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映画『ソーシャル・ネットワーク』を観て、「フェイスブックのようなソーシャル・ネットワークのアイディアを思いついたのは、ボート部の双子を含めて多数いただろうに、どうして大学生が遊び半分で始めたフェイスブックが同業他社を蹴散らすに留まらず、ネット界の巨人であるグーグルをも脅かす巨大企業へと発展することができたのか? フェイスブックは他のソーシャル・ネットワーク・サービスとどこがどう違うのか??」と疑問に思った人は少なくないのではないか。
この疑問はある意味当然である。なぜなら映画『ソーシャル・ネットワーク』の原作の原題は「偶然の億万長者たち」だからである。つまりフェイスブックの成功は「偶然」だと思っているのである。だから、彼女に振られた腹いせにフェイスマッシュを立ち上げた、ウィンクルヴォス兄弟のアイディアを盗んだ、創立メンバーのエドゥアルド・サベリンを裏切った、などとあることないことを面白おかしく描いているのである。虚偽と謀略で塗り固められた成功。若き億万長者に嫉妬する大衆好みのスキャンダラスな「物語」と言えよう。
それに対して本書は、マーク・ザッカーバーグ本人ほか多数の関係者への取材によって、フェイスブックの発展プロセスと企業戦略を詳細に叙述し、成功の要因、SNS発達史における意義を鋭く分析する。作者によれば、フェイスブックの成長が幾つかの幸運に助けられたのは事実だが、ザッカーバーグの遠大なビジョンと確固たる信念、卓越したリーダシップがなければ成功はあり得なかったという。
実のところフェイスブックは、人類が使う全ての情報を収集し体系化することを目指すコンピュータ至上主義のグーグルと異なり、画期的な技術革新を成し遂げたことはない。にもかかわらずフェイスブックが大成功したのは、「現実世界の人間関係をそっくりそのままデジタル世界に持ち込む」(インターネットをソーシャル化する)というザッカーバーグの「哲学」そのものが人々の、社会の支持を得たからに他ならない。フェイスブックの特徴とされる実名主義に基づく厳格な個人認証、リアルタイムウェブ、オープンプラットフォーム、クラウド翻訳も、彼の理念の具現化であり、いわば必然的な進化の過程に位置づけられる。シンプルさとクリーンさをひたむきに追求するザッカーバーグの人間性こそがフェイスブックの核心なのである。「ぼくは会社を経営したいわけじゃない」と公言する彼は、人々が現実の交流・交際を深めることを心から願い、そのためのコミュニケーション・ツールとしてフェイスブックを発展させてきた。青臭いどころか子供っぽさすら残るザッカーバーグが天才的な閃きとみずみずしい感性によって大人たちの「常識」と「価値観」を打ち破っていく。そのサクセス・ストーリーは痛快きわまる。
とはいえ、本書は単なるザッカーバーグ礼賛本ではない(邦題は「若き天才の野望」という安っぽいものだが)。ザッカーバーグが当初、フェイスブックの可能性に懐疑的で、周囲の反対を押し切ってワイヤーホグという別のプロジェクトに長い間執着していたことを作者は指摘する。
またザッカーバーグが、想像を絶するスピードで拡大し続けるフェイスブック・ユーザーの反応や要求を前に右往左往し、しばしば過ちを犯したことも正確に伝えている。
そして、フェイスブックが巨大化しビジネス重視へとシフトするにつれ、大学寮のルームメイトとして共にフェイスブックを創立した仲間であるダスティン・モスコヴィッツやクリス・ヒューズとの間に軋轢が生まれていったことも容赦なく暴いている。
良きにつけ悪しきにつけ、フェイスブックは人々に情報の共有と連帯を促し、無名の一個人に強大な発信力と行動力を与えた。「大学生の交友のお手伝い」という当初のサービス範囲を遙かに超えて「人のつながり」の新しい形(互恵関係の世界的拡張)を生みだし、ネットワーク効果によって世界を一変させた。今やフェイスブックは、友達がアップロードした写真にコメントしたり、遠くに住む家族とソーシャル・ゲームをやるだけのユーティリティではない。マーケティングやプロモーション、消費者のプロダクト参加はおろか、慈善事業や政治運動にさえ活用されているのだ。
ザッカーバーグの高邁な目標に沿って、フェイスブックは世界を透明化することで、人々の信頼関係を強化し、グローバルな民主主義を促進し、より公正な社会を作ることに寄与するのか。それとも彼の期待に反して、世界中の人間の個人情報を一私企業が掌握することで、人類史上最悪の監視社会が誕生してしまうのか。はたまた後ろから追いかけてくるツイッターに敗れ去る日が来るのか。現代を知るにはフェイスブックを知らなければならない。そのためには本書を読むべきであろう。
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