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新聞配達始めたころ、息子は6歳7歳。 半年後、長男は小学生になりました。 雨の日など、どうしても少し遅くなります。長男は制服に着替えてこたつに入り、じっと待っていて、 「かあさん、ぬれとる」 帰った私の首筋や髪の毛を手でこすって乾かしてくれます。 そのうち、ふたりの息子は、私のおみやげ話を楽しみに待つようになりました。 お話の登場人物は、やさしく頼もしい配達仲間。 たとえば・・・ >>>山道で蛇に出会った日は、 「今朝は龍に襲われそうになってね、紫の剣士にたすけてもらった」 紫の剣士とは、いつも紫の上下に身を包み、バイクのけむり巻き上げながら一心不乱に配達してい くきりりとした女性のこと。 配達を終わった昼間は、庭の芝生や花壇を美しく整え、かわいいお人形作りが趣味の、ママさんです。 >>>「雪の山道ですべって、モレが怪我して泣いてたら、 水色の妖精のおばさんがおりてきて、治してくれたんよ」 これは本当。雪の山道でモレがすべり、泥よけが割れて私は下敷きに、 雪の中起き上がれずにいたところを、通りかかったお仲間に助けられました。 水色の妖精のおばさんとは、配達30年のベテランおばさんのことで、 白いゴム長と水色のジャケット着て、急ぐ風もなく着実に配って行きます。 私が怪我したとき、ヤクルト持ってお見舞いに来てくれたおばさんです。 >>>道路工事中で、通行止め。ショベルカーが置かれていたとしますと・・・ 「くびながきょうりゅうに意地悪されて通せんぼされたから、やっつけようと思ったら、 ぼこぼこ足跡付けながら追っかけてきてね、違う道通って帰ったんだよ」 ボコボコの足跡とは、ショベルカーが掘った穴のことです。 >>>息子たちがいちばん好きだったお話は、マント翻した覆面ライダーでした。 この方は男性で、黒い目出し帽をかぶって、配っておられました。 はじめこわくて私は寄り付かず、お話の中では「デストロイヤーさん」と呼んで、悪役をつとめて もらいましたが、 そのうち親切とわかり、 そのうち同い年らしいとわかり、 そのうちそのうち、なんと、中学時代の同級生とわかりました。ナンノコッチャ!!! わたしは「覆面ライダー」とだけ言ったのが、息子たちの想像の中で、ライダーはマント翻えすよ うになり、どんどんカッコ良くなっていったみたいで・・・。 こんなふうにしながら、 毎朝、毎朝、お話聴く息子たちの目の輝きが楽しみで、新聞配達は続いていきました。 息子たちは「ええなぁ、母さんだけ、まいあさ、ずるいなぁ」 しんから悔しそうに言います。 そのくせ、私の帰宅を待ちかねて、「きょうは、どんなことしたん?なぁ、なぁ!」 聞きたがるのでした。 そのうち長男の目の中に、「これ、ほんとかなぁ?」という色が見え始め、 「どうせ、作り話だろ?」とはっきり言うようになった頃、私の新聞配達は終わりました。 モレ物語、最後に大ボスだった伯父のことを書いておきます。 伯父は第二次大戦中、派兵された中国で終戦を迎え、ソ連シベリアに抑留されました。 過酷な労働環境の中、仲間は次々死んでいきましたが、伯父は何とか生き延びて。 帰国して体が回復してからは、休みなく働き、新聞販売所の権利を買いとり、ますます働きました。 「シベリアのことを思えば、これくらいのことなんでもない」が口癖。 厳しい人でしたが、配達員にはいざというとき頼りになるボスでした。 困っている人を無利子でたすけ、配達料から少しづつ返済させたり、 音楽の好きな高校生に、やはり無利子でギター代を援助して、お給料から天引きしたり、 気骨と人情味ある人でした。 モレのお話は尽きませんが、ほんとうに貴重な一時期だった…まとめてみて、あらためて思います。 モレと仲間と幼い息子たちにたすけられて夢中で過ごした3年間でした。
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目覚まし、あれだけ鳴ったのに知らん顔して。


