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江戸落語における現役最高の噺家、10代目柳家小三治を密着取材したドキュメンタリー映画。
高座での緩急自在の至芸をアップで鑑賞できるのも素晴らしいが、文字通りの「舞台裏」から楽屋、地方興業、更には趣味のスキーなどプライベートな場面に至るまで、あるゆる角度から「撮られることが好きではない」小三治師匠に迫る執念には恐れ入った。小三治ファン、落語ファンならずとも必見の、貴重な映像である。
インタビューに答える小三治師匠の語り口は、雄弁や饒舌からは程遠いものだ。ポンポンと気の利いたキャッチフレーズが飛び出すわけではない。ぼやきとも愚痴ともつかない繰り言、とりとめもない雑談が、ポツリポツリと、それこそ小三治落語そのもののように、独特の「間」を保ちつつ語られる。何を語るでもなく語っていくうちに、不意に大切なことをポロッと口にする。
たとえば、マクラの口述筆記ではなく、最初から本として書き下ろせばいいのではないか、という問いに対して、「言葉よりも、ひとの“こころ”ありき」と。話芸の達人の言葉だけに、心に重く響く。そこには一期一会の客と真摯に向かい合う寄席芸人の魂が垣間見える。
しかし芸人とは思えないほど真面目すぎる小三治師匠は、思索を深める一方で、その哲学をしゃちほこばって語ることを好まない。インタビューでも含蓄あるメッセージを発するとすぐに、何となく照れ臭そうに笑い、冗談めかして話を逸らしてしまう。前座にお茶汲みの大切さを説き、「自分が楽しまなくちゃ、人は楽しめないよ」と語った直後に、「本当は自分に向かって言っているんだ」と照れ笑いを浮かべる師匠。そこには「芸人たるもの、高座で己の生き方を見せるべき」という矜持が潜んでいるように思う。
柳家三三ら弟子たちへの接し方も突き放しているようで、どこか温かい。「自分は監督やコーチではなく現役のプレイヤーだから、背中を見せることが教えること」と話す小三治師匠の飄々とした表情からは、師匠として、何より落語家としての強烈な自負心がのぞく。
己の芸を語らぬ小三治師匠に代わって、立川志の輔師匠ら関係者がその凄さを証言するところも良い。特に兄弟子にあたる入船亭扇橋師匠の「小三治の笑いの根底にはペーソスがある」という分析は深い。扇橋師匠と小三治師匠との会話は、まるで掛け合い漫才を見ているかのようで味わいがある。温泉で戯れる2人の姿も微笑ましい。
「名人」と呼ばれるようになった今も、「自分は陰気な性格で落語家に向いていない」と呟き、「一生かかって自分探しをやっている」と苦笑する小三治師匠。それは単なる謙遜でも、韜晦でも、まして自虐でもない。己を厳しく磨き芸を極めんとする者ならではの、偽らざる心境であろう。練達の芸を持ちながらも、弟子に対して「芸は人なり」と人間を磨くことの重要さを強調するところに、希代の噺家の真骨頂があるのではないだろうか。
それにしても桂米朝師匠との絡みが少なかったのが残念。
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