古今亭日用工夫集

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戦争報道の規制、大統領選での不正、傀儡政権(見せかけの自治)による異民族支配、自爆テロ、テロリスト収容所、大量破壊兵器とジェノサイド、民族・宗教問題、格差社会など、回を追うごとに現代アメリカの病理を抉り出す展開になってきた社会派SF『バトルスター・ギャラクティカ』。テロの恐怖の中、「戦時体制」を口実に異質なものを差別し排除するという非寛容な風潮が社会全体に広まっていることに警鐘を鳴らしていると言えます。


その一方でディック的なテーマも前面に押し出されてきています。


カプリカ6の幻影に悩まされていたバルター博士。「人類を裏切った卑劣漢」という自己嫌悪の果てに、彼は「本当は私は人型サイロンなのではないか?」と考え始めます。そしてサイロンであるはずのカプリカ6が、バルターの幻影を見始める。人間とサイロンの境界線はますます曖昧になってきているのです。そこには「人間らしさとは何か?」という本源的な問いが隠されています。


骨太なテーマ、重厚なストーリー。オリジナル版のスペースオペラ的要素を完全に払拭し、娯楽性と社会性を両立させた『バトルスター・ギャラクティカ』に、今後も注目していきたいです。

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レオナール・フジタ展−よみがえる幻の壁画たち



2009年6月12日(金)〜7月21日(火)

主催:財団法人そごう美術館


世界が認めた天才画家、藤田嗣治。フランス人画家レオナール・フジタとしてその生涯を終えるまでの足跡を辿る展覧会が全国4会場を巡回します

1992年、フランス・オルリー空港近くの倉庫で発見された、縦横3メートルの大作4点「構図」と「争闘」。それらは一部が1929年に日本で公開されたものの、その後所在が不明になっていた藤田嗣治の「幻の作品」でした。この4点はフジタが晩年を過ごしたアトリエの建物とともにエソンヌ県の所蔵となり、フランス第一級の修復チームにより6年の歳月をかけて本格的な修復が行われました。この幻の大作4点を世界で初めて一堂に公開した展覧会「没後 40 年 レオナール・フジタ展」が2008年夏から札幌を皮切りに全国5カ所を巡回し、延べ30万人を超える動員となりました。

本展は「没後40年 レオナール・フジタ展」に引き続き、全国のファンを魅了したエソンヌ県議会所蔵の幻の大作4点と、画家の終の棲家となったアトリエでの生活、最晩年の宗教画を紹介し、フジタの画業とその実像に迫ります。幻の大作を制作した後の1930年代、日本で過ごしていた藤田は群像表現の探求に没頭し、日本の風土、文化や嗜好に合わせた多彩な壁画を制作しました。これらの壁画は今までまとまって紹介されることがなく、美術ファンにとっても目にする機会がほとんどありませんでした。

本展ではこれらフランスと日本で描かれた貴重な大作にスポットを当て、今もエソンヌ県に残るアトリエの再現、全身全霊をかけた「平和の聖母礼拝堂」(シャペル・フジタ)のための習作、資料など多種多様な作品を展覧します。
(引用終わり)



今年の正月まで上野の森美術館でやっていた「没後40年レオナール・フジタ展」に行きそびれたので、横浜そごうでやっているレオナール・フジタ展を見に行きました。

この展示会の特徴として、フジタの代表作を網羅し、レオナール・フジタの画風の変遷を辿る、というありがちな構成をとっていないことが挙げられるでしょう。そもそも下絵やデッサンの類が多く、展示されている完成品の点数はかなり少ないです。フジタの絶頂期である1920年代の作品もそれほど展示されているわけではありませんし、太平洋戦争に従軍していた頃に描かれた「戦争画」は完全にカットされています。
本展示会は、1928年に展示されて以来、80年間人目に触れることのなかった大作「構図」「争闘」全4点の展示および制作過程の紹介、フジタの晩年のアトリエ再現、最晩年の作品「平和の聖母礼拝堂」建設過程の紹介など、かなりテーマを絞った構成になっています。


フジタの代表作を鑑賞する、というより、フジタの作画手法、ひいてはフジタの人となりに迫ることを目的としており、かなり野心的(マニアック?)な展示と言えます。これだけ下絵を大量に出す展示も珍しいんじゃないんでしょうか?


個人的にはかなり楽しめました。特に、晩年を過ごしたフランスはエソンヌ県の小村ヴィリエ=ル=バクルの“ラ・メゾン=アトリエ・フジタ”において現在も大切に保存されている、手作りによる多彩な家具や食器、小物、人形、アトリエや教会の模型、写真などは、フジタの実生活を生き生きと伝えるものです。
いくら手先が器用でも、たとえ人と極力関わらない隠遁生活を送っていたとしても、身の回りのものを全部自分で作ってしまう画家なんて、そうはいないんじゃないんでしょうか? またフジタが自作した陶器や装飾箱の絵柄が、何ともユーモラスで可愛らしい。遊び心あふれるこれらの作品は、フジタの大作、代表作と比べれば、美術的価値は劣るのかもしれませんが、本当に素晴らしいものだと思いました。あんな品々に囲まれて生活したら、どんなに毎日が輝いたものになるでしょうか。
そうそう、晩年のフジタは近所の小学生とよく遊んでいたらしいですが、フジタの偉業を良く知らない子供たちの目には「絵が上手な、優しいおじいちゃん」と映ったのではないかと夢想すると、思わず頬がゆるむというものです。フジタ手作りの生活道具は、きっと子供たちにも大人気だったことでしょう。
フジタの描く子供は、目がつり上がっていて、独特の風貌をしています。「見るからにかわいい」という感じではなく、むしろ小憎たらしい雰囲気があるのですが、どこか微笑ましい、不思議な味があります。

一方で精巧な模型からは、細部まで緻密に作り込み、寸分も揺るがせにしないという、芸術家らしい完璧主義がうかがわれます。子供たちと遊び、可愛らしい生活用品を自作する傍ら(笑)、「平和の聖母礼拝堂」のフレスコ画の下絵などを描いていたのですから、当然と言えば当然ですが。



で、ランスの「平和の聖母礼拝堂」ですが、これまた凄い。まず建築家モーリス・クロジエと相談しながら礼拝堂の設計を行っています。クロジエに宛てた手紙が展示されていましたが、ドアの建材や色調への細かい指示のみならず、綿密なスケッチも添えています。そしてフレスコ画(壁画)はもとより、礼拝堂の至るところを飾るレリーフ(浮き彫り)、庭に置く彫刻まで自らデザインするという徹底ぶりです。またステンドグラスに関しては下絵をおこし、ガラス職人シャルル・マルクの工房に足を運び、意見を交わしながら、その都度細かい指示を与えたとのこと。お得意の模型も制作しています。なお、フレスコ画の制作は、4ヶ月間、1日も休まずに、毎日10時間続けられたとのこと。その旺盛な行動力たるや、とても80歳の老人のものとは思えません。

つまり、礼拝堂が全部丸ごとフジタの「作品」だったわけです。こういう事例は他には類を見ないのではないでしょうか? 敬虔なカトリック教徒であったレオナール・フジタの情熱的な信仰心がその原動力であったのは間違いないでしょうが、そこまで神にすがるにいたったフジタの心の軌跡も気になるところです。もちろん彼の胸中は余人にはうかがい知ることはできません。しかし月並みな憶測で言えば、戦時中、従軍画家として日本軍部に協力したことへの自己嫌悪、そして戦後、戦争協力者として一方的に非難され、追われるようにして祖国日本を離れなければならなかったことへの悲しさが、晩年のフジタの心に深い影を落としていたように思います。そうした蟠りを宗教画として昇華し得た点に、フジタの天才を認めることができるでしょう。


それにしても興味深いのは、キリスト教的モチーフを描いたステンドグラスの作品群がそこはかとなくユーモラスな点。普通ならどうしても肩肘張った作品になってしまうでしょうに、これだけの大事業を遂行しつつ、なお一種の余裕を見せているのですから、ただただ感嘆するほかありません。


ちなみにフジタ夫妻の墓は、この礼拝堂の中にあるそうです。

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