ひがんばな

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姫林道

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家から3分くらいのところにあります。
もっと美しかったのですが、数年前の台風で荒れてしまいました。
いつものように、おむすび・コーヒー・本の3点セットを持って(*^_^*)


じつはじつは、この道のお隣の小山に、私の母の戦国時代のご先祖が城を構えていたのかもしれないのです。
郷土の歴史を調査・研究していらっしゃる、信藤英敏氏という方の説です。
その方の著書によると・・・
河上但馬守が隣町に川之江城を賜る前、長田城に住んでいたと一般に認められている。その長田城、現在の土居町あたりというのが定説ですが、信藤氏は、豊岡町の長田ではないかと、新説を唱えておられます。根拠は、長田の小山に戦国時代の城址の跡があり、城の名前と地名が一致するからなのです。
(この写真群の小道の隣の小山に、ほんとにその城址跡があります。私もこの目で確かめました)

初めて信藤氏のそのお説を読んだ時、血が逆流する思いでした。
お気に入りのこの山の小道・・・
ご先祖の但馬守が、その愛娘年姫と共にそぞろ歩きしたかもしれない。
睦まじかったふたりは、この山道を下り、田の間を抜けて、やはり私が大好きな海辺なども散策したかもしれない。
年姫には、村の青年との淡い恋などもあったかしら・・・?そしてそれはひょっとして、私の主人のご先祖だったかも・・・
もうもう、想像はどんどんふくらみ、私の生活に彩りを与えてくれました。

それまでは、この豊岡という土地、あまり好きじゃなかった。
古い土地柄で封建的。周囲は主人の親や親せきばかり。どこへ行っても、家にいてさえも、どこからか見られているようで、息苦しかった。
それが、この一つの仮説ですっかり変わってしまいました。

人や風景は変わっても、自然はその頃と同じでしょう。
気がつけば、あれほど疎ましかったこの豊岡という地を、私は好きになりかけていました。

      11 城主

 晩年の祖父が暗い土間に座り、きせるをふかしていた姿を思い出す。
 天井からは、彼が海で釣ってきた1メートルもの太刀魚が銀色に光りながら何本もぶらさがっている。
 祖父は、まだ火のついている煙草の塊を、きせるをひっくり返して、ぽん!と掌に受けて、そのまま悠々と、きせるに次の煙草を詰めて、吸いながら掌の煙草の火を移す。その後、最初の塊を煙草盆に捨てるのだった。
 私たち孫は、手品を見せられたようにびっくりし、たまたま祖父がくつろいでいるときに行き合わせると、何度でも「じいちゃん、たばこ、見せて!見せて!」とせがんだ。
 祖父の日焼けした頬がかすかにゆるむ、唯一の瞬間だった。
 祖父の手は、長年の厳しい生活のため、皮がごつごつし、指も太かった。 そのくせ、うなぎをさばいたり、大工仕事をするときなどは、驚くほど器用なのだった。
 祖父は、その手で家族を養い、祖母と共に、太刀魚のぶら下がる城を建てた。
 祖父もまた城主であった。

      12 しあわせな絵

 松山の美術館に着くと、搬入口はごったがえしていた。絵は、係員のお兄さんに引き渡され、せわしなく奥へ運ばれて行った。
 審査員の目にかなえば、夫の絵は、秋の県展のひと時、洋画部門の壁を飾るだろう。どちらにしても、ひがんばなは、絵の中にその姿をとどめることになる。
「私も、書いてみよう」
帰りのハンドルを切りながら、私は不意に思った。
 描いてみよう。祖父母のことを。
 好きあって駆け落ちし、死にものぐるいで働いて子を育て、身代を増やし、同じ年に逝った二人のことを。
 二人の姿は、何かの形で、しばらくでも残ることになるだろう。
            
  ********************

 その年、夫のひがんばなの絵は、落選。夫は、首をかしげながら美術館へ取りに行き、玄関にその絵をかけた。
 ご近所、友人、集金の方々など、わが家を訪れた人は皆、それを見上げて、(その大きさに)へえーと驚き、だれの作かと尋ね、ひとこと、ふたこと、ほめる。
 幸せな絵である。
 私も、こうして、どこに出すでもない覚え書を書いている。
 せいぜい、おじおばいとこたちが、
「じょうずに書いたなぁ」と、ヨイショしてくれるくらいなものなのだ。
 似たもの夫婦である。                  


    ひがんばな   おわり

 私が住む市は、日本有数の製紙の市。 狭い平野に、大小約50の製紙工場がひしめいている。
 中でもXという会社は巨大で、この一社と下請け・運送などで市全体が潤っている感がある。
 Xの社長一族は、市のあちこちに豪邸を構え、一目でそれとわかる姓の表札を出し、静かに、無敵を誇る。

 しかし、わが市にはもうひとつ、ひそかな無敵一族があるのだ。
 何を隠そう、駆け落ちした無一文の祖父母から始まった13人とその子・孫・ひ孫etc.のわが一族。
 お金と力は、今は、ない。姓も、バラバラ。でも、コネときたら、あなた、新聞販売所・牛乳販売所・化粧品・NTT・漁業組合長から、みかん農家・お掃除のおばさん・看護師から葬儀社・少年野球監督から塾、などなど、
親戚でなんでも間に合ってしまう。
 たとえば・・・
 従弟のKが、リストラされた。休職中の情報が、親戚中に飛び、従姉のRからKのもとへすぐ電話が入る。彼女は、葬儀社社長夫人。Kをくどきにかかる。
「葬儀屋は、ええで〜。不景気でも、仕事がとぎれることないんで。うちに来たら、ゆくゆくはええとこに昇進させてあげる」
 子育て真っ最中の従姉Iがパートの仕事を探しているが、子供が小さいので敬遠され、なかなか決まらない。Iの母親が、ぼそっとつぶやく。
「新聞屋のOが、新聞配達の人、探しよるよ。
お前の家の近くの区域の配達のヒト、急にやめたいうて、弱っとる。
あれだったら、子供寝よるうちにできるわなぁ」
 田舎でこれだけのコネがあれば、無敵である。
 反面、新聞から葬儀社まで、他からどんな魅力的な勧誘があっても、浮気はできないということでもある。 

ひがんばな9 テスト

 数年くらい前まで、私は時々母に意地悪した。
 ボケ防止に、母の兄弟姉妹全員の名前を訊いてみるのだ。
 母は、目を宙に泳がせながらいくつかの名を挙げ、
「今で、何人言うた?」とくる。
 数えて告げると、さらに幾人かの名を思い出す。でも、たいてい、3〜4名ほど足りない。ずいぶん時間をかけて、やっと13人全部挙がっても、今度は順番が違っている。それを正して、やっとご正解!となる。
 この間、約15分。まるでパズルだった。
 全員、きっかり二年ごとに生れ、今残っているのは6人。 私など、死ぬまでに一度も会わずに終わるだろう、おじ・おば・いとこたちも多い。

 祖父母に、離婚の危機が訪れたことがあった。
 80歳を過ぎた祖父の背中が前屈みになり、祖母の腰がジャックナイフのように曲がって横向きにしか寝られなくなってからも、二人は同じ部屋で起き伏ししていたが、
 突然、祖母が離婚すると言い出したのだ。
 もうずいぶん前のことだけれど。
 はじめは皆、ボケが始まったかと思い、適当にあしらおうとしたが、祖母は、叱られても、なだめられても、頑として言うことをきかない。離婚しなければならないと、繰り返すばかり。
 祖母の両親が夢に現れ、
「おまえの目と耳が不自由になったのは、かたきの川上と結婚したからだ。別れよ」
と告げたのだという。
 目と耳が不自由といったって、もう80過ぎだったのに。
 おそらく、若い頃自分の親にそむいて祖父を選んだという後ろめたさ を、祖母なりにずっと抱いてきたであろう。
また、目と耳が悪く寝たきり、しかも意識ははっきりしているということは、何も気を紛らすことがないということでもあり、ずいぶんつらい毎日を送っていただろう。
 後ろめたさと不自由さ、それが、このような夢をみた原因だったのではないだろうか。
 祖母の離婚宣言に、親戚中、大騒ぎになったが、ここで子供13人という数がものをいった。
「バチが当たったのなら、これほどの子宝に恵まれるはずがないではないか」
 祖母は納得して、おとなしくなった。
 二人は最後まで同じ部屋で過ごし、同じ年に亡くなった。

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