むかし野菜の邑のブログ「農園日誌」

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2019.4.18(木曜日)晴れ、最高温度20度、最低温度9度

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 今年の麦は良い。この圃場は5年前、穀類専用として水田を畑作転換したもの。
その間、麦・大豆・とうもろこしと年間二毛作を繰り返してきた。
年間2回の草木堆肥施肥とした計算で行くと、すでに8〜9回は堆肥を振っていることになる。
去年は背丈が伸びず、堆肥量も少なく、種を撒きすぎて、失敗しているだけに、今年は堆肥量も増やし、種を撒いてきた。
元来、低窒素栽培となる自然栽培のため、肥料分を好む麦の生産には向いていない農法であるが、今年の出来はどうだ。ようやく、思っていた姿に成長した。
その意味では、感慨深いものがある。土が育ってくれたのだろう。

ロシアから来たナターシャは、ここに連れてくると、「オー!ビューティフル」と、嬉しそうな笑顔が出てきた。


2014年2月25日―地域農業の高齢化と後継者不在

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永年、農業を営んできたある男性(80歳前後)がこのように私に伝えた。
今日は誠に良いものをみせてもらった。これなら、私達の未来の農業は繋がっていっただろう。如何せん、私達も歳を取り過ぎた。息子達は農業を嫌ってみな街に出て行ってしまった。
後は、集落が残ってくれることを祈るしか無いが、私達にはなにもできない。

大分県の佐伯振興局の職員が農業視察団(地域の農業者)を連れて当農園を訪れてきた。
草木堆肥作りから自然循環農業及び高集約農業まで、農園を回りながら一通りの紹介を行う。
残念ながら、皆さん、高齢で今更、新たな形の農業に進むことは難しい。
彼らは、こう言って帰って行った。
「もう10年でも早く、貴方に巡り会っていたら、我々でもできたでしょう」と・・
すでに体力と気力は尽きようとしていた。子供達は皆、きつく、未来の描けない農業を嫌って出て行ってしまった。
日本では古来から、労力を掛けて、狭い農地しか無い農地を最大限に回転させる高集約型農業を行ってきた。そんな日本の実情に合わせて、高集約型農業に見合った付加価値の高い有機農産物などの商品化によってしか、中山間地の農業は存続できない。
にもかかわらず、日本の中山間地の実情を無視して、欧米の大規模農業を模倣し、大規模化・機械化などを推進するとしてきた日本の農業政策の無為無策が地域の疲弊とやがてくるであろう消滅を招いた。
農業後継者を失い、地域から子供の声が消える。
現在も、そして今後も政府は日本の農業及び地域の未来は全くと言って描こうとしていない。
強い国作り・大企業の支援など富国強兵の施策によって、上から下へ水が降りてくるなどと、グローバル化が進む時代ではあり得ない、時代錯誤の政策が未だに進められている。そして、地域は切り捨てられていく。
諦め顔で、去って行く彼らの小さな後ろ姿をみていると、憤りすら覚えてしまった。
 
「高集約化農業」

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 如何に安全で栄養価の高い美味しい野菜を作り続けたとしても、流通の段階では、何も評価を受けない。むしろ、不揃いで虫食いの痕の残る規格外商品として、弾かれてしまう。
そのため、農園主は、敢えて困難な消費者直接販売の途を選んだ。この途ならば、消費者と対話しながら販売ができる。
但、いつも同じ商品ばかり届けていては、消費者も永くは続かない。
結果として、一シーズンに30〜40種類、年間100種類を越える野菜を作り続けることが必要となった。
農業ならば必ず訪れてくる端境期にも野菜を切らすことはできない。そのための工夫と努力は、かなり難しいことではあった。


日本の農業は元来が狭く肥えた農地を最有効に使用する高集約化農業であったが、農協などの指導は国の指針に基づいて大量生産・単一栽培が基本になっており、機械化・粗放農業を示唆してくる。
草木堆肥を施肥し続けた土壌は、年々成長し続けており、肥えていきます。日本の先人達は、何代にも亘って、農地を育ててきた。そんな豊かな土壌は、生命力に満ち溢れており、豊かな農産物を生み出してくれる。
私は、そんな圃場を年間3〜4回転させて、四季折々の野菜達を育ててきた。さらに野菜の種蒔きは密集栽培を基本にしている。
通常(農協の指導要領)は、筋播きや点播きなどで、成長の悪い幼苗を間引き、より大きな野菜を作ろうとしている。これが実は間違っていることに気が付いた。
当農園では、ある程度密集した状態を作り出し、大きく育った野菜から間引き出荷をしていく。すると、次に大きく育った野菜から二番出荷として、順々に間引き出荷を続ける。最後は、漬物や自家消費の野菜として活用している。無駄の無いやり方を採用している。
野菜は、ものにもよるが、密集植えをすると、互いに競い合って大きくなろうとする。ゆったりと植えてやると、逆にひ弱に育ってしまう。人間社会と同じなのですね。
その例を大根で説明しておきます。
太めの筋を引き、その筋の中に、大根の種を千鳥状に約7センチ程の間隔で筋蒔きする。すると、競い合って育ち、より大きいほうを一番出荷とし、次に大きいほうを二番出荷とします。この頃、大きく育ち切らないより小さめの大根を間引き、甘酢漬けや糠漬けにします。残ったものを三番出荷とし、ほとんど全ての大根が活用できることになります。これが農業者の知恵です。

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密集栽培の野菜は、先ずは大きく成長したものから出荷を始めると、次の大きな野菜がさらに生長してくれる。それを繰り返して、概ね、一畝の野菜が3〜4段階で出荷が可能となる。
さらに、野菜を途切らすことのないように、一種類の野菜を二週間おきに、ずらして、4畝程度種を蒔き続けねばならなくなる。

単一栽培は、気候変動のリスクが高くなった昨今では、農業者を大いに苦しめてしまいます。
出来過ぎた場合は、大暴落し、出荷する作業を考えたら、逆に損になります。不作の年は出荷量が激減し、いずれも、生活を維持することすらできなくなります。
当農園では少なくとも一シーズンに20〜30種類の野菜を育てており、年間通して100種類を超している。リスク分散を図ります。
 
そのためには、安定的に出荷を受けてくれる消費者層が必要となってきます。
当農園では消費者への直接販売を基本にした販売戦略・戦術を立て、市場開拓をし続けております。
さらに、直接販売のためには、有機農産物及びその加工品の圧倒的な商品力が必要になります。
「まあ、美味しい」ではダメなのです。「毎回同じ商品」を送っていてもダメです。
草木堆肥しか施肥しない世界でもおそらくはオンリーワンの農法であり、「糖質・ビタミンに富み、歯切れ良く、味香り高く、旨みのある」存在感のある栄養価の高い農産物を目指しており、四季折々の多彩な旬菜を生産し続けねばなりません。
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「グループ営農」
日本の農業は、一貫して米作中心でした。政府が機械化を奨励し、一人農業ができるようになってきました。その反面、村落単位で永らく行われ続けてきた共同作業、ここでは結いの仕組みが消えていきました。しかしながら、米価は下がり続け、米作だけでは地域農業は維持できなくなってしまい、先の目途も立たない、きつい農業を嫌って農家の後継者である子供たちは、その村落から離れてしまいました。
今では、地域が消えていくのを唯待つしかないわけです。
米作以外の麦・大豆などの穀類価格は内外価格差があまりにも大きく、生産してもわずかなお金にしかなりません。狭い農地での畑作は機械化が難しく、手作業の比率が増えてしまいます。
いずれにしても、一人農業では、心が折れてしまいます。
 
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グループ営農の難しさは、公平な分配機能にある。
当グループは、未だ試行中ではあるが、ほぼその分配システムは完成に近づきつつある。今では、他人の畑での作業に、何の抵抗もなく、皆等しく汗を流しており、それに疑問を感じている者は居ない。
彼らは、一人農業では続けていくことができないと分かっているからである。


 当農園では、現在、4人の青年が働いており、若い主婦も数人おります。ここでは、それぞれが農業者として独立し、「共同作業」「共同加工」「共同出荷」を行っており、その中心に「()むかし野菜の邑」があり、グループを形成しております。現在版、「結いの仕組」です。
農業は本来的には家族経営です。時間外勤務も就業規則もありません。夜の夜中、遅霜が降りるとわかれば、家族全員畑に出ます。農業では、不当労働と言う概念すら存在しません。
農家は個々が頑張った分の収入を得られる独立採算とし、しかも、相互扶助可能な共同作業を行う仕組みが必要となります。
むかし野菜の邑グループは未だ完成形ではありませんが、少なくとも、自然循環農業の元となる草木堆肥施肥の農法は共有化し、農産物の「質の共有化」と「品質の高さ」を維持しなければ、圧倒的な物流を有する既存流通には対抗できません。消費者の高い支持を得ることが絶対的な条件となります。
例えば、当農園のように100種類の多品目生産が無理だとしても、各農家が年間20種類の品質を揃えた野菜を生産し、その農家が5軒揃えば、野菜100種類にすることは可能です。

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2019.4.18(木曜日)晴れ、最高温度18度、最低温度9度

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麦作りを始めて4年目、草木堆肥施肥して、5年目の圃場に今までより多目に堆肥を振り、ようやく思っていた通りの麦が出来そうな予感がする。出来は頗る良い。
麦類は肥料を好む穀類であり、低窒素栽培である自然栽培では難かしいため、
年月を掛けて草木堆肥を降り続け、土を育てるしか無かった。
それだけに、手応えを感じた麦作りでした。

ロシアから来たナターシャ、「オー!ビューティフル」と・・・満面の笑顔。

2014年2月25日―地域農業の高齢化と後継者不在

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大分県の佐伯振興局の職員が農業視察団(地域の農業者)を連れて当農園を訪れてきた。
草木堆肥作りから自然循環農業及び高集約農業まで、農園を回りながら一通りの紹介を行う。
残念ながら、皆さん、高齢で今更、新たな形の農業に進むことは難しい。
彼らは、こう言って帰って行った。
「もう10年でも早く、貴方に巡り会っていたら、我々でもできたでしょう」と・・
すでに体力と気力は尽きようとしていた。子供達は皆、きつく、未来の描けない農業を嫌って出て行ってしまった。
日本では古来から、労力を掛けて、狭い農地しか無い農地を最大限に回転させる高集約型農業を行ってきた。そんな日本の実情に合わせて、高集約型農業に見合った付加価値の高い有機農産物などの商品化によってしか、中山間地の農業は存続できない。
にもかかわらず、日本の中山間地の実情を無視して、欧米の大規模農業を模倣し、大規模化・機械化などを推進するとしてきた日本の農業政策の無為無策が地域の疲弊とやがてくるであろう消滅を招いた。
農業後継者を失い、地域から子供の声が消える。
現在も、そして今後も政府は日本の農業及び地域の未来は全くと言って描こうとしていない。
強い国作り・大企業の支援など富国強兵の施策によって、上から下へ水が降りてくるなどと、グローバル化が進む時代ではあり得ない、時代錯誤の政策が未だに進められている。そして、地域は切り捨てられていく。
諦め顔で、去って行く彼らの小さな後ろ姿をみていると、憤りすら覚えてしまった。
 
「高集約化農業」

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当農園では、一シーズンに最低でも40品目以上の野菜が育っている。一つの圃場(約一反)でも、10〜15品目の野菜が植わっている。家庭菜園の大型バージョンと思ってもらえば、分かり易い。
流通を介さず、全て定期購入顧客への直接販売を基本としているため、一農園でも年間100種類以上の野菜が必要となる。端境期に野菜が無いということはしない。そのための工夫、例えば、二週間置きに、同じ野菜を一畝ずつ時間差を設けて種蒔きを行う。野菜を切らさないためには、同じ野菜が時季をずらして4〜5畝あると考えてもらいたい。
さらに、寒い時期にはトンネルを掛けたり、剥いだりを繰り返し、成長時期の調整をする。


日本の農業は元来が狭く肥えた農地を最有効に使用する高集約化農業であったが、農協などの指導は国の指針に基づいて大量生産・単一栽培が基本になっており、機械化・粗放農業を示唆してくる。
草木堆肥を施肥し続けた土壌は、年々成長し続けており、肥えていきます。日本の先人達は、何代にも亘って、農地を育ててきた。そんな豊かな土壌は、生命力に満ち溢れており、豊かな農産物を生み出してくれる。
私は、そんな圃場を年間3〜4回転させて、四季折々の野菜達を育ててきた。さらに野菜の種蒔きは密集栽培を基本にしている。
通常(農協の指導要領)は、筋播きや点播きなどで、成長の悪い幼苗を間引き、より大きな野菜を作ろうとしている。これが実は間違っていることに気が付いた。
当農園では、ある程度密集した状態を作り出し、大きく育った野菜から間引き出荷をしていく。すると、次に大きく育った野菜から二番出荷として、順々に間引き出荷を続ける。最後は、漬物や自家消費の野菜として活用している。無駄の無いやり方を採用している。
野菜は、ものにもよるが、密集植えをすると、互いに競い合って大きくなろうとする。ゆったりと植えてやると、逆にひ弱に育ってしまう。人間社会と同じなのですね。
その例を大根で説明しておきます。
太めの筋を引き、その筋の中に、大根の種を千鳥状に約7センチ程の間隔で筋蒔きする。すると、競い合って育ち、より大きいほうを一番出荷とし、次に大きいほうを二番出荷とします。この頃、大きく育ち切らないより小さめの大根を間引き、甘酢漬けや糠漬けにします。残ったものを三番出荷とし、ほとんど全ての大根が活用できることになります。これが農業者の知恵です。
 
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単一栽培は、気候変動のリスクが高くなった昨今では、農業者を大いに苦しめてしまいます。
出来過ぎた場合は、大暴落し、出荷する作業を考えたら、逆に損になります。不作の年は出荷量が激減し、いずれも、生活を維持することすらできなくなります。
当農園では少なくとも一シーズンに20〜30種類の野菜を育てており、年間通して100種類を超している。リスク分散を図ります。
 
そのためには、安定的に出荷を受けてくれる消費者層が必要となってきます。
当農園では消費者への直接販売を基本にした販売戦略・戦術を立て、市場開拓をし続けております。
さらに、直接販売のためには、有機農産物及びその加工品の圧倒的な商品力が必要になります。
「まあ、美味しい」ではダメなのです。「毎回同じ商品」を送っていてもダメです。
草木堆肥しか施肥しない世界でもおそらくはオンリーワンの農法であり、「糖質・ビタミンに富み、歯切れ良く、味香り高く、旨みのある」存在感のある栄養価の高い農産物を目指しており、四季折々の多彩な旬菜を生産し続けねばなりません。

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「グループ営農」

日本の農業は、一貫して米作中心でした。政府が機械化を奨励し、一人農業ができるようになってきました。その反面、村落単位で永らく行われ続けてきた共同作業、ここでは結いの仕組みが消えていきました。しかしながら、米価は下がり続け、米作だけでは地域農業は維持できなくなってしまい、先の目途も立たない、きつい農業を嫌って農家の後継者である子供たちは、その村落から離れてしまいました。
今では、地域が消えていくのを唯待つしかないわけです。
米作以外の麦・大豆などの穀類価格は内外価格差があまりにも大きく、生産してもわずかなお金にしかなりません。狭い農地での畑作は機械化が難しく、手作業の比率が増えてしまいます。
いずれにしても、一人農業では、心が折れてしまいます。

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この圃場は、佐藤自然農園で研修を終えて、独立した後藤さんの圃場。
そこで作業をしているのは、みな、独立した農園主達や研修生達であり、他人の圃場に何の違和感も無く、等しく汗を流す。みな、明日は、○○さんの圃場で作業をすることになり、そのことを当然と受け止めている。
一人農業がどれだけ捗らないか、心が折れるか知っているからである。
 
 当農園では、現在、4人の青年が働いており、若い主婦も数人おります。ここでは、それぞれが農業者として独立し、「共同作業」「共同加工」「共同出荷」を行っており、その中心に「()むかし野菜の邑」があり、グループを形成しております。現在版、「結いの仕組」です。
農業は本来的には家族経営です。時間外勤務も就業規則もありません。夜の夜中、遅霜が降りるとわかれば、家族全員畑に出ます。農業では、不当労働と言う概念すら存在しません。
農家は個々が頑張った分の収入を得られる独立採算とし、しかも、相互扶助可能な共同作業を行う仕組みが必要となります。
むかし野菜の邑グループは未だ完成形ではありませんが、少なくとも、自然循環農業の元となる草木堆肥施肥の農法は共有化し、農産物の「質の共有化」と「品質の高さ」を維持しなければ、圧倒的な物流を有する既存流通には対抗できません。消費者の高い支持を得ることが絶対的な条件となります。
例えば、当農園のように100種類の多品目生産が無理だとしても、各農家が年間20種類の品質を揃えた野菜を生産し、その農家が5軒揃えば、野菜100種類にすることは可能です。
 



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2019.4.10(水曜日)雨後雲り、最高温度18度、最低温度6度

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                      夏野菜の植え込み

春じゃがの畝の横にトマトの苗を定植。この時季は、春野菜と夏野菜が同居する。
出荷中及び生育させる春野菜と、7月以降に収穫となる夏野菜による圃場の争奪戦になってしまい、例年、畝を空けるのに苦労する。
さらに早春は遅霜の心配をしなければならず、気が抜けない。4.13(土)は最低温度4度の予報が出ている。


2014年2月13日―自然の試練

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            2.13の夕方から雪が積もり始めていた

日暮れから降り続ける雪で農園はうっすらと白く覆われる。
そのまま夜を迎えて、明くる朝、農園に出てみると、無残にも湿った重い雪に押しつぶされたビニールトンネルの残骸の山となっていた。このままでは、野菜は潰されてしまう。
スタッフ全員で覆い被さった雪を除去しながら、新たな竹の支柱を差し込み、応急処置をして回る。手足は感覚を無くし、腰は軋む。復旧作業に丸一日を要し、みな、へとへとになっていた。
前日の夜にでも農園に出て雪の除去作業をしておけば良かったと悔やむ。
九州でも年に2回程度は、こんなことも起こる。それ以降は、月が積もる度に、スタッフ達はビニールトンネルに積もりかかった雪を払うようになった。

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翌朝、圃場に出てみると、約45張りのビニールトンネルは完全に潰れていた。このままでは2〜3月出荷予定の野菜が無くなってしまう。


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スタッフ全員で、大急ぎの復旧作業。朝から夕方まで重い雪と竹の支柱との格闘が続いた。

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大人達の懸命な作業の中、子供は元気に雪に興じて飛び回る。

自然によってもたらされる被害は多い。
台風到来によって、全滅状態になったのが二回、半滅に近い打撃を受けたことは数知れない。
夏野菜の支柱が根元から折れ、吹き倒され、重たい茄子を引き起こし、ほとんどの枝が折れ、葉っぱや実は千切れている。「頑張れ」と野菜に語りかけながら復活を願う。
ある時は、全ての圃場から野菜が消えていたこともあった。あちこちに残骸が散らばる風景が目に飛び込む。しばし、呆然と佇む。
すぐに片付けに入る。まる二日を掛けて片付けをしながら、30種類の野菜の種蒔きの計画を練る。耕し直してまた一から種を蒔く。悲観している暇は無い。
 

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氷点下3度以下が連日続き繊維が凍傷にかかり野菜が半滅した冷害・一カ月半一滴の雨も降らず砂漠化した圃場に野菜が立ち枯れる干魃・一週間連続した集中豪雨と一か月間連続の雨と曇天により根腐れを起こした野菜など、毎年続く異常気象により、三ヶ月間、休園を余儀なくされ、収入ゼロが続くことも多々あった。
こちらも黙って野菜が痛めつけられるのを見ているわけではなく、旱魃の度に、軽トラックにタンクを積み込み、一か月間、10カ所の圃場に水遣りをし続ける。遅霜の際には、夜中でも織布を掛けて回る。
豪雨が続く時には、合羽を着て、水路を掘り、水を畑から逃がす。台風到来の度に、トマトなどに紐掛けをし、支柱を補強する。それでも救えない場合も多い。
それら自然の理不尽さの度に、めげていては、どうしようもない。
自然と黙々とひたすら向き合うのが農業であり、こんなこともある!過ぎたことはすぐに忘れる!
自然の中で生かされている、それが農業であると思うことにしている。

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「持続可能な農業」
 有機農産物とその加工品作りによって、疲弊し、やがて消滅していく地域を再生できるのではないか、と始めた有機野菜生産農園は、その遠大な地域再生への一歩、足がかりになると考えていた。
実験農園から始めた様々な肥料を使った有機栽培は、自然の織りなす自然循環のシステムから眺めると、人の思い上がりでしか無かったことに気がついていた。
「有機物しか使わない、化学合成したものは使わない有機栽培」と言った有機JASの概念は、所詮は人が作り出したものでしか無く、有機物なら何でもよいと言った暴論の大きな矛盾に気がついていたということです。
化学合成した肥料や農薬(抗生物質も含む)もなかった時代に、日本人の先人達が営んできた土作りの歴史そのものが自然循環農業であったと気づかされた。

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              草木堆肥作り

刈り取ってきた草を10センチに積み上げ、その上に放牧牛の牛糞を発酵促進剤として3センチの厚さに敷き、さらにその上に破砕した剪定枝と集めた葉っぱを厚さ5センチに三層に重ね、トラクターのロータリーを利用して混ぜ込み、タイヤローダーによって高さ約2メートルに積み上げる。
約三週間に二回切り返しを行い、酸素と水を補給して完熟一歩前の草木堆肥が出来上がる。
微生物と放線菌がビビットに活きている状態の堆肥を直接圃場に振っていく。
完熟しては意味が無く、もはや肥料にしかならない。その微生物達が土壌を掘り起こしてくれる。この堆肥作りを一ヶ月に二回行う。

土壌には、木・草・動物の死骸(有機物)を分解してくれる放線菌や微生物が棲んでおり、豊かな自然を維持している。それこそが自然循環のシステムであり、本来の有機農業であったのです。
但し、自然そのものに任せていては、大量に生産しなければならない現在の農業では、無理があり、そうなれば、どの程度人の力を加えていけば野菜等ができていくのか?土を再生していけるのか?自然を損なわないで農業生産が続けられるのか?それが大きなテーマであっただけでした。
結果として、農園を開いた際に決めていたことは、唯一つ、化学物質は極力土に持ち込ませない、そのためには、肥料は使わない、草木堆肥一本に絞ることでした。
一年間にわずか3センチの深さしか「団粒化」が進まない。10年掛けて土壌は30センチの深さしか微生物層はできていかない。それでも草木堆肥を補給し続けた土は常に成長している。まさに持続可能な農業ということになります。
 
※団粒化とは、微生物や有機物残渣を核として砂状にさらさらとなった土の粒のことを指す。

 この団粒化が進むと、土壌には酸素が入りやすくなり、水持ちが良く、保肥力も上がる理想の土になります。この土こそ、微生物層が成長し続け、自然循環の土壌となります。
化学肥料や畜糞を使った土壌は、常に窒素過多となり、土は固くなり、団粒化とは真逆の土壌になり、微生物や放線菌が生息し難い環境になってしまいます。

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2019.4.3(水曜日)晴れ、最高温度14度、最低温度4度

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                夏野菜植え込み準備始まる

 当農園では、肥料は使わず、草木堆肥のみ施肥する。
草木堆肥は低窒素のため、これから数ヶ月間、実を付けてくれる夏野菜にはやや
窒素不足となってしまう。そのため、考え出されたのが、草木堆肥の先肥という方法である。
一旦、畝には草木堆肥(蛎殻・焼き灰なども合わせて)を振り、耕した後、畝立てを
行い、そこに定植する夏野菜の箇所のみにスコップ1〜2杯の草木堆肥を振り、三つ叉鍬で混ぜてから、夏野菜を定植する。
ちなみに、堆肥は酸性のため、中和するのに、苦土石灰や灰を振る。
実が付き始めたら、さらに同じく堆肥を追肥として施肥する。

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男手4人は、別の畑で、堆肥振り・畝立て作業を行っている。
この時季は忙しく、女性陣も駆り出されて、手伝っている。最も、以前は農園主と共に女性陣が堆肥振りや畝立てを行っていた。そこは、むかし取った杵柄ということで、手慣れたもの。


「活きること」PART12

2013年12月5日―自然栽培の穀類生産

田北さんの紹介で由布市庄内の田圃約三反半を借りていた。大分市では広い圃場を確保することが難しく、大分の圃場から車で30分以上掛かるのが痛い。3年前から始めていた無添加発酵食品である味噌作り増産のためであった。土を育てるのに草木堆肥を使うため、軽トラック3台を三往復させなければならない。
無添加発酵食品である手作り味噌が思ったとおり、うちのお客様からは大きな反響が出ていた。

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この頃は、機械化ができておらず、全て手作業での脱穀作業であった。
からからに乾かせた大豆を石にぶつけたり、ビール瓶で叩いたり、それは大変な作業であった。

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きれいな大豆ではあるが、手作業で脱穀してからが大変。小石や泥・殻などが混じり、傷んだ豆もあり、手作業での選別作業を行った。


 現在、大手工場で生産されている味噌の大半が、3ヶ月以内で製造される化学調味料味噌である。手間とリスクの伴う熟練の技能や経験と勘が頼りの純醗酵味噌は、大企業が行う大量生産方式には向いていない。
それは漬物もまた同じ。
おそらくは、初めて食べた若い主婦も多かったのではないだろうか、熟年主婦の場合は、むかし懐かしい味がしたことだろう。

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         米麹と蒸した大豆を天然塩と合わせる作業

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ミキサーで磨り潰して、それを味噌玉にし、樽に漬け込む。8カ月〜1年間ほど発酵させる。樽を初めて開ける際は、不安と楽しみが入り混じっており、うまく醗酵が出来ていると、それはもう感動ものでした。

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 味噌増産のため、新たに、3反半ほどの田んぼを借りた。研修終了後、新規就農を目指す後藤君が2反、佐藤自然農園が1反半。
以前から、借りていた畑は、約3反半ほどあり、穀類の圃場は合わせて7反になっていた。
除草剤を使わないため、畝幅を小さく設定し、管理機で畝下を起こし雑草の上に土を被せるが、除草作業は広過ぎてやっかいであり、いつも雑草に覆われ、途中で畝下の草刈り作業を行う。
草に負けたり、雨に負けたり、日照りに負けて、時には全滅になることさえあり、穀類の収量は慣行栽培(除草剤・化学肥料)の1/4程度にしかならない。甘く見ていたわけでは無いが、自然農の穀類生産は存外と難しい事が分かった。
これは一工夫する必要があるなと感じていた。労力の割には余りにも生産性が低過ぎる。加えて、問題はその販売単価であった。

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穀類の生産で最も厄介なのは、除草作業。多くの国産の穀類は除草剤を使用している。野菜とは異なり、穀類生産はある程度広い面積が必要であり、どうしても高集約型の農業には無理があり、粗放的な農業になる。
そのため、当農園では畝幅を小さくし、畝下も広く取り、管理機での除草作業を行うことにしている。土を飛ばして、雑草を抑える。
一つ間違えると、と言うより、手を抜くと、そこは一面の雑草に覆われてしまい、草に負け、穀類が育たなくなってしまう。


 国産大豆・国産小麦とは言うけれど、その実態は除草剤・化学肥料等を使っており、(遺伝子組み換えは今の処、日本には入っていない)自然栽培の穀類はマーケットには無いも同然であった。
農協等を通じて買い取られていくが、キロ単価250円前後と余りにも低く、一反当たり3〜4万円程度にしかならない(お米が反当粗収入7〜8万円程度)まして、収量の少ない自然農大豆となると、先ずは生産する人はいない。
 穀類価格の低迷は、穀類の内外価格差がその要因であり、海外の生産コストは日本の1/4以下である。
諸外国では、農地の広さ・物量費の安さ・露地栽培への手厚い国の補助金・インフラの整備状況、いずれをとっても、比較にもならないほど、諸外国の管理コスト(経費)は安い。
それに比べて、日本の農業は農地も狭く、大規模な機械化は難しく経費が掛かる。これでは、国産の穀類は輸入穀類に太刀打ちできない。
それでも、穀類は国民の大事な糧であり、当農園は、自然農の米・大豆・麦類の生産は続けねばならない。
既存流通市場に出すのではなく、農園が目指す自然栽培による健全な農産物を原料とした加工食品として、世に出そうとした。
佐藤自然農園では、グループ内の生産者からキロ600円(市場価格の倍の価格)にて買い取り、無添加の加工食品を製造する。それで何とか外国産の穀類に対抗しようとしている。
やや高い加工食品を支持してもらえる消費者は必ず国内に居ると信じなければ、こんな手間の掛かる農業を、若者達に続けさせてはいけない。

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自然栽培(草木堆肥使用)の大豆を自家焙煎し、小さな製粉所で粉にする。
およそ、30〜40分ほど焙煎する。一度に沢山できないため、少量小分けにして、数回
焙煎する。黄な粉と言うより、大豆粉に近く、豆の香ばしい香りと旨味が実に良い。
餅と小麦粉(中力)と合わせて皆様にお送りしている。むかし懐かしいだんご汁ややせうまにするためのレシピを付けて。


 この時期、大豆は、味噌・黄な粉・蒸し大豆として何とか農園のお客様に販売していたが、麦については、自家焙煎による麦茶(裸麦)・全粒粉小麦粉程度しか発想は浮かばなかった。
一つの穀類畑(旧田んぼ)を大豆・麦・とうもろこしにて年間二回転させなければ、元来がリスクと労力の塊となるため、とても採算や効率は上がらない。
除草剤・化学肥料を使わない自然栽培技術・能力も経験値が低く、加工品としても手探りの状態が続いた。
 
そんな頃、自然栽培のお米を生産している平野さんから紹介された弥富もち麦を少量手に入れた。
古代ローマ時代から生産されてきたスペルト小麦(一粒小麦)とは異なるが、日本の中国地方で永く作られ続けてきた日本の古代小麦(一粒)である。
ハイグルテン(パンの材料)使用に品種改良されてきた小麦(強力粉)が、近年急増している小麦アレルギーの大きな要因となっているとされている。
学説的には、アレルギーの要因は、未だ詳しく解明されてはいないが、少し前までは、小麦アレルギーなど、聞いたことも無かった。
これはハイグルテン仕様(パン作り)にするため、欧米で品種改良が進み過ぎたことと、窒素系肥料の大量投下及び除草剤をはじめとした農薬などの化学薬品漬けの土壌汚染が要因ではないかと、私は疑い始めた。

※ハイグルテン(高タンパク)の小麦は強力粉と言って、パンなどの主原料となる。そうするためには、土壌が窒素過多になるほどの大量の肥料投下が必要となる。
 
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中力小麦と古代小麦をブレンドし、野菜万頭を作っている。野菜餡の美味しさもさることながら、小麦粉の皮の何と言えない存在感が口いっぱいに広がり、素朴な麦の香りが鼻に抜けていく。農園のヒット商品となった。アレルギーに困っているお子さんにも実験的に食べてもらった。アレルギーは出なかった。成功です!

そのように推量すると、ひょっとして、品種改良が進んでいない日本在来型の麦やまったく交配が進んでいない日本古来の古代小麦が低窒素・自然栽培で作れたら、小麦が食べれないアレルギー症状の子供たちにとって朗報になるのではないか、これは実験してみる価値はありそうだと考えた。
とにかく、数年がかりで弥富小麦の量を増やさねばならない。自然栽培による古代小麦及び裸麦や小麦の実験栽培が本格的に始まった。

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実際に熟した麦畑に立ってみると、「生きているな」と言う実感と「糧」の存在感に圧倒された。美しいと思った。目に潤いを感じた。涙が出ているのか。農耕民族である日本人の血ゆえなのか。


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31.3.27(水曜日)晴れ、最高温度20度、最低温度6度

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                   玉葱畑ー7番の圃場

 新玉葱の季節になった。この時季は、葉と共に出荷できる葉玉葱が出始める。
葉の部位は葱として使い、玉の部分は甘く柔らかいためサラダとして用いる。

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そうなると、葱坊主が付き始めた九条葱はお役御免となり、葉玉葱に入れ替わる。
今年は、早く春が訪れ、九条葱は約二畝分が春の莟立ちによって、ダメになった。
まだ葱坊主が出始めの頃までは、出荷可能ではあるが、やがて全体が硬くなり、
食べれなくなってしまう。これも農業です。


「活きること」PART11
2012年2月―新たな仲間達

由布市開催の農園セミナー時の受講生の中から、三人の自然循環型農業の実践者及び共感者が、共同出荷の仲間として加わった。
一人は、平野さんであり、除草剤・農薬は使わない、化学肥料や畜糞も使わない自然栽培にてお米と梨を育てていた。自然栽培で育てる水田の課題は、大雑把に言って三つある。
 
一つは、水田を覆い尽くす雑草と稗である。そのため、ほとんど全ての水田では除草剤(畑も同じだが)を使わざるを得ない。この対策として、平野さんが取った手法は、深水管理であった。
合鴨農法もあるが、これは天敵から守るため、ネットやなどの防御が必要となり、鴨の管理をしなければならず、大きく育った後は、殺処分をしなければならないなどの問題もある。
これに対して深水管理は、水を水田一杯に張って、常に流れるように管理し、雑草を生やさないようにする。稗は、どうしても引っこ抜いてやらねばならないが、3年もすると稗も少なくなる。
これに加えて、米糠を水田に撒けば、水面に皮膜を張って雑草が呼吸しにくくなるようにする。
 
二つ目は、暖かくなってくると、水田が蒸れて、いもち病という稲特有の病気が発生することである。
ここは、山間部に位置しており、昼夜の寒暖差が大きく常に冷たく新鮮な水を水田に流し込むことができるため、いもち病予防の農薬を使わなくて済む。
 
三つ目は、肥料不足にならないかと言う点である。
水田の場合は、山に積もった腐葉土などからミネラル分や窒素などの養分が水田に流れ込む。そのため、本来的には、窒素やミネラル分の補給をしなくても済む。
平野さんの水田は、山間部にあり、豊富な水が山から潤沢な栄養分を運んでくれる。
このように、日本古来からの稲作は、元々、無肥料無農薬で育っていた。特に山間地のお米は美味しかった。将に自然循環型農業であった。化学肥料や農薬が普及し、効率化・省力化・増産を歌い始め、現在のような慣行栽培が主流となっていった。
 
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自然農の梨は随分と苦労している。季節になると大量に発生するカメムシによって成長し掛かった梨の実をくちばしで吸われ、売り物にはならなくなってしまう。
カメムシのシーズンには一度くらいは農薬を使ったら!と言っても頑として聞かない。
彼もぼーっとしているわけではなく、梨園の下刈りをし、梨酢を作り、ペットボトルに入れて、あちこちにぶら下げている。ここに甘い香りに誘われて虫が落ち込み、害虫駆除を行っている。
それだけでは、実が付いても、生産リスクがあり過ぎて出荷できる量は少ない。
年によって異なるがほとんど出荷できない年もある。その代わり形は悪いが、味香り旨味は、超一級品。これこそ、奇跡の梨!そうすると、むかし野菜は奇跡の野菜と言って良いのかな・・・!

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次に田北さん。彼は数頭の繁殖牛を育てながら、約5町(15,000坪)の米作りと露天原木椎茸栽培を行っている。
中山間地の農業者が、後継者も稲作を嫌がり、都会地に出てしまい、高齢化が進み、地域で唯一農業を行っている田北さんに半ば押しつけ気味に水田を貸している。結果として5町歩の稲作をしなければならなくなったためである。ここにも、日本全国何処でも見られる地域崩壊の危機が迫っている。
国の無為無策、地方切り捨ての結果である。
 
原木椎茸とは言っても、実際は原木ハウス栽培の椎茸が多い。これは、温度及び水の管理を徹底し、ショックを与えながら、発芽や生育を促す方法である。その方法だと、大量生産が可能となるが、露店栽培と比較して肉は薄く味香りも弱くなる。
露天原木椎茸は自然栽培に近い。しかも彼は、現在流行りの白っぽい椎茸ではなく、むかしながらの黒っぽい椎茸を栽培していた。この品種は見た目が悪いが、椎茸本来の味香りがし、美味しい。
彼の悩みは、そんな自然栽培に近い農法で、収量も少ないのに、原木ハウス栽培と同じ価格でしか売れないことであり、乾燥代(重油を燃やす)も高く、採算に乗りにくいことであった。
又、日中の政治的緊張関係があり、原発ショックで日本の椎茸が中国では売れなくなり、高値で取引されていたドンコ・コウシン(いずれも開かず肉厚で高級品)が全くと言って売れなくなってしまっていた。

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彼から相談を受けて、私はこう言った。
「燃料費も高騰しており、しかも、乾燥高級椎茸は一般消費者の支持を得ていない。若い主婦たちは乾燥椎茸の使い道を知らなくなってきており、今では高級品のどんこ干し椎茸など見向きもしない」
「それならば、いっそ、最高級ブランドのドンコ・コウシンの生椎茸を消費者へ届けよう。これなら、うちの特定消費者の支持は得られる」と。
その後、椎茸だけではなく、新たな商品となり得るなめこや平茸の栽培方法の開発を示唆している。
さらに、彼から秋のお祭りの際、作ったと言って餅を頂いた。庄内産の美味しいもち米で作ったお餅は実に美味しかった。
草木堆肥による穀類生産及びその加工品作りを模索していたが、味噌作りに必要な大豆の余剰を使って、大豆を煎り、黄な粉の生産実験も行っていた。
「田北さん、この餅をもっと作れるかい?」と聞いた。庄内産の美味しいもち米から作った丸餅と黄な粉を一緒にお客様に届けようと考えた。
そこから、田北さんはお米・椎茸栽培の農業者だけではなく、お餅の製造者になっていった。
唯、ここでも防腐剤・防黴剤などを使用していない餅は問題となった。
通常自然状態に置かれた餅は、製造してから2日も経過すると自然界にうようよと浮遊している黴菌が付着し、青や赤黴が発生する。包丁などで削いで食べれば良いのだが、防黴剤などの添加物で守られた餅に慣れている消費者には納得できないようだ。
お持ちの出荷は放線菌の活動が弱くなる11〜3月までとし、真空パック包装や着いたら直ちに冷蔵庫にて冷凍保管するようにとの注意書きを書いて凌いでいる。
 
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三人目は、農協、アスパラ部会長である田中さん。
草木堆肥に興味を持ち、同時に、農協に従属し続ける農業にも疑問を抱いており、新たな途を模索しようと当グループに加わろうとしていた。問題となるのは、現在農協出荷中の青いアスパラでは、部会締めだしを受けることであった。
こんな話が合った。
熊本の運送会社から、当農園に対して関西の漬物製造会社に野菜を出してもらえないだろうか、との相談があった。うちには、そんな余裕はないと丁重にお断りした。
彼はこう言った。「何処を回っても農協出荷先ばかりで、農業部会に入っている人が一部でも他へ野菜を出荷すると、農協取引を打ち切られてしまうため、全て断られてしまう」
ここにも大きな農協問題が隠されており、地域農業の課題が垣間見える。
そこで田中さんが考え出した結論が、パープルアスパラの新たな生産計画であった。
それから3年後、ようやく軌道に乗り、現在は、アスパラの採れる3月〜9月頃まで、むかし野菜の一翼を担っていただいている。
 
5番の畑がようやく戦力になり始めた10年目を迎えた頃には、新たに娘婿である竹内君がスタッフに加わり、続いて福岡から後藤君が研修生として加わった。
何しろ、鍬を持ったことも無い農業初心者達であり、一年間は戦力にはならない。
草木堆肥の作り方、堆肥や焼き灰の振り方、耕し方、鍬やレイキの使い方、畝立ての仕方、種の蒔き方、トンネルの張り方など、極く初歩的な作業を体に覚えさせるだけでもほぼ一年間は要する。
二年目は、年間百種類以上の野菜の個々の性格を覚えなければならない。育て方も、堆肥や焼き灰の量も異なり、管理の仕方も違う。
農園主に付いてくるのも難渋しており、当初は、これ以上生産量は上げられません。無理です。と断言していた。そんな彼らに付きっきりの指導の毎日であった。

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グループの仲間も増え、研修生も加わり、一人農業から解放され、農業生産量も出荷量も次第に増えていったが、この時期は、野菜の生産量がお客様の数に見合って居らず、慢性的に不足していた。
とは言え、食い扶持が増えたため、それだけお客様も並行して増やしていかねばならない。
さらに、お届けする商品も生鮮野菜だけではなく、漬物・味噌など農産物加工品の生産量も増やしていかねばならない。そうなると、既存の農作業小屋ではどうにもならない。
保冷庫が要る。保存庫が要る。加工所や機械設備も要る。
このあたりから、自然を友にしてきた農業者としてだけではなく、スタッフを抱え、人の欲を制御していく経営者へ転換していかねばならなくなってきている。

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農作業小屋の土間でレンガを組み、薪をくべ、大豆を蒸していた。出来上がった大豆を米麹と混ぜ、育苗ハウスの中で、味噌作りをした。生産量も少なく、温度が上がる真夏などは涼しいところが無く、発酵熟成させる置き場所にも困っていた。


銀行員時代、決して泣くはずの無い幾多の経営者の涙を目にしてきており、決して経営者にだけはなりたくないと思ってきたが、自らが始めた農業であり、事業であり、自ら課した目標があり、最後まで見届けていかねばならない。これからは、孤独も友にする事になった。


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