過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

隠れ里 佐助稲荷神社

イメージ 1

鎌倉は1年を通じて人気の観光スポットだ。
そんな鎌倉に訪れたのが昨年の11月。
紅葉にはまだ早かったが、日曜日だったのですごく混雑していた。
さて、今日ご紹介するのは『佐助稲荷神社』。

鎌倉駅から徒歩25分ほどかかるが、途中『小町通り』など散策を楽しみながら
歩くのであまり負担にはならない。

今回のルートは、まず『佐助稲荷神社』から『葛原ヶ岡神社』、『銭洗弁財天』
を巡る源氏山コースだ。
たまにはお寺も廻るけど、ここでは神社のことしか書かない(*^。^*)

イメージ 2

細い住宅街をくねくね歩いていると参道入口に到達する。
入口の周辺は普通に住宅街だ

ここからお稲荷さんの幟旗沿いに山道を登って行くのだ。
結構息が切れますなあ〜
ぜえ〜ぜえ〜ぜえ〜(@_@)

幼少の頃『佐殿』と呼ばれていた『源頼朝』は、伊豆の蛭ヶ小島に流されていたときに
病気にかかり三日三晩続けて同じ夢をみたという。

夢の中で宇迦御魂命(稲荷神)が翁の姿で夢枕に立ち『平家討伐の挙兵は今だ!
勝利は間違いない!』というお告げがあったという。

イメージ 3

それから33才になった頼朝は、治承4年(1180)に挙兵し、平家討伐を果たし鎌倉に幕府を開いた。 

その御礼として、ここを霊地と定めて稲荷の社殿を造営させた。

そして『佐殿』を助けた神としてこの神社を『佐助稲荷』と呼んだそーな。

というのはガイドブックに載っている話・・・。
でも、そんな話ホンマかね??

イメージ 4

そもそも鎌倉という場所は山に囲まれた沼地のようなところで、本来幕府を造るには
あまり向かない土地だった。

そして頼朝にとって必要な金や砂鉄、水銀などの採取されるところはごく限られていたらしい。

この源氏山一帯はこうした鉱物が豊富に取れるところであったが、鉱物の採取には鉄を溶かすため、
かなりの危険度が伴うのだ。

なかには目を失ったり、手をなくしたりした者もたくさんいたという。
そうして頼朝を助けた人々を鎮魂するために『佐助稲荷神社』が建てられたという。

な〜んて、この話はオイラの勝手な想像なのだ〜。。。
でもそう思うと歴史の裏面を感じることができる鎌倉なのでした。

開く コメント(14)

全1ページ

[1]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事