古今亭日用工夫集

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小笠原兵団長・栗林忠道中将(大本営は訣別電報を受けて栗林を大将へ昇進させたが、栗林本人にそのことを知る術はなかった)は硫黄島でどのような最期を遂げたのか。妻子を内地に残して硫黄島に渡り小隊長として部下を率いた30代の召集将校たちの苦悩とは。オリンピックの英雄としての奔放な言動で知られるバロン西中佐の、家庭人としての知られざる素顔。栗林の派遣参謀として父島に着任した堀江芳孝少佐の生涯の心の傷となった「父島人肉事件」の真相。皇室バッシングによって心因性の失語状態となられた皇后陛下が硫黄島慰霊訪問においてお声を取り戻すことができたのは何故か。

前著刊行後の取材と資料によって発掘された新事実を紹介する、『散るぞ悲しき』完結編。著者の初めての硫黄島渡島の思い出を綴った「わたしの硫黄島―あとがきに代えて」も感動的だ。



白眉はやはり第1章の「栗林忠道 その死の真相」であろう。栗林の最期については、最後の総攻撃の陣頭指揮をとった末の戦死(師団長クラスの将官が自決せずに突撃に参加するのは極めて異例)という見方が通説である。しかし硫黄島からの生還者の中には、栗林の死の瞬間を目撃した者がいないため、事実確定は困難であった。
そして近年、雑誌『SAPIO』2006年10月25日号において大野芳によりアメリカ軍に降伏しようとして部下に斬殺されたという異説(「栗林中将の『死の真相』異聞」)が唱えられた。著者はこの大野説を詳細に検討する。大野説の論拠は、防衛庁編纂の『硫黄島作戦について』(昭和37年)に収録された堀江芳孝元少佐の証言である。

著者は堀江証言について、
○堀江は硫黄島戦当時は父島を任地としており、栗林の最期を直接見たわけではない。伝聞情報にすぎない。
○堀江は防衛庁防衛研修所戦史室の聞き取り調査(昭和36年)以後にも、(平成に入ってからも)栗林投降説をしばしば語っているが、情報源に関する説明が二転三転している。
○堀江が情報源として掲げた証言や資料は確認されていない(「そんなことを堀江に言った覚えはない」と完全否定、など)。
といった点から、その信憑性を否定する。

また堀江が投降説と共に述べた、“栗林中将は米軍上陸後1週間くらいでノイローゼとなり、高石参謀長ら幕僚たちが代わりに指揮を取った。訣別電報も参謀が書いた”という証言に関しても、
○栗林は玉砕からおよそ20日前の3月7日、長文の戦訓電報を東京に発して、大本営の方針を痛烈に批判している。
○戦訓電報が栗林の陸大時代の教官である蓮沼侍従武官宛てとなっている。
といった事実に注目し、参謀の代筆ではなく栗林本人が戦訓電報を書いている点から見て、栗林が硫黄島戦の最終局面まで司令官としての役割を果たしていたことを論証している。


著者は、昭和27年2月1日付の毎日新聞に掲載された「栗林が8月15日に2名の幕僚と共に白旗を掲げて米軍に投降してきた」という米軍将校の証言(栗林の後任として第109師団長となった父島の立花芳夫中将の降伏と混同したもの)を紹介したコラムを基に、堀江が証言を捏造した可能性を指摘している。捏造の動機としては、日本の敗戦を見通した結果、戦うことを諦めてしまった堀江の、軍人として名誉の死を遂げた栗林に対する負い目や嫉妬が想定できよう。第4章「父島人肉事件の封印を解く」で明らかにされているように、軍人としての死に場所を得られなかった堀江の“戦後”は決して幸福なものではなかった。

降伏証言が創作され、それがある程度の広がりを持って信じられるようになった(何と現役の自衛官の中にすら信じた人がいる)社会的背景として、著者は戦後的価値観の浸透を挙げている。
昭和27年頃になると、あの戦争は間違いだった、駆り出された兵士達は犬死だった、という言説が盛んになり、その結果「どうして栗林中将は投降して部下たちの生命を救ってくれなかったのか」という怨嗟と、「兵士思いだった栗林中将なら投降を考えたこともあったかもしれない」という期待とがない交ぜになった空気の中で、降伏伝説が生まれたのではないか、というのだ。


現実の栗林は単なるヒューマニストではなく、一兵卒にも親身に声をかける一方で「ゲリラになってでも敵を苦しめよ」「負傷しても捕虜とならず敵と差し違えよ」と部下に命令する厳しい軍人であった。そうした栗林の非情さを現代の価値観によって指弾するのはたやすい。だが硫黄島が米軍の手に落ちれば本土が空襲を受け、多くの民間人が犠牲になるであろうことを、栗林は知っていた。大本営に対米和平を進言しても容れられなかった栗林には、どんなに戦死者を出そうとも、徹底抗戦してアメリカ国民の厭戦気分を喚起する以外の方法はなかったのである。栗林は戦略的・戦術的制約の多い中、現地の最高指揮官として最善を尽くしたと言えよう。

著者は言う。「現代の私たちの感覚で戦場を語ろうとするとき、多くのものがこぼれ落ちてしまうことを忘れてはならない」。彼等の死に勝手な意味づけを行うのではなく、死者の声なき声に謙虚に耳を傾け、ただただ祈ること。それこそが慰霊の正しい在り方なのだろう。

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堀江少佐ですが、こいつは典型的な「天保銭組」だそうで、ホント・・

2010/8/30(月) 午前 5:33 [ tero19632001 ]

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堀江少佐が陸大を出て初めて参謀としての軍務に就いた頃には戦局が既に悪化しており、彼は太平洋戦争劈頭の快進撃を経験していないんですね。だから悲観主義に陥る気持ちも分からないではありません。上官の立花少将(陸士上がり)には「陸大出は実戦に弱い」「腰抜け参謀」などと随分いじめられそうです・・・

2010/8/30(月) 午前 11:05 yjisan

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