空の下、レールの上を人生と共に…

移転先のFC2ブログはゲストブックをご覧ください!

鉄道思うまま…

[ リスト | 詳細 ]

私が鉄道を利用する中で思ったこと、感じたことを綴ります。
記事検索
検索

全35ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

先日、昭和と平成・令和の鉄道風景最大の違いとして、日中の前照灯点灯を記事にしましたが、もう一つ思い出しました。

「荷物列車」を覚えている方は、間違いなく50代以上の方に限られると思います。
現在は宅配便業者が担う荷物輸送ですが、40年くらい前まで荷物輸送は国鉄の独壇場でした。

今は信じられないでしょうが、個人宅へ送る荷物は駅に持ち込み、荷物列車などで運ばれていたのです。
当時の横浜市内の我が家に山形の親の実家から届く荷物は、親類が酒田駅か砂越駅(羽越本線)に持ち込み、横浜線のモハ72系に連結されたクモニ13から小机駅で下ろされ、日通の職員が運んできたのです。

東海道・山陽・鹿児島本線、北陸本線・中央西線・上越線・信越本線、東北本線・奥羽本線・函館本線の荷物列車は時刻表に掲載されていました。
私の想像ですが、荷物がいつ届くかの目安として掲載していたのかも知れません。


イメージ 1
急荷35レ(汐留14:52→熊本20:12)
1978 品川
EF58重連で、当時のゴハチファンで知らない人はいなかった列車でした。

しかし「急行荷物列車」でも汐留−熊本間29時間余とは、今思うと時間がかかり過ぎです。
汐留−鹿児島間に至っては33時間もかかっています。
国鉄が独占だった頃はそれでもよかったのでしょうが、国鉄の荷物輸送が宅配便業者に負けた遠因の一つではないかと思います。

荷物列車は時刻表に掲載されていない列車もありました。
関西本線は熱田−百済間に荷物列車が運転されていましたが、時刻表に掲載がありません。

飯田線・大糸線にも荷物電車がありましたが、やはり掲載はありませんでした。
時刻表に掲載が無かった列車には、クモニ83などで組成された東北本線(隅田川−黒磯)・上越線の荷物電車などもありました。



イメージ 2
飯田線の荷物電車
荷2042M クモニ83100+クモニ13[静トヨ]
1980.8.21 伊那松島

イメージ 3
大糸線の荷物電車
荷2241M クモニ83800[西ミツ]
1980.8.20 安曇追分−細野

私は荷物列車には、一つの楽しみがありました。
荷物車の所属標記を見ていると、汐留・名古屋・米原・宮原・姫路・門司・鳥栖・熊本・鹿児島・長崎・高松・高知・敦賀・隅田川などバラエティーに富み、全国一元組織の国鉄ならではの醍醐味が感じられたからです。

荷物列車は、国鉄最後の全国ダイヤ改正「61.11(1986年11月1日ダイヤ改正)」で廃止されました。

JRになってから暫くの間、総武本線に荷物電車が存在していましたが、房総半島の道路事情による新聞輸送のため、最近まで残っていたことをご記憶の方は多いと思います。

※ダイヤは「時刻表(日本交通公社)」1978(昭和53)年8月号を参照しました。
令和の世になって1か月が経過しました。
ふと思ったのですが、昭和と平成・令和の鉄道風景には大きな違いがあると思い至りました。

どういうことかというと、昭和の列車は日中は前照灯を点灯していませんでした(新幹線を除く)。


イメージ 1
833レ EF81 43[酒]+旧型客車[新ニツ]
1979.3.28 北余目−砂越

模型を走らせると昼夜関係なく前照灯が点灯するので、模型鉄には昭和の世は違和感がありました。

前照灯を日中でも点灯するようになったのは、「鉄道ジャーナル」の記事で初めて言及していたのが1989(平成元)年で、記事を読む限りではJR西日本の広島支社管内で始まったようでした。
点灯する理由は、遠くから列車の接近がわかりやすいことが挙げられます。

1991(平成3)年にはJR東日本・小田急も導入し、瞬く間に大手私鉄にも波及しました(但し南武線は踏切事故対策として、1989年には導入していた様子)。


イメージ 2
828M 113系15連[静シス+東コツ]
1991.8.31 大船


白色LEDは独特の光り方です。
イメージ 3
3016 快速急行 4054×10
2014.12.18 狛江

昭和と平成・令和の鉄道風景で最大の違いが日中の前照灯点灯ではないかと思いましたが、これだけではありません。

貨物列車の車掌車連結は国鉄晩年に廃止され、私より15年後に生まれた方は貨物列車の車掌車は、甲種輸送等のヨ8000を除き、見たことがないでしょう。

国鉄時代には、ローカル駅でも貨物を扱っていたことがあります。山手貨物線でも恵比寿や渋谷で貨物を扱っていたなんて、今は信じられません。

ローカル線や東京メトロ丸ノ内線のワンマン運転も、昭和ではあり得ませんでした。
ただ、日中の前照灯点灯は最もわかりやすい例ではないかと思います。
鮮度落ちですが、JR東日本が「運転士」「車掌」の名称を廃止し、「乗務係」などに変更することが話題になりました。
賛否両論というより「否」、または疑問の声が多いようです。

今回の施策が妥当かどうかは専門家ではないのでわかりませんが、運転士は養成に時間がかかることを考えると、運転士と車掌の垣根は無い方が柔軟な人員配置が出来ると考えたのでしょう。


イメージ 1
推回8059レ EF510-510[田]+E26系客車[東オク]
2015.9.1 鶯谷

イメージ 2
3973M ホームライナー鴻巣3号 485系6連[新ニイ]
2011.5.20 上野
※画像は本文とは関係ありません。

他のJR・私鉄も追随するかはわかりませんが、JR東日本は既に運転士・車掌が同一の現業機関に所属する「運輸区」が多くなっています。

国鉄時代、職制ごとの「電車区(機関区・気動車区・運転所・運転区)」「車掌区」は、国鉄の「質実剛健」さと鉄道黄金時代を現していたように思います。

「機関士」「車掌」の腕章に憧れたこともありました。
時代の変化ですが、少し寂しさも感じます。

また「3.11」が巡ってきました。
もう8年経ち、復興も進んでいます。

常磐線復旧工事は8割進捗し、2020年の全線運転再開を目指しています。
読売新聞
一方で2011年3月11日、常磐線へED75 1039が牽引する貨物列車を撮影に行ったきり、行方不明の人がいると聞いたことがあります。
震災の爪痕は、まだ消えることはありません。


イメージ 1
再掲ですがお許しください。
2013.5.5 東京貨物ターミナル


1993(平成5)年、石巻線を旅したときの画像です。
穏やかな万石浦も牙を向いたのでしょう。


イメージ 2
1640D キハ48 1545[仙ココ]


イメージ 3
以上2点 女川


イメージ 4
穏やかだった万石浦の車窓
以上 1993.12.5

震災を風化させず語り継いでいきたいと共に、日頃の備えを忘れずにいたいと思います。
夜行列車廃止。
車内販売が大幅に縮小される特急列車。
JR北海道の経営問題。

宮脇さんがご存命であったら、今の鉄道に何を思ったでしょうか。


イメージ 1
2005年には車内販売が廃止されていた「いなほ」
2003M 特急 いなほ3号 485系6連[新ニイ]
2005.11.26 新潟


イメージ 2
1レ 寝台特急 富士 オハネフ25 114[熊クマ]
1998.5.30 東京


イメージ 3
1レ 寝台特急 北斗星 スジ24 505[東オク]
2014.4.25 上野

車内販売は仕方ない面があります。私も殆ど利用しない…というか、来てほしいときに来ないことが多いからです。

夜行列車は、以前雑誌「旅」の特集で宮脇さんは「(お客さんが)乗らないんだから、仕方ない」と仰っていた覚えがあります。

しかし、金曜日の夜になると夜行列車でせっせと乗りつぶししていた宮脇さんには、内心忸怩たるものがあったのではないでしょうか。

青函トンネルの開業を心待ちにしていた宮脇さん、JR北海道の現状は夜空の上でどう思われているでしょうか…

全35ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
HERO
HERO
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(52)
  • 東海鉄のあいつ
  • カピバラ
  • japann_isinn_2012
  • qyp*f*03
  • 山手線103系
  • mar*han*9*00*04
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事