古今亭日用工夫集

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 聖遷と呼ばれた人類のオールドアース脱出から約800年が経過した28世紀、銀河系に散らばる200以上の惑星を居住可能な環境に改造し、それらへ移住した人類は、宇宙連邦〈ワールドウェブ〉を形成していた。連邦は数多の保護領をも抱え、1500億の人口を誇っていた。〈ウェブ〉内の諸惑星は転移ゲートと呼ばれる物質転送技術によって結び付けられ、人々は一瞬にして惑星間の移動ができた。またデータスフィアとインプラントの活用によって、人々は〈ウェブ〉内のあらゆる情報を即座に手に入れ、また通信することが可能になった。これらの技術を人類に提供した独立AI群〈テクノコア〉は超演算能力により数世紀先の未来まで正確に予測することが可能で、連邦政府に様々な助言を行い、〈ウェブ〉世界の繁栄に寄与してきた。
 けれども〈テクノコア〉にも予測できない変数があった。その名は〈ウェブ〉に属さない辺境の惑星、ハイペリオン。ハイペリオンには古来から人々の畏怖と信仰を集める未解明の建造物群〈時間の墓標〉があった。〈時間の墓標〉は時間を逆転させる力場たる「抗エントロピー場」を持ち、未来から時間を遡行する形で存在しつづけており、時を超越する伝説の殺戮者シュライクを封じこめている、と信じられていた。

 しかし〈墓標〉周辺の抗エントロピー場が突如膨張し〈墓標〉が開き始め、封印の緩みに乗じてシュライクの動きも活発になってきた。時を同じくして宇宙の蛮族・アウスターがハイペリオンへ大挙侵攻を開始。連邦は敵よりも早く〈墓標〉とシュライクの謎を解明するため、7人の男女を選んだ。そして「シュライク教団の信者たちの巡礼」という名目で彼等を森霊修道会の聖樹船〈イグドラシル〉に乗せてハイペリオンへ送り出したのである。初めて顔を合わせた7人。しかもその中にアウスターの工作員が紛れ込んでいる可能性もあるという。7人は〈墓標〉へ向かう傍ら、巡礼行に参加するまでの経緯や目的をそれぞれ順番に語っていく・・・・・・


枠物語(メタフィクション)の形式を用いて、SFのあらゆる要素を詰め込んだ大作。各回想潭ともオチのつけ方が鮮やかで、独立した短編としても楽しめる内容である。個々の物語を読み進むことで、世界観が示されハイペリオンとシュライクに関する真実が少しずつ明らかになっていくが、同時に謎も深まっていく。


〈司祭の物語〉ホイト神父が、ポール・デュレ神父捜索の過程で発見したデュレ神父の日記を紹介していく、という複雑な構成。途中まではヴェルヌやドイル以来の伝統を持つ「異世界冒険潭」の雰囲気があるが、一転してビクラ族の奇妙な風習の意味を主題とした文化人類SFの様相を呈す。ホラー要素たっぷり。

〈戦士の物語〉ハインラインの名作『宇宙の戦士』を彷彿とさせる迫力の戦記SF。戦士の戦歴が語られると共に回遊島戦争や南ブレシア戦役など、連邦の政治史も叙述される。

〈詩人の物語〉延命手術により400年も生きている詩人の数奇な運命を通じて語られる連邦の社会史。サイバーパンクな未来社会を活写しているところが面白い。

〈学者の物語〉時間逆行SFと言えばディックの『逆まわりの世界』などが有名だが、喩えようのない喪失感はダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』に通じるものがある。涙無しでは読めない。

〈探偵の物語〉副題の「ロング・グッバイ」はレイモンド・チャンドラーの傑作ハードボイルドから取ったもの。電脳ハードボイルド小説『重力が衰えるとき』を意識した体裁に加え、「ジョニイ」という登場人物や「ジャックイン」「氷(ICE)」「ギブスンってカウボーイ」という表現からはウィリアム・ギブスンへのオマージュが見て取れる。特に「高度にネットワーク化された社会を統べる神のごときAIと対峙するアウトサイダー」というモチーフはモロに『ニューロマンサー』からの本歌取りである。

〈領事の物語〉「船乗りと島の娘との束の間の恋」という古典的なロマンスを縦糸に、アメリカ合衆国によるハワイ王国併合の歴史を横糸にして編まれた、SF版『ロミオとジュリエット』。日本人としては「浦島太郎」や「織姫彦星」も連想するところ。この悲恋を紹介した後、領事が暴露する連邦の「影の歴史」はまさにショッキング。

<電脳空間>(Cyber Space)。それは特殊な電極(trode;electrodeの略)を使って脳の神経(neuroニューロ)とコンピュータ端末(deck)を接続し、世界を覆い尽くしたコンピュータ・ネットワークの全データおよび全プログラムを頭の中で視覚的・感覚的に再構成した仮想現実。だが、その幻想世界は電子的には実在し、それを構成するデータは現実世界を動かす力を持つ。
 いわば<電脳空間>は現実世界とパラレルに存在する情報宇宙なのである。そして、デッキを介して意識をマトリックス(matrix)世界に没入(junk in)し、ウイルス・ソフトを使って企業の侵入対抗電子機器(Invasion ounter Electric=ICE)を破ってデータを盗むクラッカーたち、それがコンピュータ・カウボーイだ。

 物語は、ハイテクと背徳の街、千葉市(Chiba City)から始まる。かつて一流カウボーイだったケイスは、顧客を裏切った報復としてソ連製の真菌毒で神経系に損傷を与えられ、没入のできない身体になってしまっていた。電脳空間での飛翔感が忘れられないケイスは治療を求め、神経接合や微細生体工学(Micro-Bionics)の先端技術を有する闇クリニックのあるこの都市にやってきたのだが、その期待はむなしく、治療可能なクリニックは存在しなかった。手持ちの新円(New Yen)はみるみる無くなり、チンピラ同然にまで身を持ち崩していた。
 そこへ、ケイスに治療法を提供しようという男が現れる。その名はアーミテジ。自分の仕事に加わるなら治療してやると彼は持ちかける。渡りに船と誘いに乗ったケイスだが、仕事を進めていくうちに、アーミテジのターゲットがサイバネティック・テクノロジーによって不死性を獲得した最大最強の同族企業、テスィエ=アンシュプール(T=A)であることに気づく。人間とテクノロジーが融合し、国境を超越したグローバル企業が地球を支配する灰色の世界で、ケイスが見たものとは・・・?
 

 痺れる設定。壮大かつ猥雑な世界観。華麗なイメージの氾濫。電撃的な文体。ジェットコースターのような急展開。サスペンスフルなストーリー。黄金時代のSFロマンを現代に甦らせた「ニュー・ロマンス」。今日の無機質で無国籍で刹那的で得体の知れないネット社会、虚無感と絶望が漂う格差社会を予見した内容には脱帽。


 そして何よりも、SF界に「サイバーパンク」という新しいジャンルを開拓した記念碑的作品であり、1980年代を代表するSF。生命とは? 知性とは? 人間とは? 現実とは? フィリップ・K・ディックが提起した問題を、よりSF的に、より現代社会に則した形で問い直したことの意義は大きい。たとえば、遺伝子工学などのテクノロジーが人間の定義すら変えつつある現状を直視し、本書では、サイボーグ、電脳空間でのケイスの意識、ROM人格構造物、AIといった形でこの問題が取り上げられている。

今年は島津氏の琉球侵攻(1609年)から400年ということで、琉球侵攻に関するシンポジウムや書籍で賑わっております。ただ、その中には400年に便乗しただけの内容の薄いものもあり、玉石混淆の状態のようです。
そんな中、今、最も注目されている新進気鋭の琉球史研究者(私の畏友でもあります)が、ついに「決定版」とも言える本を世に問うことになりました。まさに満を持しての登場。これは必読ですよ!!



http://borderink.shop-pro.jp/?pid=17127337より引用↓

本格的歴史ノンフィクション登場!
独立王国・琉球、最大の危機
戦の嵐、迫る

最新の歴史研究の成果で「島津軍の琉球侵攻」を、琉球王国、日本、そして海域アジアを巡るダイナミックなスケールで描き出す。
独立王国・琉球を狙う「九州の覇者」、薩摩島津氏。そしてアジア征服の野望を抱く豊臣秀吉、対明講和をもくろむ徳川家康。ヤマトの強大な力が琉球に迫る。これに立ち向かう尚寧王と反骨の士・謝名親方。海域アジア空前の「交易ブーム」の中、うごめく海商・禅僧・華人たちが情報戦(インテリジェンス)に絡み合う。『目からのウロコの琉球・沖縄史』『誰も見たことのない琉球』で大注目の若き琉球歴史研究家、満を持しての書き下ろし!




「はじめに」〜より

 一六〇九年(万暦三七、慶長一四)、薩摩島津軍が琉球王国に侵攻した。首里城を包囲された琉球国王尚寧は降伏し、わずかな家臣とともに日本の江戸へ連行された。尚寧は二年後には帰国するが、以降、琉球は日本の幕藩制国家のもとに組み込まれ、さまざまな政治的規制を受けることになる。
 この島津軍による征服は琉球の歴史にとって一大事件であった。一五世紀初頭に沖縄島に統一政権を成立させ、海域アジア世界における交易活動によって繁栄した独立国家としての時代が大きく変わることになったのである。
 琉球は一四世紀後半から中国(明)の朝貢・冊封体制下にあったが、島津軍の征服以降、日本の強い政治的影響のもとに、いわゆる「日中両属」の立場を生きていかざるをえなくなり、やがて一八七九年(明治一二)の琉球処分で日本の近代国家に併合され王国は滅亡、「沖縄県」として今日の体制につながっていく。
 誤解を恐れず言えば、近世から近代、そして現代にいたるウチナー(沖縄)とヤマト(日本本土)がたどってきた歴史的関係の「原点」ともいえる事件がこの一六〇九年の島津軍の琉球侵攻とも言えなくはないのであり、おそらく、場合によっては薩摩藩の侵略と圧政、近代の沖縄差別から沖縄戦、戦後の米軍基地問題の「源流」をここに見出す者もいるであろう。確かに、そうした面はなくはない。
 だが私は、ただちにこの一六〇九年の事件を「告発」し、「薩摩」やヤマトを糾弾することはしない。歴史は歴史的事実としてひとまずは冷静に検討されるべきであり、なるべくその時代の「現場」に立って歴史像を描く必要があると考えるからである(現代に生きる私にとって完全にそれを実現させることは無理であるとしても)。このような基礎的な作業のうえに立ってこそ、その歴史的意義を明らかにできるのではないだろうか。
 島津軍侵攻事件についての大方のイメージは、おそらく次のようなものだろう。

 《貿易の利権を狙う強藩・薩摩島津氏は一六〇九年に琉球王国を侵略した。一六世紀の尚真王の時代に武器を捨てた琉球は、わずか三〇〇〇の島津軍の攻撃に対してほとんど抵抗らしい抵抗もできず、早々に降伏して首里城を明け渡した。ごく一部では抗戦する動きもあったが、島津軍の強力な鉄砲隊の前に、クワやカマを持った琉球の人々たちは「棒の先から火が出た!」と初めて見る火縄銃に驚き敗走した》

 このようなイメージは、ある部分においては史料の記述を若干反映しているものの、事件の全体像を忠実に描いたものとはいえない。実は島津軍侵攻についての研究は、事件の背景や歴史的意義などは詳しく分析されてきたが、事件それ自体の経過については意外なほど解明されていないのが実情である。「イメージ先行」のうえにさまざまな史料がバラバラに叙述されていて、これらを統一して事件の実態を分析したものが少ないのである。
 例えば紙屋敦之「薩摩の琉球侵入」(琉球新報社編『新琉球史・近世編(上)』琉球新報社、一九八九)が事件の経過をまとめており、拙稿「島津軍侵攻と琉球の対応」(『新沖縄県史 近世編』沖縄県教育委員会、二〇〇五)でも両軍の軍事的対応を簡単に紹介した。最近では上原兼善『島津氏の琉球侵略』(榕樹書林、二〇〇九)が刊行されたばかりだ。
 ここ二、三〇年の間に琉球史研究は格段に進展しており、またこれまでほとんど取り上げられていない史料もあるので、それらをもとに事件を再検討し、全体像をあぶり出す作業が求められよう。
 さらに、これまでの研究でも明らかにされているように、侵攻事件は単に琉球・薩摩二者間の問題だったのではなく、背景には日本の幕藩制国家と当時の中国・明を中心とした東アジアの国際情勢が深く関わっていた。本書は事件そのものの詳細な検討にくわえ、事件前後の状況を海域アジア世界の広い視野からとらえていこうと思う。また事件に立ち会った当時の人物たちにもスポットを当て、琉球・薩摩それぞれの立場から真相を浮きぼりにしたい。

琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻 内容


第一章 独立国家、琉球王国 〜プロローグ・琉球の章〜 
 
   (1)南方の海洋王国  
   (2)嘉靖の大倭寇  
   (3)衰退する中継貿易  

第二章 九州の覇者・島津氏と琉球 〜プロローグ・島津の章〜 

   (1)戦国大名・島津氏への道  
   (2)あや船一件  
   (3)九州の覇者・島津氏  

第三章 豊臣秀吉のアジア征服戦争 

   (1)秀吉のアジア征服への野望  
     (2)琉球使節、聚楽第へ  
     (3)琉球発インテリジェンス、明を動かす  
     (4)王府内部の確執  
     (5)「鬼石曼子」と泗川の戦い    
 
第四章 徳川政権の成立と対明交渉    

   (1)朝鮮からの撤退と琉球・島津氏  
  (2)日明講和交渉と聘礼問題  
   (3)戦争回避、最後のチャンス 

第五章 島津軍、琉球へ侵攻 

   (1)奄美大島制圧  
   (2)徳之島での奮戦  
   (3)今帰仁グスク陥落  
   (4)つかの間の勝利  
   (5)首里城明け渡し 

第六章 国敗れて

   (1)尚寧王、徳川将軍に謁見 
   (2)掟十五カ条  
   (3)「日本の代なり迷惑」  

第七章 「黄金の箍(たが)」を次代へ 〜エピローグ〜 




上里隆史(うえざと・たかし)

 一九七六年生まれ。琉球大学法文学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、早稲田大学琉球・沖縄研究所客員研究員。
 主な著書・論文に「古琉球・那覇の「倭人」居留地と環シナ海世界」(『史学雑誌』一一四編七号、二〇〇五)、「島津軍侵攻と琉球の対応」(『新沖縄県史 近世編』沖縄県教育委員会、二〇〇五)、「琉球王国の形成と展開」(桃木至朗編『海域アジア史研究入門』岩波書店、二〇〇八)、『目からウロコの琉球・沖縄史』(ボーダーインク、二〇〇七)、『誰も見たことのない琉球』(ボーダーインク、二〇〇八)、ほか多数。

1991年10月、ムスリム主体のボスニア・ヘルツェゴビナ政府は主権国家宣言を行い、1992年2月29日から3月1日にかけて独立の賛否を問う住民投票を行なった。住民投票は、セルビア人の多くが投票をボイコットしたため、90%以上が独立賛成という結果に終わる。これに基づいて、3月、ボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビア連邦からの独立を宣言した。これに反発したセルビア人住民は4月には「ボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人共和国(スルプスカ共和国)」を樹立、ボスニア・ヘルツェゴビナからの分離を宣言した。このセルビア人勢力が隣のセルビア共和国の支援を受けて軍事行動を開始したため、ボスニア・ヘルツェゴビナは窮地に追い込まれた。

ボスニア・ヘルツェゴビナにとって唯一の活路は、西側先進諸国を主体とした国際社会をこの紛争に巻き込み、更には味方につけることしかない。だが資源も乏しく地政学的にも特に重要でないバルカンの小国の紛争に、欧米諸国が介入する可能性は低い。そもそも、できたばかりのボスニア・ヘルツェゴビナ政府は外交のイロハも知らない素人集団にすぎず、国際社会における人脈も皆無であった。
そこでボスニア・ヘルツェゴビナ政府外相ハリス・シライジッチは、5月にアメリカの大手広告代理店ルーダー・フィン社を雇い、セルビアの非道性・ボスニアの正当性を世界に伝える「広報活動」を一任する。

国際紛争におけるPR戦略の専門家として作戦の総指揮を執ったワシントン支社のジム・ハーフは、ルーダー・フィン社の人脈と情報網を活かして、膨大な情報を収集し、また発信した。そして傲岸不遜で好色なシライジッチをTV映えのする「ボスニア内戦という悲劇に直面し奔走するヒーロー」へと改造して人々の同情と共感を集め、更にはセルビアの蛮行を「民族浄化」と名付けて人権問題へと押し上げる。このようにルーダー・フィン社は巧みなメディア戦略と周到なロビイングを通じて、アメリカ世論、ひいては国際世論をセルビア非難へと誘導し、やがてボスニア紛争の帰趨を決定づけていく・・・・・・


刻一刻と変わる国際情勢の中で、ジム・ハーフはどのようにPR作戦を展開したか。そしてセルビア側はどう逆襲に出たのか。銃弾飛び交う戦場から遠く離れた国際政治の舞台で行われた「もう1つの戦争」、すなわち「言葉」を武器とした苛烈な情報戦の実相を生々しく描く迫真のドキュメンタリー。張り巡らされる複雑な策謀を、時系列に沿って、平易な文体で、分かりやすく叙述している。

ジム・ハーフらルーダー・フィン社のスタッフは、捏造や隠蔽といった露骨な謀略は使わない。彼等の情報操作の手口はもっと洗練されている。事実の一部を切り取り、微妙に誇張し歪曲し、受け取り手が喜ぶような単純明快でインパクトのある形に加工して与える。大手メディア社や政治家たちは、ジム・ハーフの提供する勧善懲悪のストーリーにいつの間にか絡め取られ、知らず知らずのうちにボスニアに肩入れしていく。世論誘導に邪魔な存在はネガティブ・キャンペーンによって政治的に抹殺する。ジムらの仕事はキャッチコピーやテーマ設定による「方向付け」であり、勘所を押さえた脚色と演出によって世論を制御していけば、わざわざ捏造や隠蔽を行わなくても、後は人々が勝手に、ジムたちにとって都合の良い「真実」を創出し増幅してくれ、結果的には捏造や隠蔽と同様、いや、それ以上の効果が得られる。嘘をついたり隠したりするよりも、特定の事実をピックアップしクローズアップし「情報」として大量に流してメディアや政治機関に「自発的に」協力者になってもらう方が、望ましい世論を作る上で有用なのである。


本書はジム・ハーフらのプロパガンダの悪辣さを糾弾し、陰謀を企てて戦争を呼び込む「情報の死の商人」としてPR企業を断罪するものではない。それでは「セルビア=加害者、ボスニア=被害者」という従来の図式を反転させただけでしかない。実際ジムが、純粋なビジネスとしては必ずしも割が良いとは言い難い貧乏小国からの依頼を引き受けたのは、「ボスニアを救いたい」という彼なりの正義感も作用している。そして顧客の利益を最優先するのは、民間企業としては当然のことだ。事が戦争である以上、勝つためにはあらゆる手段が用いられるべきであり、宣伝戦の重要性を理解しようとしなかったミロシェビッチがその責めを負うのは、不公平ではあっても不合理ではない。


我々が生きる世界は善玉と悪玉の二項対立で理解できるほど、簡単なものではない。倫理的な善悪はさておき、PR活動を怠れば、セルビアのように国際社会の孤児となり、不当なまでに懲罰されてしまうのが国際社会の冷厳な現実であり、生き残るためには好むと好まざるにかかわらず情報戦略に真剣に取り組むしかない。それが本書の極めて現実的な主張なのである。南京大虐殺や従軍慰安婦問題など宣伝戦で常に後手に回り続けている日本にとって、セルビアの悲劇は決して他人事ではない。



最後に、本書からの引用。

日本政府も、アメリカのPR企業を雇うことはある。だが、PR企業の社員を首脳会談に同席させるなど絶対にありえない。日本の場合は、国際政治の舞台でPR戦略を担当しているのは役人だ。それはどこの先進国もそうである。だが、問題なのは、そのPRの能力において、ハーフが日本外務省の官僚よりはるかに優れていることだ。その結果、皮肉なことに、自前のスタッフを持たないボスニア・ヘルツェゴビナという小国に世界の注目が集まり、国際政治において日本などより格段に大きい存在をもつに至る、という現象が起きた。

久しぶりに再読。


東北のカトリック系孤児院で高校を卒業した小松青年は、今まで世話になった神父の紹介状一通をふところに上京、S大学文学部仏文科主任教授のモッキンポット師と会う。異様な風体で関西弁を話すフランス人神父に驚きつつも、S大学文学部仏文科への入学と聖パウロ学生寮への入寮を許可される。以後、モッキンポット師は指導神父として、小松青年を物心両面で支援することになる。

食欲と性欲は人一倍あれど赤貧洗うが如しの小松は、食費と遊興費を稼ぐために、オンボロ寮の悪友である土田・日野と組んで、アルバイトに勤しんだり事業を立ち上げたりする。しかし生来の欲深さが災いして、ついつい悪知恵を働かせ、カトリック学生とは思えない悪行不品行に走る。やがて悪事は露見し、モッキンポット師は謝罪や弁償などの尻ぬぐいをさせられるのであった・・・(この辺り、『こち亀』の両津勘吉の金儲けを想起していただけると、良く分かると思う) 

不良学生トリオの健全な(?)仕事→悪事へと流れる→露見→モッキンポット師の後始末という展開が繰り返される、マンネリズムの極致とも言える作品だが、貧乏生活(これがまた笑える)から脱出すべく、動物的本能に突き動かされた彼等が次から次へと考え出す(違法なものを含む)金儲けのアイディアと、やりすぎて失敗する様には抱腹絶倒するしかない。


本書巻末の解説に詳しいが、小松さら3人とモッキンポット師が奇妙な共犯関係にあるところが興味深い。不信心の極みと言うべき3人の青年に常に苦杯をなめさせられ、彼等を叱責するモッキンポット師は、根っこのところで3人を信じている。神父という立場から逸脱してまで、3人を救っている。3人も神父を騙し神父に甘えつつも、神父を尊敬し信頼している。それがゆえに神父に告解もするし、『アベマリア』の罰も蕭々と受け入れるのである。この師弟関係は感動的ですらある。

作者の井上ひさしはカトリック修道会ラ・サール会の孤児院「光が丘天使園」の出身で、上智大学外国語学部フランス語学科在学中は、浅草のストリップ劇場フランス座を中心に台本を書いていた。そうした経験が本作には投影されており、それが荒唐無稽に見えるドタバタ劇にリアリティを与えているのだろう。超オススメの作品である。

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