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岸博幸のクリエイティブ国富論
【第106回】 2010年9月17日
岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授]

日本復活へ菅総理の「パクリの才能」に期待しよう


 民主党代表選で菅総理が再任され、今日にも内閣改造が行なわれて新内閣が発足します。世論調査で支持率が7割を超すなど国民の支持は高いですが、円高・デフレ・財政赤字という三重苦の中で正しい経済財政運営を行なってくれるかという面では、不安が一杯と言わざるを得ません。
(中略)
 菅総理は代表選中も“雇用”を連発していましたが、政府が成長分野で雇用を作れば経済が活性化するという考えは、まったく間違っています。雇用は経済成長の結果として産まれるものであり、まず成長が必要なのです。

 それは、例えば菅総理も言及している介護・保育といった成長分野を考えてみれば明らかです。これらの分野に財政を支出して雇用を増やすのは合理性があります。しかし、政策対応がそれだけだったら、民間の参入や事業拡大は進まないので、結局政府が永遠にお金を出し続けないといけなくなり、政府が支出を止めた瞬間に雇用は失われてしまいます。

 つまり、成長分野においては、市場拡大の着火材としての財政支出と同時に、規制緩和などの市場メカニズムを重視した政策の両方が必要なのです。“成長→雇用”というロジックからは、それは当たり前のことですが、“雇用→成長”というロジックからはそうならず、その場しのぎの雇用作りのための財政支出だけをやることになりかねません。

 だからこそ、今後の政策を間違わないためにも菅総理が早く経済認識を改めることが必要なのですが、そうなるかもしれない良い兆候もあります。

 菅総理は代表選での演説で「規制緩和が雇用を作り、地域経済を活性化する」と発言しています。かつ、9月10日に決定された経済対策では100の規制改革が盛り込まれています。もちろん、急ごしらえの限界でこれらの規制改革ダマは瑣末なものばかりですが、少なくとも方向性は間違っていません。

 また、官僚の側は総理の考えがおかしいと思っているからこそ、経済対策の本文では“経済を成長させて雇用を創る”と正しい認識が書かれています。

 法人税減税の議論でも官邸には「法人税減税よりも雇用促進税制(雇用を増やしたら税金をまける)を」という議論もあるようですが、官僚の正しい主張はちゃんと吸収して、早く間違った経済認識を正すべきです。
(後略)



大前研一の「産業突然死」時代の人生論

菅内閣の政策では向上心や意欲がわかない
2010年9月15日 

(前略)
新卒者就職応援など効果は期待できないし、成長戦略ではない

(中略)

 まずは「新卒者就職応援プロジェクト」「ジョブサポーター増員」について指摘しておこう。これらは若年層の雇用を増やすための施策であるが、その効果については正直なところ疑問である。むろん若年層の失業率の高さは憂慮すべき問題である。

 もちろん優秀な人材であれば企業は採用したいと思うだろう。しかし、このような急激な円高株安の状況では、何十社も採用試験を受けて落ちた人を採用するのは、企業にとって相当勇気のいることだ。そんなところに「ジョブサポーター増員」などをやられても、対象となる中小企業も迷惑なだけである。経済を立て直し、安心して雇用できる社会にすることが先決ではなかろうか。

 もともと日本の場合には、大学卒業時の就職内定率が世界の中でも際立って高い。92%内定ということは残る8%の人には企業が飛び付きたくなるようなものが欠けているのかもしれない。またこのレベルで政府が税金を使って就職あっせんをするべきかどうかは他国を見れば疑問符が付く。お隣の中国では大卒者の就業率は70%だし、イギリスに至っては30%である。日本だけが際立って高い。これは成長期以来の大学卒業即就職、という右肩上がりの歴史的偶然に過ぎない。

 今は大学に入る人も増えているし、また企業の国際展開も進んでおり、必ずしも4月に採用、日本で採用という形にはなっていない。政府が税金で補助しても残念ながら効果はほとんどないと思われ、ましてや成長戦略にはならない。この企業の置かれた実態とのズレが恐ろしいほど広がっているのが民主党政権の特徴である。


景気対策のために「多額の血税」を投入するな

 また都市再生や住宅などで「100の規制改革」を行うということだが、100と言わずに、徹底的な規制緩和、規制撤廃に踏み込むべきではないか。例えば、各基礎自治体に建築基準法の権限を委譲してみるのだ。無意味に厳しい容積率などを自治体の事情に合わせて緩和すれば、そこに民間の資金が流れ込み、景気向上に貢献するはずである。

 私は「政府は景気対策を行う必要はない」と言っているのではない。「景気対策のために多額の血税を投入する必要などない」と言いたいのだ。政府は、民間のお金が流入するようなシステムを作るべきなのである。要するに今の経済を活性化するには、一般の人がお金を使ってくれる、何かを買ってくれる、(家やマンションなどを)造ってくれるような気持ちにさせる「心理面」の施策が一番なのである。

 その意味で政府の経済対策の中で、私が期待してもいいと思うのはエコポイント制の延長だ。住宅ローンの金利優遇も期待していいだろう。逆に、公共工事などは意味がない。多額の血税を投入しても一般の消費者に届く金額が少なく、従って消費にも結びつかないからだ。その点、エコポイント制や住宅ローンの金利優遇は消費者の「お金を使う」という気持ちを誘引する力を持っている。事実、エコカー補助金制度はドイツでも日本でも自動車の購入に一役買った。

 もちろんその後の反動で制度終了後には30%程度落ち込んだが、それゆえに他の耐久消費財で刺激を継続する必要があるわけである。中国では5つの都市を選んで電気自動車(EV)を買う人には80万円もの補助金を出す、という施策を打ち出しているが、これなどは景気刺激、EVの世界に先駆けた普及、エコなど多くのメリットがある奨励策であろう。


「景気を良くするための無駄遣い」も検討していい

 経済対策には、倫理的な視点と異なる広い視野が求められる場合がある。これから述べる内容も私自身の倫理観とは正反対のことであることを先に申し上げておく。

 経済を刺激するならば、この際、「エコ」という制約を外したほうが成果は大きい。そうすれば消費者の選択肢が広がるし、何より「非エコカー」のほうがランニングコストが高いという点では無視できない。1リットルのガソリンで20キロも30キロも走るエコカーよりも、ガソリンを大量に消費することで「景気に貢献する」ことにもなるからだ。

 また燃費の悪い車はおおむね高級車であるから、購入代金はエコカーよりも高い。それだけ景気を刺激する力も強いことになる。つまりエコカーよりも、「派手な無駄遣い」をする高級車に補助するほうが景気を刺激することになる。非道徳な、また公徳心に欠ける発言かもしれないが、「経済対策」にはそういう一面があることも事実である。さすがに政府としては「エコカーは駄目。燃費の悪い車を買いなさい」とは言えないだろうが、「景気を良くするための無駄遣い」を推奨するような仕組みは検討してもいいだろう。

 つまり、景気を刺激したいのであればエコだ、グリーンだ、と能書きを並べないで、使ってくれた人には来年3月までは消費税免除、とやるほうがよい。今のエコポイントを取得するための書類の洪水を見れば、これがいかに無駄な「お役所仕事」かが分かる。耐久消費財を買った人にはすべて「消費税を免除します」。これでおしまい。手続きはいらない。そういうことを言っているのである。
(後略)




儲かっていない企業にムリヤリ人を雇わせることなどできるはずがないという単純な事実に、そろそろ菅首相には気づいてほしい。

「失われた20年」の間、日本政府は国民の歓心を買うために(国民からの「景気対策」圧力に負けて)その場しのぎのバラマキを度々行い、債務を積み上げてきた。
いい加減「足下の雇用・景気の回復が第一」というもっともらしい理由をつけて「改革の先送り」を続ける愚から卒業してもらいたい。


小笠原兵団長・栗林忠道中将(大本営は訣別電報を受けて栗林を大将へ昇進させたが、栗林本人にそのことを知る術はなかった)は硫黄島でどのような最期を遂げたのか。妻子を内地に残して硫黄島に渡り小隊長として部下を率いた30代の召集将校たちの苦悩とは。オリンピックの英雄としての奔放な言動で知られるバロン西中佐の、家庭人としての知られざる素顔。栗林の派遣参謀として父島に着任した堀江芳孝少佐の生涯の心の傷となった「父島人肉事件」の真相。皇室バッシングによって心因性の失語状態となられた皇后陛下が硫黄島慰霊訪問においてお声を取り戻すことができたのは何故か。

前著刊行後の取材と資料によって発掘された新事実を紹介する、『散るぞ悲しき』完結編。著者の初めての硫黄島渡島の思い出を綴った「わたしの硫黄島―あとがきに代えて」も感動的だ。



白眉はやはり第1章の「栗林忠道 その死の真相」であろう。栗林の最期については、最後の総攻撃の陣頭指揮をとった末の戦死(師団長クラスの将官が自決せずに突撃に参加するのは極めて異例)という見方が通説である。しかし硫黄島からの生還者の中には、栗林の死の瞬間を目撃した者がいないため、事実確定は困難であった。
そして近年、雑誌『SAPIO』2006年10月25日号において大野芳によりアメリカ軍に降伏しようとして部下に斬殺されたという異説(「栗林中将の『死の真相』異聞」)が唱えられた。著者はこの大野説を詳細に検討する。大野説の論拠は、防衛庁編纂の『硫黄島作戦について』(昭和37年)に収録された堀江芳孝元少佐の証言である。

著者は堀江証言について、
○堀江は硫黄島戦当時は父島を任地としており、栗林の最期を直接見たわけではない。伝聞情報にすぎない。
○堀江は防衛庁防衛研修所戦史室の聞き取り調査(昭和36年)以後にも、(平成に入ってからも)栗林投降説をしばしば語っているが、情報源に関する説明が二転三転している。
○堀江が情報源として掲げた証言や資料は確認されていない(「そんなことを堀江に言った覚えはない」と完全否定、など)。
といった点から、その信憑性を否定する。

また堀江が投降説と共に述べた、“栗林中将は米軍上陸後1週間くらいでノイローゼとなり、高石参謀長ら幕僚たちが代わりに指揮を取った。訣別電報も参謀が書いた”という証言に関しても、
○栗林は玉砕からおよそ20日前の3月7日、長文の戦訓電報を東京に発して、大本営の方針を痛烈に批判している。
○戦訓電報が栗林の陸大時代の教官である蓮沼侍従武官宛てとなっている。
といった事実に注目し、参謀の代筆ではなく栗林本人が戦訓電報を書いている点から見て、栗林が硫黄島戦の最終局面まで司令官としての役割を果たしていたことを論証している。


著者は、昭和27年2月1日付の毎日新聞に掲載された「栗林が8月15日に2名の幕僚と共に白旗を掲げて米軍に投降してきた」という米軍将校の証言(栗林の後任として第109師団長となった父島の立花芳夫中将の降伏と混同したもの)を紹介したコラムを基に、堀江が証言を捏造した可能性を指摘している。捏造の動機としては、日本の敗戦を見通した結果、戦うことを諦めてしまった堀江の、軍人として名誉の死を遂げた栗林に対する負い目や嫉妬が想定できよう。第4章「父島人肉事件の封印を解く」で明らかにされているように、軍人としての死に場所を得られなかった堀江の“戦後”は決して幸福なものではなかった。

降伏証言が創作され、それがある程度の広がりを持って信じられるようになった(何と現役の自衛官の中にすら信じた人がいる)社会的背景として、著者は戦後的価値観の浸透を挙げている。
昭和27年頃になると、あの戦争は間違いだった、駆り出された兵士達は犬死だった、という言説が盛んになり、その結果「どうして栗林中将は投降して部下たちの生命を救ってくれなかったのか」という怨嗟と、「兵士思いだった栗林中将なら投降を考えたこともあったかもしれない」という期待とがない交ぜになった空気の中で、降伏伝説が生まれたのではないか、というのだ。


現実の栗林は単なるヒューマニストではなく、一兵卒にも親身に声をかける一方で「ゲリラになってでも敵を苦しめよ」「負傷しても捕虜とならず敵と差し違えよ」と部下に命令する厳しい軍人であった。そうした栗林の非情さを現代の価値観によって指弾するのはたやすい。だが硫黄島が米軍の手に落ちれば本土が空襲を受け、多くの民間人が犠牲になるであろうことを、栗林は知っていた。大本営に対米和平を進言しても容れられなかった栗林には、どんなに戦死者を出そうとも、徹底抗戦してアメリカ国民の厭戦気分を喚起する以外の方法はなかったのである。栗林は戦略的・戦術的制約の多い中、現地の最高指揮官として最善を尽くしたと言えよう。

著者は言う。「現代の私たちの感覚で戦場を語ろうとするとき、多くのものがこぼれ落ちてしまうことを忘れてはならない」。彼等の死に勝手な意味づけを行うのではなく、死者の声なき声に謙虚に耳を傾け、ただただ祈ること。それこそが慰霊の正しい在り方なのだろう。


本書は星新一が父である星一のアメリカ留学時代を描いた伝記である。
星一の後半生を綴った『人民は弱し官吏は強し』の続篇に当たるが、
官吏に不当な弾圧を受ける星一の悲劇を描いた『人民』と異なり、
本作は非常に明るく爽やかで、何やら救われた気分になる。


星一は明治6年、福島県いわき地方の片田舎、江栗村に生まれた。
勉強のために上京し、そこで『西国立志編』に出会った星一は、
“アメリカで勉強し実業家になろう”と決意。
東京商業学校を卒業すると、
米国船チャイナ号に乗って横浜からサンフランシスコへ渡る。
明治27年、星一20歳の時であった。


星は明治38年まで、足かけ12年間にわたってアメリカに滞在した。
その間の彼の活動はあまり華々しいものではない。
彼は常に貧しかった。
白人家庭に住み込みで働きながら小学校で英語を学び、
ハンカチやレースの行商や、日本の新聞・雑誌の英訳をしてコロンビア大学の学資を稼いだ。
大学卒業後に、愛国心から友人と始めた事業「ジャパン・アンド・アメリカ」も赤字続きで苦しんだ。
星製薬創業後の八面六臂の活躍と比べたら、
滞米中に星が行ったことは、何とも地味でささやかなものでしかない。
そう、彼はまだ何者でもなかった。


にもかかわらず、星の生き方にここまで惹かれるのは何故だろう。
星の発想力は群を抜いているし、若さに似合わぬ計画性も称賛に値する。
しかし何よりも感動的なのは、その克己心だ。
進んで厳しい道を選び、常に誠意を以て人に接し、
苦しい時も常に明るく前向きで、愚直なまでに正面から難関にぶつかる。
その気高い精神は周囲の人たちの善意を呼び、彼を成功へと導いていく。
そこで得た経験と人脈は、後年の更なる飛躍の礎となるのだ。


桁外れの楽天家である星を厳しくも温かく育んだのは、「明治」という時代と「アメリカ」という国家だった。
四民平等と文明開化によって、才能に恵まれ大志を抱く青年の前には無限の可能性が広がった。
家柄が低くても、金が無くても、自分の才覚一つで成り上がることができるのである。
実際、滞米中の星は一留学生の身で、伊藤博文や後藤新平、新渡戸稲造らの知遇を得ている。
彼等の期待に応えた星も凄いが、星の才能と意欲を認めて星に活躍の場を与えた伊藤らの度量にも感心させられる。
「近頃の若い者は・・・」と愚痴るだけの現代日本の「大人」たちとはえらい違いだ。

そして当時のアメリカは活力漲る新興国として、今以上に「機会と自由」の国であった。
たとえ東洋からの留学生や移民であっても、独立心を持った人間には惜しみなく援助の手が差し伸べられる。
出自に関係なく能力と野心ある挑戦者は正当に評価される。
この時代、この国に巡り会わなければ、「クスリはホシ」は生まれなかったに違いない。

若き星一の努力の軌跡が、
明治日本とアメリカという若き2つの国の歩みとシンクロすることで、
一層輝きを増す。本書の構成は実に考え抜かれている。
単なる“父親自慢”に終わらず時代背景を広く見渡しているところに、
SF作品の形で人類文明の本質を見つめ未来を透視してきた星新一の鋭い洞察力が活かされている。
そして、淡々とした文章の向こうに、父への愛を静かに語る星新一の含羞に満ちた笑顔が見えてくる。

星新一のショートショートは没後10年以上を経てなお若い読者を新たに獲得し続けている。
だが、これからの日本を担う青少年の皆さんには、ショートショートだけでなく、ぜひ本書も手にとっていただきたい。
月並みな言い方だが、あなたも、星一になれるのだ。

「ゲゲゲの女房」人気の要因は受け身のヒロイン?

8月24日20時42分配信 産経新聞

 NHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が好調だ。ここ2カ月の週間平均視聴率は20%前後で、前作「ウェルかめ」の平均13.5%を大幅に上回っている(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。ここ数年の朝ドラ低迷を打破する勢いだが、その要因は昭和の光景や水木妖怪の登場といった要素のほかに、ヒロイン像が従来の「冒険型」から「受け身型」へと大きく変化したことがありそうだ。(萩原万貴枝)

 ゲゲゲの女房は「ゲゲゲの鬼太郎」でおなじみの漫画家、水木しげるさん(88)の妻、武良(むら)布枝(ぬのえ)さん(78)の自伝が原案。昭和30年代以降の東京で、貧乏でも温かく夫を支えるヒロインの半生が描かれている。

 放送開始がこれまでより15分早い午前8時になり、長年の朝ドラの視聴習慣を破ったためか、3月29日の初回視聴率は集計がある39年以降で最低の14・8%だった。

 しかし、ヒロイン役で松下奈緒(25)が本格的に登場すると、視聴率は徐々に上昇。向井理(おさむ)(28)演じる茂の仕事が軌道に乗り、貧乏脱出の光が見え始めた7月12日には21.8%を記録。全体平均も8月中旬までに18%を超えた。

 好調の理由について、ドラマ評論家のペリー荻野さん(47)は「ヒロインが無理やり、自分探しや冒険をしない」点を挙げる。従来の朝ドラ主人公の大半は、元気で自分の人生を切り開いていく女性。荻野さんは「朝一番で『元気を出そう』というメッセージを体現したヒロインだが、今は視聴者の女性の多くは既に頑張っていて、さらに『前へ前へ』では見る方は疲れてしまう」。

 また、「女性には雇用不安もあって専業主婦願望が高まっている。ヒロインが家庭の中で幸せを見つける様子も、『そういう生き方もいいよね』と好感されているのでは」とも話す。

 脚本の山本むつみさんは「大多数の人は大発見も大冒険もせずに生きている。そんな普通の暮らしにも、人と人とが寄り添って生きる面白さがある」と、作品に込めた思いを話す。今回のヒロインは夫の運命に左右される受け身の存在だが、「それでも家族をまとめる中心軸にいる。女性がそんな存在でいる大切さも共感されたのではないか」としている。

 既に18日にクランクアップし、9月25日に最終回を迎える。

(引用終わり)




↑の分析は本当かなあ、という気がします。産経は専業主婦を礼賛したいんでしょうか?

朝ドラの視聴率は、平日朝8時の本放送で測っていますので、数字に反映される視聴者層は主に中高年主婦層や高齢者になります。
逆に、自分で自分の人生を切り開こうとする独身キャリアウーマンや共働きの女性には朝ドラの本放送を観ている余裕がないのです。
必然的に視聴者層と立場がシンクロする「夫を支える専業主婦」という“受け身のヒロイン”が共感を持たれるのであって、日本の女性一般が「冒険をしないヒロイン」を歓迎しているわけではないように思います。

今回の『ゲゲゲの女房』の成功は、1つには、“幅広い視聴者層に対応する国民的番組”という大義名分を捨て、リアルタイムで視聴してくれる(数字に反映される)視聴者層にターゲットを絞り込んだ点にあるのでしょう。

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今から65年前の8月27日、駐蒙軍最後の部隊が万里の長城に到着した。彼等を出迎えた時の様子を、駐蒙軍参謀長の松永留雄少将は、回想録にこう書き記した。
「暫くの後、後衛整斉たる縦隊を以て帰着す。志氣旺盛なるも、長き頭髪と髯とは無言に長期の労苦を示す。小官感極まり落涙あるのみにして、慰謝の辞を述ぶる能わず」
なぜ、松永少将は部隊の帰着にかくも感動したのか。話は2週間ほど前に遡る。


昭和20年8月15日、玉音放送を通じて終戦の詔勅が外地で戦う日本軍に伝えられた時、根本博陸軍中将は駐蒙軍司令官として、内蒙古の張家口にいた。
本国からは戦闘停止と武装解除が命令されたが、日本のポツダム宣言受諾後も侵攻の意思を見せるソ連軍と対峙する根本にとって、受け容れられる命令ではなかった。満州ではソ連軍が邦人に対し暴虐の限りを尽くしている。安易に武装解除に応じれば、同じ悲劇が張家口でも起こる。
たとえ命令違反を後で咎められようとも自分1人が腹を切ればいいだけのことと覚悟を決めた根本は、最前線の丸一陣地の守備隊に対して下達した。
「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ連軍を断乎撃滅すべし。これに対する責任は、司令官たるこの根本が一切を負う」

根本の決死の覚悟に感動した駐蒙軍は必死の奮戦によりソ連軍の侵入を食い止め、その間に内蒙古の在留邦人4万人は無事に北京・天津方面にまで避難することができた。そして中国へと逃れてきた邦人と、撤退してきた部下将兵たちの内地への速やかな帰還に協力してくれたのが、戦争中は敵対していた蒋介石率いる国民政府であった。

在留邦人の引き揚げ・北支那方面軍の復員を見届け、根本は最後の船で帰国した。しかし、その後の国共内戦は共産党優位に推移し、1949年にはかつての恩人・蒋介石は総統の地位を李宗仁に譲り、故郷の浙江省で隠居することになった。

このままでは蒋介石と国民党の命運は尽きるだろう。恩義を返すには今しかない。根本は再び死に場所を求めて、台湾への密航を決意する――




太平洋戦争関連のノンフィクションというと、旧軍関係者をはじめとする当事者の体験記(回顧録)や、軍事知識や戦史に詳しい軍事史家の著作など、“専門家”の手によるものが主流であった。だが「あの戦争」から60年以上過ぎた近年は、“畑違い”のライターによる新しい切り口の作品が見られるようになった。硫黄島で米軍を徹底的に苦しめた闘将・栗林忠道の人間味溢れる意外な素顔に光を当てて話題を呼んだ梯久美子の『散るぞ悲しき』はその典型であるが、本書もまた、忘れられた名将の人間的魅力に「戦争を知らない世代」が迫った好著と言えよう。


軍人である根本博の晴れ舞台は言うまでもなく、内蒙古「奇跡の脱出」(既に稲垣武『昭和20年8月20日―内蒙古・邦人四万奇跡の脱出』で詳細に紹介されている)と、戦後、金門島において国民政府軍を指揮して共産軍を撃破した古寧頭の戦いであるが、この2つの戦闘に関する本書の記述は意外にあっさりとしている。(知勇兼備の軍人を主人公に据えているにもかかわらず)作者の関心が軍事的側面に向いていないことの証左であり、そこに単なる戦記・名将伝に留まらない本書のユニークさがある。



代わりに本書が重視するのは、根本の命懸けの密航や、古寧頭の戦いの後日談である。蒋介石に雇われて台湾に渡航した白団(旧日本軍将校を中心とする軍事顧問団)と異なり、根本の渡海は、蒋介石に助太刀したいという根本自身の義侠心と、根本に心酔していた通訳の吉村是二の情熱、そして台湾の共産化を阻止したいという旧台湾総督府関係者(明石元長、李麒麟ら)の熱意によって実現したものであった。もちろん金銭的な見返りを求めての行動ではなかった。
根本送り出し工作は、国民政府側からの援助を何ら受けていない自発的なものであり、そのため資金不足から計画は何度も変更され、出航後も、オンボロ漁船の度重なる故障によって漂流の危機にすら陥った。九死に一生を得てようやく台湾に辿り着くと、根本たちは「密航者」として逮捕される有様であった(その後、根本を見知っていた国民政府高官によって釈放された)。
根本の「共に“死ぬ”ために来た」という捨て身の気迫は弱気になっていた蒋介石・湯恩伯らを勇気づけ、その卓越した作戦指揮能力は、連戦連敗で滅亡の淵に立たされていた国府軍に「奇跡」をもたらす。

だが旧軍人への反感が強かった当時の日本では、根本渡台の背後には大掛かりな陰謀があり、巨額の資金が動いたかのように報じられた。また台湾では、金門島防衛が「日本人の手を借りたもの」であったという“不都合な真実”は国民政府によって隠蔽され、根本が台湾を救った事実は忘れ去られようとしていた。


作者による資料発掘・根本ゆかりの人物探しを1つの契機として、根本の偉業が60年の時を越えて輝きを取り戻す「エピローグ」はカタルシスに満ちていて感動的だ。当時を知る生き証人も少ない中、取材にはたいへんな苦労があったと思うが、60年後だからこそ生まれる新しい交流もある。そういった後日談を丁寧に拾っていった作者の努力に敬服する。




いわゆる「戦後民主主義」的な価値観から見れば、終戦後の抗戦は無駄な戦死者を出した犯罪行為であり、台湾への密航は国共内戦への不当な軍事介入、ということになるかもしれない。
しかし、第1次世界大戦後の“戦争はもうこりごり”という英仏両国の過度の厭戦気分がナチスドイツの台頭を許したように、“いかなる理由があろうと、あらゆる戦争に絶対に反対する”という空想的平和主義はかえって戦争を招くことすらある。太平洋戦争を“日本軍国主義による愚かな侵略戦争”とのみ評価することは、あまりに一面的であり、一種の“思考停止”とも言えよう。


風化させてはならない、語り継がなくてはならないことは、決して「戦争の悲劇」だけではないのである。

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