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1964(昭和39)年4月24日、東海道本線 草薙−静岡間(当時)の踏切で、東京発宇野行 特急「第1富士」がダンプカーと衝突、1号車のクロ151-7は線路と直角に全軸脱線、東海道本線の運転再開を急ぐために車体を切断され、1964年9月8日付で廃車、国鉄新性能電車の廃車第一号となってしまいました。
クロ151 模型
クロ151-7ではありませんが、イメージはつかんでいただけると思います。 クロ151-7は復旧に4か月かかる見込みなら、復旧は可能だったと思いますが、新幹線開業前、東名高速道路も開通していなかった当時の東海道本線は正しく日本の大動脈で、運転再開を急ぐために車体が切断されたこと、新幹線開業後にクロ151は活躍の舞台が狭まることなど、悲運が重なりました。
また、前年の1963年11月9日夜に発生した鶴見事故で、原形を留めないほど大破したクハ76039、モハ70042、モハ70079も、やはり1964年9月8日付で廃車となり、モハ70系初の廃車となりました。
国鉄が絶対的な陸の王者であったこと、踏切事故や脱線に伴う大事故が多かったことに、当時の世相がしのばれます。
※参考文献
鉄道ピクトリアル 2005(平成17)年9月号 特集 151・161・181系電車(Ⅰ)
同 2002(平成14)年2月号 特集 モハ70系電車
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今日は何の日
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1988年3月13日、上野駅で「札幌」の行先を見た時の感激は、東京駅で「新函館北斗」の行先を見たのとは比較にならない大きさでした。
海を隔てていた北海道が、遂に青函トンネルで結ばれた。
列車で北海道へ行けるようになった…
青函連絡船の旅は「津軽海峡・冬景色」のように哀愁を帯びていましたが、「北斗星」「海峡」で青函トンネルを越える旅は、正しく爽やかな感動でした。
あれから30年。ダイヤ改正初日の「北斗星1号」の先頭に虹ガマが立ったのを見た感激。
当時は現在のようにSNSで情報が漏れることはありませんでしたから、本当に感激は大きかったです。
1988年は撮り鉄から離れていたため、上野着1991(平成3)年11月26日の「北斗星6号」で代用します。
ダイヤ改正初日には、オレンジカードを買い漁りましたね。
後日、現在展開している「1枚のキップから…」で「北斗星1号」を取り上げます。
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今頃という時間ですが、どうしても書いておきたいと思いました。
1984(昭和59)年2月1日ダイヤ改正は国鉄〜JRの歴史上異例中の異例のダイヤ改正でした。
国鉄時代のダイヤ改正は大体10月1日に行われていました。
年度の途中であり、かつ天候が安定しているというのが主な理由でした。
雪で輸送が乱れることの多い2月にダイヤ改正が行われるというのは、異例中の異例。
「59.2」改正の目玉は、ヤード系から直行系の貨物輸送のシステムチェンジでした。
2軸貨車を多く組成した、雑多な編成の貨物列車がほぼ見られなくなりました。
行き場を失った二軸貨車は新鶴見や大宮操車場に留置され、一見活気があるようでしたが、貨車の動きが全く無く「墓場」の様相でした。
1978.9.3 沼津
夜行列車も廃止されました。
時間帯のよい「紀伊」までも廃止されたのは、利用率が悪かったからでしょうが、何の手も打たずに廃止というのは、今振り返ると国鉄時代も容赦なく夜行列車を廃止していました。
1978.8.27 東京
寝台車を連結していたことでマルスに収容する必要があり、愛称付きの普通列車の一角を形成していた「ながさき」もこの改正で廃止されました。
2016.6.12 碓氷峠鉄道文化むら
過去、他の鉄道会社を振り返っても2月のダイヤ改正は思い出せません。
京王電鉄が今月ダイヤ改正を行いますが、これは小田急への対抗上早くダイヤ改正を行いたいという理由でしょう。
その点でも、雪による乱れが懸念される時期に全国規模のダイヤ改正を行わなければならない程、当時の国鉄は切羽詰まっていました。
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今日は、房総に初めての特急「わかしお」「さざなみ」が登場して45周年。
今では食堂車が無い特急も、走行距離が100kmそこそこの特急(国鉄→JR)も、珍しくはなくなりました。
何しろ、最近は走行距離が100kmを切る特急すら珍しくありません。
しかし、乗客の特急の選好度が高まり特急の大衆化が始まっていた当時でさえ、食堂車無し、走行距離が100kmそこそこの定期特急とはとにかく異例尽くしでした。
当時私は小学2年生。
まだ、時刻表に親しむまでは至っていませんでしたが、首都圏から出ない特急というのはわかっていました。
「それって特急なの??」と、子供心にも感じたことは覚えています。
汚い写真で申し訳ございません(汗)
7M 特急 さざなみ(下り)4号 183系9連[千マリ]
1978.8.27 東京
私は時刻表でしか見たことがありませんが、当時房総半島一周の循環急行と話題になった「みさき」「なぎさ」など、急行列車も残っていましたが、電化を機に長距離は特急、特急を補完する役目が快速というモデルケースとしたのが房総半島と聞いたことがあります。
しかし、現在の房総特急は東京湾アクアラインの開業後は勢いを失うばかりです。
「特別急行」である特急は、定期の普通急行(いわゆる急行列車です)が消滅してしまうと、どこが特別なのか?
かなり昔であれば特別な存在だった特急は、房総半島のような短区間ではかえってハードルが高い存在と受け取られていないでしょうか。
減便を余儀なくされるようであれば、特急の在り方を再考して急行、または指定制の快速に移行することを考える時期に来ているように思いますが、どうでしょうか。
2010.12.13 東京
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特急「あずさ」が設定されたのは1966(昭和41)年10月1日ダイヤ改正ですが、実際には初狩−初鹿野(現・甲斐大和)間の複線化を待って、運転開始は12月12日でした。
よって、今日12日が「あずさ」デビューから正真正銘の50周年ということになります。
余談ですが1966年12月12日、新宿を発車した「第1あずさ」初列車は甲府−竜王間で耕運機と衝突、初列車が運転打切りとなる何とも気の毒なスタートになってしまいました。
このため、甲府−松本間と上り「第2あずさ」は「アルプス」の165系を充当したそうです。
「あずさ」を一躍全国的に有名にしたのは、1977(昭和52)年、男性デュオ「狩人」が歌った「あずさ2号」だったと言って過言ではないでしょう。
私もカラオケに行くと必ず歌います。
「あずさ」は、現在JR東日本の在来線特急の愛称では最も古い愛称なのだそうです。
現在はバスとの熾烈な競争下にありますが、よい競争は新宿−松本間全体の利用客増加に繋がることでしょう。
では、「あずさ」オールスターズをご覧に入れます。
1977.8.26 新宿
1980.8.18 松本
183系の文字だけのマークは撮っていないので、オールスターズと言うには片手落ちです(汗)
1978.11.19 上野
この1点のみ「あさま」折返しです。
03H 201系10連[東ムコ]
1992.3.13 中野−高円寺
1987(昭和62)年末に突如登場したグレードアップ塗装ですが、極めて短期間で終わりました。
1993.7.4 新宿 2011.12.29 新宿
2013.3.31 新宿
2013.2.11 日野春 さて、181系は私が撮り鉄の世界に入る前に置き換えられたため写真がありません。
仕方ないので、富士見駅のギャラリーで代用させていただきます。
参考文献 「鉄道ジャーナル」1980(昭和55)年6月号 中央本線バラエティー② L特急あずさ
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