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しめくくりとして、これからは私の主観です。
無責任なようですが、お医者様は違うことをおっしゃるかもしれないので、あしからず。
欝のときは大きな不安に包まれている。心が裸の状態で無防備なので、とっても傷つきやすい。
だから自分を守るため、閉じこもってしまう。
無理に明るく、とか、引き出したりしない方がいいのかもしれない。
まゆにこもったさなぎが蝶になるのを待つように、楽しみに待ちませんか?
小説家の曽野綾子さんも精神的に不調をきたしたことがあったそうです。
脳軟化のお母様の介護 → 失語症 → 曽野さん自身に伝染 → 不眠 → 発狂恐怖
そうなる前は、「もし精神的におかしくなったら、それを書こう」と思っていたそうですが、
「しかし本当に悪いときには、病人は決して外に向かって心を開かないものなのだ。
自分がしゃべろうとすると、どんなに表現しようとしてもそれが不正確に思えるので、会話は口に出さない前から心の中でブーメランのように投げてもこっちへ帰ってきてしまう有様が見え、従って何も言わなくなるのだった」
「そのとき私は一人の神経科のお医者さんから『自然にする』ことを教えられたのだった。苦しいときは苦しむしかないのだということ。眠れないときには起きていること。無理して小説を書くなどということは、外からみるとまったく不思議に思えるということ。
私は自分に対して苦笑することができた。私は図々しくも偉人になろうとしていたのかもしれない、と考えた。それはまったく滑稽なことなのだ。」
誰のために愛するか 168〜169ページ
えらく尾籠な話ですが、東南アジアとか行くと、ひどい下痢に悩まされることあるそうですね。日本人は下剤をすぐ飲んで長引かせてしまうけど、現地の人は止めないでとにかく全部出しちゃう(><)そうです。身体が排出しようとしているのを止めない方がいいのだそうです。
以前、とても優秀な友人がいて、あることで苦しんでいたとき、曽野綾子さんのことを思い出して、
「苦しいときは苦しむほかないそうだよ〜」とひとこと言ったら、はっとして、「ありがとう」と抱きついてきて(注・女性です)憑き物が落ちたように回復に向かったことがありました。
まさか、数年後、自分自身にその言葉が必要になろうとは、予想もしませんでしたが。
さてさて、
うつの私を受け入れてくれた友人の令ちゃん&直ちゃんのところから島に帰り仕事を続けましたが、
もうもう、島の美しさが心に入ってくるようになって、沁みて(笑)
あるとき、
「これまで火事や落ち込みや失恋や、失うことばっかりだったけど、
去年より今年、
今年より、来年、
来年より再来年、
きっといい年になる」
そう思えた。で、ほんとにそうなっていきました。
これ、私が思ったからそうなったのではなくて、うつがもう回復期に入っていたから『そう思えた』というのが正確ではないかと。順序は間違えてはいけません(^^)きっぱり!!!
あれから20年たちました。
今でも疲れをためたら、コンセントやコンロの元栓締めたかどうか気になって、ちょっと不安定になったりしますが、元には戻りません。
姑とのバトルや子育て中の子供のこと、母のこと、人間関係なんかがうまくいかなかったら、ちょっとうつっぽくなったりしましたが、まあまあやってます(笑)
一度落っこちちゃったので、「おっとっと、このへンが危ないぞ」とバランスとって、とにかく、誰に何言われようが、休んだり寝たり。おひとりさまのいいこと(カフェとか、映画とか、おむすびとコーヒー・本持って近くの海行ったり山行ったり。プーシャもいるし(笑)、ふんじゃらさんと(うどんを)いっぱい引っ掛けたり(笑))
あのことこのことあったから、今は生き易いです。
最後に、
直ちゃんは5年前に亡くなりました。令ちゃんの転勤先の埼玉で。
まだ早すぎるじゃないの、ね〜。
直ちゃんの葬儀、私は脚の手術したばかりで出られませんでした。翌年、杖をつきつき行きましたら、令ちゃんがアルバム見せてくれながら、いろいろ話してくれて。
「僕たちはね、特別な夫婦だったんだよ。
一度彼女を一人で中国旅行に出してあげたことがあったの。そしたら帰ってくるなり、
『ああ、つまんなかった。今度は一緒に行こうね』
気が合ってたんだよね」
で、この言葉、言う人によっては鼻持ちならないきざなせりふに聞こえたことでしょうが、若い頃よりもっとおニクと貫禄のついた令ちゃんの口から出ると、そして、彼らと一緒に暮らしたことある私が聞くと、
「うん、知ってる、知ってる。よ〜くわかるよ」言いたいんだけど、言葉にならない。ただただうなづいているばかりで。
今回、なぜうつについて連載なんかしちゃったのか、自分でもわからなかったけど、
ひとつには、うつについて知って欲しかった、のかもしれない。
震災とかで、うつが悪化している人がたくさんいると聞いたからかもしれない。
だけど、令ちゃん・直ちゃんのことを書き始めたとき、ああ、この夫婦のことを書きたかったんだと気付きました。
特に、直ちゃん。
小柄だけど骨太の太っ腹、とびきり美人の直ちゃんのこと、覚えておいてくださいね〜。
うつの連載、これで終わります。
読んでくださって、ありがとうございました。
完
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うつ
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「近くの街で映画でも観ておいでよ」
山の中ですが、ちょっと足を伸ばせば津山市という静かな都市がありました。
行ってみると、「白蛇抄」小柳ルミ子主演と、『天国への階段」吉永小百合主演の二本立てがありました。
どちらも、なんだか淫靡・悲惨な感じの映画で、特に吉永小百合が夫を次々殺していくんだけど、それでも清純で美しくて、かえって気が滅入りました。
で、令&直にそのことをめんめんと語ると、
「そうか、明日もうひとつの映画館行ってみたら」
それがグレースケリー主演、ヒッチコック監督の「裏窓」
よかったわん(*^^*)
サスペンスなんだけど、全体に明るくて、特にグレースケリーの強い品のある美しさ。
運命に流されて、とか、ついつい成り行きで犯罪を犯してしまう、とかがないのよね。
勇気をもらいました。
といっても、そのときは言葉では説明できない。
ただただ「よかったのよ〜」興奮して、令ちゃん直ちゃんにしゃべります。あは。
「ほんとによかったんだね。表情まで違ってるわ。な〜」
令ちゃんが直ちゃん見ながらうれしそうに話す。
温泉に連れて行ってくれた時には、私だけ残って一泊しました。
津山市には、ケンタッキーだってあるんですから(^^)v
行きましたよ。
食べ終わると、令ちゃん、残った骨を包んで持ち帰り、スープを作りました。
「これ、いい味出るんだよ」
スパイス効いてうまみが出て、美味でした〜。
彼らも疲れることがあったと思います。
ハイハイしてる子供を抱え、直ちゃんのお腹にはもうひとりの赤ちゃん。
そんなときに、あの頃の私を受け入れて生活するなんて、とんでもない。
落ち込んでましたしね、自分を持て余してとにかく一日生きることに必死でした。
きっとそのあたりで自己中に見られてしまいがちなのかも。
うつの人って、その辺のことは敏感に察していて、ますます落ち込み、だけどどうしようもない、というのが実情なのではないでしょうか。
悪意があるとか、まわりが見えてなくて、迷惑かけても平気というのとはちょっと違うと思う。自己弁護ですけど
それと、
決断ができない。
「おいしいスパゲッティーの店できたの。落ち込んでないで、明るく行こうよ」
なんて誘われると、
周囲の人の気を悪くさせたくないし、傷つけたくないし、だから考えすぎて「断われない」
で、結局ドタキャンして、かえって迷惑かけて、ますます落ち込みが激しくなる。
自分を責めてしまうのです。
えっと、うつになる前、ガラにもなく二人からプロポーズなんかされて、上手に断れなくて、かえって申し訳なかったというわたくしの実感です。
「全ての人を喜ばせようとすることは、結局のところ、誰をも喜ばすことはできない」
西洋のことわざです。はい。うつ以降の私は、これがモットーになりました。
それと、ケセラセラ、なるようになる♪(笑)←これって、ケラケラに似てません?
直ちゃんが私の話を聞いて、
「あなた、そこまで考えなくていいのよ。相手だって立ち直るんだから。
自分のことだけ考えてればいいの」
ケラケラ笑い飛ばした。ケセラセラ……似てますね〜。
こうして滞在を終えて帰る私に、
「3月に仕事やめて行くとこ決まらなかったら、またうちにいらっしゃいよ。電話してね」
まったく、彼らがいなかったら私は今ごろどうしちゃってたでしょう。
私はこのあと島に帰り、少しずつよくなって明るくなっていきました。
そうなれば現金なもので、島の風景の美しいこと。心に沁みました。
つづく
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うつになった私は、職場に一ヶ月のお休みをもらって、「おいでよ」と誘ってくれた友人夫婦、令ちゃんと直ちゃんの家に滞在することになりました。
おもろい夫婦は、よく私のお相手をしてくれました(笑)、というより、まったくいつものとおりじゃなかったのかな〜。
一緒に買い物行くとするでしょ。お腹の大きい直ちゃんを労わり、令ちゃんがカートを押しながら、
「この人ね〜、結婚したばかりの頃、牛肉なんかレジ籠に入れてたんですよ。
で、『どうして牛なの?』って聞くと、『だって好きなんだもん』
そりゃ〜、ボクだって好きですよ、牛肉。だけどね、一ヶ月のこと考えると、うちなんかどうしたって鶏。せいぜいたまに豚でしょ。
ちっともわかってないんだわ。実情。
最近はさすがに入れないな、牛」
ちゃきちゃき、けらけら。江戸っ子令ちゃん。
で、帰宅して料理する直ちゃんの手際のいいこと。
食材を切って炒めたりゆでたり(このあたりは私もお手伝い)、さっと調味料の表を見て調合し、
和洋中なんでもござれでした。おいしいし。
なんでもこの料理の腕をみそめられて、令ちゃんとのお見合いの運びになったそうだけど、
うんうん、納得。
学生時代は全寮制だったから、そんなことわからなかったけど……。
小柄なのに大きな中華なべを振るい、てきぱきごちそうを作る、
太っ腹で骨太九州女、直ちゃん。
「お墓の草むしり行くから手伝って」
ちゃきちゃき、口も手も動かしながら、汗拭き吹き、令ちゃんがおむすびつくり、麦茶水筒に詰めます。
行っても一番よくはかどるのはやっぱり令ちゃんです。
私は一本ひいてはため息つき、二本目ひいてはじっと地面を見る、といった具合で、ものの役に立たなかったけど、にぎやかにおしゃべりして気持ちを引き立ててくれます。
おしゃべりしながらも手は休ませない。みるみる草が引き抜かれきれいになっていって。
あとは汗を拭きながら令ちゃんの手そのままのでっかいお結びにウインナーを広げ、令&直&赤ちゃん&Me、プチピクニックをしました。
帰宅して驚いたのは、どっさり蕗を採ってきてたこと。あんなにしゃべくりながら、いつの間に。そういえば……草の間に蕗も生えたたわね。
令ちゃん、蕗を洗ってちゃっちゃっとゆでて筋とり、炒めてしょうゆみりんで味をつけ、夕食の一品。
一日が終わると、居間でコーヒー飲みながら、夫婦で私の話を聞いてくれます。
「うん、うん」と笑顔で受け止めてくれ、相槌打ってくれる令ちゃん。
けらけら笑いながら、私のうつ的思考回路(笑)を安全なところへ戻してくれるのは、直ちゃん。
「あのさ〜、どうしてそんな風に思うの?そういうとこ、ヘンなのよね、あなたの考え方。それはこうなって、ああなのよ」
え〜とですね、直ちゃんは昔から誰かがへんな方向へそれそうになったら、まるで猫がネズミを見つけたときのように息を弾ませとびきりの笑顔でズバズバ言ってたものです。
で、恨みはかわない。
学長だって、嫌われ者の舎監だって、そうそう、会社のお偉いさんだって、直ちゃんにはコロリ、イチコロでした。だけど、
数年後、私も刺されてコロッといくなんて。予想もしなかったわ。
もし今直ちゃんがそばにいたら、
「あなた、なんで私をブログネタにしてるの?やめてよね、まったく。ヒマなんだから。
もう行かないといけないんじゃないの?
ちっとも変わっていないわね、昔から」
けらけら息を弾ませて笑いながら言ったことでしょう。
もっとこの夫婦のこと書きたいけど、直ちゃんが出てきたんじゃしょうがない。
ちょうど時間となりました〜〜〜♪
また次回にしようっと。
つづく
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当時、四国から外へ出るのは乗り換えに次ぐ乗換えでした。
高知・徳島・愛媛・香川、どこからであろうと列車でひとまず高松へ集合(笑)して、連絡船で本州岡山宇野港へ、それから電車で岡山まで40分揺られ、やっと新幹線に乗り込むという。
乗り換えのたび、みなさん出口に並んで列を作り、到着すると先を争って次の乗り物に走りこむのです。
脚が達者でなければ(笑)、四国から出ることもできない時代でした。
幸い幼稚園への山道で鍛えた足腰。無事乗り換えをクリアし、岡山からさらに山奥への列車で、無事友人夫婦の家へたどりついたのはもう夜でした。
着いたとたん、友人に会った安心感から、ずいぶんいろんなことをしゃべってしまったような気がします。
ころあいでさえぎろうとする奥さんに、ご主人が、
「ひとりで暮らしているとね、とにかくしゃべりたいものなんだよ。
いいよ、いいよ、話してしまいなさい」
このご主人、独身でその土地に赴任、数年後、彼女と結婚したので、ひとり暮らしの孤独はよ〜く経験している方でした。
ご主人とか、奥さんとか書くのはどうも水臭い。二人とも学生時代からの親友なのですから。
ご主人を令ちゃん、奥さんを直ちゃんと呼ぶことにしましょう。
令ちゃんは見かけはちょっと暑苦しいおデブさんですが、江戸っ子で、すべてにちゃきちゃきしてます。しかも心のあったかい下町育ち。
直ちゃんは、九州女、小粒ですが気性は骨太、笑顔に潤いのある美人。紛れもなく(^^)/
時に思ったままを言ってくれてグサグサ刺しますが、彼女に笑顔で言われるとなるほどと納得。人柄というよりはスケールの大きさでしょうか。
まだハイハイしているお嬢ちゃんと、直ちゃんのお腹にいるもう一人(0.5人)と、転がり込んだ私、4.5人の生活が始まったのでした。
親友だけど、一緒に暮らしたのはそれがはじめて。
で、これがね、おもろい夫婦で(^0^) つづく
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火事に会い → ちいさな島へ赴任 → うつ → 一ヶ月の休暇をもらって島を出た私は、
一週間後には、中国地方のど真ん中、岡山の山の中にいました(^^)
はじめはね、
ひとまず愛媛の実家へ帰りました。ゆっくりするつもりだったのですね。
「早く治して復帰しなくちゃ」
頑張ってのんびりして、不眠だった分とにかく朝寝。
誰かが同じ家にいて、安心して眠れるというのは、なんてありがたいことだったでしょうか。
当時は今ほどうつがポピュラーでなく、心療内科なんてものもありませんでしたし。特に田舎(笑)
家族の中で、
母親は島に来たことあったし、状況もよくわかっていたので、見て見ぬ振りしてくれたのですが、
おさまらないのが同居の爺婆です(><)
明治生まれで、日清日露とふたつの大戦くぐってきた祖父母。
月月火水木金金
うつなんて言葉は聞いたことなく、現在のように、「うつの人を励ましてはいけません」なんてことも知らなかったもので……いえ、知っていてもそんな事はばかばかしいと、鼻で笑ったに違いない。
「このぐうたら孫娘を何とか立ち直らせんとイカン」
使命感に燃えて、朝から晩まで私を叱咤激励してくれました。
あのね〜、
うつの人って、そんなこと百も承知なんです。
自分が怠けてるな〜、とか、ぐうたらで申し訳ないな〜、とか、情けない思いをしています。
早く普通になって、人の役に立ちたいと思っているんです。
自分を責めている。
このままでは世間から、いえ、家族からも見捨てられるんじゃないかと、いつもとっても不安なんです。
だけど、心も身体もじれったいくらい動かなくて、泥のように内側へ沈んでいく。
私の落ち込みはますますひどくなり、回復が遠のいていくばかりのように思えました。
そんな時です。学生時代から親しくしている友人夫婦から電話がかかってきました。
岡山に住む彼らは、それまでのいきさつを全て知っていて、心配してくれていたのです。
「親の家はかえってゆっくりできないもんよ。
うちへ、おいでよ」
「赤ちゃんいるからおもてなしなんかできないけど。お手伝いもしてね、無理ない程度に」
暖かい言葉でした。
実家の爺婆の半端ない愛の無知……いえ、鞭に追い詰められていた私は、激しく迷いながらもやむにやまれず、身の周り品トランクに詰めて、列車に乗り込んだのでした。
つづく
瀬戸大橋からの夕日です。
当時はまだ橋は架かっていませんでしたから、連絡船で瀬戸内海を渡りました。
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