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大前研一の「産業突然死」時代の人生論
こんな無駄は省いて、政策実現の財源に回せ
2009年9月1日
衆議院は、大方の予想通り、民主党が大勝利を収めた。しかし、わたしもずっと批判してきたように民主党の政策はばらまきそのものであり、その財源をどうするのか、今後は一層厳しい目にさらされることになるはずだ。
民主党は「役所の無駄をなくすことで財源を増やすことができる」と答えているが、ではその役所には具体的にどのような無駄があるのだろうか。ほかではあまり議論されない視点から、役所の仕事に内包されている無駄を考えてみたい。
「使われないまま国庫に戻せない金」があるのは釈然としない
まずは住宅取得支援策を例に挙げよう。
緊急経済対策として2009年度補正予算で盛り込まれた住宅支援策は、政府が想定した額の4割程度しか使われていなかった。補正予算では住宅金融支援機構への出資金積み増しに2600億円も計上したのだが、実際の利用は想定の半分以下だった。このまま利用の低迷が続けば、巨額の「使われないお金」が住宅金融支援機構に積まれたままになる。
ところが、国土交通省は「一度出した出資金は国庫に戻せない」としている。国民から見たらまったくもって、納得のいかない無駄だ。現在、日本の借金は860兆円を超えている(前回の当連載を参照)。この借金返済のメドが立たない状況なのに、「使われないまま国庫に戻せない金」があるのは釈然としない。
このような嘆かわしい状況に陥るのは、が原因だ。麻生首相は「緊急対策だ」として巨額の金をここに積み増したのだが、もともと国民が必要としていたものかどうか、と言う問題に加えて、使い方がわかりにくかった。利用条件には「but、however(しかし)」という注釈があまりにも多かったのである。
(中略)
自治体のシステム共通化にはクラウドコンピューティングを
「役所の無駄」のもう一つの例は、地方自治体のコンピューター・システムにある。
いま総務省は、各自治体のシステム共通化に動いている。市町村ごとにバラバラだった地方税の業務や役所内の人事、文書管理などを県ごとに統一し、管理するソフトやデータセンターを一元化するという。そのための実験に「北海道や京都府などの5つの地方自治体が参加する」というニュースが先ほどあった。
このニュースを聞いてわたしは、総務省、つまり旧自治省は今頃になって何を言っているのかと思った。現在、自治体ごとにバラバラなシステムを使っているのはなぜか。旧自治省のやり方がまずかったからではないか。地方自治体での作業は、日本全国似たり寄ったりで、基本的にはどこでも同じだ。であれば、総務省が自分たちでシステムを作って、自治体に使わせればいい。ボランティアの自治体がクラウドコンピューティングをやるのを支援しますよ、と外野席で応援している場合ではないのだ。
クラウドコンピューティングとは、インターネット経由で他人の開発したコンピューター処理のアプリケーション・サービスを利用するIT技術のことだ。みなさんもGoogle上でスケジュール管理をしたりWebアプリケーションを利用したりしているだろう。企業でも社内にシステムのサーバーを用意せずに、他社が公開しているネットワークのサービスメニューを利用する例が増えている。そうすることで企業はシステム開発やメンテナンス業務を軽減できるのだ。
地方自治体も共通する業務は、クラウドコンピューティングを活用すればいい。総務省が用意したシステムにインターネットを経由してアクセスし、そこで必要な業務をやるだけのことだ。一般の利用者(ここでは公務員)にとっては従来の業務と何ら違いはない。役所内のサーバーにアクセスして仕事をするか、国が用意したサーバーにアクセスして仕事をするかの違いだけである。さらに一般国民にとってはこのサービスを使えば、世界中どこにいても、つまり役所の窓口に行かなくても、いいことになる。
だから、5つの地方自治体が実験に参加するという行為自体がナンセンスだ。5つの地方自治体にやらせると、またお互いに違うものができあがる。今、約1800の自治体が全部違うシステムを作っており、それらを開発する「サイバーゼネコン」が大もうけをしたわけだが、今回もまたそれと同じことが起こってしまうだけである。
総務省が地方自治体に要求している仕事のやり方があるのだから、それに合ったシステムを全国で1つ用意すればいい。もしテーラーメイド(個別対応)が必要な地方自治体があれば、システム内にそういう余裕を設けておけばいいのである。今は個別の自治体の注文を聞いてテーラーメイドする(という理由で)バラバラな開発が行われ、その自治体でも結果としてIT化は大幅に遅れている。中央省庁の手がけたITシステムはビザ(外務省)にしても納税(財務省)にしても惨憺たる結果になっている。建築の許認可などはこのやり方に最も適したものであり、シンガポールなどでは進んでいるが日本では端緒にもついていない。新政権は役人主導ではなく生活者主権の国作り、ということを言っているので、是非これには優先的に取り組んでもらいたい。
行政費用が何十分の1になり、職員の数も減らせる
クラウドコンピューティングのシステムを作るときは具体的に何をすべきか。2、3のシステム開発会社に提案競争をさせればいいのだ。提案の段階では各システム会社が現場の作業を盛り込むために地方自治体と組んでもいいだろう。例えば3つのシステムを提案させて、そこから一番よいものを国民が厳選し、選ばれたものを全国の地方自治体が一律で使う。そうすれば行政費用は、何分の1どころか、何十分の1になる。つまり、それだけ役所の無駄が省けるということだ。これについては、わたしが16年前(1993年)に上梓した『新・大前研一レポート』(講談社)に記してある。
行政費用が何十分の1になるうえに、行政担当者も削減できる。削減の対象になるのは、窓際にいて何もやっていないような役人だ。わたしが地元の区役所に行くと、受付の後ろのほうで新聞を読んだりコーヒーをすすっている役人を見かける。わたしが窓口に立っても、わたしのほうを見たら負けだとばかりに新聞や窓の外を見続け、気が向くまで決してこちらを見ようとはしない。そういう役人を削減するのに反対する国民はいないだろう。
国民から見た役所の不便さとは、何かにつけ役所に行かないと手続きができないことだ。しかも役所の開いている時間は短い。普通に会社に勤めていたら、週末など、役所に行くことすらままならない。だが、用事そのものは役所へわざわざ出向かなくても済む程度のものが多い。それも無駄削減のポイントだ。
(後略)
財部誠一の「ビジネス立体思考」
財務省は民主党政権誕生を利用しろ
2009年9月2日
「予算の全面見直し」を迫る民主党に霞が関が戦々恐々としている。
なぜか。
ある財務官僚の見立てはストレートだ。
「霞が関が浮き足立っている理由は、業界団体とグルになった予算にメスを入れられたら厄介だからです。そんなことになれば、再就職の機会が激減してしまう」
浮き足立つ霞が関の官僚たち
お粗末な話だが、それが霞が関の現実だ。個人レベルでは人品骨柄、能力ともに優れた官僚が少なからず存在する。滅私奉公の四文字を体現したような見事な役人ぶりを発揮する人たちも現にいる。だが役所という組織の論理は腐りきっている。
彼らの「省益」とは「天下り先をどれだけ確保するか」だけだと断じていい。ことに役所の実効支配を受けている特殊法人や公益法人への天下りが悪辣なのは、役人OBが働かずに高額の報酬や退職金を掠め取っていることに尽きる。
人口が減り、経済成長もままならず、地方経済が崩壊しているのに、役人は天下り先の確保、拡大に最大の価値を置いている。役所の権限拡大とは予算を大量に獲得して、それを関係諸団体に流し込み、そのおこぼれをOBに横流しする。これが役所の実態だ。
役人の意識がどれほど腐っているか。
補助金が各種団体を通じて得体のしれぬ公金に
民間企業に天下ったOBたちの態度をみると、その腐敗ぶりがさらに鮮明になる。現在はベンチャー企業の経営者として成功しているある役人OBは、かつての同僚や先輩たちの所業にあきれ返りながらこう話す。
「民間企業に天下ったOBの中にはひどいのがいて、『なんで俺がいつまでも平取なんだ。早く常務にしろ』と官房に電話をしてくる奴までいる。多くはこんな感覚ですよ」
私は民主党の個別政策については多くの異論を持っているが、脱官僚を本気で志向する態度には大いに共感できる。民主党の藤井裕久最高顧問は「自民党は霞が関の下にある」と評したが、まさに至言だ。
役人たちの合法的な税金ネコババを見て見ぬふりをするどころか、族議員たちは一緒に国に寄生してきた。今回の衆院選で民主党が大勝した最大の背景は、民主党のばらまきマニフェストへの評価ではなく、自民党と霞が関が二人三脚で創りあげてきた私利私欲の国のカタチに国民がレッドカードを突きつけたということではないか。
財務省の幹部にこの点をただしてみると、こんな返事が返ってきた。
「東南アジアの一部の途上国のように、役人が横領するような明らかなネコババがある訳ではありませんが、日本の補助金は、余計な人員を抱えた外郭団体や業界団体を経由させることで、得体の知れぬ公金となって使われていることは間違いない」
財務省は役人の無駄遣いを見直せるか
脱官僚とはまさに、予算の全面見直しを通じて、各省庁の合法的ネコババをなくし、必要な財源を必要な支出に回すことだ。
しかし考えてみれば、本来ならその役目を果たすべきは財務省だったはずだ。財務官僚は日本の財政危機を煽り、増税の機会をうかがうことしかやってこなかった。
財務省が自ら本気で財政再建を果たす気概があったら、霞が関がここまで堕落することはなかったはずだ。財務省主計局は霞が関随一のエリート集団だが、その実態はフリクションを恐れ、人事にしか興味の持てない唾棄すべき小役人集団だ。
だが財務省はその汚名をそそぐ歴史的チャンスを手に入れた。
財務省は民主党を徹底的に利用すればいい。
民主党の暴走を許して国家財政を破綻させてしまうか、それとも民主党の「予算の全面見直し」を通じて財政再建への道筋をつけるか。
それは財務官僚の矜持ひとつにかかっている。
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