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鉄道の「もしも?」

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「もしも、こんな列車が走っていたら…」「もしもこんな車両があったら…」
鉄道とは、「もしも…」に満ちた世界です。
その「もしも…」を私なりに綴ります。
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皆さまご承知の通り、3月26日ダイヤ改正から常磐緩行線E233系2000番代が小田急へ、小田急4000形が常磐緩行線へ乗り入れるようになり、小田急〜千代田線相互乗入れ開始から38年を経て小田急〜東京メトロ〜JR東日本3社の相互乗入れへと発展しました。
 
ところで、小田急〜東京メトロ〜JR東日本相互乗入れがあと15年早く実現していたらと思うことがあります。
15年前、小田急から千代田線へ乗り入れていたのは1000形。
 
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準急 4114(95E) 1094☓10
1998.9.20 町田
 
常磐線には、先日引退したばかりの415系1500番代が活躍していました。
私は前から思っていましたが、1000形と415系1500番代、よく似ていませんか?
実際小田急線内でE233系2000番代の試運転が始まった頃、とあるSNSで小田急2000形との並びを投稿したら、小田急沿線ではない方から「隣の415系みたいな電車は何ですか?」とコメントが寄せられました。
 
 
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439M 415系11連[水カツ](わかりにくいですが、後ろの7両は普通鋼の415系です)
1991.7.30 金町
 
あくまで私見ですが、国鉄は211系・415系1500番代の外観は小田急9000形を意識していたフシがあったと見ています。
あと15年早く実現していたら、常磐線内で「似た者同士」の共演が実現していたかも知れません。
そう思っているのは私だけ?
 
 
 
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東京−品川間の短区間とは言え、151系以来のボンネットが東海道本線東京口で見られた可能性は大いにあったと思います。
 
1003M 特急 ひたち3号 485系9連[仙セン]
1979.12.31 上野
 
 
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上野東京ラインがあと36年早く実現していたら、気動車急行「ときわ・奥久慈」とエメラルドグリーンの103系も品川まで乗り入れたのでしょうか。
 
 
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(左)413D 急行 ときわ(下り)8号・奥久慈(下り)2号 キハ58・28形[水ミト]
(右)31H 103系10連[北マト]
1977.8.26 上野
 
 
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1411D 急行 ときわ7号・奥久慈1号 キハ58・28形[水ミト]
1979.6.1 上野
 
 
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再び、鉄道の「もしも?」です。

451系に始まる交直流急行形電車のラインアップは、1969(昭和44)年〜1971(昭和46)年に製造された457系でピリオドを打ちました。
それは、交直流急行形電車のみならず急行形電車の新製のピリオドでもありました。
 
信越本線には、1972(昭和47)年3月15日ダイヤ改正で特急に格上げされるまで客車急行「白山」がありました。
碓氷峠が存在する関係で、当時の長距離列車には必須だった食堂車の連結も省略してまで輸送力を確保していました。
 
1969(昭和44)年9月、糸魚川−直江津間の電化が完成する頃には169系の増備が進行しており、同年には457系が登場しています。
この時に急行「白山」も電車化されていれば、459系が登場して上野−金沢間に交直流急行形電車が運転されていたかも知れませんが、それは実現しませんでした。
 
この3年後に489系が登場して「白山」は特急に格上げされるのですが、1969年の時点で「白山」の将来の特急格上げが検討されていたのかも知れません。

459系を製造したところで、上野−金沢間の運用が主となると極めて少数の製造に留まることが予想されたことと、国鉄の営業政策は特急と快速の2極化に舵を切っていた等の状況が影響したのかも知れません。

もし459系「白山」が実現していたら、169系と同様「サハシ459」を連結していたかも知れません。
メニューは何が供されたでしょうか。
日食のどの営業所が担当したかにもよりますが、日本海のお寿司とも思いましたが、1969年では寿司職人は乗務しなかったと思います。
 
長野を通るから蕎麦か。
今になって想像を膨らませていますが、もはや50年近く前の話、大いなる鉄道の「もしも?」です。
 
 
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101M 急行 いわて1号+ばんだい5号 455系12連[仙セン]
1979.6.1 上野
※画像はイメージです。
 
 
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奥羽本線には山形までの電車急行「ざおう」が運転されていましたが、羽越本線には遂に電車急行が走ることはありませんでした。
 
もし電車急行「鳥海」が存在したとしたら、どうだったでしょうか?
久々の鉄道の「もしも?」を考えてみました。
 
1972(昭和47)年10月2日、羽越本線の全線電化完成により、上野−秋田間を走っていた急行「鳥海1号」も電車化されることになった。
同時に白新線・羽越本線を走る新潟−秋田間の急行「羽越」も電車化が計画された。
 
当時の国鉄は既に厳しい財政状況であり、「鳥海」「羽越」に充当する車両は新製せず、予備車の転配で賄うことが計画されたが到底足りず、不足分は457系が秋田運転区に新製配置されることになった。
 
編成は、当時の東北本線・常磐線の電車急行の標準的な編成であったサロ組込み6両を2本併結した12両編成で運転され、「鳥海」は6両は新潟回転とし、間合いで「羽越」に充当する運用が組まれることになった。
 
「50.3」改正の頃は、以下の時刻で運転されていた。
801M 急行 鳥海1号 上野11:47→秋田20:47(上越・羽越線経由)※6両は新潟回転
802M 急行 鳥海1号 秋田7:40→上野16:42(上越・羽越線経由)※新潟から6両増結

811M 急行 羽越 新潟7:19→秋田11:39
812M 急行 羽越 秋田12:35→新潟16:58

両親の実家が酒田にあった私は、気動車・旧型客車ばかりの羽越本線を見る度に「どうして電車が走らないのだろう」と思っていました。
交直流急行形電車は、遂に羽越本線を走ることはありませんでしたが、国鉄が特急と快速に二極化しようという営業政策を進めていた時期にかかっていたことも影響しているでしょう。

更に架線の下を気動車急行を走らせても、電車急行と動力費は大差ないので気動車急行のまま走らせたという話も聞いたことがあります。
 
もし、羽越本線の電化が「43.10」の頃実現していたら、交直流急行形電車は羽越本線にその足跡を記していたかも知れません。
 
 
イメージ 1
2411M 急行 ときわ5号 455系12連[水カツ]
1979.12.31 上野(画像はイメージです)
 
 
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