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オボテ独裁政権をクーデターにより打倒し、国民の喝采を受けてウガンダ大統領となったイディ・アミンがやがて猜疑心の虜となり国民を虐殺していく様を、ひょんなことからアミンの側近となったスコットランド人医師(架空の人物)の視点から描いたポリティカルサスペンス。
フォレスト・ウィッテカーの怪演は、アカデミー主演男優賞を獲るだけのことはあると思った。
カリスマ性と人間味にあふれるパフォーマンス、残虐性と狂気に満ちた言動、ともかく圧倒的である。
自分でリンチを命じておきながら涙を流すような不可思議で屈折したアミンの精神構造を見るに、人間は実に複雑で矛盾に満ちた存在であると思わざるを得ない。
常軌を逸し粛清を繰り返すようになってからも時折見せる、親しみと温かみ。独裁者が先天的に持つ人心収攬術は、悪魔的な魅力を放っており、背筋が凍るほど恐ろしい。
世間知らずの青年医師、ニコラス・ギャリガンを演じたジェームズ・マカヴォイも、甘ちゃんのボンボンという雰囲気が良く出ていて秀逸。好奇心と大胆さは無鉄砲と向こう見ずにも通じ、率直さは軽率さに繋がる。楽天的なまでの陽気さは内省の欠如の裏返しでもある。純粋であるがゆえに感化されやすく、適応能力の高さが災いして批判精神を失ってしまう。
後先考えぬニコラスの行動原理の根底には一種のオリエンタリズムが潜んでおり、ウガンダへの浅薄な共感の背後に「非西欧」に対する優越意識があった。不倫騒動で見落としがちであるが、実はこの気持ちをアミンに見抜かれたことで、ニコラスは追い詰められていく。凶暴で異常な独裁者によるニコラスへの批判はある意味で真っ当なものであり、そこにこそ問題の本質がある。
ただ、ニコラスの「楽園」での享楽と退廃、「楽園」外でのウガンダの悲惨な“現実”がもっと描き込まれていたら、より迫力が出たと思う。
また、本来ニコラスの堕落は欧米先進諸国(特にアニンを支援してオボテ社会主義独裁政権を転覆させた旧宗主国のイギリス)の無責任さの隠喩でもあったはずだが、ニコラスがイングランド人の政商のところに助けを求めるシーンなどにより、その性格は弱められてしまっている。
アニンの暴政を非難するあの政商にしても、もともとはアニンに取り入って儲けようと考えていたわけであって、もとより善ではあり得ない。欧米の身勝手さがニコラス個人の愚劣と無節操へと矮小化されている点は惜しまれる。
〈白人=善・紳士、黒人=悪・怪物〉という構図に回収されないための工夫が欲しかった。
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