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間もなく引退の羽越本線キハ47と言いながら、この1点しか出てきませんでした。
当時首都圏色、いわゆる「タラコ」は評判が悪く、鉄道ファンだった中3時の副担任は「国鉄の美的感覚を疑う」とまで酷評していました。
従って私もいかに写欲が湧かなかったか…
キハ47 1506[新ニイ]
1981.12.31 あつみ温泉
画像の225Dは、上野22:11発長岡行733M(115系)から乗り継くことが出来、733Mとなる前の上野−秋田間1821レのスジを継承していました。
これだけでは寂しいので、733Mから乗り継ぐ途中の新潟駅と、あつみ温泉のDD51を。
あつみ温泉
DD51 16は「鉄道ピクトリアル」2004(平成16)年12月号 特集 DD51形ディーゼル機関車によると
1964(昭和39)年4月30日、盛岡機関区に新製配置、最終配置は東新潟機関区で1986(昭和61)年3月31日付で廃車とありました。
羽越本線は旧型客車の普通列車が長距離を走り、その合間を縫うように気動車の普通列車が短区間を運転していました。
現在長距離普通列車は分断され、その分フリークエンシーはいくらか向上しているので「この時代はよかった」とは単純には言えません。
しかしあの頃に戻りたいと思うのは、何故でしょう…
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国鉄〜JR一般形気動車
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先日「あけぼの」に乗りに行った際、津軽線のキハ40を撮影しましたが、サボ、随分久しぶりに見たような気がします。 LEDよりは幕、幕よりはサボの方が目に優しいと思いますし、何より旅情を感じます。 見られる時に撮っておかないと、ですね。 340D キハ40 545[盛ハヘ] 2014.5.1 青森 鉄道コムに参加しております。
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どなたかからいただいたコメントのお返しに、久留里線のキハ30を必ず記録すると書いたのに、結局久留里線へは行くことは出来ませんでした。 家族運用とかありましたが、歯を抜くことになるのは予想外でした。 これさえなければ、久留里線を乗り通すことは不可能でも、せめて木更津までは行けたかも知れません。 地元の相模線は、電化前に度々撮るチャンスがありましたが、撮り鉄から離れていたためにどうしようもありませんでした。 しかしながら、相模線(茅ヶ崎運転区)のキハ30は前面にも形式標記がありましたが、なぜ斜めに標記しているのだろう? ちょっと不細工でした。 「スカ色」のキハ30…と言っても関東鉄道の「キハ100」ですが、これを押さえておいたのでよしとします。 この時は非鉄で、クルマの「慣らし」でもって最終的に霞ヶ浦まで行った途中です。 入場券で入場して写真だけ撮って去るという、地方の鉄道会社にとっては顔をしかめたくなるパターンで、私もせめて2〜3駅くらい乗りたかったと申し訳なく思っております。 2004.4.10 水海道 鉄道コムに参加しております。
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JR西日本の単色塗装が話題になっていますが、101系・103系は別にするとかなり話題になった単色塗装は、1970年代後半に現われた気動車の単色塗装、「首都圏色」と呼ばれていましたが、私達「鉄」な人間の間では「首都圏色」よりも「タラコ」の方が馴染みがあるかと思います。 この塗装が現われた当初は誰もが唖然としたもので、「国鉄の美的感覚を疑う」と酷評した人もいました。 しかしながら、タラコ塗装に復刻された気動車が現われるなど、後になって人気が出ましたからわからないものです。 さてJR西日本の単色塗装ですが、103系やキハ30のように平板なデザインの車両は単色塗装でよいと思いますが、113・115・117系などのような車両は塗り分けを前提としたデザインですから、これらの車両での単色塗装はとても見られたものではありません。 105系なら、まだ何とか見られる感じですが。 今アルバムをめくって見て、八高線のキハ30・35は割合と後年まで走っていたのだなと思いました。 タラコ塗装も、今見ると懐かしく思います。 254D キハ30+キハ38+キハ35[高タカ] 1995.2.11 高崎 鉄道コムに参加しております。
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結局、10年前に一度しか拝めなかった。 |
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