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先生に連れられ、
ゼミのメンバーで、
千葉県佐倉の国立歴史民俗博物館(通称:れきはく)の特別展
「うたのちから」展を見てきました。
何でも今年は、
古今和歌集ができてから1100年目、
新古今和歌集ができてから800年目にあたるそうで、
歴博所蔵の「高松宮家伝来禁裏本」を中心に、
古今和歌集・新古今和歌集関係の資料を展示しています。
歴博の研究員である井原今朝男先生の展示解説を聞きつつ、
見学しました。
今回は和歌集がズラズラ並ぶ、平物が中心の展示なので、
一般のお客さんにはつらいかも。
最後のコーナーには歌切とか着物などの美術工芸品がありましたが。
井原先生が展示物の配置の意図について色々説明して下さり、
たいへん興味深かったのですが、
説明されないと、私でも展示の意図に気づかず、
素通りしてしまう可能性大。
緻密に計算されていることは良く分かりましたが、
その計算に気がつく人がどれだけいることやら……
藤原定家が後世、いかに尊重されたか、痛感させられる展示でした。
あと面白かったのは、後鳥羽上皇が、
貨幣禁止令を出しているにもかかわらず、
自分は連歌勝負に銭を懸けていたという記事。
「2貫700文ゲット!」って誇らしげに日記に書いているのが、何とも……
連歌師が全国行脚する過程で、歌を詠むだけじゃなくて、
色んな仕事をしているというのも興味深い。
『太平記』ラストシーンの中殿歌会の意味ってのも、なるほど、って話でした。
午後は、井原先生がゼミを開いているK大学の人達の『脱屣部類記』見学に、
混ぜていただきました。
中世の公家の日記は、今のブログと一緒で、
他の人(特に自分の子孫)に読んでもらうことを前提に書いています。
プライベートなことも、もちろん書きますが、
一番大事なのは、自分が参加した儀式の段取り、様子を書きとめておくことです。
彼ら公家の仕事とは、朝廷の儀式において作法通りにお役目を務めることであり、
そのためには「前にこの儀式をやった時は、どのようにやったのか」という
先例を調べることが必要になります。
ですから公家の日記は、「儀式マニュアル」の側面を有しており、
公家たちは、
御先祖様が残した日記はもちろんのこと、他の家からも日記を借りてきて書写し、
先例を勉強し、儀式の際にしくじらないよう準備しておくのです。
しかし、何十年と書き続けられる日記が、何代にもわたるとなると、
日記の総量は膨大なものになり、
自分が調べたい儀式に関する記事がどこにあるのかを探すのが
だんだんたいへんになってきます。
そこで考えられたのが「部類記」です。
部類記とは、日記をテーマ別に再構成したものです。
このブログも一応、
「日本史」「日常生活」「映画」とか、テーマ別になってますよね?
それと同じです。
今回見た『脱屣部類記』(だっしぶるいき)も、
そうした「部類記」の1つです。
脱屣とは天皇の譲位のことで、
『脱屣部類記』には、天皇の譲位に関する記事だけが、
様々な日記からピックアップされています。
「脱屣」について調べたければ、この『脱屣部類記』だけ見れば良く、
全ての日記の全ての頁をめくる必要はなくなるわけです。
ちょうど、日本史に興味があって、このブログを訪れた人が、
「日本史」カテゴリーにある記事だけ見る、といったふうに。
今回『脱屣部類記』を見せていただいて驚いたのは、
1つの巻物に、様々な日記の該当記事を順々に書写するんじゃなくて、
日記から書写したものを、どんどん切り張りしているんですね。
つまり継ぎ接ぎだらけなのです。天地も揃ってなくて見栄え悪いし。
チョキチョキ切って、ペタッと貼り合わせる、図画工作の世界。
おそらく一気に作り上げたんじゃなくて、
「あ、これも脱屣の記事じゃん」って、新しい記事を見つけると、
その都度、付け足していったんでしょうね。
ルーズリーフ的感覚というか。
日記原本から切り取ったと思われる部分もあり、
切られちゃった日記の方はどうなっちゃうんだろう?とか考えてしまいました。
部類記(テーマ別)さえできちゃえば、日記(日付別)なんていらないや、
って感覚なんでしょうか?
この辺りが現代人には理解しづらいところです。
その点、ブログは日記&部類記なわけですよ。
便利な世の中になったものですね。
あの時代にブログがあったら、公家たちは大助かりですね(^o^)
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