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アメリカのプリストン大学の助教授として経済学を教えていた著者は、サバティカル(研究休暇)の1年を、世銀の研究所で過ごすことにした。世銀の開発五ヶ年計画調査団に同行してエジプトの首都カイロへ飛んだ。ある日、ふと思い立って、1人でスラム街に赴いた。そこで1人の少女の死に立ち会う。死因は下痢からくる脱水症状であった。安全な飲み水と衛生教育さえあれば、彼女の死は防げた。
「帰途の機上では一睡もできず、自分が受けた教育は何のためだったのか、何をするために経済学を学んだのかと、悩んだ。ワシントンに近づき、機体が着陸体勢に入っても、鬱々としたままだった。が、車輪がドシンと音を立てて滑走路に接した瞬間、目の奥に火花が散った。結論が、脳に映った写真のように、はっきり見えた。学窓に別れを告げ、貧困と戦う世銀に残ると決めた」
以来、著者は23年にわたって「貧困のない世界を作る」ため、世銀で働いてきた。本書はその奮闘の記録である。世銀の仕事は途上国に対する開発資金の融資であるが、闇雲に金を貸すだけでは真の援助にはならない。途上国は政権が腐敗していることが多く、慎重に融資先を選ばなければ汚職政治家が私腹を肥やすだけで終わってしまう。世銀は単なる金貸しであってはならず、融資を梃子として被援助国の中から真のリーダーを育成し、政治を改革しなければならないのだ。まさに「国をつくるという仕事」なのである。
著者は大学で育った研究者だが、決して数字だけに頼ることはない。政府の公式発表を信じることなく、お仕着せの視察コースを回って事足れりとするのでもなく、貧村や貧民街に自ら足を運び、民家に泊まって草の根の民の話に真剣に耳を傾ける。民衆の暮らしを見ずに私利私欲に走る権力者たちには容赦せず、独裁者の脅しにも屈することなく冷然と「融資停止」を言い渡す。
彼女の物怖じすることない直言ぶりは、惚れ惚れするほどだ。
1999年、パキスタンのシャリフ首相に対して。
「人様の大切な金を貸す銀行家として進言する。たとえ首相でも、口約束だけで融資はできない。行動で政治意志を示してほしい。貴国の勇士たちが練り上げた銀行改革案は見事。我が国日本に煎じて飲ませたいほどだ。しかし、トップリーダーの一族が債務不履行ファミリーである限り、銀行界の立て直しは不可能であると判断する。恐れ多くも人の上に立つ指導者は、身辺を清め、民の模範となるべく努力すべし」
「我が国に貧しい民はいない」と嘯くブータンの大臣に対して。
「国民の大半は、車道から徒歩で半日以上の距離に住む。車窓から見えるのは貴国ではない。自分の足で歩いて見てきてください」
インド南部のカルナタカ州に出張した際、知事公邸で歓待を受け、山海の美味を次から次へと勧められても水だけを飲む著者を案じ、「口にあわないのか」と知事に尋ねられたとき、
「閣下はクリシュナ河上流域の草の根を歩かれたことがおありか」
「いや、まだだ」
「それではお分かりにならないだろう。なぜ美味な物が口に入らないのか」
だが徹底した現場主義を取る著者は、民草の心の叫びは謙虚に受け止める。
インドで某NGOから世銀の対応を非難された時の言葉。
「あなたは正直な人だ。お叱りは痛かったけれど、礼を言う。あなたの協力がこの訪問に欠かせないから我慢して、心にもないお世辞を言うのではない。誤解や誤報はあるが、言い訳もしない。世銀が真実国民のためになる仕事をしてきたのなら、こんな目に遭わないはずだと信じる」
著者は腐敗した権力者を厳しく糾弾する一方で、上は一国の宰相から、下は貧村の共済組合の代表者に至るまで、優れたリーダーには賞賛を惜しまず、また全力で支援する。先頃の総選挙で圧勝したインドのシン首相や「国民総幸福量」で有名なブータンのジグミ・シンゲ・ワンチュク雷龍王4世は日本でも評判が良いが、ともすると「軍事独裁政権」の色眼鏡で見られがちなパキスタンのムシャラフ前大統領の実像を本書で垣間見ることができたのは貴重な収穫であった。優れた指導者を得たインド・ブータン・パキスタンでの改革の進捗ぶりを目の当たりにすると、日本はとても南アジア諸国を「開発途上国」と笑ってはいられない。
「ムシャラフ将軍のどこが気に入ったと聞かれたことがある。自分に正直で民を煽り騙さない人だと答えた。彼との時間を思い出すたび、政治家になぜああいう人が出にくいのだろうと憂う」
最後に著者の金言をいくつか紹介する。
「政治家や官僚は、民衆の悩みや苦しみを肌で感じることが不得意だ。どん底の生活にあえぐ貧民のことなど、数字と頭でとらえていればましなほうだろう。先進国でも途上国でも違いはなく、我が国でも例外ではない」
「緊急時の援助活動は目立つ。顔が見え、カネが集まり、名声や昇進欲をくすぐる。緊急時だからこそよりいっそう協調すべき公私援助機関が競争に奔る。事態を口実に草の根を無視し、民の意を汲まない活動が起きる。被援助国の人々がすべきことまにまで、援助機関の人間が立ち入る」
「貧困解消と地域開発は切っても切れず、良いリーダーと住民の強い団結があってこそ持続する。どんなに貧しくても、農民には村のために働くという団結精神がある。そのために動くリーダーも農民の中から必ず出る。だから指導者教育が貧村の発展を大飛躍させる」
「国づくりは人づくり。その人づくりの要は、人間誰にでもあるリーダーシップ精神を引き出し、開花することに尽きると思う。未来の社長や首相を発掘せよなどというのではない。育児や家事に勤しんでも、家庭の外に出てどのような職に就いても、リーダーの仕事には夢と情熱と信念がある。頭とハートがつながっているから、為すことが光る。心に訴えるものがあるから、まわりの人々にやる気と勇気をもたらす」
まさに現場の人、行動の人に相応しい、含蓄に富んだ言葉である。
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