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単なる英雄潭、美談ではなく、生と死、喜劇と悲劇、勇敢さと臆病さが奇妙に同居する戦場の実相に肉迫し、戦争の不条理と人間の尊厳を描ききった傑作。
目を覆いたくなるような戦場の惨状を生々しく、かつ容赦なく描いており、出色の出来。特に、前作と同じ画を意図的に使ったのが良いですね。視点が違うと、こうも見え方が違うのかと。
耳を劈く戦闘シーンと対照的に、ドラマシーンは抑制された演出で、
静謐な空間を創り出すことに成功しています。
題材が題材だけに、重く湿った話になりがちですが、
乾いたユーモアによってお涙頂戴になることを巧みに回避。
戦争という異常事態においても食事や排泄という日常はあり、それはどこか滑稽。
現代人たる我々観客の代理人としてスクリーンに登場する元パン屋の西郷という設定をどう捉えるかが本映画の評価の分かれ目になると思いますが、基本的には良かったのではないかと。栗林中将に焦点を当てすぎると、偉人伝になってしまい戦争の不条理を訴えにくくなりますからね。
それに一兵卒の西郷がいた方が感情移入しやすいことは事実だし、
(あそこまでベラベラ本音を喋ってしまう迂闊な人間がいたかどうかはともかく)
内心ああいうことを思っていた人はいたでしょうからね。
(因みに、「お國のため、陛下のために死にたい」と心底思いつつも、やっぱり死ぬのが怖い清水の気持ちも良く分かります)。
芸達者の出演陣は期待通りでしたが、西郷役の二宮君も予想以上の好演でした。
どう見ても兵士として頼りにならない&情けなかった西郷が、
どんどん逞しい目になっていましたから。
本心をさらけだし、「天皇陛下」に逃げることなく真剣に悩み煩悶し、
生きることに最後まで執念を燃やす《諦めの悪い》彼こそが、
すぐに玉砕や自決に走る「日本軍人の鑑」たちよりも遙かに勇敢で、
実は一番強い人間であるということが、良く表現されていたと思います。
凄絶な戦場においては、生き抜くことは時として死ぬことよりも苦しく勇気がいることですから。ただ裕木奈江と夫婦には見えませんでしたが……(^_^;)
生への執着をふと西郷に洩らす栗林。
栗林の誇りを守るために命を賭けて米兵に立ち向かう西郷。
この両シーンは、
理想的職業軍人の栗林とダメ兵士の西郷との生き方が交錯する瞬間です。
とはいえ、西郷の出番が多すぎでは、という気がしないでもないんですがねww
あそこまで話を創作しなくても、記録されている「事実」(まあ、それが「真実」かどうかは分からないわけですが)だけを基にしても、十分に感動的になるはずです。たとえば西中佐(バロン西)が米兵を助けて、母親の手紙に感銘を受けるのは実話ですし。硫黄島の日本兵が家族に宛てた手紙なんか、泪なしでは読めませんよ。5分と保たなかったという硫黄ガス吹き出る中での苛酷な洞窟掘り作業なんか、もっと描いてほしかった。士気を鼓舞するため、労を厭わず中央に部下の功績を盛んに注進した栗林、そして「感状よりも弾をくれ」と呻いた兵士達も。
劇中、栗林が「生きて祖国の地を踏むことなきものと心得よ」と訓辞していますが、実際、支援ゼロの硫黄島守備隊は「いずれは必ず死ぬ」運命にあったのであり、「100%死ぬ戦場」で「玉砕を禁じる」ことは、玉砕命令よりも峻烈なものでした。「玉砕すら許されない」地獄でのたうちまわった兵士たちの悲劇、そうした非情な命令を部下に与えなければならなかった栗林の苦悩を、もっと描き込んでほしかったです(それにしても、絶望的状況の中で兵士たちを最後まで勇戦させた栗林は、日本陸軍最高の名将ですね……)。
硫黄島で戦った兵士たちは、日米共に、国家の勝手な都合に翻弄され、死の恐怖にうち震え、殺し合いに疑問を抱きつつも、愛する者のために戦った。多くの矛盾を孕みながらも、戦場にいる彼らには戦うほかに術はなく、勇敢に戦うことが最善だった。勝敗や善悪に関わりなく、彼らは勇者である。
その死に謹んで追悼の意を捧げる。
昭和60年の硫黄島日米合同記念式典「名誉の再会」における元アメリカ海兵隊第4師団隊員エド・モラーニクさんの発言:
「40年前、私は日本人ではなく“ジャップ”を殺すために、この島へやってきた。今、彼らと殺し合ったことを心から悔やんでいるよ」
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