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宮城県亘理郡山元町は今回の震災で津波の被害が大きかった場所の1つである。
ここに八重垣神社があった。
 
この神社に訪れたのは6年前の春。
大河原の桜がとても綺麗で、宮城県南の神社を廻ったのを思い出す。
 
2年前の秋にもこの地を訪れたが、その時は時間の都合でこの神社を参拝することは出来なかった。
そのかわり、この地方の名物「はらこ飯」をしっかりいただいた。
 
阿武隈川の河口を昇る「鮭」を料理したもので、鮭の切り身にイクラをふんだんにのせた丼ぶり。
しかも鮭の煮汁でご飯を炊いているのだ。。
 
実は6年前この神社に参拝した時、デジカメを忘れてしまい、ご朱印をいただいた際に、宮司さんに頼んで1枚いただいた写真がこれ。スキャナーから取りこんだものだ。
 
今回の津波の被害では、神門や社殿はすべて流されてしまったという。
神門にあった随神像の右大臣と左大臣は何百メートルも離れた場所から出てきたと聞いた。
 
震災後、気になって調べていたら、数日後、宮司さんが無事であるということがネットからわかった。
 
この神社では夏祭りに神輿の海中渡御が行われる。
氏子さんが戻り、また神輿の海中渡御が見られる日がきて欲しい。
 

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炭鉱の街 風治八幡宮

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福岡県は田川市にある風治(ふうじ)八幡宮に参拝した。
田川といえば炭鉱の街。北九州は小倉からおよそ30キロくらいの距離である。
JR日田彦山線で田川伊田駅で降りたら、すぐの場所に神社はあった。
 
 
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読んで字のごとく風を治める力を持つ神社。
平成19年に風治八幡神社から風治八幡宮に改称されたらしい。
社伝によると伊田大神と称する海津見神を地主神として祀っていたが、神功皇后が豊浦に立ち寄られた際に暴風雨が吹き、伊田大神に祈願をしたところ、たちまち暴風雨がやんだという。
 
 
 
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注連縄も大きく堂々たる拝殿。
かつて石炭産業が隆盛を極めた1950年代は街も神社も賑わっていたのであろう。
この日は寒いせいもあってか参拝者はオイラだけ。
ひとり独占して社殿をぐるぐる見てまわる。
 
 
 
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本殿を見てみると八幡様なのに神明造では?と思うと看板を発見。
読んでみると前回の伊勢神宮の式年遷宮で別宮である土宮から払い下げてられたお社(やしろ)とのこと。
避雷針が横に建ててあるのは、雷が多いからであろうか?
5月には街を上げての大きな祭礼が行われるそうである。
 
 
 

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オイラの横顔ではない。あの岡本太郎が気に行って、この地を何度も訪ねたという万治の石仏。
諏訪大社春宮に鳥居を造るため石工がこの石仏にノミをいれたところ、石から血が滴ったという。
その晩、石工にお告げがあって、違う石を彫り、めでたく鳥居は完成。
そしてこの石仏を阿弥陀如来として祀ったという。
 
 
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なんでか首が伸びているという現象もあるらしい・・・。
右の写真が春宮の鳥居である。
鳥居が完成したのが万治2年(1659年)でこの石仏に阿弥陀如来を祀ったのが万治3年(1660年)とのこと。
 
 
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2年前に参拝したときは工事中でしたが、すっかり工事も終わり整然とした境内になっていました。
昨年に行われた御柱も真新しいです。
諏訪大社には上社と下社があり、春宮の位置づけは、秋宮と同じ下社に分類される。
 
 
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そして2〜7月まではご神体がこの春宮にあり、8月から1月までが秋宮にあるのだ。
これは旧暦によって行われるらしく、その際の遷座祭というのが下社でもっとも大切な神事だという。
秋宮のほうは観光バスが乗り付けて参拝者もおおぜいいるが、こちらは静かに佇んでいる雰囲気がよい。
ゆっくりと参拝ができました。
 
 
 

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関門海峡 和布刈神社

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今にも雨が降り出しそうな天気。北九州市門司にある「和布刈(めかり)神社」に参拝してきた。
狛犬のバックには関門海峡と関門橋。対岸は本州下関の壇ノ浦である。
下関の「関」と門司の「門」をとって「関門海峡」となったらしい。
また、壇ノ浦の戦いの前夜、平家一門はここで酒宴を開いていたともいわれる。
 
 
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当神社で最も有名なのが旧歴の元旦に行われる和布刈神事である。
社伝によると仲哀天皇が神功皇后の三韓征伐の凱旋を祝って、この地で自らが神主となってワカメを刈って神前に供えたという故事に基づく。
ちなみに戦前までは神事を見ると目が潰れるとされ、非公開だったとか。現在は公開されている。
 
 
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現在の社殿の造営は明和7年(1767年)小倉藩主によるもの。
ひとたび台風でも来れば、暴風に見舞われそうであるが、木造の社殿がしっかり建っておられました。
龍の彫刻が素晴らしい。
手水舎にあった龍の手水口は水が出ていなくてロープでぐるぐる巻きだったけど(T_T)/
 
 
 
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社殿前の境内は広くないため、これ以上ひいて写真を撮ると海の中に落っこちかねない・・・。
そういえば神社が建てると噂になっていた4階建の納骨堂の話はどうなったのだろう?
このような景観地にはあまりそぐわないような気もするが、今後の成り行きを見守りたい。
 
 
 
 

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九州は福岡県に出張してきた。そこで参拝してきた神社が細石神社である。
細石(さざれ石)と言えば日本国歌「君が代」に登場する名称であり、いろんな神社に細石は置かれているが、
神社名が細石というのを聞いたのは初めてである。
 
 
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所在地は糸島市というところ。かつては前原市だったが、糸島郡などと合併によって大きな市になった。
また、古代伊都国だったところであり、平原遺跡など数々の有名な遺跡がある。
そして、この神社の裏手には三雲南小路遺跡があるのだ。
 
 
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遺跡とは王の墓であり、この神社はその墓の拝殿に位置すると考えられている。
そして遺跡の分析から、男女夫婦の墓とみられているそうだ。
ところで細石神社のご祭神は、磐長姫と木花開耶姫の二神である。この神様は姉妹であり、磐長姫はあまり美しくなく、木花開耶姫は逆に綺麗だったという。
 
 
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さて天孫降臨でトップバッターとして地上に降りたニニギは、この姉妹と結婚するが、磐長姫を突き返してしまい、木花開耶姫と結婚したとある。そのあとの話も続くけど・・・。
そんなことから神社の背後に控える三雲南小路遺跡はニニギと木花開耶姫の墓ではないかと伝えられる。
 
 
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神社のお姿はといえば、本殿は覆殿によって隠されているので本当の姿は見えない。
ニニギと磐長姫と木花開耶姫と君が代と細石・・・。
磐長姫は八つ裂き(こまぎれ)にされてしまい、それが細石の巌(いわお)となったという伝承もあるとか・・・。
神話と神社とが一致するような場所に立ってみて、ゾクゾクっとしたのであった。
 

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