|
今行っている現場の近くに、川崎大師さんがありますが、毎年全国でベスト3にはいる初詣の人出を集めるところですが、いままでそれがなぜだか不思議でした。
いろいろ調べたけれど、よくわからなかったので、なかなか記事にできませんでしたが、そこには、今は途絶えてしまった、海の道を使った昔の人の動きが見えてくるようです。
古代から中世あたりまで、陸路が発達していなかった頃は、海流に乗っての移動はおおきな交通手段だったようですが、今はその姿が消えてしまって、見落としがちです。
創建の古い、川崎大師さんは多摩川の河口にあり、海に向かって立っています、いまその先は京浜工業地帯の工場群がふさいで、海は遠くなりましたが、もともとは海人の信仰をあつめていたようです。
海人とは、漁師さんだけでなく、古くは海の交通にかかわっていた人たちです、水軍ともよばれて重要視されていました、紀州水軍というのがありますね、そこに、川崎大師さんをつなぐものがあったのです。
大師さんは、真言宗智山派平間寺というのですが、智山派というのは、紀州にもとがある派閥です、今は京都にあって、わかりにくくなっていますが、紀州とは縁があります。
そして、昔、紀州から、黒潮にのって関東に人がやってきたことは十分想像できます、そんな海人の信仰が川崎大師さんの始まりだったようです、厄除け大師さんといわれるのは、危険を伴う、海上の安全をねがってのことだったのでしょう。
さて、関東と紀州のつながりが見えてきたところで、醤油のはなしですが、関東の醤油と和歌山の醤油がそっくりなのには、紀州からもたらされたのではと思っています。関西では薄口醤油が有名ですが、和歌山は濃いくち、関東も濃いくち、偶然ではないでしょう。
徳川御三家に、紀州が入っていることも、古代の、関東南部と紀州のつながりを想像させますね。
あと、智山派は、豊臣秀吉とは、対立していたので、徳川になってからは、逆に敵の敵は味方とでもいうのでしょうか、大事にされたようで、川崎大師さんも大いに栄えたようです。
今は、鉄道が主な交通機関となったせいで、駅からの参道は、裏側から海方向に向かい、Uターンする形で本堂に向かうへんな、順路になっているのも、海人ゆかりのなごりですね。
|