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yahoo!ブログサービス終了に伴い、鉄道コムの登録を8月にFC2に切り替えようかと考えていましたが、前倒しで昨日完了しました。
yahoo!ブログは9月に投稿が出来なくなるので、今後は生存証明程度の本当にお手軽な投稿になるでしょう。
尚拙ブログで検索上位に来ている記事は、FC2ブログ内でのリンクの整備も完了しています。
画像は脈絡ありませんが、ブログのバトンタッチのイメージです。
(左)1607E 205系8連[千ケヨ]
2018.12.28 府中本町
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お知らせ
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本ブログに関するお知らせをこちらにアップします。
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yahoo!ブログのサービス終了を受け、今後の在り方を考えておりました。
すぐどこかのブログに移行しようかと思いましたが、拙ブログは急行「鳥海」、急行「出羽」、上野−長岡間115系普通列車で検索すると拙記事が上位に表示され、おかげさまで長期間更新しない間ても毎日100件程度のアクセスを頂戴しております。
こんなブログでもお役に立つならと考え、過去の記事ごとそっくり移行する方向性でしたが、今朝からFC2ブログに「お引越し」が完了しました。
但しFC2ブログはまだ勝手がわかりません。当分yahoo!ブログと併存します。
今後も何卒お付き合いいただきましたら幸いに存じます。
取り急ぎお知らせ致します。
画像は全く脈絡ありませんが…
2019.4.2 西国分寺
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本日(8/5)、拙ブログは延べ800,000アクセスを頂戴致しました。
日々ご覧いただき御礼申し上げますと共に、近況報告も兼ねてご挨拶申し上げます。
2008年、最初は非鉄ブログでスタートし、書くことが無くなって途中から鉄ブログに転換しました。
鉄ブログに転換した当初は、先行する鉄ブロガーの皆さまの背中がとても遠く感じられ、まさか10年目を迎えられるとは思いませんでした。
一時期は毎日更新しないと落ち着きませんでしたが、私の思い出に残る3本の夜行列車の拙ブログの記事、「急行 鳥海」「急行 出羽」「上野−長岡 115系」がおかげさまで安定して検索の上位に位置しています。
長期間更新しなくても日々120件程度のアクセスを頂戴し、現在はブログの更新は「悠々自適」で、その分インスタグラムで#鉄道写真 #鉄道に写真を投稿しています。
ネタ物は行動力のある方にお任せし、今後のブログの方向性は1970年代の「鉄道ファン・フォトサロン」を目指しています。
改めまして御礼申し上げますと共に、現況報告にて失礼致します。
「形式80」にて締めさせていただきます。
2012.12.9 大宮(大宮総合車セ)
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この度、拙ブログは2008(平成20)年6月の開設以来述べ651,000名の皆さまにお越しいただきました。 開設当時は非鉄で、651,000名のうち概算で648,000名の皆さまは2009(平成21)年1月に鉄道ブログに転換してからお越しいただきました。 ざっくりですが、非鉄ネタ時代も含めて8年間で年間平均80,000名強の皆さまにご覧いただき、本当に深く感謝申し上げます。 私が鉄道ブログに転換したのは、非鉄ネタでは限界があったために「自分の得意分野で行くしかない」と思ったことと、プロのライターでもない私が自分の得意分野を手軽に発表するにはブログしかないと思ったのが理由です。 そうは言っても、鉄道ブログに転換した当初はネット社会で「鉄道ブーム」と言われ始めた頃で、先行する鉄道ブロガーの皆さまの背中が本当に遠くに見えました。 その頃は年間10,000件もアクセスがあれば上出来だろうと思っていましたが、鉄道ブログに転換した2009年12月、早々に月間10,000アクセスを達成出来ました。 以来、「自分の書く力を試してみよう」と思って文章の内容及びタイトルには工夫を重ねて来ました。 しかし調子に乗ってしまい、2010(平成22)年から暫くの間は「キャッチーなタイトルをつければアクセスは増える」と安易な方向に走ってしまいました。 確かにアクセスは増えましたが、余りにも毒々しいタイトルは相当に顰蹙を買ったと思います。 今思うと、私の文章の底の浅さをキャッチーなタイトルでカバーしようというのが見え見えで、その頃の記事は全て削除したいと思う程です。 しかし、そんな記事は自戒として残しています。 「自分の書く力で」身を立てたいと思って続けて来ましたが、年齢的にもはや鉄道について書くという道で身を立てることは不可能だと思っております。 私は「国鉄時代の延長」で鉄道ファンをやっております。 しかし「国鉄解体(基本的に、私は分割・民営化とは表現しないことにしています)」から来年で30年、国鉄時代を知らない若い鉄道ファンの方はかなり増えたことでしょう。 そんな私が昔話ばかりしていても、ピンと来ない方も多いのが現実でしょう。 なので、最近は「どうしても書きたい」という思いが湧かない限り更新はしていません。 現実に、このブログを書いているのはここ数年月に半分もありません。 それでも1冊でもいいから自分の足跡を残したいという思いは捨てきれず、「書く力を試す」ことは続けます。 お付き合いいただく皆さまには、改めて深く感謝申し上げます。 651,000件で区切ったのはこれも単なるこじつけですが、「EF65PF」、即ちEF65 1000番代という電気機関車には相当かつ複雑な思い入れがあります。 9月11日付けの拙記事 国鉄時代の足上げ行為 「こだま」運転士「足上げ」で思ったこと(2)で言及しましたが、1971(昭和46)年2月11日、東北本線 野崎−西那須野間で起きた衝突事故のニュース映像は、今もはっきり覚えています。 当時私は幼稚園の年長でしたが、親から買ってもらった鉄道写真が写っている出版物で東京発着のブルートレインの先頭に立つEF65Pは見慣れていました。 「貫通扉があって、下が4桁のEF65なんてあったの!?」とびっくりしたのを45年経った今でも思い出します。 1978(昭和53)年7月から、EF65PFは東京発着のブルートレインにも投入されてEF65Pを置換えましたが、同じEF65PFでも私はなかなか好きになれませんでした。 下枠交差型のPS22Bパンタグラフに加えて、寒冷地仕様で無いためスノープロウが無く腰が高く見えたことが理由ですが、「誇り高き東京発着のブルートレインの牽引機が新形式では無い」ということも挙げられます。 しかし「国鉄解体」の渦中にあってかつ今も一応現役とは、カメラを向けたくなります。 我ながら勝手なものだと呆れていますが、彼らの姿を見て私も書くことを続けて行こうかと思います。 改めまして宜しくお願い致します。 EF65 1001 2013.5.5 東京貨物ターミナル 専貨 5571レ EF65 1034[新]+タキ車 1992.12.23 鶴見 単9950レ EF65 1102[田] 2013.9.30 新宿 鉄道コムに参加しております。
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2003(平成15)年に宮脇俊三さんが逝去され、昨年には種村直樹さんが逝去されました。
そして今日、「鉄道ジャーナル」社長・編集長として鉄道趣味界に多大な貢献をもたらした、竹島紀元(たけしま としもと)さんの訃報に接し、大きな衝撃を受けています。
朝日新聞デジタル
鉄道趣味誌はそれぞれ個性がありますが、竹島さんの功績は「列車追跡シリーズ」です。
多くの列車が取材の対象になりましたが、その列車の実態の取材だけではなく、自分もその列車に乗っているような臨場感が味わえました。
他の鉄道趣味誌は気が向いた時に購入するだけですが、「鉄道ジャーナル」は小学校1年生の時に親父に買ってもらって以来、時に中断することもありましたが44年間購読しています。
その決定的な理由の1つが、1974(昭和49)年5月号の列車追跡「日本最長の急行 高千穂・桜島」でした。
一度は乗ってみたかった列車ですが、私がようやく乗り鉄の世界に足を踏み入れる前に廃止されてしまいましたが、当時は映像作品などあり得なかった時代、「高千穂・桜島」の姿を写真と活字の力で生き生きと表現していて、味わえた臨場感は現在の映像作品以上のものがあると思っています。
むしろ、現在の映像作品はパッと見で見過ごしてしまうかも知れません。
列車追跡で取り上げられた、様々な列車が思い浮かびます。
他の趣味誌でも列車追跡的な記事はたまにありましたが、列車追跡シリーズに匹敵するのは「鉄道ファン」1988(昭和63)12月号「北斗星1号の世界」くらいしかありません。
1972(昭和47)年から加わり、数多くの列車を取材したレイルウエイ・ライター 種村直樹さんとは「名コンビ」だったと思います。
後に鉄道ジャーナル誌が標榜した「社会派」、そして現在の「鉄道の将来を考える専門情報誌」は、元政治記者であり鉄道記者でもあった種村さんとの出会いによって確立されたと言っても過言ではないでしょう。
他の趣味誌とは明らかに一線を画したのがより鮮明になりました。
私が書くブログ記事なんて、「鉄道ジャーナル」、そして竹島さんの著作とは比較になりませんが、鉄道とは趣味の対象であるだけではなく社会の公器であるという観点が貫かれた記事は、大きな影響を受けています。
画像が何も無いのは寂しいですが、かと言って「鉄道ジャーナル」の誌面を使うと著作権侵害に当たりますので、九州出身の竹島さんが思い入れを持ち、取材された東京−博多間の「あさかぜ4号」(再掲画像で恐縮ですが)を捧げます。
ブルートレインの歴史が終わるこの年、竹島さんの訃報はいよいよ「歴史の終わり」を実感してやみません。
謹んでご冥福をお祈り致します。
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