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何かもう、大部の紙束を正副総計五部も印刷していると、我ながら壮大な紙資源の無駄遣いではないかという懸念を払拭することができませんでしたね。コピー代もバカにならないし。 |
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こんにちは、ゲストさん
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何かもう、大部の紙束を正副総計五部も印刷していると、我ながら壮大な紙資源の無駄遣いではないかという懸念を払拭することができませんでしたね。コピー代もバカにならないし。 |
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はじめまして。博論提出、お疲れ様でした。
私は修論までで就職しちゃいましたが、裏表印刷にしました。
低レベルの論文でしたので、何も言われませんでしたが。。。
博論が通ると博士号ですね。
憧れがありますが、研究者業界も大変ですよね。。。
水月さんの『高学歴ワーキングプア』とか『アカデミア・サバイバル』とか読むとますます修論で諦めて良かったのかな、でも自分に正直に博士後期課程まで進んだ方が良かったかな、と今でも自問自答の毎日です。
修士課程までで大学の正規講師があった古き良き時代を知る年配の先生に審査されたのは「生まれた時代が遅かったかなあ」と複雑な思いでした。
今、妥協して働いてます。社会人になれたので、ようやく世間の人の目は気にならなくなりました。多少、研究色の残っている職場(でも希望とは違う)なのですが、やはり複雑です。
博論、是非通ると良いですね。
2011/1/20(木) 午後 5:09 [ 研究 ]
ありがとうございます。たしか博士論文の副査は博士号を持っていない先生でもできたように記憶しています。
修士号しか持っていない先生に博士論文を審査されるというのも何やら複雑な気分ですが、それだけ時代が変わったということでしょう。
御存知のように、文系では長らく「論文博士」が一般的であり、「課程博士」が主流になったのはごく最近ですから。今はともかく若いうちに博士号を取得しないと、その後の研究者人生が開けない、という状況です。また業績主義の浸透もあり、若手研究者は就職のために論文を量産することを迫られますが、そういう経験をしてこなかった年輩の研究者の中には「最近の若手は論文を粗製濫造してケシカラン」とか「促成栽培ではなく、問題意識をじっくりと醸成して、深みのある研究をしろ」とか、理不尽なことをおっしゃる方もいます。それを許さない環境があるから、若手は苦しんでいるのに・・・・・・
2011/1/20(木) 午後 11:04
お返事ありがとうございました。
ホント、色々と大変ですよね。
私も組合に入っているのですが、確かに非正規の人のことを正規の人は考えていない部分もあります。
ただ、活動自体は一緒にやってます。寧ろ、活動を一緒にやりながら正規の人の方が次第に遠慮して疎遠になっていくというか。。。。
非正規の人も「一緒に闘おう」とか言いながら、実際は上からモノいいやがって。。。的な想いを持っているのかも知れませんし、そのことを正規の人も薄々感づいているので結局のところ正規は正規で、非正規は非正規でそれぞれまとまって組合活動をしがちです。
非正規から言わせれば、正規の人の言う賃金アップなんか贅沢いいやがって。。。という感じになりますからね。。。
論文の量産も難しいですよね。書かなければやる気が無いと言われるし、書いても志の低い論だ、とか何とか言う人、多いですよね。
史学雑誌とかで管理人さんのご活躍は拝見してます。色々と大変だと思いますが、頑張って下さい。ブログを通しての情報発信もこれからも続けて下さいね。
2011/1/21(金) 午前 7:42 [ 研究 ]
非正規と正規の溝は大きいですね。特に正規の若者にしてみれば、自分たちも苦労して正規職員になったわけですから、「特権階級」呼ばわりされるのは心外という気持ちはあると思います。
若手の常勤講師の話を聞いていると、「ロクに仕事をせずに高級を食む(一部の)教授」への不満は強く、その点での問題意識は共有されていると思います。若手に理解のある年輩の方も含め、連帯が進むと良いのですがね・・・
2011/1/24(月) 午後 6:04
反貧困の著者、湯浅さんの講演会に行ったことがあるのですが、日本のような後発国の場合、どうしても世代間格差が大きくなってしまうそうです。
ヨーロッパはまだそこまでではない。
、ということはこれからの中国や韓国はもっと早く世代間格差が大きくなる。
これは後から来た国の宿命です、と仰っておられました。
旧い世代が若い世代を自己責任の一言で片付けるのは時代状況、人口動態等のマクロな視点を欠いておりフェアではないそうです。
確かに、就職出来なかった若い人を「きちんと就職活動してなかったから」の一言で片付けてはいけないと感じます。
時代状況が違えば、就職率も違います。
自己責任論は根強いですが、完璧な人間など存在しませんのでこの論にしがみつく大人は要するに自分に余裕が無いのだ、と湯浅さんは仰っておられました。
派遣村や内閣府のお仕事もされてますので、説得力がありました。
旧世代の教授陣もきっと主観的には仕事してると思う、思いたいですが。。。。
2011/1/25(火) 午後 3:22 [ 研究 ]
韓国においても少子高齢化が進行しているので、早晩日本と同じ状況になるのは間違いないでしょう。というより、韓国では早くも「このままでは10年後には日本のようになる」と心配しています。
一人っ子政策の中国は、日本以上の速度で少子高齢化になりますから、たいへんなことになると思います。既に「蟻族」という言葉が生まれていますからね。
それにしても、日頃「新自由主義」を「弱肉強食の冷たい社会」と批判している団塊世代が、こと若者問題になると、突然「自己責任」とか「最近の若者は根性がない」とか言い出すのは、いったい何なんでしょうか。自己矛盾を感じないんですかね。
もちろん若手の苦境に理解を示して下さる方々を私は多く見知っていますが、そうではない「上から目線」の方も残念ながら少なくありません。
2011/1/27(木) 午前 0:51
湯浅さんの『どんとこい!貧困』という本があるのですが、とても考えさせられました。機会がありましたら特に、冒頭の椅子取りゲームの話だけでも読んで頂ければ、と思います。
そもそも椅子の数が減少している現代において椅子に座れなかった人を責めるのではなく、寧ろ椅子の数を増やす方向に議論を持って行くべきだ、という湯浅さんの主張は全うだなと感じました。
或いは、椅子1つに2人が座れるようにルールを改正するとか、そもそも椅子取りゲームなんかしたくない。他人を蹴落として椅子に座っても幸せじゃない。ゲームそのものを止めよう、という主張でした。
綺麗事という批判も講演会でもありました。年越し派遣村のような新しい相互扶助システムの構築を湯浅さんは主張しておられるのですが、旧世代から言わせると「それでは国力が落ちる」とのことでした。
時代状況が変わっているのに、旧い世代の意識はまだそこか。。。と感じました。
個人的には何か教会のような集まりが公的にあって助け合っていける社会が良いと思うのですが。。。。
2011/1/27(木) 午後 0:08 [ 研究 ]
個人的には「年越し派遣村」は、ある意味「緊急措置」的なものであり、今のままの形では抜本的な解決には繋がらないと思っています。年さえ越せればいいというものでもないですから、もっと恒常的な助け合いのシステム作りが求められるでしょうね。ただ、それは政府が直接に行うのではなく、イギリスの「新しい公共」のような形が適切と考えます。
「椅子1つに2人が座る」というのは恐らくワークシェアリングのことだと思いますが、これに関しても正社員側の反発が強いですよね。「なんで俺の椅子を半分譲らなければならないのか」みたいな。
「椅子に座っている人」の既得権を切り崩さない限り、「椅子に座れなかった人」は永遠に貧しいままということになります。
貧富の差が拡大し階級が固定化すれば、犯罪も増え治安が悪化します。それはお金持ちにとっても好ましくないことだと思うのですが・・・
2011/1/27(木) 午後 3:25