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国鉄時代「延長戦」

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2006(平成18)年3月18日ダイヤ改正は、東武スペーシアが私鉄特急形電車として初めてJR東日本の「本丸」に乗り込んできたことがハイライトでしたが、私にとってはある車両の引退で感慨深いものがありました。

幼児期に大阪で私をこの世界に引きずり込んだ、113系が東海道本線東京口から引退しました。
113系は東海道本線・東京−神戸間の全線で姿が見られ、私には「113系=東海道本線」であり「東海道本線=113系」と言える程切っても切れない存在でした。

私が鉄道ファンとなるきっかけとなった113系の引退は、単なる一車両の引退では無く、国鉄時代「延長戦」の終戦でした。



イメージ 1
834M 113系15連 クハ111-2156[横コツ]
横浜

2006年をもって国鉄時代「延長戦」の終わりとは、異論があるでしょう。
現時点でも全JRで国鉄形車両の残存率は30%もあり、JR西日本やJR貨物は現在でも比較的多くの国鉄形車両が現役です。
しかし、JR発足から暫くの間は国鉄形車両はJR各社の「中核」であり、JRマークを見なければ国鉄時代そのものでした。

だからこそ、私にとっては国鉄時代「延長戦」でした。


イメージ 2
東京
ヘッドマークの「昭和38年〜平成18年」とは、113系の起源として間違いではありませんが、113系は111系の出力増強形であること、113系が登場した後もクハ・サハ・サロの付随車は111形式であったため、111系と113系を包含して「昭和37年〜」とすべきではなかったかと思います。
当時の「ラストラン」当日は、現在程殺気立っていませんでした。

それが、2006年3月改正では113系が東京口から引退したばかりか、常磐快速線の103系も引退し、415系は上野に入って来なくなりました。
前年の2005(平成17)年には205系が山手線から撤退してE231系500番代に置換えられ、国鉄形車両はJR各社の「中核」から滑り落ちていました。

2005年3月1日ダイヤ改正では「さくら」「あさかぜ」が、2006年3月改正では25形客車の「出雲」が、「日本海1・4号」の青森−函館間が廃止され、「国鉄からの引継ぎ」で運転されてきた列車の廃止で、国鉄のカラーはどんどん薄れていました。

もはや、国鉄時代「延長戦」では無い…
そう思わずにいられませんでした。


イメージ 4
113系の方向幕は長い間埋められていましたが、私が東海道線で通学を始める直前の1986(昭和61)年3月3日ダイヤ改正から使用が始まりました。
今思えば、「静岡」「浜松」の幕は撮っておくべきでした。



イメージ 3
号車札の独特の「国鉄書体」にも、どこか「日本を代表する陸の交通機関」のプライドが感じられました。
以上4点 2006.3.17

私は通算で7年間電車通学しましたが、最後の2年間は東海道線の113系・185系・211系で横浜−東京(御茶ノ水)間を往復しました。
それは、「国鉄解体」〜JR移行の2年間でもありました。

忘れもしません。
1986年4月、通学定期を買って東京駅のホームに立って113系を見た時、「この1年間、国鉄の最後を見届けなさい」という神のお告げが本当に聞こえて来たような思いでした。

大阪で113系によって鉄道ファンとなり、大阪から引っ越してきてからは湘南色とスカ色の共演に親しみ、「国鉄解体」を見届けた、ある意味私の「人生の一部」のような車両でした。

本当は走行写真を撮りたかったのですが、この2年前に長女が生まれて趣味活動に費やせる時間は更に少なくなっていました。
3月17日は「何としても、国鉄解体を見届けた横浜−東京間を乗りたい」と、やっとの思いで時間をつくって乗りました。

精一杯のお別れでした。

通学で利用していた当時は、気が向いた時には横須賀線に乗ることもありました。


イメージ 5
43S 113系15連[東フナ]
1991.6.29 新子安

横須賀線が地上に発着していた頃を知る私は、もはやオールドファンの域かも知れません。


イメージ 6
(左)16レ 寝台特急 瀬戸 25形客車[広セキ+広ヒロ]
(右)534S 113系15連[南フナ]
1978.8.27 東京


「国鉄解体」から30年。
商業的価値の無い個人のブログですが、このシリーズに関してはご覧になる方が少ないと思いながらも、私の鉄人生の記録として力を入れて書いてきました(商業的価値が無いからこそ、好き勝手に書き連ねて来ました)。

そうした事情で今は燃え尽きた感があり、暫く更新はお休みします。
書く意欲が湧いてきた時点で、更新を再開します。

国鉄時代は遠くなりましたが、鉄道ファンはやめません。
現在は、国鉄時代を知らない鉄道ファンの方が非常に多くなったと思います。
殊更に「国鉄時代はよかった」と言うつもりは全くありません。
「あの頃はそういう時代だった」というものが伝われば、幸いです。

最後にJRの地域密着は否定しませんが、国鉄時代のように「日本を代表する陸の交通機関」のプライドは持ち続けて欲しい。

そのためには、施策がJR各社内で完結する「セクショナリズム」に陥るのでは無く、JR各社間の交流がもっと盛んになって欲しい。
「信州デスティネーションキャンペーン」で、「あずさ」が南木曽まで運転されるような施策が、もっと展開されてもよいと思います。

そういう時代が、再び訪れることを願って…


イメージ 7
通学で利用した「原形デカ目」が、JRになってから記録出来たことは本当に幸せでした。
785M 113系11連[東コツ]
1992.3.24 大船


〜完〜


イメージ 8

「国鉄解体」から30周年となる本年4月から投稿してきたこのシリーズですが、次回で完結致します。

率直に言って、このシリーズでは取り上げていない列車・車両は多いです。
完結を前にして、諸事情で単独で取り上げるには弱いと考えて外したものの、最後を前にどうしても触れておきたかった国鉄形の列車・車両を取り上げます。
尚、地域及び動力別に偏っている点は、ご容赦の程お願い致します。



イメージ 1
9885M 165系9連[高シマ]
1991.5.25 戸塚
修学旅行臨等の波動輸送は、現在では185系が担っています。
185系のクロスシートはよいとは思いますが、ワイワイガヤガヤには165系のボックスシートが最適だったでしょう。



イメージ 2
カートレイン北海道(入換)
1991.7.20 品川
「カートレイン」も、国鉄からJRへの贈り物の筈でしたが…



イメージ 5
EF63×2
1991.10.7 軽井沢
「特殊用途」の機関車ではありましたが、国鉄からJRへの移行期を語る上で忘れられません。



イメージ 3
専貨 5274レ EF64 52[篠]+タキ車
2001.2.10 八王子
2000年代初頭は、国鉄原色のEF64 0番代が普通に活躍していました。



イメージ 4
専貨 5260レ EF66 18[吹]+タキ車
1991.6.29 鶴見
ヒサシが増設されなかった国鉄原色・原形のEF66が、普通に活躍していました。



イメージ 8
(左)1224T 201系10連[八トタ]
(右)1269E 103系4連[東ハエ]
2001.2.10 八王子
ウグイス色の103系は殆ど撮っていなかったため、これまでは外しました。
今回、201系との並びとして取り上げます。





イメージ 6

イメージ 7
3820M 特別快速 仙山 455系6連[仙セン]
1991.8.13 山形
誇らしげな「ノンストップ」に、国鉄時代とは違う意欲が感じられました。


イメージ 9
単5492レ ED78×2[福]
板谷峠を越えたEF71とED78(及び先に取り上げたEF63・EF62)にはJRマークがありませんでした。
山形新幹線工事でED78は板谷峠を越える仕業を失い、仙山線経由の貨物列車をJR貨物から受託していました。



イメージ 10

イメージ 11
31レ 寝台特急 なは
ED76 61[大]+25形客車[鹿カコ]
オハネフ25 2209(下)
2003.4.30 西鹿児島(現・鹿児島中央)
九州新幹線の部分開業前に、どうしても「なは」に乗りたくてレガートシートで乗り通しました。
※下段のオハネフ25 2209の写真は「鉄道・バスの廃車店舗紀行 終末車輌(笠倉出版社 2013年1月刊)」に掲載していただきました。
 


イメージ 12
6332M 475系3連[鹿カコ]
2003.5.2 八代
幼児期大阪に住んでいた頃、裾の60Hzを示す帯の471系・475系は一度くらいは見た筈ですが記憶にありません。
しかし、往年の塗装には本当に感激しました。


イメージ 13
9レ 寝台特急 あさかぜ1号 EF81 412(EF81 53→)[大]+24系客車[東シナ]
1992.5.5 下関
国鉄の最後の最後でグレードアップされた「あさかぜ1・4号」も国鉄からJRへの贈り物で、「北斗星」「トワイライトエクスプレス」に繋がりましたが、「あさかぜ1・4号」はこの翌々年に不定期格下げされ、夜行列車に対する懸念は現実となってしまいました。
余談ですが、偶然の産物でしょうがEF81 400番代となったのは、14両全機が元酒田機関区配置のEF81でした。

率直に言って、ジョイフルトレインが全く登場していないなど、期待された方には物足りない点は多々あります。
しかし、銀塩カメラの当時は撮り鉄という行為は、デジタルの現在よりはるかにお金のかかる趣味活動でした。

また鉄道とは「乗り物」であり、私は鉄道は「乗る」行為が先であって、「撮る」行為は「乗る」時に行うものという考えがあり、「撮る」ためだけの目的で出かけたことが殆ど無かったことも、撮っていない列車・車両が多いことの要因です。

それでも、今振り返ると私が撮りたかった列車・車両はそれなりに撮れているので悔いはありません。

2006(平成18)年3月、国鉄時代に私の心をときめかせた品川運転所(→田町車両センター)は、国鉄時代「延長戦」の「終戦」が近いことを物語っていました。


イメージ 14
日中に並びが見られたのは、「はやぶさ+富士」と「サンライズ」の2本だけ。
他には、ここには写っていない「銀河」だけ。
25形客車の「出雲」はこの日限りでした。
2006.3.17 品川



イメージ 15

このシリーズ、これまで北海道・東日本・西日本のJR初期の国鉄原色気動車を取り上げました。
東海については、早くにJR東海独自の塗装に変更されたため「番外」と致しました。

九州については、国鉄晩年に九州独自の塗装に変更されました。
国鉄原色は全国で見られたため、地域色を「国鉄原色」とするには異論が出ると思います。
しかし国鉄塗装であることに変わりはないため、JR九州発足当初、主に北九州の普通列車は「タウンシャトル」と呼ばれていたことから、JR初期の九州の気動車は「タウンシャトル」に包含して取り上げることと致します。

国鉄最晩年、普通列車は高頻度・短編成の施策で大増発がかけられました。
九州では「マイタウン電車」の呼称でアピールしましたが、JR九州発足時に「タウンシャトル」に改められ、415・421・423系のみならず気動車・客車も「タウンシャトル」のヘッドマークが装着されました。

JR九州発足当初の国鉄九州色の気動車を、まずご覧に入れます。


イメージ 1
1860D キハ28+58 キハ28 2003[分オイ]
1992.5.5 大分
1961(昭和36)年製のキハ28 2003は、生涯九州を離れなかったようでした。



イメージ 2
1992.5.6 日田


イメージ 11
3624D キハ66・67 キハ67 4[本カタ]
1993.8.25 門司
キハ66・67には「タウンシャトル」のヘッドマークは装着されませんでした。
このアングルではキハ47と区別がつきにくいのが残念です。
2扉と3扉の違いはありますが、転換クロスシート装備、急行にも使用された点はキハ75と通じるコンセプトを感じます。

続いて、「タウンシャトル」のヘッドマークを装着した415系をご覧に入れます。

イメージ 3
234M 415系8連[本ミフ]
1992.5.5 下関
長い間、九州島内から415・421・423系が山陽本線内まで直通していました。
現在は下関で乗換が必要になり、小郡も2003(平成15)年10月1日ダイヤ改正で「のぞみ」停車に合わせて新山口に改称されました。


イメージ 10
2538M 475系3連[分オイ]
サロ改造のクハ455-600番代が異彩を放っていました。
1992.5.5 大分


イメージ 9
1992.5.5 大分
DE10にも「タウンシャトル」のヘッドマークが装着されているのがおわかりいただけると思います。


イメージ 4

イメージ 5
以上2点 1993.8.25 門司港


「タウンシャトル」の呼称がいつ頃から用いられなくなったかは不明ですが、1990年代中盤ではなかったかと思います。
国鉄最晩年は、普通列車の大増発をアピールすべく静岡では「するがシャトル」、長野では「エコー電車」、新潟では「ハロー電車」、北陸では「TOWNとれいん」などのニックネームが命名されましたが、これらもいつからかうやむやになってしまいました。

普通列車の高頻度が定着すると、特段アピールする必要はなくなったということでしょう。

私がキハ28・58を見たのは、2003年が最後でした。


イメージ 6
4230D キハ40 2105+キハ40 2051[鹿カコ]
2003.5.1 隼人



イメージ 7
キハ28 2362[鹿カコ]
2003.5.1 吉松

この翌年に九州新幹線が部分開業し、九州の鉄道は大きく変わりました。


イメージ 8


新幹線0系・200系は、率直に言って写欲が湧かない車両でした。

乗りたい車両としても、社会人になって自分のお金でそれなりに鉄道旅行が出来るようになってからは、東海道・山陽新幹線に100系が登場して普通車の居住性が劇的に向上し、相対的に0系・200系は見劣りを感じてしまいました。

0系は、私と同い年です。
1964(昭和39)年登場(但し、JR移行時には1964年製の車両は使用されていませんでした)の0系は、同年代の友人はよい所も悪い所も全てわかっていて、普段顔を合わせる機会が多い分、友人の悪い所ばかり見えてしまうというような気がしていました。

後述しますが、0系・200系には複雑な思いがありまして、JR初期には手持ち無沙汰の時に何となく撮っていただけでした。


イメージ 1
418A こだま418号 0系16連
1993.4.11 新横浜


イメージ 2
441A こだま441号


イメージ 3
134B やまびこ134号 200系12連[仙セシ]
1993.12.5 仙台

0系は、私がこの世界に入った後で暫くしてから151系「こだま」「つばめ」「はと」「富士」「おおとり」を駆逐したことがわかってきました。

200系は拙ブログで度々記事にしていますが、1982(昭和57)年11月15日ダイヤ改正で上越新幹線が開業したことにより、上野口の在来線の特急の大部分と旧型客車の夜行列車が廃止され、以後8年半に渡り撮り鉄の意欲を喪失しました。
そんなこともあり、一時期は「新幹線なんて絶対に乗らない」と心に決めていました。

しかし、社会人になってからは長距離の移動ではそんなことは言っていられなくなりました。
撮り鉄に復帰したのも、社会人になってからでした。


イメージ 4
1004C あさひ4号 200系12連[新ニイ-]
1993.5.4 新潟


イメージ 5
(左)2133B やまびこ133号+つばさ133号 222-11[仙セシ]
(右)445C たにがわ445号 222-1[新ニイ-]
2000.8.24 東京

0系・200系の方が率直によかったと思えるのは、ビュフェがあったことです。
食堂車は敷居が高いと思っても、ビュフェなら軽食が気軽に食べられて、立ち飲みながら車窓を眺めながら一献傾けていると「違う時間が流れている」満足感に浸れました。

予め飲食物(殆どビールとつまみでしたが…)を買って、自席で味わっても変わらないし、ましてビールなどは市中で買うよりかえって高くつきましたが、それでも満足感に浸れたのは「列車に乗らなければ満喫出来ない空間」だったからでしょう。

乗り心地はN700A、速度ではE5・H5系「はやぶさ」の方が上なのでしょうが、「ゆとり」に関してはビュフェがある分0系・200系の方が間違いなく上でした。


イメージ 6
2138A ひかり138号 0系12連[幹ハカ]
1992.5.6 博多
JR西日本が「63.3」ダイヤ改正で投入した0系「ウエストひかり」のビュフェ「パブウエスト」は、ビュフェの域を超えて「食堂車」の雰囲気でした。
辛口のカレーの味は、今も忘れられません。


イメージ 9
43B やまびこ43号 200系2000番代16連[仙セシ]
1991.10.22 東京
国鉄の最後の最後になって、200系にも100系タイプの先頭車が改造で投入されました。
100系に「対抗」するかのように、2階建車両も組み込まれました。



イメージ 7
(右)1レ 寝台特急 富士 オハネフ25 114[熊クマ]
(左)451C たにがわ451号 200系12連
1998.5.30 東京
200系はたまたま写ってしまったという感じですが、東京駅で国鉄形の新幹線とブルートレインの「最後の共演」という一点でした。


イメージ 8
1993.12.19 東京
300系も写り込んでいる分、JR初期の様子を感じていただけると思います。


イメージ 10





このシリーズ、4月から1年程かけて投稿するつもりでしたが、私のアルバムを確認していたら、「単独でネタにするには弱い」というものが結構ありまして、そうした事情で早くも終盤戦に入って来ました。

今回は、JR初期の国鉄原色の特急形気動車を取り上げます。
そうは言っても、私は結婚が早かったので独身の頃のように趣味に時間を費やす時間が少なくなり、特急形気動車が走っている非電化区間はどうしてもお金と時間がかかる故に、僅少な記録しか残せませんでした。


イメージ 1

イメージ 2
2040D 特急 くにびき キハ181系3連[米ヨナ]
1993.8.24 松江
「くにびき」とは、初めのうちは愛称の由来がわかりにくかったのを覚えています。


イメージ 3
1042D 特急 おき2号
1993.8.24 出雲市


イメージ 4
29D 特急 いそかぜ
同 キハ181-14
1993.8.24 下関
余談ですが、「鉄道ピクトリアル」アーカイブスセレクション 国鉄ダイヤ改正 特急大増発時代 1970(2005《平成17》年5月刊)の「1973年版 国鉄車両配置表」によるとキハ181-14は尾久客車区配置、よって「つばさ」で板谷峠を越えていました。
1度だけキハ181時代の「つばさ」に乗った記憶が薄っすらとあるので、当時乗っていたかも知れません。 

「いそかぜ」とは、国鉄時代を知る私と同年代の方はご存知と思いますが、大阪−博多間(福知山線・山陰本線経由)を走破した「まつかぜ」を分断した列車でした。

JR東海のキハ82は、残念ながら定期列車は見たことがありませんが、御殿場線60周年で御殿場線に来た時に撮りに行きました。
詳細は2009年5月9日付けの拙記事「キハ82が御殿場線にやってきた!」
をご覧いただきたいと思いますが、そこではアップしなかった画像をご覧に入れます。

イメージ 5
9654D 快速 御殿場線60周年号 キハ82・80×5連[海ナコ]
1994.11.27 御殿場
115系との並びは、今思えば貴重でした。

私が高山本線に乗りに行った時には、キハ85に置換えられていました。
「南紀」も置換えが始まっていました。
せめて、快速「みえ」に使ってはどうかと思いましたが、「鉄道ジャーナル」タブレット欄で読者の提案に対してJR東海サイドが「性能の問題」と回答していた記憶があります。

度々拙ブログで記事にしていますが、私はキハ82時代の「白鳥」で大阪・京都−酒田間を何度も往復しました。
「いそかぜ」に乗った際には同じ日本海側ということで、幼児期に乗った「白鳥」の面影を探していましたが、「白鳥」とは落差が大きかったと思いました。
 
グリーン車・食堂車連結の長編成だった「白鳥」と比較して、この頃の山陰本線のキハ181は3両しかなく、私の記憶にある「白鳥」の車窓は小駅にも貨車の姿があって鉄道が逞しかった時代でしたが、「いそかぜ」から見える山陰本線は合理化が進んでいました。

スピードも強馬力のキハ181は性能を持て余し気味に思えて、加えて山陰本線に走っていた「出雲」も乗客の減少は顕著で、鉄道が陸の王者だった時代は遠い過去になっていた様子ばかり目立ったのは何とも残念でした。


イメージ 6




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