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日本史

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集団自決の強制はウソだった


 歪められた歴史の真実が、ここに再び明らかになりました。

 教科書にも載り、左翼がさんざん日本の歴史を誹謗する材料にしてきた沖縄・渡嘉敷島の集団自決を軍が強制したという話が、ウソであったことを明らかにする証人が現れました。
 離島で起きたこの事件は、戦後、地元の沖縄タイムズが報じ、それに悪のりするような形で大江健三郎氏が「沖縄ノート」(岩波書店)で、責任者の赤松大尉を口を極めてののしったのです。
 作家の曽野綾子さんは、集団自決の真実を明らかにするために現地の人々に詳細なインタビューを行い、軍による自殺強要の事実は無かったことを著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で明らかにしました。
 曾野さんは手記で、取材のきっかけについて「大江健三郎がまるで、鬼か悪魔のように描いている赤松大尉というのは、どのような人物か興味を持ち、自分で調べてみたいと思ったのです」と語りました。
 取材の結果、判明したのは沖縄タイムズの記者も、大江氏も一度も現場の島に取材に行った事実がないという事でした。記者も大江氏も伝聞だけで、赤松大尉の悪逆非道の人物として報道し著書に描いたのです。 このような報道や出版行為が許されるのでしょうか。
 赤松大尉は、このような汚名を着せられたまま戦後の人生を生き、死んで行かねばならなかったのです。渡嘉敷島の事件については、困窮した遺族の生活を救うため赤松大尉も同意して、沖縄政府や渡嘉敷村村長がウソの報告書を厚生省に提出したという事情がありました。
 赤松大尉が同意した背景には、事件について虚偽の報告をしたとしても、遺族の生活がそれで救えるなら、良いではないかという判断がありました。
 沖縄の離島で起きた過去の事件の話ですから、そっとしておけば、やがて忘れ去られるに違いないという判断も赤松大尉をはじめ関係者の脳裏には、あったのでしょう。
 それを左翼勢力は掘り起こして、プロパガンダのために最大限、利用したのです。事実の確認もせず、都合よく利用する左翼のやり口には、はらわたが煮える思いです。
 南京事件、朝鮮人強制連行、従軍慰安婦、遺棄化学兵器など、左翼がねつ造した事件は枚挙にいとまがありません。渡嘉敷島の事件についても、曾野氏が書かれた文章で、私はねつ造と信じていました。いま、ようやく重要証人が現れて、真相が明らかになりましたが、非難の的となった赤松大尉は、汚名をそそぐ事もできないまま、すでに亡くなられた後です。失われた年月は取り返しがつきません。
 こうしてブログの文章を書いていても、空しさが押し寄せてきます。しかし、世の中には、まだまだ赤松大尉の集団自決を命令した事実はあったと信じている人が多数です。産経新聞が報じましたが、大多数のマスメディアは、無視を決め込んだままです。
 私のブログを読んで下さる方の中で、もし赤松大尉の無実をご存じないままの方がいらっしゃったら、この産経新聞の記事を読んで頂きたいと、このブログを書かせて頂きました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<以下は引用>

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん(産経新聞)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/16661/

 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。
 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。
 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。
 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。
 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。
 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。
 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英)
                  ◇
【用語解説】渡嘉敷島の集団自決
 沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。現在までに判明している集団自決の死者は315人。
                  ◇
≪「大尉は自ら十字架背負った」≫
 「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。
 赤松元大尉は昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として渡嘉敷島に赴任した。任務は120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った米艦船への体当たり攻撃。ところが、20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまった。
 戦傷病者戦没者遺族等援護法では、日本軍の命令での行動中に死傷した、沖縄やサイパンの一般住民は「戦闘参加者」として準軍属として扱うことになっている。厚生労働省によると、集団自決も、軍の命令なら戦闘参加者にあたるという。
 照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。
 こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省(当時)は32年5月、集団自決した島民を「戦闘参加者」として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。
 ただ、赤松元大尉の思いは、歴史の流れのなかで踏みにじられてきた。
 45年3月、集団自決慰霊祭出席のため渡嘉敷島に赴いた赤松元大尉は、島で抗議集会が開かれたため、慰霊祭に出席できなかった。中学の教科書ではいまだに「『集団自決』を強制されたりした人々もあった」「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)、「なかには、強制されて集団自決した人もいた」(清水書院)と記述されている。
 渡嘉敷村によると、集団自決で亡くなったと確認されているのは315人。平成5年、渡嘉敷島北部の集団自決跡地に建てられた碑には、「軍命令」とは一切刻まれていない。渡嘉敷村の関係者が議論を重ねた末の文章だという。村歴史民俗資料館には、赤松元大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った恩賜の銀時計も飾られている。                  ◇
≪「真実はっきりさせようと思った≫
 照屋昇雄さんへの一問一答は次の通り。
 −−なぜ今になって当時のことを話すことにしたのか
 「今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った」
 −−当時の立場は
 「琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員の立場にあった。以前は新聞記者をしていたが、政府関係者から『援護法ができて、軍人関係の調査を行うからこないか』と言われ審査委員になった。私は、島民にアンケートを出したり、直接聞き取り調査を行うことで、援護法の適用を受ける資格があるかどうかを調べた」
 −−渡嘉敷ではどれぐらい聞き取り調査をしたのか
 「1週間ほど滞在し、100人以上から話を聞いた」
 −−その中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民はいるのか
 「1人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」
 −−集団自決を軍命令とした経緯は
 「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた」
 −−赤松元大尉の反応は
 「厚生省の課長から『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と言われた。喜んだ(当時の)玉井喜八村長が赤松さんに会いに行ったら『隊長命令とする命令書を作ってくれ。そしたら判を押してサインする』と言ってくれたそうだ。赤松隊長は、重い十字架を背負ってくれた」
 「私が資料を読み、もう一人の担当が『住民に告ぐ』とする自決を命令した形にする文書を作った。『死して国のためにご奉公せよ』といったようなことを書いたと思う。しかし、金を取るためにこんなことをやったなんてことが出たら大変なことになってしまう。私、もう一人の担当者、さらに玉井村長とともに『この話は墓場まで持っていこう』と誓った」
 −−住民は、このことを知っていたのか
 「住民は分かっていた。だから、どんな人が来ても(真相は)絶対言わなかった」
 −−あらためて、なぜ、今証言するのか
 「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」<産経新聞>

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転載元転載元: 屋根の上のミケ

■イギリス・アメリカのリアリスト外交■

過去200年間、他の諸国に対して独善的態度でウィルソニアン的な外交道徳のお説教(「自由主義・民主主義のルールを守れ!民族自決権を尊重せよ!国連決議に従え!」など)をしてきたアメリカ外交の本質は、ウイルソン主義ではなく、リアリズムである。

◆バランス・オブ・パワーで築いた大英帝国
18世紀から現在まで、アメリカ政府の外交政策決定者は、16〜19世紀の大英帝国がバランス・オブ・パワー外交を見事に実践してきたのを意図的に真似してきた。
大英帝国の外交は、リアリスト外交の「一級品」と言えるものである。
国際関係を考えるとき、「イギリス外交の論理を学ばずして、バランス・オブ・パワーのメカニズムを理解するのは不可能」と言っても過言ではないから、以下にイギリス外交のエッセンスを簡潔に解説したい。
16〜19世紀の英国リアリスト外交のエッセンスは、「ヨーロッパ大陸で覇権国となりそうな国を叩く」というものであった。16世紀中頃、エリザベス女王は、「常に他国よりも強い海軍を維持し、同時に、ヨーロッパ大陸がどこか一国によって支配されることを防ぐ」とうイギリス外交の基本原則を決定した。イギリス政府はこの原則を、19世紀後半まで忠実に守り通した。

大英帝国は、スペインがヨーロッパで最強国になったときはスペインを叩き、その後、新興近業国オランダを叩き、フランスがヨーロッパで最強国になるとフランスを叩き…といった具合に、常にヨーロッパで覇権を確立しようとする国を叩き、抑えつけてきた。
ヨーロッパ大陸において覇権国の出現を許さないことによって、イギリスは自国の独立を保障し、大西洋・太平洋・インド洋に大進出して世界帝国ょ築く「行動の自由」を確保したのである。

★もしイギリス政府がヨーロッパ大陸において覇権国の出現と強大化を放置しておいたなら、イギリスはヨーロッパ大陸からの脅威に対処することに忙殺されて、世界中に植民地を設定して大規模な商業ネットワークを構築する余裕を持てなかっただろう。

◆大英帝国の軍事運営コストは列強より低い
ここで注意すべきことは、イギリス政府はヨーロッパ大陸におけるバランス・オブ・パワーを維持するために「もっとも侵略性の強い国」を叩いてきたが、その国を完全に叩きのめして二度と立ちあがれないところまで弱体化させるようなことはしなかった、ということである。

イギリスがA国を徹底的に叩きのめして弱体化させてしまうと、その結果B,C,Dの3国にとって有利な地政学的状況をつくり出してしまうから、イギリスのリアリスト外交の長期的な国益にならないのである。また、イギリスは、ヨーロッパの特定国と戦争し、勝利しても、その国を長期間占領したり併合したりすることを好まなかった。イギリス政府はヨーロッパ大陸の諸国間にバランス・オブ・パワーの状態を維持しておくために戦争するのであり、特定国を長期間占領したり併合したりすることは、「大英帝国の維持・運営のコスト・ベネフィット計算から見て、コストがかかりすぎて合理的ではない」という冷徹な計算があったのである。

他の諸国よりもいち早く産業革命に成功したイギリスは、1830年代から1870年代まで約半世紀間、世界の工業生産力の5割以上を独占する、という圧倒的に有利な立場にあった。
この期間の大英帝国には、巨大な軍事力を獲得して、ヨーロッパ諸国を制覇する能力があった。
しかしイギリス政府は、そのような政策を避けた。
この期間、イギリス政府の軍事予算の対GDP比率は、ヨーロッパ諸国の軍事予算の対GDP比率よりも低かったのである。たしかにイギリスはバランス・オブ・パワー政策を実行することによって世界最大の帝国を築いたのだが、その帝国の軍事的な運営コストは、他のヨーロッパ列強諸国よりも低かった。

イギリス政府は、ヨーロッパ大陸だけでなく東アジアにおいても、バランス・オブ・パワー政策を実行した。その良い例が、日英同盟である。
20世紀初頭、ロシアの工業力は、日本の工業力の約4倍あった。ロシアり陸海軍も、日本の陸海軍よりはるかに強力であった。イギリス政府は、東アジア地域において英国の利権を脅かすのは日本よりもむしろロシアであると判断し、1902年に日英同盟を締結して、日本軍を利用してロシア軍を叩かせることにしたのである。
しかし、1905年、日本が日露戦争に勝利すると、イギリス政府は「ロシアが弱くなりすぎた」と考えるようになった。そこでイギリスは1907年に英仏露・三国協商をつくり、ロシアを支援して新興のドイツ帝国に対抗させることにした。

◆覇権国の出現を許さないアメリカ
アメリカが第1次大戦で英仏側に味方してドイツを叩いたのも、日露戦争で日本が勝利した後に秘密の対日戦争案「オレンジ・プラン」を立案したのも、第2次大戦で英仏中ソに味方して日独両国を叩いたのも、戦後の冷戦期にソ連に対して「封じ込め」政策を実行したのも、すべて「米国は、ヨーロッパとアジアで覇権国となりそうな国を叩く」というバランス・オブ・パワー原則に基づいている。

★1991年12月、ソ連帝国が崩壊して東西冷戦が終了すると、アメリカ政府は即座に(1992年2月)日本とドイツを今後の米国の潜在的な敵国と見なし、この両国を抑えつけておくことを意図する外交戦略案「国防政策プラン」を作成した。<翌月「ニューヨーク・タイムズと「ワシントン・ポスト」」が暴露>

米国政府が2002年9月に発表した「国家安全保障戦略」も、ヨーロッパとアジアにおいて覇権国の出現を許さない方針を明確にしている。ただし、この案ではアジア地域における潜在的なライバルは中国とされており、いつまでたっても自主防衛する意志すら持てない日本は、「潜在的ライバル」と見なされなくなった。

◆アメリカ外交の現実と公式声明のギャップ
アメリカ外交が、リアリスト原理に基づくバランス・オブ・パワー政策をとってきたことは明らかであるが、アメリカ政府は公式の声明で、そのことを否定する癖がある。
<チャーチルなどがあからさまにイギリス政府のリアリスト外交政策を肯定するのとは異なる>
この奇妙な癖(偽善的かつ独善的な態度)は、19世紀の初頭から、アメリカ外交に顕著なものである。

アメリカ政府は実際には「必要に応じて、軍事力で相手を圧倒する」政策を実行してきたのに、公式の声明では、ウィルソニアン的な「正義と道徳を実現するため」とか、「国際協調を実現すため」とか、「自由と民主主義を守るため」等の道徳的な理由をつけて、アメリカ外交のリアリスト原理を否定してみせることが多いのである。

スティーブン・ワルト(ハーバード大学・国際政治学者)
「アメリカ政府がリアリスト原理によって外交政策を運営してきたのは事実であるが、多くの政治家と学者は、そのことを公式の席で認めることを拒否してきた。しかしリアリズムは、アメリカ外交のもっとも重要なフレームワークである。アメリカ政府は常にバランス・オブ・パワーに十分な注意を払い、他の諸国に対する米国の優位性を維持して、米国の国益に都合の良い方向へ国際構造を変化させる外交政策を実行してきた」

ジャック・スナイダー(コロンビア大学・国際政治学者)
「グローバリズムだとか、地球規模の経済の相互依存性の深化だとか言っても、アメリカ外交の核心が軍事力であることに変わりはない。世界の構造がどう変化しようとも、アメリカ外交は軍事力という真の実力を基盤にしており、『紛争のない素敵な世界が生まれるだろう』という幻想や期待に基づいて外交を行っているわけではない」

★戦後のアメリカの国際政治学界でもっとも強い影響力を持っていたリアリスト学派の故ハンス・モーゲンソー教授(シカゴ大学)は、「戦後の米国・中国・ソ連は、道徳的な反帝国主義的スローガンを唱えながら、実際には帝国主義外交を実践してきた」と、米中露三国の偽善的な外交政策を辛辣に描写している。
<1940−1970年代まで、モーゲンソーの著作は、アメリカの大学で国際政治学の教科書としてもっとも頻繁に使用されていた。1980年代以降、もっとも多く使用されてきたのは、ケネス・ウォルツ教授の著作である。この二人は、リアリスト外交のロジックを提唱する代表的な学者である。筆者が若い頃、アメリカの大学で外交政策のゼミに出席したときも、この二人の著作を熟読してから出席することを要求された>

ジョン・ミアシャイマー(シカゴ大学・国際政治学者)
「アメリカ外交の実際と行動と公式の席における外交レトリックには、明らかなギャップがある。しかしアメリカの大衆のほとんどは、このギャップに気がついていない。アメリカ政府のエリートは、常に米国外交の道徳主義を強調してきた。しかし外交政策を決定するとき、彼らが実際に使用するのはリアリストの論理だ。この点に関して、アメリカと旧ソ連はまったく同じだ」と語り、さらに…

★「国家にとって、結局、頼りになるのは自国だけだ。国際法や同盟関係が、国家を救ってくれるわけではない。国際社会とは、『神は自ら助くものを助く』という自助努力社会だ。アメリカにとって同盟関係とは、しょせん、『短期的な便宜上の結婚』にすぎず、今日の同盟国が明日の敵国になる、ということは、よくあることだ。アメリカは第2次大戦ではソ連と中国を助け、ドイツと日本を攻撃した。しかし戦争が終わると、アメリカはこの同盟関係をあっさり逆転させ、今度は西ドイツと日本を同盟国として利用して、ソ連と中国を敵国とする外交を実践した。アメリカにとって大切なのは自国の利益なのであり、他国の国益をアメリカの国益に優先させたりすることはありえない」と、アメリカ外交の本質を解説した。

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【生きのびる為の考察(1)佐藤優 】 http://blogs.yahoo.co.jp/koudookan/16281524.html
<『日米開戦の真実(大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く)』の著者の「日本に残されたシナリオは何か」についての解説>

【生きのびる為の考察(2)伊藤貫】 http://blogs.yahoo.co.jp/koudookan/16304655.html
<『中国の「核」が世界を制す』の著者の「外交政策の二つのパラダイム」についての解説>

【生きのびる為の考察(3)佐藤優 】 http://blogs.yahoo.co.jp/koudookan/16318467.html
<『日米開戦の真実(大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く)』「アメリカ対日戦略への冷静な分析から」>

【生きのびる為の考察(5)佐藤優】 http://blogs.yahoo.co.jp/koudookan/16655041.html
<『日米開戦の真実(大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く)』「神話に”回収”された実証的分析から」>

【生きのびる為の考察(6)伊藤貫】 http://blogs.yahoo.co.jp/koudookan/16950779.html
<『中国の「核」が世界を制す』の著者の「中国のアリスト外交とそれに目をつむる日本」についての解説>

【生きのびる為の考察(7)佐藤優】 http://blogs.yahoo.co.jp/koudookan/17105700.html
<『日米開戦の真実(大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く)』「中国利権を巡る日米対立」>

【生きのびる為の考察(8)伊藤貫】 http://blogs.yahoo.co.jp/koudookan/17297150.html
<『中国の「核」が世界を制す』の著者の「戦後日本の現実逃避と従属主義」についての解説>

◎道徳的な

中東情勢が捻れに捻れる中、
穏健イスラム・親欧米・民主主義国のトルコの重要性は一層高まっていくものと思われる。
(クルド人問題を抱えるが)


しかもトルコは親日国。そして信義を重んじる。
仲良くなっておいて絶対に損はない。


http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html


http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog007.html




小泉首相に関しては、靖国問題などで
「日本のアジア外交を破綻させた」と批判されることも少なくないが、
今年に限ってもトルコ・モンゴル・中央アジア諸国といった、
地政学的に重要な諸国を歴訪しており、
その外交センスはかなり高く評価できると思う。
これを「外遊三昧」と非難するのは表層的である。




小泉首相トルコ訪問 現地メディア 破格の扱いに

 【イスタンブール=高木桂一】小泉純一郎首相がトルコを訪問し、両国関係の強化を打ち出したことについて、トルコのメディアは十日から十一日にかけて一斉にトップ級で報じた。
 小泉、エルドアン両首相の会談を受けた十一日の主要新聞は「お祭り騒ぎ」(ホテル従業員)といったところだ。「中東における連帯」(テュルキイ紙)、「中東和平のためのトルコ・日本の協力関係」(イェニ・シャファック紙)、「トルコ・日本間の協力関係」(ラディカル紙)、「鳥インフルエンザへの共同対策」(ヴァタン紙)−などの見出しで大々的かつ肯定的に伝えた。
 一方、テレビも十日の両首脳の共同記者会見を四局が生中継し、ニュース専門局「NTV」などは約五十分に及んだ会見を、時間を延長して最初から最後まで完全放送した。
 外交筋は「他の主要国首脳の訪問の際には見られない破格の扱い」と驚きを隠せない様子だ。
(産経新聞) - 1月12日16時12分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060112-00000024-san-int




日・モンゴル首脳会談で小泉首相 北朝鮮情勢関連の「対話の場」新設を提起

 【ウランバートル=佐々木美恵】小泉純一郎首相は10日午後(日本時間同)、政府専用機でモンゴルの首都ウランバートルに到着した。政府庁舎でのエンフボルド首相との会談では、北朝鮮を含む北東アジア情勢について情報交換する事務レベル対話の場を設けることで合意した。
 モンゴルは北朝鮮と国交があり、中国、ロシアと国境を接するなど地政学的に重要な位置にある上、親日的であることから、小泉首相が「日本として、こうした特色ある国との交流を深めたい」として、事務レベル対話を提案した。エンフボルド首相も「モンゴルは中露にはさまれ、多角的な外交を行っている。日本は貴重なパートナーだ」と賛意を示した。
 また、小泉首相は日本の民間企業からモンゴルの銅や石炭などの地下資源への注目が高まっていることに関し、「投資環境の整備に努力してほしい」と要請、政府間協議を継続する考えを示した。エンフボルド首相も歓迎した。
 小泉首相は会談後、モンゴルの小中学生の教材として、数冊の日本の童話の中から自身が選んだ「つるの恩がえし」「かさじぞう」の絵本などを寄贈した。夜には国立オペラ劇場でオペラ「チンギスハーン第2幕」を鑑賞。終幕時にオーケストラボックスまで歩み寄って拍手し、「良かった。交響詩的だな」とご満悦だった。
(産経新聞) - 8月11日8時2分更新




首相が中央アジア訪問に出発、資源供給の関係強化へ

 小泉首相は28日午前、中央アジアのカザフスタンとウズベキスタン両国を訪問するため、政府専用機で羽田空港を出発した。

 日本の首相が両国を訪問するのは初めて。

 石油、ウランなどの資源が豊富な両国との関係強化を図るとともに、中央アジアへの影響力があるロシア、中国などをけん制する狙いがある。

 首相はカザフスタンで同日夜(現地時間同日夕)、ナザルバエフ大統領と会談し、原子力発電の燃料となるウラン鉱山開発への支援などを盛り込んだ共同声明を発表する予定だ。

 ウズベキスタンでは、29日にカリモフ大統領と会談し、エネルギーや人権の問題などについて意見交換する。
(読売新聞) - 8月28日10時32分更新





ポスト小泉の最右翼である安倍晋三氏が首相となった場合、
こうした外交方針を基本的には踏襲する可能性が高い。



安倍外交を支える「親米保守派」の政策ブレーン


 安倍氏の外交は基本的に「価値観外交」だ。民主・自由という普遍的な価値観を基盤として彼我を区分する。こうした安倍氏の外交に対する見方は母方の祖父(岸信介元首相)から引き継いだものだが、これを支えるのが日本の「親米保守派」のインテリ達だ。

 その中でも岡崎久彦(76)前タイ大使は「安倍外交の師」と呼ばれる人物だ。「強固な日米同盟がアジアでも日本の発言権を高める」というのがその考えの基本だ。日米の連帯を基礎に中国に対抗し、靖国参拝に対する圧力に屈してはならないという立場だ。外交官出身で駐韓日本大使館に勤務し、韓国の知識人との長年の交遊でもよく知られている。

 一方、安倍氏の外交・安保関連の寄稿を代筆するほど親しい間柄にある京都大学の中西輝政教授(59)もまた筋金入りの親米保守派だ。彼は「普遍的価値を主張できなければ日本はアジアのリーダーにはなれない」と主張する。自由・人権を尊重する隣国が結集し、中国との対等な関係を構築しようとするもので、安倍氏の「インド・オーストラリア連帯論」はまさにこの主張の反映だ。

 財界ではJR東海の葛西敬之会長(66)が代表的で、与謝野馨経済財政担当長官と共に安倍氏を引入れ「四季の会」と呼ばれる勉強会をつくった。日本を海洋国家として分類し、「米国と共に大陸に対抗しなければならない」という考えは親米保守派に近い。経済の実情に対する安倍氏の認識は亡くなった父と親しかった大和総研の的場順三前理事長(72)がブレーンを引受けているという。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報

軍人天皇の時代


今週の『純情きらり』(こればっか)で、
ヒロインの姉で女学校の教師をしている有森笛子(寺島しのぶ)が、
「皇室に不敬であるから、『源氏物語』を教えないように」
と注意されるシーンがありました。

近代史に不案内な私は、本当にこういう指導があったのか分かりませんが、
『源氏物語』は皇室に対して不敬であるという議論は実際にあったそうです。


もちろん紫式部は、天皇家を侮辱するために『源氏物語』を書いたわけではなく、
上記のような的外れな『源氏物語』批判は、
明治以降、天皇のイメージが180度転換したことに起因していると言えましょう。

つまり、「公家」的天皇から「武家」的天皇へ、
「軍人天皇」への転換です。
何しろ明治立憲体制下では、天皇は「大元帥」でもありますから、
優美な天皇像は「軟弱」として否定されたわけです。


しかし、実際には、
中世以降、天皇が軍事に関与すると、ロクなことにならないのですよね〜
私としては、皇室には「お公家さん」でいてほしいです。

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『バルトの楽園』、公開間近。
これは実話です。

第1次世界大戦で連合国側に参戦した日本は、
ドイツが支配していた中国の青島を攻略、
ドイツ兵たちは日本各地の捕虜収容所に移送されました。

そんな中、徳島にある「坂東俘虜収容所」では、
所長である松江豊寿大佐の
「彼らは犯罪者ではなく、国のために戦った勇者であるから人道的に扱うべき」
との方針の下、
ドイツ人捕虜たちは、パンを焼くわ、ドイツ語の新聞を印刷するわ、
楽団(オーケストラ)を作って、あげくの果てには演奏旅行(コンサート)にまで出かける始末(笑)。
そして彼らは日本初となるベートーヴェンの「第9」演奏を行うのでした……



明治の世において「賊軍」と蔑まれてきた会津藩士の子として生まれたがゆえに、
松江大佐は「武士の情け」を知っていたのですね。
義和団事件で活躍した柴五郎も会津藩(斗南藩)出身ですし、
敗者の悲哀を知る者こそ真の武士道を体現できるのかもしれません。


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