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まあ、ほんまにビックリしました!!!
 
私、神戸にいたんです。セミナーで。二泊三日のホテルシングルに逗留。
それはもう快適で、夜はセブンイレブン行ったりして。
四国のこのあたり、ないんですよね、7−11.
 
二日目、6月28日の午前中のセミナー、講師はヨボヨ・・・あ、いえ、ご高齢の方で、結構ユーモアのある方で、難しいお話も楽しんで聴けました。
お昼からはそれぞれオプションの半日ツアーに出かける予定で。
 
12時前に、マナーモードにしていた携帯見ると、実家の母親がお世話になっているケアサービスの事務所からと、妹からの着信履歴が複数。
 
母は毎年夏になると入院します。
それくらいに考えていて、妹に電話すると、いきなり
「死んだ」
ですもんね。
 
あれから二週間たちました。
 
欠点だらけの母でした。
小さいころから私とはそりが合わなくて、価値観も生き方も感じ方も違う。妹とはよくけんかもしてましたが、双子のように気が合って買い物なんかも毎週連れ立って出かけて、私はそれを別にうらやましいとも思わなかった。
 
家族って不思議ですね。
もし他人だったら最初から当たり障りなく挨拶程度で済んでいただろう関係が、何十年も続くんですから。
 
一度友人の家に泊まったとき、お母さんが穏やかで優しくて、友人をたしなめているのに出会って、「こんなホームドラマみたいなお母さんも本当にいるんだ」
カルチャーショックでした。
 
だけど、母は合わない私を必死で追ってくれた。
20歳のころ、家出同然で飛び出した私に、しょっちゅうお菓子や服を詰め込んだ小包を送ってくれたし。
小学生のころ買ってくれた本棚、今でもペンキを塗って立派に使えるし。
自分が子育てしてみると、やりくりして本や文具や本棚など、しっかりしたものを揃えてくれていたんだなとわかるんです。
 
合わないし、感情的だし、思い込み激しくやきもち焼きで。
 
ぢゃ、よそのお母さんと取り替えましょうか、と言われたら、やっぱりいやで。
今、この瞬間だから書けるけど、これが
「かけがえない」ってことじゃないでしょうか。ね。
 
 
もうこの齢になれば、そしてあれだけ長患いしていた母でしたから、亡くなったことは、やっぱりさびしく悲しいときもあるけど、覚悟はできていました。
それより、痛みや苦しみが日夜あって、生きることが苦しそうだったから、
 
むしろ母には
「よかったね」と言ってあげたい。
 
何年も苦しい顔しか見てこなかったけど、亡くなったその顔はとても穏やかできれいでした。
 
ほんとに、「よかったね、楽になったね」
 
父も、妹も、私も、これが実感です。
 
 
今回、いろいろご心配くださり、コメントやメールを送ってくださった方々、
ひそかに心配くださっていた方々、
 
ありがとうございました。

遺言といちおくえん

きのうの午前中、携帯置きっ放しであれこれ動いているうちに、気がつくと、父からの着信履歴がふたつも
 
父は昭和ヒトケタ生まれです。
ヒトケタは待つことができない。しかも、男は。
 
あわててこちらからかけなおすと、
 
「あんの〜〜〜。(あのね)
おかあちゃんのことたのむな〜〜」
 
まったく、昭和ヒトケタ男は言葉が足りない。
ここだけ聞くと遺言のようで仰天してしまうんですけど、父の言葉を翻訳すると・・・
 
もう暖かくなったし、母の様子も今日は少し落ち着いているし、
自分も気分転換に、250CCバイクでブッと遊びに出かけたいから、
母のそばについていてくれ・・・との依頼というか、通達でした。
 
ひょっとしたら、私が電話に出なかったから・・・父は待ちきれず、もうバイクにまたがり出ているかもしれない
 
急いでお弁当買ってかけつけると、やっぱり!!!
父はすでに出かけていて、母はベッドで目を開いてじっとしていました。
 
最近の母は、もう抗うことはあきらめた目をしています。
 
それから数時間……。
 
四時過ぎると、母は父が事故か何かにあったに違いないと心配し始め、お腹が痛いと訴え始めました。
さすったら、手を払って、
「これはお父ちゃんのことを心配しての痛み。いつもはこんなことはないのに」
(うそだっ。いつもだっ
 
3分おきに、
「今、何時?」
「四時○分」
「やっぱり交通事故におうたんじゃ。
おとうちゃん死んだら、オカアチャンハどうしたらえん?どないしょ〜。オナカイタイ〜〜。アイタタ
という会話が10回ほど交わされ、
 
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
四時半になると、父がブルンブルンバイクの音響かせ、帰ってきました。
 
「としこさん、かえりましたっ。いかがですかっ」
「おなかがいたいっ?そうですかっ?安定剤、いれましょうねっ!!!」
 
はしゃぎまわりながら、はつらつとお薬の支度をはじめ、
私にはおみやげ。
 
 
               ぶどうまんじゅう。徳島の名産です。
 
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                       こんなにちっちゃいの(^m^)
                       いっちょまえに、串刺しです。
 
 
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               お小遣いも、くれましたよ〜。
 
 
 
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  い〜ちお〜くえ〜〜ん
 
 
          父と仲良しのむすこBにあげました(^^)/
 
 
 
 
 
4年前の今日、私は、脚の手術のため入院した。9月15日は、その記念日。

その同じ日の今日、母が手術を受けることになった。午後から。同じ病院で。

ほんとなら手の一つも握って励ましたいんだけど、実は私きのうから風邪で、喉が少し痛くて、寒気がしている。
インフルエンザだったら、どうしよう。

「んなら、はやくねなさい」とどっからか声がする。あ、ご心配なく。心の声です。

母のことは妹と父に任せて、わたしはもっぱら風邪を治すことにしよう。

「そうそう、うつしたらいかんかろ、お母ちゃんに」・・・これは、妹の声です。昨日の電話の。

思えば先週から四国駆け足でめぐったしなぁ〜。
四国は広いから、ちょっとハードだったかしら?

それもこれも、もうすぐ連休が始まるし、母が入院して手術待ちだった。で、それまでにブログもひと山仕上げておかないとという目論見だったのだ・・・が、意外と手術が早まった。

母は前回の入院前から食事を口から摂るのが困難になっていた。なのに、
強引に退院させられて、二か月ほどすったもんだして、いよいよまた別の病院に入院。今回、胃から直接栄養をとるための手術することになったのだ。

いよいよ大詰め。

>>>4年前の私の手術の日、母は車いすで来て、手術室へ運ばれる私を見送ってくれたっけ。
入院中はお見舞に来られなくて、その代わり、毎日洗濯物を引き受けてくれた。・・・実際にしてくれたのは父だったけど。母の号令で。

あれから、たった4年。母は見る影もないほど衰えた。


風邪が治ったら、また私の出番もあるだろう。

もう寝よう。王子様、起こさないでね・・・って、いないけどね〜(^^ゞ

ないたあかおに

今回、母の入院は長い。
微熱が去らないせいもあるだろうが、やはりおととしより去年、去年より今年・・・年々弱っているのがわかる。
朝昼晩、妹私父で食事の介護に通うのも長期戦になるかもしれない。
おとといの火曜日、都合で行くのが遅くなりそうだったので、ナースステーションに電話してその旨告げて、食事介護をお願いした。
もともと他の患者さんは看護師さんたちが介助しているので問題ないし、母も少しずつスプーンで食べるようになっていたから大丈夫かなと、軽い気持ちだった。ところが、

12時を20分ほど遅れて病室に入っていくと、母が私を見て泣き出した。
それもしゃくりあげながら、激しく。
私も驚いたけど、介助中の看護師さんも驚いた。
「としこさん、娘さん、きてくれたね。よかったね。
ほんでも、私ではだめなん?私食べらしてあげよるがね。
私ではだめなん?」
笑顔で熱心に話しかけてくれたけど、母のしゃくりあげはやまない。

看護師さん、スプーンを私に渡して、ちょっと気を悪くした風で部屋を出て行った。

母の涙は何度も見たことがある。
親戚のもめごと。
20歳過ぎて、私が東京へ飛び出してしまった時。
妹とけんかして、
自分ががんの宣告を受けた時、
次第に寝たきりになってきたとき・・・

母は何度も泣いた。が、それはあくまでも人生の先輩としての、母の涙だった。やっぱりちょっとおっかない母は残っていた。

昔から、母は、気が強く、思い込み激しく、かっとして頭に血が上ると何をしているか分からなくなることがよくあった。すりこぎ振り上げた母に追い詰められあわやというとき、父が帰宅。父は顔色変えて止めてくれた・・・ことがある。

ま、母娘、女同士ということもあって思春期のころはいろいろありました。


どちらかといえば、私より妹と性格の似ているところがあり、二人は一時双子のようによく気が合い、買い物に、家の改築に、と、何でも一緒にしていた。
長女でどちらかといえばおっとりの私は…はっきり言って、母とは「合わない娘」だったのだ。

結婚・出産という女のイベントを経て次第に友達となっていったかな。

母は、いざ自分が寝たきりになり以前のようにしゃかしゃか動けなくなったら、「おっとりもいいかも」と気がついたのかもしれない。

とにかく
「しゃくりあげる母」はもう以前の母ではない。
保育園児が、お迎えの遅れた母を見たとたん飛んで行ってしがみつくように、
「どして、おそなったん」(どうして遅くなったの?)と責めるように、いつまでもしゃくっている。

私はじ〜〜んとして一緒に泣いて・・・いるわけにはいかない。
バトンタッチされたスプーンで食事を母の口に運び、
時におだてながら、時に叱りながら、
食後は、食器を所定の場所に返し、
むせないように、とろみのついた水を作って少しずつ薬を飲ませ、
歯を磨き入れ歯を磨き、コーヒーを一緒に飲みながら話しかけて、
ベッドを倒して母を寝かせ、汚れたよだれかけエプロンを洗って・・・
遅れた分、ちょっと忙しいのだ。

食事し損ねたので、帰りは珍しく喫茶店にちょっと寄った。
ここは仕事が速く、サンドイッチをハーフで出してくれる。

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期間限定、夏ミカンジュース。すっぱくシブく、ほろにがく。そのままだとぜったい飲めないので、きっと蜂蜜が入っています。夏ミカンもこの頃見かけることが少なくなったそうで、この日で終わり。期間一週間、ほんとに短く限定です。

コースターもかわいかったです。



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一番忙しい土日が終わり、月曜の朝は半ば放心状態。
だらだら過ごして11時ごろからやっと心身に力が戻ってくる。

もうすぐ母の病院へ出かける…と思ったら、気が重い。

ちょっと悩みあるときの気晴らし、人それぞれでしょうが、

私は、

ひとりケーキ。
このあたり、ハタダというケーキチェーン店があって、お店の片隅にセルフのコーヒーコーナーがあります。ちゃんと、椅子とテーブルも置いてあって、ケーキ一つからでも運んでくれてコーヒータイムができるのです。
一個だけケーキを選び、窓越しに海と国道と走る車をぼ〜〜っと見ながらゆっくりと。
終わった後は我にかえり、何となく後ろめたく、たいてい息子たちにケーキを選んで持ち帰ることになるのですが。

また、あるときは、ぶらり、ひとりお寿司。
おやじのように、おしぼりで手を拭きながら、倍ぐらい濃い目にお茶を淹れ、
目の前を赤や白、黒い軍艦が来ては去ってゆくのをぼーーっと眺め、ゆっくり一皿、、、ふた皿、、、、、。たいてい三皿で、お腹いっぱいになります。
片肘ついておちょこ傾けないのは、お昼ということも、運転しないといけないということもあるけれど、一番の理由は下戸だから。
この場合も我に帰ったらやはり後ろめたく、主人にお刺身など買って帰ります。

どちらも2ヶ月に一度ほど、300円以内でできる一人の気晴らし。時間も20分ほど。
と、言い訳がましく書いてしまうのは、どっか後ろめたいからなのですよね。



ま、とにかく、行ってきます。きっと父もまた来ていて、騒いでいるかも。
庭の紫陽花、切って持って行きます。

何か持っていったときの母の口癖。
泣きながら、
「もうこれを見るのもこれで最後。来年私は生きていないだろうから」って、
何年前からそれ言ってるんでしょうか。
毎年の口癖。
きっと来年も言ってるのかな?

今日も帰りに寄るかもしれない。たぶん、ケーキのほうに。


みなさんは、どんな気晴らししていらっしゃるのでしょうか?


では(^。^)

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