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秋の日・・・ ドアの向こうで子供が泣いている。 私は、驚いてペイントされた文字を読む。 「A歯科」 歯医者で子供が泣くのは当然ではないか・・・と、人は思うかもしれないが。 A歯科で子供の泣き声が挙がったことは、一度もない。 少なくとも、私の知る範囲で、ここ10年間は。 ドアを開けると、待合室はすさまじい状態だった。 ありとあらゆる縫いぐるみが投げ散らかされており、 絵本も、ページが開いたまま、あるものは観葉植物の枝に実のようにぶらさがり、あるものは洗面所 のシンクに浸かり、ソファーの上、下駄箱のスリッパの上・・・内容をさらけだしている。 その中心で泣き叫んでいるのは、金髪の男の子だった。 順番待ちのご老人達は、戸惑ってソファーに座り、 男の子を抱くように寄り添う、スヌーピーのエプロンの娘さんは、 付き添いの保母さんらしい。 必死でなだめるその言葉から察するに、 男の子はアメリカ人。両親の仕事の関係でこの市にやって来て、一時保育のため預けられた。 保育中に歯の痛みを訴え、歯医者に連れてこられた・・・ということらしい。 おばあちゃんたちが、巾着袋から飴玉を取り出してなだめないのは、 男の子に日本語が通じないと見て取ったからにちがいない。 私も、歯が痛かった。 それに加え、金切り声の子供の泣き声を聞き続けるのはきつい。 この子・・・ 異国で父母と離され、挙句の果て歯が痛くなり、 歯医者さんに連れてこられた。 歯医者に・・・。 とにかく恐怖を取り除いて、この金切り声をやめてもらわなければ、 今飛んできたウサギのぬいぐるみを、今度は私がこの子に投げ返してしまいそうだ。 「みすたー」と話しかけても、男の子は泣きやまない。 「いくすきゅーずみー、みすたー・・・」 (おいこら、こっちくらい見なさいよ)と、意気込みをエスカレートさせトーンを上げると、 その子は、やっと薄目を開けた。 充血し、白目の部分の血管が蜘蛛の巣状態に浮き上がっている。 白い肌に紅い蜘蛛の巣・・・。 恨みの目。 いつか、どこかで見たことがある。 私は、中学英語を駆使して、 「あなたは、歯医者がきらいなのですか?」と尋ねた。(一般動詞・疑問文) しゃくりながら、ボーイがうなずく。 「私がとても小さい女の子だった頃、私も歯医者が大嫌いでした」(when接続詞) 「でも、今は、私は、歯医者がとても嫌いというわけではありません」(部分否定) 「ホワイ?」と聞き返してほしかったのに、男の子は、 「この日本人の女、何言ってるんだろう」といった表情で見ているだけである。 おばあちゃんたちの視線も、集まっている。 仕方なく、「びこーす(なぜならば)」と続ける。 まるで、一人芝居。 「なぜならば、ここのお医者さんは、とても親切で、ほとんど痛みを与えないからです」 えーと、仮定法は・・・と。 「もし、ここで少しでも痛いとすると、他の歯医者ではその十倍くらいの痛みを彼らは与えます」 「だから、私は、もう歯医者が大嫌いなわけではないのです」(ふたたび、部分否定) 男の子の目は、こちらにくぎ付けになっている。美しい青い目だ。 「アメリカの男の子は、とても勇気があると聞いてきました」(現在完了形・継続) 「あなたも、そうですか?」(be動詞の疑問文) ずいぶんためらったあげく、男の子は、小さな声で答えた。 「イエス」 つー びー こんてぃにゅーど |

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