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鉄道旅行記

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久しぶりに、思い立って青春18きっぷで小さな旅に出ました。
小さすぎて、「ムーンライトながら」などを利用した皆さまには笑われそう(苦笑)
でも、2018年夏の思い出の一つです。

まず、国府津駅の「あれっ?」

国府津駅のLEDは「山北」表示ですが、御殿場線の313系は「御殿場」表示。
LEDを見て、「御殿場へ行かないんですか?」と聞いているお客さんがいました。

ネット環境に慣れて時刻表を買わなくなったので、この電車の行先はどこ??と心もとなくなりました。



イメージ 1


イメージ 2
2543G 313系2連[静シス]
国府津
※わかりにくいかもですが、駅と313系の表示が「山北」「御殿場」と異なっています。

後で調べたら、山北行2543Gは期日を限定して御殿場行に変更とのことでした。
東日本と東海の兄弟げんか、勘弁してください!?

それはともかく、久しぶりにそういう発見があるのは、会社境界を気にする必要がない青春18きっぷならではです。


久しぶりに御殿場線に乗りましたが、色々発見がありました。
2543Gの元々の終点の山北では、停車中に楽しい発見が。


イメージ 3
山北

久しぶりの御殿場線は、勾配の途中の駅を堪能しました。
アールデコ調?の建築は「美容院」と読めるようで、御殿場線が天下の東海道本線だった時代を伝えているようでした。

御殿場〜沼津〜熱海と向かい、熱海で一泊しました。
沼津駅の駅そば「桃中軒」は、昔ながらの佇まいの駅そばで、天下の東海道本線の古きよき時代を伝えていました。

古き良き駅そばも、いつまで持ちこたえるでしょうか。


イメージ 4
桃中軒 かけそば(280円)
沼津
以上3点 2018.8.14

沼津から一気に飛びますが、2018年夏の青春18きっぷは現時点であと3回分残しています。

さあ、9月10日までにどこへ…






 碓氷峠鉄道文化むら探訪を終えて、横川から快速「SL碓氷物語」に乗ります。
 
 
イメージ 1
(右)9136レ 快速 SL碓氷物語
C61 20[高]+12系客車5連[新ニイ]+DD51 895[高]
(左)146M 115系3連[高タカ]

 
イメージ 2
9136レ C61 20[高]
以上2点 横川
 
 
5月5日の「SLみなかみ」に続き、2ヶ月連続でC61 20にお世話になります。
水上では特に何のアトラクションもありませんでしたが、横川では和太鼓も出て賑々しいこと。
車内は中国人観光客が目立ったのも、これまで乗った客車列車とは違う雰囲気です。
 
12系客車は今回は「ばん物」の12系でした。
この日は高崎の12系が「青いばんえつ物語」に使用されたからですが、「ばん物」の12系はちょっとケバケバしく感じました。
 
横川−高崎間29.7kmを約1時間もかけて走ります。
普通に走れば30分くらいで着くところを、安中で少し停車し、後はゆっくり走ります。
C61の「ご老体」をいたわりながらということもあるでしょうが、距離が短いと消化不良感があるのも事実。
しかし、これで横川の賑わいが維持されるのであればよしとしなければなりません。
 
高崎からは湘南新宿ラインで帰ります。
ちょうど、115系が到着しました。
名残惜しくて、思わず撮りました。
 
 
イメージ 3148M 115系3連[高タカ]
高崎
 
2階建グリーン車の階下席からなので視点が低いですが、昔「いなほ」「鳥海」「天の川」に乗った頃を思い出しました。
 
上野−村上間で一体何回115系とすれ違ったことでしょう。
深夜の水上では、パンタを下ろして留置されていたのを「鳥海」から見ました。
暫く関東から離れることを実感しました。
 
上越国境を越えると、雪の中を走る姿が頼もしく見えました。
夜明け前の高崎や籠原では、上野へ向かうべく待機している115系を何度見たことか。
夜明け前から動き始めようとしている115系の姿に、逞しさを感じました。
 
それだけ見ても、見飽きることがないのは何故なのでしょう。
115系は単なる鉄道車両ではなく、車窓風景の一部だからだと言えるでしょう。
それだけ、風土に溶け込んで見えます。
 
高崎の115系もいつまで走るかはわかりませんが、走っているうちに改めて訪れたいと思います。
 
画像全て2016.6.12
 
 
イメージ 4
さて、碓氷峠鉄道文化むらに集められた電気機関車を見て行くことにします。
 
 
 
イメージ 1
EF62 1
EF62のトップナンバーとは、貴重な機関車を残していてくれました。
ややピン甘なのが残念(汗)
 
 
 
イメージ 2
EF63 1
EF63のトップナンバーも残していてくれました。
 
 
 
イメージ 3
EF60 501
EF60 500番代のトップナンバーです。
ブルートレインの先頭に立った期間は極めて短く、ある意味「不運」の機関車と言えるかも知れません。
 
 
 
イメージ 4
EF70 1001
EF70 1000番代のトップナンバーです。
「日本海」牽引用に一部のEF70が1000番代に改造されましたが、EF81が登場したのでこちらも「日本海」の先頭に立った期間は短かったと思います。
 
 
イメージ 5EF62 1とEF15 165の並び
かつてはイヤと言う程首都圏で見かけたEF15ですが、現存するのは極めて少なくこちらも貴重です。
 
 
 
イメージ 6
EF65 520
「F形」と通称される通り、10000系貨車牽引用の密着自連と上越線乗入れ対応のつらら切りがいかつい印象です。
EF66が登場したため、10000系貨車を牽引したのは本当に短い期間でした。
 
 
ところで国鉄最晩年に「梅小路蒸気機関車館のEL版」を高崎に設ける構想があって、そのためにこれだけの電気機関車が高崎に集められましたが、結局は実現しませんでした。
JR東日本に移行した後で、この構想が見直された可能性はあるでしょう。
もし実現していたら…とは思いますが、後に鉄道博物館を開設したことを思うと結局は統合されていたかも知れません。
 
鉄道史に残る機関車ばかりですが、屋外に保存されているため状態が極めて悪いものもあり、今後も残すためには何らかの対策は必須です。
残すための対策がとられるなら、本当に微力ですが協力させていただきたいと思う次第です。
 
※他にも触れるべき車両はありますが、日数が経過しているためある程度絞った点はご了承ください。
 
 
 
2016.6.12 碓氷峠鉄道文化むら
 
 
 
イメージ 7
 
 
 
 
 
 
さて、今回碓氷峠鉄道文化むらでぜひ見たかった車両は、10系寝台車としてはリニア・鉄道館のオロネ10と共に現存するオハネ12 29でした。
 
10系寝台車は、1956(昭和31)年に登場し、四国以外全国を走る夜行列車(急行と一部の普通列車)に連結され、寝台車の旅を身近なものにしました。
20系が登場する前は、「あさかぜ」の中核を構成し、「はやぶさ」も登場当時は10系寝台車でした。
 
10系寝台車は「鳥海」で1度だけ乗ったことがあります。
オハネ12は主に西日本に配置され、私が乗ったのはオハネフ12でしたが、「鳥海」に乗る時は0:30近くの石打まで起きているのが「ルーティン」でした。
水上で連結された前補機のEF16が石打で解放されるからですが、折角寝台車に乗ったのに何をしていたのだろうか?と我ながら苦笑しています。
 
10系寝台車は、20系・14系・24系(25形)のような華はありませんでした。
しかし、その青い塗装と共に夜の闇にそのまま溶けてしまいそうな「渋さ」があった車両でした。
「はまなす」を例えに出しましたが、その渋さは14系客車より確実に上でした。
それは、一時期10系寝台車を連結していた夜行急行はブルートレインよりも多かったこともあるかも知れません。
 
オハネ12 29をじっくり見ます。
 
 
 
イメージ 1
オハネ12 29[門サキ]
晩年は長崎客貨車区に配置され、門司港−長崎・佐世保間(大村線経由)の普通列車「ながさき」に連結されていました。
「鉄道ジャーナル」1984(昭和59)年2月号の列車追跡「鉄道史に埋もれゆく夜行普通列車 ながさき」では、故 種村直樹さんがオハネ12 29に乗車されています。
 
 
 
イメージ 2
中段を跳ね上げて車内の見通しを良くした独特の構造
 
 
イメージ 3
しかし、3段ハネは今となっては狭いです。
私の父は1975(昭和50)年、「天の川」の3段ハネの上段に乗ったことがありますが、今で言う「メタボ」だった父がよくぞ上段まで辿りつけたと思います。
 
 
それと形式標記、[門サキ]標記、B寝台標記が国鉄書体で無かったのも残念でした。
 
イメージ 4
わかりにくいかも知れませんが、形式標記が国鉄書体では無く普通の丸ゴシック体です。
 
オハネ12 29の前に連結されていたのは、EF58 172でした。
 
イメージ 5
 
 
イメージ 6
「鉄道ピクトリアル」アーカイブスセレクション8 国鉄ダイヤ改正 特急大増発時代 1970(2005年5月刊)本文中の「国鉄車両配置表 昭和48年3月31日現在」によると、EF58 172は当時宮原機関区配置、オハネ12 29は竹下客車区配置とありました。
同機に実際に牽引されたことがあったのではないでしょうか。
EF58の次位にオハネ12が連結されることは現実には無かったでしょうが、当時の夜行列車の面影が偲ばれました。
 
しかし、屋外の保存故状態が非常に悪いです。
それでなくても、10系客車は軽量構造が災いして老朽化が早く進行しました。
一段下降窓も災いしました。
オハネ12 29の下部を見ると、一段下降窓から水が侵入したのか腐蝕が酷いです。
国鉄は一段下降窓の採用に慎重になり、サロ165・キロ28は「田窓」に改造してしまった車両もありました。
普通鋼の車両で再び一段下降窓が登場するのは1986(昭和61)年の117系増備車まで待たなければなりませんでした。
 
形式標記の点も含めて諸事情は理解しますが、この車両の歴史的価値を考えると形式標記も忠実に再現して欲しいと思います。
貴重な車両故、そのうち手を打つ必要があると思います。
その際は、私も微力ながら協力させていただきたいと思います。
 
2016.6.12 碓氷峠鉄道文化むら
 
 
イメージ 7
EF63を見て、運転台にも入ってから双頭連結器もじっくり見ました。
物々しさに目を見張ります。
ジャンパ栓に「キハ82」があったのは驚きました。
「信越白鳥」→「はくたか」で使用されたものでしょう。
 
 
イメージ 1
一番下の2つに「キハ82」の文字が見えます。
 
 
さて、碓氷峠鉄道文化むらに保存されている往年の名車を見て周ります。
何から見て行こうか、迷います。
まずは、EF63の「先代」碓氷峠のシェルパ、ED42です。
 
イメージ 2
 
 
イメージ 4ED42 1(準鉄道記念物)
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
EF80 63
EF80のラストナンバーですが、褪色が著しいのが痛々しいです。
屋外展示の難しさです。
 
 
 
イメージ 5
 
 
イメージ 6EF59 1
前身は、晩年高崎線で旅客列車を牽引していたEF53です。
実物を見るのは初めてです。
 
ふと見ると、モーターの音が聞こえてきました。
EF63が勾配を登って行くのが見えました。
体験運転なので往年の姿ではありませんが、走っている姿は思わず目頭が熱くなります。
一人で700回体験運転した猛者もいるとか。
 
 
 
イメージ 7
EF63 11(体験運転)
勾配がいかに急だったかがおわかりいただけるかと思います。
 
 
画像全て2016.6.12 碓氷峠鉄道文化むら
 
〜つづく〜
 
 
イメージ 8
 
 
 

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