古今亭日用工夫集

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スキー

3月4日・5日@表万座


雪質が悪くなった今頃になって初スキー……
学生なので何時でも滑れるわけですが、
うちの研究室の人々はスキーはやらないようで、
社会人の友人たちは仕事で忙しくて、
なかなか休みがとれない。
かといって1人で行くほど大好きなわけでもなく、
そもそも出不精な私は誘われないと出かけないのであり、
ようやく行きました。

もちろん
男友達とですがね(〃゚д゚;A
いや、楽しかったですけど。

天気はとても好かったのですが、
その分、思いっきり日焼けしました。

冬の奈良

イメージ 1

15日(水):奈良→大和郡山→西ノ京→大和西大寺→奈良→東京

JR奈良駅より関西本線で大和郡山駅へ。
昔ながらの家並みを眺めつつ、大和郡山城へ。
http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/kinki/yamatokohriyama/yamatokohriyama.htm

大和郡山城を築城したのは筒井順慶ですが、
豊臣秀吉の命令で筒井順慶が伊賀に国替えになると、
秀吉の弟、豊臣秀長が入城し、
大増築を行います。

「大和大納言」豊臣秀長は一般にはマイナーですが、
(せいぜい堺屋太一『豊臣秀長』、光栄の『信長の野望』でとりあげられているくらい)
兄の秀吉を文武両面で助けた名補佐役で、羽柴軍団→豊臣政権のナンバー2として
極めて多大な功績を残しました。
小説やドラマで有名な蜂須賀小六正勝や黒田官兵衛孝高なども、
政権における権限・重要度から見れば、秀長の足下にも及びません。
四国・九州の平定および戦後処理の総責任者は、豊臣秀長であり、
関白の秀吉は殆どノータッチでした。
秀長の協力なくして秀吉は天下を統一することはできなかったでしょう。
(戸谷穂高「豊臣政権の取次―天正年間対西国政策を対象として―」、
『戦国史研究』49号、2005年などを参照のこと)

豊臣秀長は四国平定後、紀伊・和泉にわたる70万石の大領を得、
従四位上参議右近衛権中将に叙任されます。
更に九州平定後は大和・河内に移り、和泉の一部を併せて110万石を超え、
従二位権大納言に就任しています。
(官途は徳川家康と同格、石高も徳川・毛利に次ぎ、経済力から言えば両者より上か)
大和郡山城はその秀長の居城となったのであり、

「100万石の大大名」の居城に相応しい巨城へと改造されます。

今回、初めて大和郡山城を見学したのですが、
閑静な街並みとはおよそ不釣り合いなほどに大規模な城であり、
当時の秀長の権勢のほどをうかがわせます。
入場自由、一見の価値ありです。


豊臣秀長の命を受けて作ったという由緒を持つ
老舗『菊屋』の御城之口餅をお土産に購入しました。


その後、近鉄郡山駅から西ノ京駅へ。
駅前の喫茶店でカツカレーを食べ、
薬師寺へ。
日本史研究者として恥ずかしいことですが、
薬師寺は中学の時の修学旅行以来です。
フェノロサが「凍れる音楽」と評した薬師寺東塔など、
さすがに見応えがありました。
復元された西塔の鮮やかな色と比べると、
東塔がくぐり抜けた歳月の重みが感じられます。
白鳳時代の仏像が多数あるというのも、伝統ある薬師寺ならではですね。


薬師寺から唐招提寺は歩いてすぐなのですが、
唐招提寺は平成12年から金堂の修理を行っているので、素通り。

垂仁天皇陵(でかっ)を左手に見つつ、尼ヶ辻方面へ。
更に歩いて、梅で有名な喜光寺・菅原神社へ。
しかし今年は厳冬だったため開花時期が遅れ、
梅はほとんど見られず。
喜光寺には藤原時代(平安時代)の阿弥陀如来がご本尊として安置されてますが、
京都・奈良を旅行していると、藤原仏と言われても、
そんなに有り難い気がしないのが不思議です。

そのまま北上して西大寺へ。
http://www.naranet.co.jp/saidaiji/
西大寺は天平時代に創建されたお寺ですが、
創建当時のものは、四王堂にある、四天王に踏まれている邪鬼像のみ。
ただし鎌倉時代に西大寺を再興した叡尊関係の彫刻類が多くあるので、
中世好きなら、ぜひ見ておきたいところです。
建物1軒につき拝観料300円取るのですが、
本堂・愛染堂・四王堂・聚宝館の共通拝観券が800円で、多少はお得です。
(私が行った時は聚宝館が閉まっていましたが……)


更に北上して秋篠寺へ。
ちょっと不便なところにありますが、
仏像群はなかなかのものです。
拝観料がちょっと高い気はしますが……


歩いて平城駅へ。そこから近鉄奈良駅へ。
駅周辺をぶらぶら歩きつつ、JR奈良駅へ。
そこから快速で京都駅へ。車内では爆睡。
新幹線で東京へ。


試験を受けに行ったというより、
観光に行ったついでに試験を受けたような京都・奈良旅行でした。

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冬の京都

イメージ 1

現在、スーパーホテルJR奈良駅前に泊まっています。

1泊4980円で朝食つき(パンとコーヒーだけですが)、
しかもインターネット無料という、
たいへんリーズナブルな宿です。



6日(月) 東京→京都→奈良

新幹線で京都駅へ。
京都駅から山陰本線で花園駅へ。
徒歩で妙心寺へ。
南北朝期に花園上皇によって創建された禅刹です。
ここは大伽藍が立ち並ぶ立派なお寺ですが、
いかんせん、拝観料取りすぎです。
建物(院家)ごとに拝観料取ってますから、
全部拝観したら3000円ぐらいかかるのではないでしょうか。
まあ、京都の大きなお寺は、だいたいこんな感じですが。
冬の特別公開の春光院・隣華院を見学。
禅寺というと、たいていは水墨画を飾ると相場が決まっているのですが、
この両院の襖に描かれているのは、
殆どが、江戸後期の京狩野家当主、狩野永岳の手による、
煌びやかな障壁画です。
あと、長谷川等伯の代表作の1つ、山水図(重文)も拝見しました。
大迫力。
バイトの学生さんの解説もなかなか良かったです。


続いて歩いて仁和寺へ。
別名「御室御所」と呼ばれた、この寺は、
明治維新まで代々、皇族が入室した
門跡寺院の筆頭です。
重文の二王門、五重塔は惚れ惚れするような造りでした。
(ただ、雪が降ってきて、猛烈に寒かった)


また歩いて、石庭が有名な龍安寺へ。
受付で拝観料を払うと、
「石庭を囲む板塀が工事中で、ちょっと見苦しいんですが、ご了承下さい」
と言われる。

そういう事は、お金を払う前に言ってほしい。


割と枯山水は好きな方なんですが、
(妙心寺春光院の庭も、伊勢神宮を模しているという面白い造りで気に入りました)
龍安寺の石庭は哲学的すぎて、良く分かりませぬ・・・
分からないものを正直に分からないと言う勇気も必要ですよね?



立命館大学前のバス停からバスで京都駅へ。
京都駅から近鉄で近鉄奈良駅へ。
そこから歩いてホテル着。

夕食はホテル隣のなか卯・・・

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3日(金) 某ゼミ打ち上げ

去年の忘年会では先生含めて参加者5名という寂しいものでしたが、
今回の打ち上げは多少持ち直しました。

ゼミ参加者の1人が、
知り合いの方を連れて来ました。
モンゴル史を専攻する学部3年生とのこと。
まあ、そんなわけで、モンゴルな話をしました。



今年は実は、
モンゴル帝国建国800周年なんですね。
知ってました?(普通知らない。私もそのモンゴル君から聞いた)
そんなわけで日本経済新聞の朝刊連載小説も、
渡辺淳一先生のアイルケ(『愛の流刑地』、既に映画化決定)から、
堺屋太一氏の『チンギス・ハーン』へと俄然、硬派になりました。


蒙古襲来の影響で、
日本史研究では、ずっとモンゴルは悪役でした。
特にフビライが日本に送った国書は、
「従わなければ攻め込むぞ」という脅迫として解釈されてきました。
しかしモンゴル史研究では、
国書の表現は別に脅し文句ではなく(少なくとも最初のものは)、
モンゴル(大元)が日本に攻めてきたのは、
文永の役については、
幕府がモンゴルの呼びかけを完全に黙殺したからで、
(ちなみに文永の役に関しては威力偵察ということらしい)
弘安の役については、
北条時宗がモンゴルの使者を斬ってしまったからだという見解が一般的なようです。
つまり、日本側の対応に問題があったのですね。
明治政府によって北条時宗は救国の英雄として祭り上げられましたが、
本当はとんでもない奴だったことになります。


多くの日本人にとってモンゴルという国はあまり馴染みがないでしょうが、
ロシアと中国(かたや北方領土、かたや最大の脅威)に接するモンゴルは、
日本の大切な戦略的パートナーになり得る国です。
(地政学的に言うと、中央アジア諸国も同様に重要。
 上海協力機構に楔を打ち込め!)
今は日本の大相撲の横綱も朝青龍ですから、
モンゴル帝国建国800周年を機に、
モンゴルとの友好を深めていきたいものです。


閑話休題。
飲み会の際、先生から
「yjiは考えていることがすぐ顔に出る」と言われました。
う〜む。
別に、思ったことをはっきり示すのが潔い、と思っているわけではありません。
むしろ、腹が立ったときでもニコニコ笑ってやりすごそうと心がけているつもりなのですが・・・
無意識のうちに表情に出ているのかなあ。
慎むべし、慎むべし。

博士論文に向けて

うちの研究室の中世では、
博士論文を書くための相互扶助団体として、
博士課程の院生が月に1回寄り集まって、
1人の博論構想をみんなで聞いて、
アドバイスをするという勉強会がある。

で、16日(月)は私の報告の番であった。
博士課程に進学して、
もう1年が経とうというのに、
博論の展望など全くなく、
お茶を濁すような報告をしたら、
案の定、集中砲火を浴びた。
予想はしていたが、結構こたえる。
まあ指摘していただけるだけ、ありがたいのであるが。




17日(火)は私のゼミ報告。
私はもともと史料解釈能力が乏しいのだが、
(半ばはセンスの無さ、半ばは勉強不足)
今回は準備不足も相俟って、
(時間がなかったというよりは、怠けたのであるが)
本当に全然解釈できなかった。
このゼミの先生は非常に優しいので、
全然読めてなくても怒ったりはしないのだが、
自分の不甲斐なさが自分で良く分かっているだけに、
優しくされると、内心あきれてるんだろうな〜と思い、
それはそれで辛い。



最近、自分が何故、博士課程に上がれたのか、
心の底から不思議に思えてきた。
崩し字の読解力にせよ、史料の解釈力にせよ、
この程度の実力でよく進学する気になったものだ。
我ながら、その無知無謀ぶりに驚きを禁じ得ない。

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