二 譲渡担保(他人和与)

(1)法的構成(下図)

債務者等の設定者から贈与等の名義で債権者へ所有権移転。
②既存の債権債務関係は維持したまま。
③被担保債権弁済によって受戻
④占有移転の有無は問わない
イメージ 2

(2)生成

 未解明。ただし13世紀前半には実例がある。

 

寛喜元年105日(1229年)僧良心田地充文[2]

【事実】接しえた最古例。子弟間の田地充文(=所領等の給与。現行贈与の一種)事例。

良心(以下S)が師弟関係にある成弁房(以下G)に永代贈与した。SGに6石を弁済することを条件とする取戻し特約が約定されている。

イメージ 3

元々SGより6石相当の債務を負っていたと考えることが自然な事実関係。

 

(3)展開

 僧良心田地充文のような担保融資目的の所領贈与(和与)を規制する目的の法令が13世紀において目立つようになる←既に同種取引の事例が看過できない程存在していたと推定

 

(i)貞永式目追加条々による規制

文永4年1226日(1268年)法:所領他人和与(=血族、一族等以外の他人への和与)を禁止。違反は所領召し上げ[3]

cf.同日に所領売買質入を禁止する法が発令されている←所領他人和与も同方向の規制(=御家人等の経済的地盤の確保)と考えられる。なおこの年は元から我が国への第1回使節が派遣された年(文永3年)の翌年に当たる。

 

文永7年(1270年)5月9日法:1268年法廃止。理由は不明。

 ↓御家人所領を処分を制限する法が矢継ぎ早に出される

文永9年1211日(1273年)法[4]:恩に報いるため等の根拠がない和与を制限←文永の役の前年←同年7月12日法は所領質入禁止。目的において軌を一にしていたと考えられる=御家人が既存債務や資金融通のために所領を他人に手放すことを禁止する趣旨=元寇対策[5]

 

④文永1161日(1274年)法[6]:親族への和与以外禁止←御家人の経済的地盤を揺るがしかねない和与を絶つ趣旨

 

⑤弘安7年5月27日(1284年)法[7]:規制緩和。租税納付義務を果たせば所領の売買、質入、和与を黙認←弘安の役から3年後。国家存亡の危機は一時的に後退

↓但しすぐ後に再規制

⑥弘安711月(1284年)〜弘安811月(1285年)頃の法と弘安9年8月(1286年)法[8]:両条合わせて誰ともしれない者への売買・贈与を禁止←所領荒廃による御家人の財政の不安定化の防止。

 

このような他人和与関連の法が出されたのは1290年頃まで←「法は些事にこだわらず」の通り、何らかの取引に取って代わられる等により衰退したと推定

↓その後、近世

消滅した訳ではない(1643年(寛永20年)田畠永代売買禁止令潜脱のため、和与相当の譲渡(ゆずりわたし)が流質や本銭返=買戻特約付売買と共に利用された[9]

↓そして現代

・基本的には不動産が多い。しかし高額動産が担保目的物になることもある。

 ・高額動産としては集合動産が注目←バブル崩壊後の不動産に頼らない補充的担保[10]

   ・現代ではほとんど非典型担保中ではほぼ譲渡担保

・目的物は倉庫保管に適さない物品が多い(養殖魚[11]等)

cf.倉庫に寄託可能な物であれば、倉庫業者が発行する倉荷証券質入が可能

・倉庫寄託に適する物品の譲渡担保もある

・質を利用しない理由としては、質入よりも融資を受けられる

・むしろ倉庫業者が集合動産の担保化に協力的ではない諸事情

・品違いの場合であっても免責されない判例[12]の存在←しかし倉庫業者は中身の検査を通常はやれない=判例と実務の齟齬

・動産譲渡登記に基づく登記事項証明書と寄託者発行の荷渡指図書の競合の忌避

 

三 買戻特約付売買(=本銭返=本物返等)

(1)法的構成

物の売買に当たって、代金弁済による所有権復帰を特約したもの(下図)。元金だけで買い戻せることを圧倒的多数の原則としていた(小早川・擔保法史・223頁)

イメージ 4

 ・売買形式をとるため、売買後の売主・買主との間に債権債務関係は残らない=買戻権行使の

ない限り、当事者関係は切断

 ・売買代金が実質的には融資金

(2)生成

・文永41226日(1268年)の二法(佐藤・433[13]と第434条)により発生

←第433条により所領売買・質入禁止(元金弁済で本主に戻すことが命じる)+434条(前出)で他人和与禁止→しかし所領を引き当てにした資金融通の必要性はある→何れでもない取引考案の必要性

現存する本銭返売券最古例が1270[14]のものである。

 

(2)その後の展開

 これ以後近代まで本銭返売券(買戻特約付売買)が現れる。次のような目的で利用された。

 

①土地の売買質入禁止潜脱。

・中世には度々出される所領売買質入の制限や徳政対策

・近世は田畑永代売買禁止令潜脱

←こういう利用目的は明治5215日太政官布告第50号の田畑永代売買解禁令で消滅

 

②買戻権を売主に付与する対価として売買目的物を通常売買よりも廉価で譲り受ける

③買戻権付にせよ所有権譲渡を伴うので質より高額の金銭の融通を受ける[15]

 

②③は所領・田畑以外の不動産や高額動産でも利用された。高額動産については室町期以降の利用例がみられる[16]

③は大土地所有手段[17]

・田畑永代売買禁止令も大土地所有化の防止が主目的
・大土地所有は明治5年以降も活発化したが、戦後の税制改革により消滅
 
四 売渡担保

(1)法的構成

・買戻特約付売買[18]と基本的に同じ。ただ買戻代金に利息ないし類似の増金を加える←本報告ではこの意味で売渡担保の呼称を用いる(現代学説上の争いあり[19]

 

(2)生成

嘉元元年1212日(1304年)大中臣重房質券屋敷田売券(高野山・三・686):接しえた限りの最古例←本銭返の最古例は1270年。時代的に余り隔たっていない→どちらが先とは言えない可能性もある 。

・所領売買、質入、譲渡担保(他人和与)禁止の潜脱は売渡担保(呼称上は本銭返)でも可能。

・本銭返と違い、買主自身で収益する必要がない分、収益が確実[20]。両者についてはその生成に前後が生じる明確な原因を見いだせていない。現時点では1270年以後の例にしか接していない

初めから当事者間の利害調整により使い分けていた可能性を否定できない。

 

(3)展開

(i)中世

 多くは確認されない。前掲の例と以下の例のみ。

 

【元亨元年626日(1321年)貞行田地売券(高野山・五・499)】

・買戻代金に利息類似の代金、つまり小作料を上乗せ。

・田1段辺りの代金5貫←平均的相場(7貫前後)より低価額

・毎年小作料(8斗)収取←ここより直小作=売主に小作させる。8斗は約6年で元本回収可能な額→早期の元本回収が可能←徳政対策の可能性がある

 

()近世

『全国民事慣例類集』において比較的多くの慣例が報告されている。

・約定期間中に小作料等の金穀を得るのではなく、買戻権行使時に増金している。

・ほぼ田畠事例=田畑永代売買禁止令潜脱目的[21]

・禁制外の家屋敷事例もある[22]→買戻特約付売買の②③の利用目的

・動産事例もある。買戻特約付売買②③の利用目的もあったろうが、以下の例はそれだけではないようだ。

【加賀国江沼郡の例(531丁)】

売買から3日以内は買戻代金は原代金のみ、それより後は増金を加える。

←・3日以内は売主に翻意を認める趣旨≒近世版クーリングオフ

3日以後は買主の収益を計算に入れている。

 

()近代

 真正の買戻特約付売買との法的効果が意識されるようになる。例えば、①完全な所有権移転の有無。②民法に定める買戻特約付売買関連規定の適用の可否等

ともあれ、やはり不動産が中心。動産売渡担保事例も幾らかある。何れも高額動産。
 

①単品事例

大判昭和9年8月3日新判例体系民8巻21822】船舶

 

②集合動

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

目次

総括

 以上から非典型担保の系譜を次のように描くことができる。まずいつの頃からか少なくとも13世紀前半以前には他人和与として譲渡担保相当の取引が存在していた。

 やがて1270年に貞永式目追加条々によって所領売買質入、他人和与が禁止されると、これら何れでもない取引として本銭返と称する、現行買戻特約付売買が考案され、以後普及していった。その後、あるいは同時期に本銭返における買戻代金に利息相当のものを収取する取引、つまり売渡担保が現れた。こうした本銭返や売渡担保が確立すると、他人和与はこれらに取って代わられ、幕府法令においても言及されることはなくなった。

 ただし何れの取引も完全に消滅することはなく、あるいは1643年の田畑永代売買禁止令潜脱目的で利用され、あるいは買主側の利点として売買よりも安く、譲渡側の利点としては質よりも多くの資金融通を得る目的で利用され続けた。前者の目的による利用は1872年の田畑永代売買が解禁されて以後は消滅した。後者の目的による利用は禁制外の屋敷地、町地等の不動産や動産等に利用され、現代でも続いている。動産について記録として残るのは高額動産だが、その事例は不動産と比べて多くない。高額動産については単品のこともあれば、集合物の場合もある。近代までは買戻特約付売買や売渡担保の形式をとるものがみられたが、現代では譲渡担保形式が取られることがほとんどである。

付言すると、取り分け集合動産譲渡担保はkバブル経済が崩壊して以後、不動産に極度に頼らない補充的担保として利用される傾向がある。目的物は倉庫保管に適さない物品が多くみられる。倉庫に寄託可能な物であれば、倉庫業者が発行する倉荷証券の質入といった担保化手段をとることができる。無論、倉庫寄託に適する物品の譲渡担保もみられるが、それは質入よりも譲渡担保の方が多額の融資を受けられるというニーズも関係するのだろうが、我が国の倉庫業者が集合動産の担保化に協力的ではない諸事情もある。それは例えば、品違いの場合であっても免責されない判例[1]の存在(しかも倉庫業者は中身の検査を通常はやらない、というより寧ろできない)や最近可能になった動産譲渡登記に基づく登記事項証明書の持参人と貨物寄託者発行の荷渡指図書の持参人との競合を避けたい意図等を挙げられる。

 以上の通り、非典型担保に限ってみても、ある担保化手段が偶々ある時代の社会・法制度において適合的であったから、利用されたのであって、決して担保化手段が優れて行ったのではない。


[1]大判昭和11212日民集155357頁(厳重包装されていた物品が品違いだった事案)、最判昭和44415日民集234755頁(品違いの場合の免責を定めた不知約款の効力を認めなかった)。


開く コメント(0)

開く トラックバック(0)


展開

 前掲した1304年からそう離れていない元亨元年626日(1321年)の貞行田地売券(高野山・五・499)がある。これも本銭返売券だが、買戻代金に利息類似の代金、つまり小作料を上乗せしている。この事例では田1段辺りの代金が通常売券よりも低廉(5貫。通常売買では7貫前後)でかつ毎年の小作料(8斗)を取っている。8斗だと約6年で元本回収ができる。早期に比較的早期に元本回収ができるので、券面上は明記されていないが、徳政対策だった可能性がある売券である。

 近世になると、『全国民事慣例類集』において類似の慣例が報告されている。ただ何れの例も約定期間中に小作料名目等で利息類似の金穀を得るというものではなく、買戻権行使時に元の売買代金に増金をしている。ほぼ田畠事例であるから、その意図は本銭返と同様に田畑永代売買禁止令潜脱目的を兼ねている[1]。もっともそれだけではなく、禁制外の家屋敷事例もある[2]

 動産に関して中世の事例には接していない。ただ利用目的が本銭返とさほど変わるとは思われないから、動産本銭返売買が現れる室町時代には生じていたと考えることが自然だろう。

 近世においては『全国民事慣例類集』において僅かな例が見られる。加賀国江沼郡の例である(531丁)。これは売買から3日以内は買戻代金は原代金のみ、それより後は増金を加える。これは3日以内に関しては、売主に翻意を認める趣旨、つまり現代でいうところのクーリングオフ期間に近い。それ以後は買主の収益を計算に入れる慣習といえよう。

 中世から近世にかけて動産事例は多くない。動産売渡担保事例は近代もそれほど多くはない。①船舶等の高額動産[3]、②集合動産[4]、③不動産に加えて集合した動産[5]を担保にとる例が若干例ある程度である。ただだからといって少なかったと判断するのは早計である。動産は不動産と比べて低額であることが多く、一々売券等の記録を残さなかった可能性も大きい。

 なお③の事例は、不動産担保に代わる担保目的物として注目されており、現代でも稀に譲渡担保事例として現れている[6]。当然だが、実務ではそれ以上の実例が確認されている[7]


[1]例えば、出雲国能義郡(538丁)、美作国勝何郡(540丁)、周防国都濃郡(543丁)、長門国豊浦郡(544丁)。、加賀国江沼郡

[2]羽前国置賜郡(525丁)。

[3]大判昭和9年8月3日新判例体系民8巻21822頁。

[4]大判明治44年5月20日民録17306頁は金屏風や多量の水晶角材を担保にとった事例。

[5]大阪地判年月日不詳明治45年(ワ)第438号新聞82923頁は家屋に加えて鉄製ロール一台、檜板50枚を担保にとった事例。

[6]最近では、最判平成18年7月20日民集60巻6号2499頁(養殖魚)、最判平成2212月2日民集64巻8号1990頁(養殖魚)。

[7]この辺について詳しくは、河・後掲。

開く コメント(0)

目次

(3)売渡担保

生成

 接しえた限りの売渡担保の最古の例は嘉元元年1212日(1304年)大中臣重房質券屋敷田売券(高野山・三・686)である。本銭返の最古の例が1270年であり、それほど時代を隔たっていない。売渡担保が本銭返の一種で買戻代金が利息付である変則型であることを考えると、1270年に禁止された所領売買、質入、譲渡担保(他人和与)といった取引に対する制限を潜脱するという基本的利用目的は本銭返と共通する。ただ本銭返とは、必ずしも買主自身が収益をする必要が無く、利息により収益が確実になる点だけである。両者についてはその生成に前後が生じる明確な原因を見いだせていない。現時点では1270年以後の例にしか接していないが、真正の本銭返と同時期に発生したとしても何等おかしなことはない。ともあれ、売渡担保は本銭返の元々利用目的に加えてより収益を確実にすることを意図していたといえる[1]



[1]池田・変則的本銭返売買(特に売渡担保)の生成・64頁以下。


開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

目次

その後の展開

 本銭返売買はその後次のような目的で利用された。

 

①土地の売買質入禁止潜脱。

 
元々御家人所領の売買質入の禁止を原因として考案されたものであるから、その後も同様の目的をもって利用された。不動産売買を中心として土地取引に関する徳政令等の規制を潜脱する目的で利用された。近世でも同様に1643年(寛永20年)の田畑永代売買禁止令を潜脱する目的で利用された。ただ他にも次のような目的で利用された。
 

①買戻権を売主に付与する対価として売買目的物を通常売買よりも廉価で譲り受ける。

②買戻権付にせよ所有権譲渡を伴うので質より高額の金銭の融通を受ける[1]

  
 ①の利用は1872年(明治5年)215日太政官布告第50条の田畑永代売買解禁令により消滅した。
 ②③について永くその利用が続いた。また②③は土地だけでなく、高額動産等不動産以外について室町期以降から利用がみられた[2]。そして②は戦前の大土地所有の手段となった[3]。③の利用は戦前まではみられたが、現代では譲渡担保が主流である。


[1]具体的については、池田・中世買戻特約付売買(本銭返)の発展・101-103頁。

[2]池田・中世買戻特約付売買(本銭返)の発展・89-91頁。

[3]池田・立法化による非典型担保の利用の変遷とその原因・151-152頁及び参照文献。


開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

全34ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事