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火事に会い → ちいさな島へ赴任 → うつ → 一ヶ月の休暇をもらって島を出た私は、
 
一週間後には、中国地方のど真ん中、岡山の山の中にいました(^^)
 
はじめはね、
 
ひとまず愛媛の実家へ帰りました。ゆっくりするつもりだったのですね。
「早く治して復帰しなくちゃ」
頑張ってのんびりして、不眠だった分とにかく朝寝。
誰かが同じ家にいて、安心して眠れるというのは、なんてありがたいことだったでしょうか。
当時は今ほどうつがポピュラーでなく、心療内科なんてものもありませんでしたし。特に田舎(笑)
 
家族の中で、
母親は島に来たことあったし、状況もよくわかっていたので、見て見ぬ振りしてくれたのですが、
おさまらないのが同居の爺婆です(><)
明治生まれで、日清日露とふたつの大戦くぐってきた祖父母。
月月火水木金金こそ日本人の生きる道、と教育されてきた祖父祖母。
うつなんて言葉は聞いたことなく、現在のように、「うつの人を励ましてはいけません」なんてことも知らなかったもので……いえ、知っていてもそんな事はばかばかしいと、鼻で笑ったに違いない。
「このぐうたら孫娘を何とか立ち直らせんとイカン」
使命感に燃えて、朝から晩まで私を叱咤激励してくれました。
 
あのね〜、
うつの人って、そんなこと百も承知なんです。
自分が怠けてるな〜、とか、ぐうたらで申し訳ないな〜、とか、情けない思いをしています。
早く普通になって、人の役に立ちたいと思っているんです。
自分を責めている。
このままでは世間から、いえ、家族からも見捨てられるんじゃないかと、いつもとっても不安なんです。
だけど、心も身体もじれったいくらい動かなくて、泥のように内側へ沈んでいく。
 
私の落ち込みはますますひどくなり、回復が遠のいていくばかりのように思えました。
 
そんな時です。学生時代から親しくしている友人夫婦から電話がかかってきました。
岡山に住む彼らは、それまでのいきさつを全て知っていて、心配してくれていたのです。
 
「親の家はかえってゆっくりできないもんよ。
うちへ、おいでよ」
「赤ちゃんいるからおもてなしなんかできないけど。お手伝いもしてね、無理ない程度に」
 
暖かい言葉でした。
実家の爺婆の半端ない愛の無知……いえ、鞭に追い詰められていた私は、激しく迷いながらもやむにやまれず、身の周り品トランクに詰めて、列車に乗り込んだのでした。
 
 
                                      つづく
 
 
 
 
瀬戸大橋からの夕日です。
当時はまだ橋は架かっていませんでしたから、連絡船で瀬戸内海を渡りました。イメージ 1
 
 
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イメージ 3
 
 

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